書評 「多様性」 by 菊田哲さん

岩手中小企業家同友会・事務局長の菊田哲さんから、拙著「多様性」にありがたい書評が届きました。
6年間、同友会の有志を連れて、毎年ドイツ、スイス、オーストリアに通い続けてられ、学び、悩み、希望を持って仲間を鼓舞されてきた立役者です。その成果は、メンバー企業の未来を開く新規事業や具体的な変化となって現れています。これからも岩手を中心に広がり、深まっていくでしょう。
ほぼ2年間、交流はオンラインのみに限られてしまっていますが、菊田さんの想いと岩手の結束は、より強くなっている様子が伺えます。
シュヴァルツヴァルトでまた再会できるのを楽しみに。

私たちが毎年欧州視察で大変お世話になっている、ドイツ在住の日独森林環境コンサルタント、池田憲昭氏が「多様性」Vielfaltを出版されました。手のしたときから一気に読み込んでしまうほどで、訪れた時に目にした風景やそのとき聴こえた森のざわめき、青々しい香りが克明に脳裏に映し出されます。今起きている事象の本質とは何かが見えてきます。書評としてご紹介します。  

[書評] 池田憲昭著「多様性」を読んで

 これから起きることさえまったく予見のし得ない状況に右往左往。何処に基盤を置き、何をもって判断していくのか。
 私たちが東日本大震災後、毎年欧州視察に訪れ続け6年が経ちました。そのなかで繰り返し誘(いざな)われたのは、フライブルク郊外のシュヴァルツヴァルトと呼ばれる黒い森でした。鬱蒼(うっそう)と茂る黒い森に足を踏み入れると、多種多様な木々が足元から芽を出し、まるで私たちに話しかけてくるように迎え入れてくれます。
 そこで繰り返し聴いた音のなかに、独語のwende(ヴェンデ)という言葉がありました。その原義には、単なる変化ではなく、人間の生き方そのものの根幹からの変革を促すこと、そして将来の世代に向けた配慮があることを、後に知ることになります。まさにそれが「何のために、なぜ変わらなければならないのか」との私たちへの問いかけであることに気づきます。
 何の心の準備もないまま黒い森を訪れた私たちは、乳母車を押しながら普段着で森に入り、森林浴を気軽に楽しむ姿に衝撃を受けます。馬を連れホースセラピーで森を楽しむ家族とすれ違うのも日常の映像です。そして雪がしんしんと降る外気がマイナス10度の中でも、厚いダウンジャケットを着込んで森を歩き、山頂のレストハウスで暖かいスープでお腹を満たす現地でこそできる幸せな体験なども重ねました。
 持続可能性という言葉は、ドイツの森から生まれました。自分たちの世代のためだけではなく、次世代のために何をするのか。私たちは経営者同士の学び合いの場でも、社員との共育の場でも、「何のために生きるのか」を自らに問い直すことを、日頃大切にしています。私たちはこの6年、多様で持続可能な森とともに過ごすなかで、幾度も考え、語り合い、気づく機会がありました。そのために何年も通い続けることになりました。
 池田憲昭著「多様性」には、こうした私たちが経験してきた根底にある哲学が、惜しげもなく描かれています。自らの体験と結びつき「そうだったのか」と合点がいく。最近の気候変動や人権への警鐘も、流行を扱うかのような風潮に違和感を感じていました。池田氏はその姿を最後に人間の「尊厳」として、明らかにしています。
 岩手県立大学の初代学長であられた西澤潤一氏は、私たちが生まれながらにして持っている心を「素心知困(そしんちこん)」と現しました。生まれたばかりのことを思い起こせるならば、誰しもが人の役に立つ心を持っている(だろう)。今すぐ目の前の困っている人の役に立ちたいけれども、自分には解決できるだけの能力も経験もない。その悔しさを自らの学んでいく原動力にしていこう、というものです。宮沢賢治の理想にも触れるところです。
 私たちが黒い森の中で現地の森林官から聴いた30年から50年、更に先の世代に残す将来木(しょうらいぼく)の話も、鹿の食害から立ち上がる新芽を守るために狩猟を続けることも、 鹿肉の独特の臭みを取り美味しく調理してくれる地元の腕利きのシェフの笑顔も、そして森から切り出された木材の最高の部位だけを使用しつくられた壮大なパイプオルガンも、人間の内在する尊厳から見ると、すべてが地平線で繋がって見えてきます。
 池田憲昭著「多様性」はまさに、現代の誰もが感じている将来への恐れや不安を受け止め、自らの生き方をあらためて確認するための、示唆を与えてくれます。ぜひご一読をお勧めします。

菊田哲 筆

原生に近い森を守り、増やそう!

