Taifun-Tofu -ドイツ豆腐パイオニア

南西ドイツ、シュヴァルツヴァルトの西の麓に位置する環境首都フライブルク市。その隣村ホッホドルフに、有名な豆腐工場がある。名前は、タイフーン豆腐有限会社(Taifun-Tofu GmbH)。国際用語にもなっている「台風」にちなんだ名前だ。従業員は現在約270人、年間売上げは、2019年で3800万ユーロ(約46億円)、1週間に約100トン、約50万個の豆腐商品を生産し、ドイツを中心に欧州15カ国に販売している。ドイツでは市場シェアNo.1の豆腐メーカーである。そして商品は100% Bioビオ(有機認証食品)。欧州の約1万軒の自然食品の専門店、その他大手スーパーや小売店数十社の店舗に並んでいる。

従業員270人の中堅企業に成長
従業員270人の中堅企業に成長

小さなそよ風が大旋風に

 名前のとおり、欧州の食品業界に豆腐の「大旋風」を巻き起こしているタイフーン社であるが、始まりは、フライブルク市旧市街にある小さな建物の地下室から起こった小さな「そよ風」だった。
 1985年、環境と食に関心があり、社会を変えたいという思いを持った数名の若者たちが、アメリカ旅行で知った豆腐という栄養価の高いベジタブルフードと、それを使った様々な料理の可能性に魅了され、いろいろ実験を試みた。その中心メンバーがタイフーン社の設立者でオーナーのヴォルフガング・ヘック氏だった。
 翌年の1986年には、週に4kgの有機豆腐を製造し、朝市の屋台で販売を開始した。最初からビオであった。当時、ヨーロッパでは目新しかったこの食品は、フライブルクですぐに人気が出て、1987年にはタイフーン社を設立、新規に広い工房を借りて、製造量を週800kgに増やし、売り場もフライブルクで新しくオープンしたマーケットホールの一角に移した。この新しい手作り食品の地域での知名度は益々増して、フライブルク市内と周辺地域の数軒のビオの小売店から販売したいという問い合わせが来るようになり、卸売も始めた。販売量が増えると、地域のビオ卸売会社に小売店への販売を委ねるようになった。

タイフーン豆腐有限会社の設立者ヴォルフガング・ヘック氏、フライブルクのマーケットホールにて
タイフーン豆腐有限会社の設立者ヴォルフガング・ヘック氏、フライブルクのマーケットホールにて

タイフーン社躍進の大きな転機は、1990年1月のベルリンでの食品見本市であった。ベルリンの壁が開けられて2ヶ月後、彼らが見本市会場の片隅の小さな屋台でフライパンを使って焼いた試食の豆腐は、多くの東ベルリン市民の好奇心をそそり、焼いた側からすぐになくなる状況だった。そこに広くドイツ各地で自然食品の卸売を行う会社が訪れ、「うちの会社の商品リストに入れたい」と申し出た。そこからタイフーン豆腐の全国販売が始まった。
 1994年にも大きな変革があった。従業員が20人にまで成長していたタイフーン社は、現在の所在地であるホーホドルフの工業団地に新しい工場をつくり、これまでの手工業的な生産から、工業的生産へ大きくシフトした。それから今日まで約25年、このビオの豆腐製造会社は、人々の健康志向や環境意識の高まりも受けて年々市場を拡大し、それに合わせて生産工場も増築拡張し、従業員も増やしていった。

初期の小さな豆腐工房での製造風景
初期の小さな豆腐工房での製造風景
現在の豆腐工場での製造風景 -豆腐ソーセージ
現在の豆腐工場での製造風景 -豆腐ソーセージ

ヨーロッパ人の味覚に合わせた多様な豆腐商品

 豆腐のパイオニア企業タイフーン社の成功の理由の一つは、その商品の多様さとヨーロッパ人への馴染みやすさである。「ヨーロッパ人の味覚に合わせて、アジアにはない新しい商品を開発した」と1994年から会社で働く経営マネージャーのアルフォン・グラフ(Alfon Graf)氏は言う。木綿豆腐や絹ごし豆腐、揚げ出し豆腐など日本でも馴染みのものもあるが、人気があるのは独自に開発した燻製豆腐である。
 「ヨーロッパには昔から燻製の文化があるからね。それを豆腐に応用したんだ」とグラフ氏。
 また、ウインナーソーセージやスライスソーセージ状の燻製豆腐もある。味のバリエーションも多彩で、例えば木綿豆腐には、バジル味、オリーブ味、マンゴーカレー味があるし、揚げ出し豆腐には、ピザ味、イラクサ味などがある。

ヨーロピアナイズされた多彩な豆腐商品
ヨーロピアナイズされた多彩な豆腐商品

ベジタリアンと豆腐

 タイフーン社は、料理のレシピの開発も行っており、会社のホームページには、サラダやサンドイッチ、スープ、グリル/オーブン料理、スパゲッティやピザ、ケーキやアイスなど、オードブルからデザートまで、アジア風からヨーロッパ風まで、ヨーロッパ人の趣向に合わせた多彩な料理が紹介されている。豆腐の発祥地であるアジアにもいろいろな豆腐料理があるが、大きな違いは、タイフーン社のレシピには肉や魚が一切使われていないことである。ドイツで豆腐を食する人たちの多くはベジタリアンで、たんぱく質の多い豆腐を、肉や魚の代価として食している。ベジタリアンは現在世界中で増加しているが、ドイツでは全人口の約10%がベジタリアンとの調査結果もある。そのうち10%(すなわち全人口の1%)は、ビーガン(動物性のものを一切食べない完全な菜食主義者)である。ベジタリアンやビーガンの人にとっては、豆腐は欠かせない食品になっている。最近各地で急速に増加しているベジタリアン、もしくはビーガンレストランでも、豆腐は必ずと言っていいほどある。
 最近20年あまりのこのような菜食文化の普及も、タイフーン社が小さな風から大きな旋風に成長した理由の一つである。ベジタリアンは、環境保護や動物保護、健康志向などの動機がベースとなっているが、タイフーン社の設立当初のメンバーたちも、同様の問題意識をもって事業をはじめ、現在でもそれが継続されている。