ドイツ国土面積は日本とほぼ同じ。「森の国」と呼ばれるが、森林率は約30%で日本の半分以下。北部は平地が多いが、中部から南部にかけて、丘陵地や山岳地がある。急峻な日本に比べて、人間が開拓しやすい場所が多いため、ほぼ全ての森は、過去に大なり小なり人の手が入っている。原生の森はない。

自然は硬直したものではない。気候や地形や地質、様々な生物種の相互作用によって、絶えず変化している。人間も自然界の一部であり、自然と「共生」している。進化の過程で脳を著しく発展させた人間はしかし、生活基盤である自然環境を、自分のイメージや思いに基づいて、大きく変える力を持った。

人間が大きく変更を加えたものの、自然の多様性とバランスが維持創出されている共生関係がある。例えば日本の里山や鎮守の森、私が住むシュヴァルツヴァルトの近自然的森林業と多面的利用がされている牧草地のランドスケープなど。一方、自然の多様性もバランスも著しく低下させ、土壌や水質の劣化や、土砂崩れや洪水、旱魃といった災害を誘発させる「共生」とは言えない搾取的利用もある。とりわけここ100年ほどの間で、技術の進歩と人口の爆発的増加も相まって、それら非持続可能な自然利用が急速に拡大している。

ドイツの森林マネージメントの政策は、1970年代半ばから、「林業」から「森林業」へ、「木の畑」から「近自然的な森づくり」へ、大きくシフトした。ただし、人間の政策が変わったからといって、森がすぐに姿を変えるわけではない。森は長い時間軸で動いている。50年経った今でも、昔の木の畑はまだたくさん残っている。昔身につけたその哲学で、「林業」を継続している人たちもいる。

自然は人間が生きる空間であり、人間は、同時にそこから資材や食料や水を得なければならない。自然への干渉は避けられない。その干渉の仕方は、搾取的なものから調和的なもの、集約的なものから粗放的なものまで多様にある。できる限り調和的で粗放的なやり方が持続可能である。ドイツの森林では、ここ50年の間、調和的で粗放的なやり方が増え、均質から多様の方向へゆっくりと進んでいる。それはいい傾向であるが、問題は、ほぼすべての森林で、大なり小なり木材生産が行われていること。人間による自然への働きかけによって、それが調和的で粗放的であっても、生息場所を奪われてしまう生物種がいる。とりわけ、食物連鎖の頂点にいるオオカミや熊、オオヤマネコは、中欧では、人間による自然干渉と、一部はアクティブな駆除行為によって、過去に絶滅に追いやられた。そのような生物種は、人間の影響が少ない、人間がほとんど手をつけない、広いエリアが必要になる。

ほぼ全てが木材生産林であるドイツの森林には、自然・景観保護区域も含まれていて、それら指定の区域では、各カテゴリーに応じて利用の制限がある。そのなかで、人間の木材利用を一切、禁止する、干渉は限られたレクレーション利用にとどめる、という自然保護の最高カテゴリーがある。州によって呼び名や細かな規制が違うが、私が住むBW州では「Bannwald(禁制森)」という。

シュヴァルツヴァルト最高峰のフェルドベルク山(標高1493m)の山頂エリアの小さな氷河湖の周りのお椀状の急峻な森林の約100haが、その「Bannwald(禁制森)」に指定されている。道は狭い岩だらけの登山道だけで、観光レジャー客はそこを歩るいて森と湖を体験する。今年は近場で日帰りバカンスをすることに決めた私の家族は、日曜日にそこを訪れた。私は学生のとき以来、ほぼ20年ぶり。

針葉樹のトウヒが5割くらい、残りはブナとカエデなどの広葉樹の混交森。過去数百年の間で人の手が入れられてきた森林であるが、過去50年あまり、ほとんど手がつけられてなく、原木利用を一切しない「禁制森」に指定されたのは1993年。風害で倒れた、夏の水不足などによる虫の害で立ち枯れになったトウヒがそのまま残されている。10年以上の時間も経ち、苔がたくさん生えている倒木もある。観光レジャーの利用制限もしっかりある。2000年から、湖畔での遊びや遊泳は禁止されている。私が学生の頃は泳ぐことができた。