多様な豆腐のレシピ。
多様な豆腐のレシピ

 さて、豆腐の製造には大豆が必要であるが、次回のレポートでは、タイフーン社がコーディネートする欧州でのその大豆の栽培と品種改良の取り組み、会社の理念である「福祉エコノミー」について紹介する。

タイフーン豆腐有限会社のサイト

Ziege(ヤギ)- To – Go

中級山岳地域のシュヴァルツヴァルト(黒い森)で、ヤギが、価格安に悩む乳牛農家のオルタナティブとして、急斜面の牧草地の「景観管理人」として、最近増加していることを本連載004「ヤギのルネッサンス」で書いた。
 今回は、そのヤギをレクレーションに活用した新しいサービス業を展開している農家を紹介したい。。

ヤギを使ってソフトな癒しツーリズム

斜面の牧草を刈るのに、ヤギを使った。
斜面の牧草を刈るのに、ヤギを使った。

 シュヴァルツヴァルト中南部のグートアッハ村シーゲラウ地区の山間部の兼業農家クルツ家は、2年前から地域の家族や子供たち、観光客や都会人に、ヤギ同伴のハイキングを提供している。彼らがつけた事業名は「Ziegen (ヤギ)-To-Go」。最近流行りのテイクアウトコーヒーの呼名をもじったもので、日本語に訳せば、「ヤギお持ち帰り」。
 この事業を実施しているクルツ家は、建設不動産業を営む家族で、10年前から現在の場所に住んでいる。古びた建物を、住みながら改修して行き、周りの牧草地も手入れしていった。ヤギを飼うきっかけは、斜面用草刈り機械も入って行けない一部の急な斜面の牧草を刈るのに、近所の農家からヤギを数匹借りたことだった。一匹のヤギがなぜかクルツ婦人に懐いてきて離れようとせず、それで「ヤギにしよう」と思ったそうだ。
 ドイツのヤギ飼育は大半がミルク生産用、他の国では肉生産用として飼っているケースもある。しかし、生物学の教師の資格も持つクルツ婦人は、そのどちらでもなく、人々の「癒し」と「レジャー」に使うことを思いついた。モダンに改修した大きな家の1フロアーを、5人用の休暇アパートメントとして観光客に提供する農家民宿業も始めていた。ヤギと観光業を結びつけて、ヤギと一緒にハイキングする「ソフトな癒しツーリズム」を展開することにした。

穏やかで気品ある品種「アングロ・ヌビアン」

 普通に飼われているヤギ、特にオスヤギは、発情期に臭い匂いを放ち、気性も荒くなる。
 「田舎を求めてくる都会の観光客だけど、臭いもの、汚れるものを嫌がる人が多い」
 とクルツ婦人は言う。
 一緒に歩く子供や観光客の安全も確保しなければならない。この事業に向いているヤギの品種を数年探し歩いた結果、現在6匹飼っているアングロ・ヌビアンという品種に行きついた。普通のヤギの2倍くらいの背丈があり、気品があり、耳が垂れていて愛らしく、穏やかな気性で、匂いもほとんどない。観光レクレーションと急斜面の牧草地の管理だけに使うため、オスは去勢し、角も切ってある。
 一方でこの品種は、ミルクの質がよく、乳量も多く、大きく肉付きもいい乳肉兼用種で、いいオスの種ヤギは、1匹およそ3000ユーロ(約37万円)と高価に市場で取引されている。ただし、繊細で手間がかかり、集団で飼うことが難しいため、ヨーロッパではそれほど普及していない。

大型で気品があり、耳が垂れて愛らしい、アングロ・ヌビアン種
大型で気品があり、耳が垂れて愛らしい、アングロ・ヌビアン種

問い合わせが絶えない人気のニッチなサービス業

しばらく道沿いの草を食べた後、別の場所へと誘導する。
しばらく道沿いの草を食べた後、別の場所へと誘導する。

 先日、私のところにドイツ現地セミナーで来ていた京都にある龍谷大学農学部の先生と学生のグループ12名で、クルツ家を訪問し、「ヤギとハイキング」を体験してみた。クルツ婦人と息子さんの先導のもと、6匹のヤギと一緒に、森の中の林道や小道、景色のいい牧草地を約8km、約2時間ほどハイキングした。散歩の途中で、林道端に生えているブナや楓やハシバミの灌木にヤギを誘導して食べさせた。林道脇の木は、車両通行のために、いずれ定期的に機械で剪定されるものだ。牧草地では、草地に落ちたリンゴも美味しそうに食べていた。ヤギは放っておくと、そこにあるものを食べ尽くしてしまう。だから、ちょっと食べたらクルツさんと息子さんが、「こっちへ来なさい! 次に行くよ」と絶えず誘導し、ヤギたちもよく言う事を聞いて従っていた。穏やかな品種であることだけでなく、少数でストレスの少ない環境でのびのび生活しているからだとも私は感じた。学生も2人の先生も、初めての特別な体験で、美しい景色のなかでヤギと戯れた。
 2年前からクルツ家が行なっているこの新しい事業、有名な雑誌やテレビ局、新聞社の取材を何度も受け、広く知れ渡るようになった。豊かな自然と美しい景観の中での適度な運動に、動物とのふれあいを組み合わせた農家のニッチなサービス業。今では問い合わせが絶えないそうだ。
 料金は、16歳以上の大人は一人22ユーロ(2700円)、15歳以下の子供は18ユーロ。子供の誕生会のために親が予約したり、都会からの観光客、噂を聞きつけて、遠くカリフォルニアからハリウッドの有名プロデューサーが来たこともあったそうだ。
 「これほど人気がでるとは思っても見なかった」とクルツ婦人。生物学の専門家でもある彼女は、お客さんの需要や興味に応じて、ハイキング中に自然景観ガイドも行う。でも都会に住み過度のストレスでバーンアウト気味のお客さんなど、ただただ、純粋に動物と自然と触れ合う静かな癒しの時間を求めてくる人もいるそうだ。そういうときは、彼女は何も喋らないで静かに同伴するとのこと。

EICネット「エコナビ」連載コラムより

木食い虫が教えてくれること

2018年のドイツを中心とする中央ヨーロッパは、気候温暖化の影響で、記録的な干ばつと熱波に見舞われた。ドイツでは、この年の平均気温は10.5度と観測史上最高を記録し、晩春から秋にかけては雨が極端に少なく、10月になってもドイツの土壌の70%以上が干ばつ状態にあった。

筆者の住むシュバルツヴァルト地域は、森林率が40%から80%で、林業が盛んなところであるが、水不足と日照りで弱った針葉樹のトウヒに木食い虫が大量発生し、大きな被害をもたらした。

木食い虫の被害のメカニズム

木食い虫の種は世界で4000種以上あるが、中央ヨーロッパで森林被害を起こしているのは主にドイツ語でBuchdrucker(プリンター)という種である。大きさは4〜5mm、生きているトウヒの樹皮に穴を掘り、その中に卵を産み、卵から孵った幼虫は、樹皮の内側の師部を流れる養分を糧に成長する。そのため、一気に大量の木食い虫「プリンター」に襲われた木は、養分の内部分配機能が衰え、枯れて死んでしまう。

通常、健康な状態のトウヒは、木食い虫の侵入に対して、樹脂を生産して自己防衛する。しかし、干ばつが続くと、水不足のため樹脂の生産ができなくなり、木食い虫は、弱り無防備になったそのような木に大量発生する。昨年の夏は、木食い虫にとって絶好の繁殖環境であった。シュヴァルツヴァルト地域を含むバーデン・ヴュルテンベルク州では、2018年、トウヒを中心に推定150万立米の木が被害を受けた。年間の針葉樹の伐採量の4分の1程度に相当する量である。

林業家に経済的な損失

木食い虫の被害を受けた木は、周りの立ち木に虫の害が広がるのを防ぐため、伐採され搬出される。木食い虫による原木へのダメージは外側の樹皮の部分だけであるので、内部の木材になる部分は健全なため建築用材などとして販売することができるが、色が変質しているため、製材工場による買取価格は、通常の値段から30〜50%差し引かれたものになる。森林所有者にとっては経済的に大きな損失である。また、被害木が大量に市場にでてしまうと、供給過多で、価格はさらに低くなり、また、市場がある期間内に買取ることができる木材の量には限界があるので、健全な普通の木の伐採を抑えなければならない状況にもなる。被害が大きかったいくつかの地域では、「普通」のトウヒB/C材の伐採を当面抑えるように指示が出されているところもある。被害にあった木を「片付ける」ことが優先、ということで。

被害の主な原因を作ったのは人間

木食い虫の大きな被害は、ドイツでここ20年間、何度か起こっている。1999年末の大風害の後や、2003年の夏の干ばつの後など、今回同様、異常気象がきっかけになっているが、人間が森に対して過去に行ったことも原因になっている。シュヴァルツヴァルトを始め、ドイツの多くの場所で育っているトウヒは、成長がいい、植えやすい、管理しやすいということで、人間が意図的に一斉植林したものである。日本で言えば、スギやヒノキに相当する。シュヴァルツヴァルトでは、トウヒはもともと、標高の高い場所の湿地や寒冷地に数パーセント点在する樹種であったが、過去200年余りの間で人間が植林によって増やし、30〜40%の割合を占めるまでになっている。トウヒは、根を浅く張る樹種で、夏の日照りや乾燥に弱い。よって、暖かい乾燥した南斜面などでは、弱りやすく、木食い虫の餌食になりやすい。これに対して、シュヴァルツヴァルトでもともと主力だったブナとモミの木は、根を深く張り、地中深くから水を吸収できるので、日照りや乾燥に耐性がある。風害や虫の害など過去の度重なる森林被害の経験から、土地にあった樹種を増やしていくこと、種の多様性を創出していくことが、ここ20年あまり進められているが、森の木のサイクルは100年以上、ゆっくりとした転換にならざるを得ない。

多様性はリスク分散

広葉樹をはじめとする多様な樹種構成で、大径の優良木(A材)が育った森を持っている所有者は、経済的なダメージの度合いは少ない。トウヒの建築用材には関係のないニッチな市場に材を供給できるからである。「多様性」は経営のリスクを分散させる。これは、数世代に渡ってそのような森づくりが行われてきたからである。温暖化の進行によりますますリスクが大きくなっている単一樹林では、今の世代が将来の世代のために多様性のある森林への転換を進めていかなければならない。木食い虫は、人間にそれを促している、そのための手助けをしてくれている、とも言える。

EICエコナビ 連載コラム「ドイツ黒い森地方の地域創生と持続可能性」へ

ヤギのルネッサンス

自給型の小さな農業が主流であった20世紀前半は、多くの南ドイツの農家はヤギを数頭飼って、そのミルクを自分で飲んでいた。しかし戦後、経済復興に伴い農業が合理化され、自給型から販売型へ転換すると、ヤギの頭数は激減した。農家は乳牛を増やし、ミルクを町の工房や工場に販売するようになった。
牛の乳量は当時、1日約20リットル、ヤギは4リットル程度。今日では、品種改良や餌の高栄養化により牛の乳量は1日50リットルを超える。生産効率も販売量も圧倒的に牛が有利である。「ヤギは、貧乏人の牛」と50年代当時言われるようになった。ヤギミルクは、街で牛乳を買えない貧乏人が自分で絞って飲んでいるもの、と。
しかしここ20年あまり、ヤギの乳製品が再び注目を浴び、生産量が増加している。ヤギミルクは、牛乳に比べ、ビタミンやミネラル分が多く、低カロリーで、消化がいい。またチーズは独特の香りがある。「健康」で「グルメ」な乳製品、と過去のイメージからガラリと変わった。価格も牛の乳製品より1.5倍から2倍高い。ヤギのルネッサンスが起こっている。