人間が手をつけないことで、自然の多様化への遷移を促すこと、希少な動植物を保護するという目的の他に、中長期的に手付かずの自然を観察して、そこから近自然的森林業やランドスケープマネージメントの知見を得ていくという目的もある。私も20年前に大学でいろいろ学んだ。倒木があることで、昆虫や微生物の数が数段増え、土壌の生成にもポジティブに働き、土壌表面に湿気が保たれ、潜在植生の天然更新や、近辺の樹木の樹木の成長が促進されたりすること。また、虫は弱った樹木や枯れ木に集中し、健康な樹木には広がらないこと、などなど。林学・森林学は、現場から生まれ、現場との対話で発展している実学。たくさんのデータや理論が蓄積されている現在でも、わかっていないことはたくさんある。いつも謙虚に根気強く自然を観察することが大切だ。

ただ、100haといった比較的小さな保護面積は、一度絶滅した、また絶滅の危機に瀕している多く野生動物にとっては、生息領域として全く足りない。国立公園などでは、何も手をつけない禁制森などを核にして、その周りに利用を大部分抑えたバッファゾーン(緩衝帯)を設けるマネージメントも行われている。過去数十年のそういう措置の甲斐もあってか、シュヴァルツヴァルトでも、一度居なくなったオオカミやオオヤマネコが最近、観察されている。熊はアルプスの山地や東ドイツのポーランドとの国境付近などで少しづつ数が増えているようだ。

「禁制森」のような人間の利用を禁じ、自然に委ねる森は、ドイツではまだ、ほんの1%足らずだ。9月の連邦総選挙で政権獲得を狙う緑の党は、「原生森基金」を設立し、その資金で自然に委ねる森の面積を近い将来5%に、最終的には10%にしていくことを提案している。

日本はドイツとほぼ同じ国土面積で、ドイツの2.5倍の森林面積を有し、うち人工林が40%、残りは天然林で、天然林も町や村に近い場所は、旧里山や戦後の皆伐後の放置林(二次林)が多いですが、奥山や渓谷や標高の高い場所には、あまり人の手が入っていない森林が比較的たくさんあります。私は個人的に、そこは手を付けないで、道もつくらないで、人間の影響の少ない自然の生態系の発展の場所として残すべきだと思っています。

私の新刊『多様性〜人と森のサスティナブルな関係』
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B091F75KD3
では、「気くばり森林業」を日本に提案していますが、ターゲットにしているのは、本では明確に述べていないですが、居住地の近くに集中する人工林や元里山の放置林です(日本の森林の6割くらいの面積です)。そこにでは、人と自然の共生のバランスが取れた森林利用を推奨します。この6割くらいの森林でも、充分に多様な木材を持続的に供給し、将来的に国内自給できるポテンシャルがあります。日本のそういう場所での持続的な木材の利用、安全な森林保養のためには、質の高い基幹道が「必要最低限の密度」で整備されていくことを薦めます。残念ながら、過去に日本で作設された道の多くは崩壊し、または災害の起点になってています。自然保護や災害の観点で批判の的になるのは当然です。そうでない水のマネージメントをしっかりした、最大限の自然配慮をした必要最低限の道づくりの事例を本では紹介しています。

私の本を読んだある誠実な読者から「動物の観点は?」という批判がありました。人の影響の少ない、人の手があまり入らない大きな面積の生息空間が必要な動物がいます。彼らとの共存のためには、ゾーニング(棲み分け)が必要で、極力手をつけない、観光レジャーでも、明確な規制と誘導措置が推奨されます。中央ヨーロッパよりはるかに地質も地形も生物種も多様な日本の森林。分別ある気くばりのマネージメントが、貴重な財産を将来に渡って維持するために、自然と共生進化していくために必要だと思います。

パタゴニアからラジオ出演依頼

先日、嬉しい問い合わせがありました。

拙著『多様性〜人と森のサスティナブルな関係』https://www.amazon.co.jp/gp/product/B091F75KD3
を読んだ、パタゴニア・ジャパンの社会環境部の方から、パタゴニア提供のFM長崎の番組「NATURE & FUTURE 」に、長崎出身者として出演の依頼がありました。