デザイナーがヤギチーズ農家として起業

手工業的チーズ工房
手工業的チーズ工房

シュヴァルツヴァルト南西部の麓のTenningen村の工業団地に、Monte Ziego(モンテ・ツィーゴ)という社名のチーズ工房がある。周辺10数件のエコ農家からヤギミルクを仕入れヤギチーズを手工業的に生産し、スーパーなどに販売している。オーナーのBuhl(ブール)氏は、元画家・デザイナー、ベルリンでディスコの内装デザインの仕事をしていた。2000年、シュヴァルツヴァルトのシュッタータール村に引っ越すと、そこで2匹のヤギを飼い、「Demeter」のエコ認証を取り、チーズ作りを始めた。大きな生活転換の理由は、単純にヤギ飼育とチーズ作りに以前から興味があったから。チーズ作りのノウハウは自学し、独自のレシピを開発し、生産、直売をした。彼のチーズは、ニッチ製品として通の間で評判を呼び、数年の間にヤギの数も2頭から40頭に増えた。
同時に「エコ」と「健康」に関する消費者の意識の高まりを受け、一般小売市場でのヤギの乳製品の需要も高まっていった。Buhl氏は、生産量に限りがある一農家のヤギチーズ生産・直売を脱皮し、契約農家からミルクを仕入れ、大きな工房でチーズを生産し、スーパーなどに販売する事業転換を決断。2010年に180万ユーロの投資で最新設備のチーズ工房を建設し、一般小売市場向けの生産を開始する。工房が大きくなってもBuhl氏は、品質を求め手工業的な生産にこだわった。大量生産の工場生産のチーズとは風味や食感が違う。エコ認証を受けたミルクによる手工業的生産であるため、量産品と比べ価格は2倍以上であるが、市場での人気は高く、生産量は、年々30%程度の急成長を遂げた。

高い乳価を設定し、酪農家の転換を促す

市場からの高い需要に応えて生産量を伸ばすためには、ヤギミルクを供給する契約農家を増やさなければならなかった。当初、数件の農家から始めたものが、現在12件の契約農家に増えた。一件あたり20匹から200匹のヤギを飼っている。全てDemeterのエコ認証を受けている。
社長のBuhl氏は、ヤギミルクの仕入れ単価を、当初から牛乳の2倍以上に設定し、周辺の乳牛酪農家に、牛からヤギへの転換を促して行った。乳牛酪農家は、ヨーロッパでの牛乳の過剰生産とそれに伴う乳価の低迷により、ここ10年以上、経営が困難な状況に陥っている。農家が牛乳工場に支払ってもらえる乳価は、ここ数年1リットルあたり20~30セント(26円から39円)で推移している。普通に経営していくためには40セントは必要だと言われている。酪農家は、EUの直接支払い補助金に頼ってなんとか経営を続けている状況である。過去数年で小さな乳牛酪農家の多くが、経営的に厳しくなり牛乳生産を辞めてしまった。
ミルクを高く買ってもらえるヤギ酪農に転換することは、牛乳価格の低迷で苦しむシュヴァルツヴァルトの小さな農家が経営を継続するための将来の展望でもある。現在、Monte Ziego社が農家に支払う単価は1リットル86セント。ドイツでもっとも高い買取価格である。「意図的に一番高い価格にして、それによって転換を促したい」と社長のBuhl氏は地方紙のインタビューで話している。ただしヤギは、1匹あたり1日4リットルと、牛1頭の10分の1の量しか生産しない。また冬場は乳量が少なくなる。よって農家の決断はそう簡単ではない。
観光保養地でもあるシュヴァルツヴァルトの美しい農村景観は、森林と牧草地と点在する農家の建物の3要素で成り立っている。酪農、林業、民宿業と複合的な経営を行っている家族経営の農家は、農村景観と観光業のために欠かせない。Monte Ziego社は、ヤギチーズを生産することによって、シュヴァルツヴァルトの農業と文化、景観を維持発展することに寄与することを企業目標の一つとしている。体の小さいヤギは、牛が立てない急斜面の牧草地の「景観管理(草刈り)」もしてくれる。

手工業的なエコ製品と乳清のエネルギー利用

フレッシュチーズ
フレッシュチーズ

ハーブ入りフェタチーズ
ハーブ入りフェタチーズ

現在、12の契約ヤギ農家の合計約12,000匹のヤギから年間80万リットルのヤギミルクがチーズ工房に出荷されている。工房では、20種類以上のヤギチーズが生産され、約20人の従業員が2交代で働いている。オリーブやチリを入れたフレッシュチーズや、バーベキューで焼いて食べるフェタチーズなどが人気の商品である。工房の責任者でチーズマイスターのバルマイヤー氏に中を案内してもらった。最新設備であるが、型をひっくり返したり、チーズの上にハーブを撒いたりする作業など、きめ細かに、人の手によって行っている。「品質の高さと多品種は、手工業的な生産だからできる」と誇りをもってマイスターが話してくれた。製品は、過去数年で様々な賞を受けている。

乳清バイオガスタンク
乳清バイオガスタンク

エコ製品を製造しているこの工房であるが、製造に必要なエネルギーにおいても「エコ」を追求している。工房の屋根には最初からソーラーパネルを設置しエコ電力を生産、2014年には、製造の過程で生じる乳清(ホエー)を使ったバイオガスエネルギー装置を設置し、世界初のゼロエネルギーチーズ工房を達成した。乳清(ホエー)とは、チーズを作る際に、牛乳から乳脂肪やガゼインというチーズの原料が取り出されたあとの残りの水溶液である。多くのチーズ工房や工場では、これが廃棄物として処理されているが、高たんぱく質、低脂肪で、栄養価、エネルギー価は高く、食品、豚の餌、化粧品などとして利用されているケースもある。Monte Ziego社は、この副産物をエネルギーとして利用することに決めた。年間1,170m3のホエーから、4万8,000m3のバイオガスが生産され、それが電気出力18kW、熱出力36kWのタービンで燃やされ、工場での電気、熱源(冷蔵庫も)として使用されている。熱は自給できており、電気は足りない時間帯はエコ電力会社の電気を購入しているが、バイオガス装置が動いていて工房が生産していない夜間は余剰電力を売っているので、年間収支ではプラスになっており、だからゼロエネルギー工房である。

現在この工房は、隣の空き地に、粉ミルクを製造する工場を建設している。赤ちゃん用の健康なエコの粉ミルクとして販売される予定である。隣のスイスの販売業者からの需要に応えたものだ。現在の数倍の量のヤギミルクが必要になるが、それは、納入範囲を現在の50km圏内から300km圏内くらいに広げて対応する予定だそうだ。

EICエコナビ 連載コラム「ドイツ黒い森地方の地域創生と持続可能性」へ

森林浴 Waldbaden

ここ数年、ドイツで頻繁に見聞きする流行りの言葉がある。それは「Waldbaden(=森林浴)」。もともと、日本の林野庁により1982年に提唱された言葉がドイツ語に直訳され、新造語として使用されている。「森林の湯船に浸かる」という比喩的造語は、温泉とお風呂の文化がある日本ならではであるが、温泉スパの伝統があるドイツでも、すんなり馴染みやすい。

森林浴の医学的研究

森林にも温泉と同じような、癒しや健康増進効果があるから「森林浴」という言葉が生まれた。森林が人間の精神と健康に与えるポジティブな効果は、別に目新しいものではなく、様々な文化圏で、昔から経験的に知られていたことであるが、2000年代に入ってからから、日本やアメリカ、ヨーロッパなどで、森林浴効果のメカニズムを科学的に解明する研究が進んでいる。森の匂い、緑の波長、マイナスイオン、小鳥や小川やそよ風のゆらぎ音が、自律神経を安定させ、精神を落ち着かせ、免疫力を高め、様々な病気に対する抗体の生産を促すことが、医学的に証明されている。
日本では、医学的研究をベースに「森林セラピー」という言葉が、2004年に森林浴の発展形として生まれた。NPO法人森林セラピーソサイエティによって、これまで全国63箇所の森林エリアが「森林セラピー基地」として認定され、「健康のための森林浴」が推奨、実践されている。トレッキングや登山で入る他の日本の森林との大きな違いは、森林セラピー基地では、緩やかな勾配の幅広の歩きやすい遊歩道が整備されていることである。車椅子で入っていけるところもある。

ドイツでは、人々が日常的に森林浴


ドイツの多面的な森林利用

では、森林浴(=Waldbad)という言葉が、ここ数年流行っているドイツではどうなのか。国土面積は日本とほぼ同じ、森林率は約30%で日本の半分以下、そこに約8300万人の人が住むドイツ(日本の7割弱)では、森林浴は、多くの国民にとって日常的な行為、生活の一部になっている。気軽に犬と散歩、ノルディックウォーキング、サイクリング、マウンテンバイキング、乗馬、森林ヨガ、雪山ウォーキングと、森林のリクリエーション利用は多面的だ。森の幼稚園や森林教育など教育的な利用も盛んである。
ではいったい、どれだけの人がどれくらいの頻度で森林保養をしているのか。私が住むドイツのバーデン・ヴュルテンベルク州の森林行政が最近発表した統計によると、人口約1000万人、面積約36,000平方km(長野県の約2.5倍)、森林率40%のこの州で、1日平均約200万人の森林訪問者がある。年間を通した平均値であるので、春から秋にかけて、天気がいい日曜日などは、1日400万人以上の訪問者があることもある。人口の半分近くである。

林業のための質のいい道インフラが、快適で安全な保養空間を創出


持続可能な林業が森林保養の基盤

なぜにこれだけの人が森林に行っているのか。それは、ほぼ全ての森林に気軽にアクセスできる環境とインフラがあるからだ。サンダルでも、車椅子でも乳母車を押しても気軽に入って行ける、幅広で、勾配が緩やかな道が、平地の森にも、起伏がある急斜面の森にもある。この道のインフラは、戦後に、持続的な林業(木材利用)のために整備された。表面は砂利が填圧して敷き詰められたもので、木材を運ぶ大型トラックが走行できる規格で、この質の高い道が、老若男女、体が不自由な人まで、気軽で快適で安全な森林でのアクティビティを可能にしている。
森が支える森林木材産業クラスターは、ドイツでは自動車産業の2倍近くの就業人口(132万人、2005年統計)を抱え、ドイツの地域経済を支える重要な基盤になっている。そしてその森は同時に、人々の心と体の健康を促進する日常生活空間になっている。

道がないから、森は近くて遠い存在

日本は森林率68%の森林に恵まれた国であるが、森林セラピー基地のような快適に安全に歩ける道が整備されている場所は「特別な場所」であって、多くの国民にとっては、森は近くて遠い存在にある。ドイツでは、「特別な場所」がいたるところに、日常的に利用可能なところに面的にある。私は、20年以上ドイツに住んでいるが、このいい森林インフラの恩恵をたくさん受けたし、今でも森林は、私にとって、心を休める、考えを整理する、スポーツをする、山菜やキノコを取る、日常生活の大切な場所である。
私は、森林やエネルギー関係で、時々来日して仕事をしているが、ドイツやスイスからの観光客にホテルなどで出会って会話することがある。日本の文化や伝統建築や食事に感銘し感動している人たちがよく言う「苦情」がある。それは、「森を歩きたい、森でサイクリングしたいけど、道がないから入っていけない」というものだ。せっかく豊富にある観光資源が開かれていない、アクセスできるインフラがない。