8月4日、zoomにて収録でした。オンラインでのラジオインタビューは初めてだったので、ちょっと緊張しました。

1時間の番組。好きな曲を4つリクエストすることもできました。私の本の5章に登場する環境保護家のスティングの曲や、森林業家でキーボーディストのチャック・リーヴェルが一緒に活動したエリック・クラプトンの曲などをリクエストすることができました。

放送は、8月13日(金)20時からです。
https://www.fmnagasaki.co.jp/program/

radikoというアプリで、放送から1週間、全国どこでも聴けるようです。

radiko | インターネットでラジオが聴けるラジコは、スマホやパソコンでラジオが聴けるサービスです。今いるエリアのラジオ放送局なら無料で、ラジコプレミアムなら全国のラradiko.jp

パタゴニアは、アメリカ西海岸に本社がある老舗のアウトドアメーカーです。私はダウンジャケットなど愛用しています。企業としても、勇気ある政治表明をし、社会的行動をしている、私が尊敬する会社です。

環境保護活動のパイオニア企業でもあり、1990年代半ばに、コットン素材をオーガニックコットンへ切り替え、それからペットボトルからなるリサイクルポリエステルの使用、2000年初頭には、使い古された衣類の引き取りとリサイクルを開始しています。

2018年には「私たちは、故郷である地球を救うためにビジネスを営む」という宣言をし、最近では、環境再生型有機農業にも積極的に取り組んでいます。また、パタゴニアは、2025年までにカーボンニュートラルの達成を目指しています。今年には約80%が達成される見込みだそうです。

参考記事:
https://www.sustainablebrands.jp/news/jp/detail/1196062_1501.html

書評 「多様性」 by 岩田京子さん

埼玉県吉川市で長年、環境に関する市民活動をされ、市議会議員も勤められている岩田京子さんからの書評です。私が知らなかったゲーテの言葉が印象的です。

日本の森林が色々危惧されている中で、まだまだ可能性があると確信でき、ワクワクとドキドキが止まりませんでした。森の多様性は素晴らしい。「森を」「森で」楽しみたい人が増えることが大切なんだと思いました。著者の池田さんは専門家ですが、文章はとても読みやすく、森への愛情がたっぷりで前向きな気持ちになりました。

日本人も自然と共に生きてきた国民だと思っていたけれど、ドイツの「森林業」、森のつくり方・木の活用の多様性、それが全てハーモニーのように絡み合ってくまなく活用する様は「素晴らしい」に尽きます。

後半にはヘッセまで登場して、「我がまま」な生き方を教えてくれました。私たちの中に天国の教えがあるから、その心の声に忠実であれと。ヴォルテールの「私たちは自然は常に教育よりも一層大きな力を持っていた」やゲーテの「なぜ私は好んで自然と交わるかというと、自然は常に正しく、誤りはもっぱら私のほうにあるからだ」などという言葉も思い出しました。昔から、自然は偉大で、全てを教えてくれているんです。

森林の話だけど、人間の生き方の話で、現代人の心にノックしてくれる本だと思います。

岩田京子 筆

科学に100%の答えはないが…

科学的な知見からは、こうあるべきだ、という強力で明白な理屈が導き出される事柄でも、なかなか変化や実践が進まないことがたくさんある。

優秀な科学者の多くはとても謙虚である。科学に100%の答えはないことを自覚している。そのような科学者は、世間で大きく目を引くような断定的なこと、2極論的なことは言わない。白黒はっきりした物言いや単純明快な比較を好む多くのメディアには、そのような誠実で謙虚な科学者はあまり呼ばれない。だから世間に声が届きにくい。

しかし100%の答えでなくても、これまで集積された数々の研究から、80%、90%、もしくは99%の確率で正しいと言うことができる科学的見解もある。しかし、そのような確実性の高い科学のメッセージも、「ケースバイケース」「いろんな見方がある」という魔法の言葉で、軽視、無視、もしくは据置きされてしまうことがよくある。世界中で。