地域木材産業、住民の健康と幸せ、観光資源

牧歌的な保養地シュヴァルツヴァルトの風景

私が住むシュヴァルツヴァルト地域は、バーデン・ヴュルテンベルク州の西部にあり、南北に約170km、東西に50~70kmくらいの山岳農村地帯であるが、全体が観光保養地で、気軽に歩ける、スポーツができる森林は重要な観光資源となっている。シュヴァルツヴァルト観光協会が発表している2016年の統計によると、ベット数は16万、宿泊客数は年間800万人、宿泊数は年間延2100万泊もある。観光業は農村地域の重要な副収入源であり、観光業によって質の高い地域の生活インフラが維持されている。森林は、住民だけでなく、観光客にとっても重要なレジャー空間である。

ドイツの2倍以上の森林を所有し、人口も多い日本では、ドイツよりはるかに大きな多面的な森林利用のポテンシャルがある。しかし現在、木材利用にしても、レクリエーション利用にしても、僅かしか使われていない。この豊かな資源を、将来のために持続的に使えるように整備していくことは、地域経済にとって、国民の健康と幸せにとって、大きな意味があることだと思う。


ドイツに倣った高山市の質の高い森林基幹道(© M.Nagase)

岐阜県高山市では、ドイツに倣った持続可能で多面的な森林利用のためのインフラの整備、質の高い森林基幹道の整備が、2011年より進んでいる。その事業のリーダー格である高山林業建設業協同組合の長瀬氏から、2年前、嬉しい写真を見せてもらった。新しく作られた快適な森林基幹道に、犬を連れて散歩している近所の女性が写っていた。その女性は、出来上がった道の確認をしている長瀬氏に遭遇し、「きれいないい道ができていたので、ついつい犬と散歩したくなって入って来ました。いいですか」と尋ねた。長瀬氏は「もちろんいいですよ」と答え、早速道の効果が現れたと嬉しくなり、「写真を撮らせていただいてもいいですか」と断って手持ちのカメラのシャッターを押したそうだ。


「きれいな道だから犬と散歩に来ました」(© M.Nagase)

高山市は、ヨーロッパからの観光客が増えている。彼らが、高山の街中だけでなく、近くの森を気軽に歩き、サイクリングできる環境が整う日もそう遠くない。そういう人たちは滞在型なので、新たな宿泊のインフラや観光コンセプトも必要になってくる。

EIC エコナビの連載コラム3 2018年6月 より

ドイツ視察 森林業 サステイナビリティの原点

ドイツ視察 グリーンインフラストラクチャー

ドイツ視察 自然の力 癒し 学び

ドイツ視察 SLOW+

廃屋に生命を!

環境首都で有名なドイツ南西部のフライブルク市近郊、シュヴァルツヴァルト(黒い森)の麓、氷河で削られてできたU字型の底広のドライザム谷に、人口約9700人のキルヒツァルテン(Kirchzarten)村がある。この村の商店街から300mほど離れた場所に、今年始め、新しい「村の中心」がオープンした。

文化財の廃屋をどうするか

新しい「村の中心」ができた場所には、18世紀後半から19世紀始めにかけて建設され、ここ40年あまり放置されていた2つの大きな納屋と水車小屋があった。隣にある小さなお城に付属する建物で、100年前まではここが村の中心部であった。村が所有する築200年以上の3つの古建築は、文化財に指定されていたが、最近は、ときどき野外イベントやお祭りで使用する程度で、廃屋になっていた。この建物を今後どうするか、村行政の大きな課題であった。
2014年、村議会は、3つの廃屋を改修(リフォーム)し、2つの納屋は、村役場の村民窓口、イベントホール、図書館と多目的な空間に、水車小屋は、村のエネルギー・水道会社の事務所にすることを決議した。

市民コミュニティセンターに生まれ変わった納屋
市民コミュニティセンターに生まれ変わった納屋

新しい村役場の村民窓口
新しい村役場の村民窓口

古い建物が壊されるのは自分の故郷が奪われる思い

改修事業の元請けになったのは、村に事務所を置くSutter3(スッター3)社。社長のヴィリー・スッター氏は約30年、シュヴァルツヴァルト地域で、100件以上の古建築の改修を手がけているこの分野のスペシャリストである。1980年代初頭に職業学校を出て工務店や住宅設備工事の会社で数年経験を積んだあと、独立して古建築の改修を開始した。
80年代当時、彼の生まれ故郷のシュヴァルツヴァルトのティティゼー・ノイシュタット市では、住宅ブームで、たくさんの古い建物が壊されて、新築の家が建てられていた。スッター氏にとっては、趣と雰囲気がある古い建物が解体されていくのは、自分が慣れ親しんだ故郷がどんどん奪われるような気持ちだった。少しでも歯止めをかけようと、農家の古い納屋や空き家になっている古建築を見つけては、所有者と交渉し、買取り、改修した。出来上がった建物は、転売するか、もしくは自社で所有して住宅やオフィスとして賃貸する事業を1980年代終わりころから開始した。誰も手をつけようとしない廃屋の建物や文化財に指定され改修の条件も厳しい物件を、丁寧にしかも経済的に改修し、新しく蘇らせていった。

古建築改修のプロフェッショナル ヴィリー・スッター氏
古建築改修のプロフェッショナル ヴィリー・スッター氏

1990年代の末に、ある社会福祉住宅の事業を請け負った際、長期失業者や前科がある人たちに出会った。彼らの人生や抱えている問題に心を打たれたスッター氏は、社会福祉の専門家と一緒に、彼らの社会復帰をサポートするための新たな会社を設立した。誰も好んで受け入れようとしない人たちを、建設業の労働者として雇い、教育・養成した。改修した建物のいくつかを会社で所有し、過去の履歴から住まいを見つけるのも困難な社員や似たような状況にある社会的弱者に安く賃貸している。