私のライフワークである森林においてもそうである。木材を利用するための世界の森林マネージメントの主流は、現在でも「木の畑」のフィロゾフィーの実践。土壌劣化や流出、各種災害や病気のリスクが高く、中長期的には、多くの条件で非経済的であることが、科学的に高い確率で立証されているにもかかわらず。既存の木の畑を、丁寧な間伐をしながら、自然の力を利用して、単調な「林」から多様な「森」に変えていく手法も確立していて、実証されているにもかかわらず。

日本の2人の森林研究者を紹介したい。

1人は、私の尊敬する大先輩である、藤森隆郎氏。世界的に高く評価されている森林生態学者だ。光栄なことに、拙著『多様性』に個人的な長文の書評を頂いたが、そのなかの下記の一節は、謙虚な藤森氏が、半世紀に渡る研究の成果から、おそらく99%確証を持って、述べられている。

日本の自然が豊かであることは、植物の再生力の高さを意味します。それは目的樹種よりも早生の雑草木の繁茂の激しさを意味します。日本の下刈り、つる切りまでの初期保育の経費は、他の温帯諸国のそれの10倍かかっているという報告があります。このことだけからも、短伐期の繰り返しは避けるべきことを強調しなければなりません。その上に短伐期の繰り返しは、生物多様性をはじめとする多面的機能の発揮に反し、持続可能な森林管理に反することをしっかりと説明していく必要があります。そして短伐期から長伐期多間伐施業へ、長伐期多間伐施業を進めながら択伐林化、混交林化へと進めていくことの必要性、すなわち「構造の豊かな森林」を目指して行くというストーリーを語ることが必要だと思います。
https://note.com/noriaki_ikeda/n/n0821d5634526

もう1人の研究者は、緑のダムの研究を30年以上続けられている蔵治光一郎教授。下記のリンクからダウンロードできる論文『森林の緑のダム機能(水源滋養機能)とその強化に向けて』には、日本も含めた世界中の数々の研究データが紹介され、分析、検証されている。
http://www.uf.a.u-tokyo.ac.jp/~kuraji/Midorinodam.pdf

「科学のメッセージを真摯に受け止めて欲しい」

と切に訴えても、届きにくい社会環境があり、変化や実践にブレーキをかける構造がある。

私は、どうしたら届くのか、どうしたら変わるのか、自分なりに思索し『多様性』を書いた。日本の大学でドイツ文学を学んで、ドイツの大学で森林学を学んだものとして、理系と文系、科学と文学を結びつけることを試みた。最新の植物神経学や脳神経学の知見、著名な文芸家や芸術家の言葉から、変化することのモチベーションの源泉を探った。人間は、感性と理性の生き物であるから。
https://youtu.be/ZmwJY3dijxk

書評 「多様性」 by 嶋岡匠さん

ヨーロッパ留学経験もある嶋岡さんが、丁寧かつ簡潔な書評を書いてくれました。

かつて木材は「製造材料」であり、「エネルギー源」でもあった。 国家の繁栄に直結する資源であったゆえ、木材を生産・管理する研究が始まった。 ドイツは林学という学問体系を世界で最初に構築した国。 著者・池田さんは、ドイツで森林・環境に関する学問を治められ、今も実践されている専門家だ。

明治の開国後、当時国家の戦略的資源であった木材生産は重要な課題であり、日本はヨーロッパ、特にドイツの森林管理を導入したが、木材栽培業的な林学を導入したのは致し方なかったのかもしれない。

第1章は、日本に導入されなかったもう一つの林学についての解説であり、本書のテーマ「多様性」と「持続性」の源流の解説である。 続く第2章は、違う進化を遂げた今のドイツの「森林学」を実践されている池田さんから、日本の「林業」への提案である。 木材栽培業を超えて、森とかかわっていくための提案が書かれている。

この本は、学びや示唆に富むものの、一般人が二の足を踏むような専門家向けの学術書ではない。 森について学んだ学識と、森と共に暮らしてきた著者が出会った「モノ ヒト コト」が程よくバランスされたとても読みやすい本に仕上がっている。「今ある森は、未来の世代のための貯金」と考えるドイツの林業の現場にいらっしゃる池田さんは、我々よりも長い時間軸で森を見ていらっしゃるようだ。森と生きるには、人間側が森のスピードに合わせなければいけない。

林業を生業としない私には、特に第3章・4章の森のスピードに合わせつつ、人の営みが円を描くように広がっているドイツの様子が興味深かった。 世の主流ではないけれど、少量だけど特殊な材を必要とする人がいて、それを製材して供給する人がいる。 そういう人達の需要があってこそ、森の中に多様な植生が残る。