古建築リフォームで、適切な省エネ化

キルヒツァルテン村のプロジェクトは、プランニングから建設まで約3年かかった。文化財に指定されている建物の改修の際、もっとも手間がかかるのが、文化財保護局との綿密な打ち合わせと調整作業である。オリジナルのマテリアルをできる限り残すことが要求されるからだ。
スッター氏は、豊富な経験と設計施工上のアイデアで、石の壁や木の梁や柱、内壁板、天井板など、80%を維持することに成功した。基本的にどの古建築改修の事業でも、建物を利用する人たちの健康配慮とマテリアルの耐久性を向上させるために、湿った石の除湿作業、古い梁や柱、板の除虫作業(60℃の暖気で燻す)を施している。窓は、大部分を、最新の断熱性能をもった、古建築にもマッチする木製サッシを取り付けた。光をたくさん取り入れるために、天窓も取り付けている。屋根には、30cmのセルロース断熱材、床天井にも断熱材とコンクリートを入れて、省エネと、防音対策をした。一方、外枠の石壁には、断熱施工はしていない。文化財に指定されている建物は、外観を変えることが法律上制限されており、外断熱はできない。内断熱という方法があるが、結露の問題を起こしやすくなる。
「石壁の調湿呼吸性能を維持するためにも、ここに断熱はしない」とスッター氏。「石壁は分厚く、蓄熱効果がある。屋根と床天井にしっかり断熱し、性能のいいサッシをつければ十分」とスッター氏は言う。
暖房の熱源はペレットボイラーで、建物のエネルギー性能的には、新築の基準に近い、年間の一次エネルギー需要100kW/m2を達成している。機械換気はたくさんの人が出入りする屋根裏のホール以外取り付けていない。
「メンテナンスの手間とコスト、それを怠ることによるバクテリアやカビの発生などの問題があるので、私の事業では機械換気は極力入れない。呼吸する壁材であれば、換気口による自然換気と、窓の開閉による換気で十分」という。

古いものとモダンの心地いい融合

古いものとモダンが融合した心地よい図書館の空間
古いものとモダンが融合した心地よい図書館の空間

かつて納屋として使われていた2つの建物の中をスッター氏に案内してもらった。窓とガラスの仕切り壁で、光を取り入れた明るい空間。200年以上前の石壁とこげ茶色の木の梁や柱、天井や壁板のなかに、白を基調にしたモダンな建具と内装、スマートなデザインのLED照明が、石と木とモダンな建具に柔らかい光を照らす。古い梁や柱は、構造強度を高めるために、ところどころ目立たないように鉄骨で補強されている。古いものとモダンなものが、機能的に絶妙のバランスで組み合わされ、心地よく温かみがある空間を作っている。室内の空気もいい。

一つの納屋は村役場と屋根裏ホール、もう一つの納屋は市民図書館に生まれ変わった。2つの建物の2階部分がガラス張りの橋廊下で繋がれている。階段が設置される公共建築物には、火災保護法の規定により、階段室をコンクリートの内壁で囲って高価な防火扉を各階に取り付けることが義務化されているが、スッター氏は橋廊下を火事の際の避難経路にすることで、コンクリート内壁も防火扉も設置しないで済むようにし、大幅にコストを削減するとともに、区切りがない広くオープンな空間の創出を実現した。
古建築の改修、とくに文化財に指定されているものの改修は、新築以上にお金がかかることが稀ではないが、スッター氏は、長年の経験と奇抜なアイデアによって、ほとんどの事業で、新築より安く抑えている。3つの建物の建具と外の敷地の造成も含めた総工費は680万ユーロ(約9億円)。文化財であるので、村は州から20%の助成金をもらっている。建物の延べ床面積は合わせて約2350平米なので、平米あたりのコストは約2900ユーロ。一般公共建築物の新築のレベルと変わらない。
「これだけの機能と性能を新築で出す場合、平米あたり3200ユーロはするから、むしろ新築より安い」とスッター氏は補足説明する。

新しく生命を吹き込まれた古建築は、村民の心を捉えた

屋根裏の村民ホール
屋根裏の村民ホール

新しい村役場と村民ホール、図書館は、今年1月半ばにオープンしてから、「信じられない。あの廃屋がこんな素晴らしい建物に変わるなんて」と、多くの村民に好評である。
村長のアンドレアス・ハル氏は、「当初、多額の経費がかかるこのプロジェクトの意義に疑問をもっていた一部の村民も、出来上がったものを体感し感銘してくれている」と満足している。
村のお荷物だった廃屋の文化財に、スッター3社を中心とする地域の建設業者によって、新しい生命が吹き込まれ、心地よいコミュニティ空間になった。

現在スッター3社は、50km圏内を中心に、約20件の古建築物改修のプロジェクトを同時並行で行なっている。廃墟だった古建築が、レストランやカフェ、イベントホール、診療所やスーパーとして、次々に生まれ変わっている。

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冬を買う −人口降雪機に未来はあるか?

ホワイトクリスマス

今年は数年ぶりにホワイトクリスマスになりそうだ。
私が住む南西ドイツ・シュヴァルツヴァルトは、標高1000m前後の山々が連なる地域。面積は長野県の3分の2くらいで、森林と牧草地がモザイク状に連なる牧歌的な風景が全体を覆う観光保養地である。年間宿泊数は延数で2000万泊、春から秋にかけてはハイキングやマウンテンバイク、冬はアルペンスキーやクロスカントリーが定番である。
ここ数年は、温暖化の影響で、スキー関連施設がたくさんの売り上げを期待できるクリスマスと年末年始に雪が降らなかった。昨シーズンは、標高1000mを超えるところでも、日中の気温が10度以上、平地のラインの平野で1月初めに桜が芽吹いた。

温暖化の影響で減ってきた降雪量

フェルドベルクスキー場
フェルドベルクスキー場

シュヴァルツヴァルトのスキー場は、そのほとんどがリフトが2つか3つくらいの小さなものであるが、標高1500m弱のシュヴァルツヴァルトで一番高い山フェルドベルクに14のリフトを操業する中規模スキー場がある。このフェルドベルクに隣接する自治体にとっては、スキー産業クラスターは重要な地域の経済基盤である。
ケルン大学スポーツ学研究所の試算によれば、フェルドベルク区域のウィンタースポーツ産業クラスターの年間の経済総生産は約8000万ユーロ(約105億円)で、この部門の自治体の税収は700万ユーロ(約9.3億円)もある。
フェルドベルクは、中級山岳地域のシュヴァルツヴァルトのなかにあって、アルプス地域と類似の気候で、寒く雪も多い場所であるが、温暖化の影響で、降雪量は過去数十年明らかに減っている。このスキー場が経済的にプラスでやっていくためには、年間100日以上リフトが稼働しなければならないが、12月半ばから4月半ばまでの期間、30cm以上の雪をなんとか維持するためには、人工降雪機を備えないとやっていけなくなっている。約30kmの滑走コースのうち10km(約20ヘクタール)で、約100台の人工降雪機を装備し、雪を補足している。それでもここ数年、100日のリフト稼働を維持するのが難しくなっている。

人工雪のつくり方

一般的な人工降雪機
一般的な人工降雪機

人工降雪機で雪をつくるのには、まず原料として大量の「水」が必要になる。ヨーロッパアルプス地域スキー場では、1haあたり1シーズンおよそ4000m3の水が必要になる。フェルトベルクでは1シーズンでおよそ80000m3の水を使用しているが、自然の雪水や雨水を人工の溜池に貯水して使っている。
「空からその場所に降ってきた自然の水で、それが人工雪となってその場所に撒かれる。原料は水だけで添加物もいれないので、自然環境への悪影響はほぼない」
スキー場運営事業体はそう主張するが、自然保護団体のNABUやBUNDは、
「自然の小川や周りの土地に分散される水が貯水池に集中するので、他の場所での水不足を招き、凍りやすくなり、生態系に悪影響を及ぼす」
と批判的な見解をもっている。

温暖化によって減った降雪の問題を解決するために大量にエネルギーを消費し、それがさらに温暖化を進めることになる

人工降雪機を稼働させるためのエネルギー使用量も問題視されている。フェルドベルクは約10km、約20ヘクタールの滑走コースに雪を補足するのに、年間約25万キロワット時のエネルギーを消費している。これは、約62世帯分のエネルギー消費量に相当する。
フェルドベルクだけみると、それほど大きな消費量ではないが、その他多くのスキー場で稼働する人工降雪機のエネルギー消費量を合わせると、かなりの量になる。
自然保護団体BUNDのレポートによれば、アルプス地域(オーストリア、スロベニア、イタリア、ドイツ、スイス、フランス)のスキー場の滑走コース約10万ヘクタールのうち、7万ヘクタールが人工降雪機を備えている(2014年の調査)。年間の予想エネルギー消費量は2100GWhにもなり、約50万世帯分に相当する。
温暖化で雪が少ないという問題を解決するために、大量のエネルギーを消費し、温暖化をさらに助長している、という悪循環の構図がある。
ドイツスキー連盟によると、人工降雪設備(貯水池、変圧機、降雪マシン、送水ポンプとパイプなど必要な設備すべて)の設置には、コース1kmあたり65万ユーロ(約8600万円)の初期投資費用がかかる。スイスでは、平均100万スイスフラン(約1億2700万円)である。さらに年間の経費は、ドイツで1kmあたり約35,000ユーロかかっている。

中規模以上のスキー場がある地域では、スキーは地域経済の需要な柱であり、多くの人の生活が支えられている。シュヴァルツヴァルトのフェルトベルクのような小さなスキーリゾート地でも、約2000人が本業や副業に従事している。シュヴァルツヴァルト地域は、ハイキングやマウンテンバイクなど夏の観光も盛んで、その中にあるフェルトベルク区域も宿泊数では夏が多いが、宿泊客が1日に落としていくお金は、スキーがある冬のほうが数倍多い。だからスキー場の運営主体であるフェルドベルク村も、スキーリフトの稼働日数を維持するために、高価で水とエネルギーをたくさん必要とする人工降雪設備に、過去10数年、多大な投資をしてきた。

技術的な措置で「冬を追加購入する」という解決手段は、限界に近付いている

しかし、温暖化は進む一方。雪が少なくなるほど年間経費は高くなり、人工降雪機へのさらなる投資の需要も増してくる。現在使用されている人工降雪機は、夜間気温がマイナス4度以下になってはじめて機能する。また貯水槽のなかに前もって十分な水がたまるくらい雨や雪が降っていなければならない。それらの前提条件が整わない日も増えている。昨年のクリスマスは、暖かすぎて、人工降雪機が稼働できず、スキー場のリフトは動かなかった。
温暖化が進み、降雪量が少なくなることは、専門的研究機関のシミュレーションでも明らかになっている。お金とエネルギーと水を使い、技術的な措置で「冬を追加購入する」という解決手段は、ヨーロッパでは、環境負荷の面でも、経済的な面でも限界に近づいている。すでに限界を超えて大きな問題になっている事例もある。

冬の観光はスキーだけではない。冬山散策や博物館、スパなど、観光やレジャーの多様性は増してきている。自然保護団体などを中心に、スキーだけに拘ること、それだけに多額で不確実な投資をし、しかも環境に負荷を与えることを批判する声が高まっている。
「現在のようにスキーができなくなる近い将来のことを考えて、オルタナティブな観光、レジャーに多面的な投資をしていくべきだ」と。

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