第5章の始まりは「樹木たちの声を聞く」という擬人化された見出しからスタートしている。 森を学ぶには対象を冷静に見る客観が必要だけど、我々が森に求めるものは論理的に説明のつくことばかりではない。 「美しい風景」とか主観的価値を見出す人もいる。

森を起点にしながら色々な人の繋がりがドイツの林業を支えていることを紐解きながら、「多様性」の大切さを説く本書は、林業の枠を超えて、ただひたすらに速さ・効率だけを追い求める現代社会の在り方を考え直すきっかけにきっかけになりうると思う。

書評 「多様性」 by 中嶋潔さん

北海道のキノコの専門家、中嶋潔さんからの嬉しい書評です。私が本の5章で使っているキノコの写真が、菌根菌の類でないことを指摘していただきました。そして「正しい」菌根菌の写真も提供いただきました(上の写真)。改訂版を出すときに使わせてもらうことにしています。

感動しました!

私が数年前に読んで大きく感銘を受けた、藻谷浩介さんの『里山資本主義』、村尾行一さん『森林業(ドイツの森と日本林業)』と、基本的に共通する流れの中にある思想だと感じました。素晴らしいです。

私は大学生の頃は哲学科で、ニーチェ『道徳の系譜』で卒論を書き、卒業後、登山が好きだったので長野県の山小屋に就職し、結婚を機に山を下りて北海道の森林組合などで山林作業員として6年ほど過ごし、縁あって今はキノコが得意な自然ガイドとして生きている者なのですが、この本の中でのヘルマン・ヘッセについての記述や、森林基幹道のお話、森の幼稚園についてのお話など、ビンビン胸に響くものがありました。

私の得意分野である北海道の森と野生のキノコ、あとササ刈りの技能を生かして、北海道の森林と人の暮らしをよりイキイキさせることができるように、これからも森のハーモニーに加わって行きたいと、この本を読んで強く思いました。

これから、このお話を理解してくれそうな、この地域の森に関わる仲間たちに、この本を勧めまくろうと思います。
素晴らしい本を世に出して頂き、ありがとうございましたm(__)m

中嶋潔 筆

自由の最大公約数

「個々人の自由というのは、他の人の自由が始まるところで終わる」

ドイツの哲学者カントが200年以上前に言った言葉です。

自由はデモクラシーの支柱の1つで、幸福感の重要な要素ですが、勝手気ままな無制限の自由の行使は、他人の自由を奪ってしまいます。個々のたくさんの自由を成立させるためには、各人による360度の「気くばり」が必要です。

また、現在、世界で大きなテーマになっている健康や福祉、社会的公平は、自由を行使するための前提条件です。今回のパンデミックや災害は、人間に対しても自然環境に対しても「気くばり」が不可欠なこと、そうでないと、多くの自由が奪われてしまうことを、私たちに教えてくれています。

民主的な社会では、話し合いや議論、法律や制度によって「自由の最大公約数」を求めていく努力を絶えず続けていかなければなりません。複合的に共生進化する森の多様な生き物たちのように。

新刊『多様性〜人と森のサスティナブルな関係』では、人と森と木を軸に、私が大学や生活や仕事で身をもって学んだ自由と気くばりのバランス、「自由の最大公約数」を求めるための心のスタンスを描いています。
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B091F75KD3

自然と音楽は嘘をつかない!

好評いただいている7月のオンラインセミナーの締めは、7月27日18時30分から、高山の長瀬土建の長瀬雅彦さんにゲストスピーカーとして登場してもらいます。
「経年美化」する土木業者になるために 〜SDGsに取り組む長瀬土建の挑戦
https://nagasedoken.peatix.com

長瀬さんとは10年以上の付き合いで、年に1、2回はドイツか日本で会って仕事、プライベートで交流している私の大切な友人です。

長瀬さんは、森が大好きで、地域の建設業の仲間と一緒に林業の世界に参入し、貪欲に勉強をしながら実践を繰り返し、とりわけ森林の道づくりにおいて、日本の推奨モデルとなる「経年美化」する基幹道インフラを造っています。

私の新刊『多様性〜人と森のサスティナブルな関係』の2章にもキーマンとして登場しています。
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B091F75KD3

数年前から会社としてSDGsの実践にも積極的な長瀬さんに、森だけでなく、会社も「経年美化」するための哲学と具体的な取り組みについて語ってもらいます。

私は20年来、林業や建築やエネルギー分野で日本の事業をサポート支援する仕事をしていますが、たくさんの人に出会いました。つながりが強化して長続きしている人もいれば、薄れて別々の道を歩くようになった人もいます。私が関係を長続きさせることができている友人や知人には共通点があります。それは「自然」が好きなことと、「音楽」が好きなことです。

長瀬さんの自然好きは投稿を見てもらうとすぐにわかると思います。また長瀬さんは大の音楽好きで、熱烈なLP収集家でもあり、自宅の地下室に、自分だけのオーディオ室を持っているくらいです。高山でジャスのコンサートもよく企画されています。

「自然」も「音楽」も、どちらも嘘をつきません。

「すべての理論はグレー。森と経験だけがグリーン」とドイツの森林業のパイオニアのプファイルは言いました。

声や音楽を聞く耳は鋭敏で精確な器官です。目は耳に比べれば、あいまいな器官です。絶対音感はあっても、絶対色感はありません。視覚では人を騙すことができても、耳は騙すことができません。嘘発見器はだから声を分析します。

何事もお金に換算することを要求し「我買う故に我あり」のライフスタイルへ人を巧みに誘導する資本主義市場経済。人やモノを実際以上に大きく見せたり、逆に小さく見せたりする視覚偏重の現代のメディア。そんな人間の尊厳もヒューマニティも低下させる世界の中で、嘘をつかない自然と音楽は、私にとっては心の拠り所で、人間関係の強固で耐久性のある接着剤です。

谷や沢が多い日本では

今回の熱海の土砂災害では、谷筋の窪地に埋められた盛土(土木工事の残土など)が主要な原因との推測がされている。また尾根を削って造成されたメガソーラーや、雨が降ると土砂を運ぶ川のようになる水を制御できない構造の林道との関連性も議論されている。

いずれも、雨が多く、繊細な地質と土壌の場所では、やってはいけない開発である。私が住むドイツでは、いずれの類の開発も、幸いなことに、法的に許されていない。

土木残土を谷や沢の窪地に埋めることは、作業は楽でコストも安いから、日本全国で何十年もの間、慣行されている。だが、谷や沢は、地中と地上の水が集まる場所で、生態的にも地質・水文学的にも非常に繊細なエリアだ。できるだけ触らないほうがいい。そんな繊細で水の動きが強い場所に、残土を埋めたり、伐採残木を無造作に投げ捨てたり、水を集めてしまうような構造の道を作るのは、防災の観点では、地雷を埋めるようなもの。

10年前から年に1〜2回くらいのペースで日本の山に行って仕事をしているが、そんな地雷を各地で見るたびに、心が痛んだ。地雷が爆発して被害を受けている映像や傷跡も何度も見た。

残土を出さないような道のつくり方もある。地形に合わせ、等高線に沿った、丁寧なライン取りをすれば、土砂の掘削量は少なくて済む。また、半切半盛というやり方もある(ただし、上で削った土砂を下で盛るのではなく、押さえ踏み固めながら強固な路体をつくる)。そんな道は地形に合わせてカーブが多く滑らかで、美しくもある。一方、できるだけ最短で目的場所にたどり着きたい人間の傲慢と怠惰で、真っ直ぐに設計施工された道では、掘削量も多く、見た目もあまり良くない。

持続する道には、水を路上に集めない、加速させない、分散して、ブレーキをかけて排水する水のマネージメントが必要になる。古代ローマの道にも、日本の古道にも、それがある。雨が多く、谷や沢が多い日本では、とりわけ入念で丁寧な施工が必要になる。

人間が自然の恵みを計画的に定期的に得ていくためには、自然にアクセスするインフラが必要になる。自然の生産力も生態的多様性も防災機能もレクレーション機能も維持発展できる質の高いインフラの作り方は、昔からの知恵や経験、現代の知見や技術の中にある。

拙著「多様性」の2章では、ここの写真にあるような、日本の自然の繊細さに配慮した、美しく多機能な森林インフラ作設の事例(参照:写真)も紹介しています。
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B091F75KD3