書評 「多様性」 by 菊田哲さん

岩手中小企業家同友会・事務局長の菊田哲さんから、拙著「多様性」にありがたい書評が届きました。
6年間、同友会の有志を連れて、毎年ドイツ、スイス、オーストリアに通い続けてられ、学び、悩み、希望を持って仲間を鼓舞されてきた立役者です。その成果は、メンバー企業の未来を開く新規事業や具体的な変化となって現れています。これからも岩手を中心に広がり、深まっていくでしょう。
ほぼ2年間、交流はオンラインのみに限られてしまっていますが、菊田さんの想いと岩手の結束は、より強くなっている様子が伺えます。
シュヴァルツヴァルトでまた再会できるのを楽しみに。

私たちが毎年欧州視察で大変お世話になっている、ドイツ在住の日独森林環境コンサルタント、池田憲昭氏が「多様性」Vielfaltを出版されました。手のしたときから一気に読み込んでしまうほどで、訪れた時に目にした風景やそのとき聴こえた森のざわめき、青々しい香りが克明に脳裏に映し出されます。今起きている事象の本質とは何かが見えてきます。書評としてご紹介します。  

[書評] 池田憲昭著「多様性」を読んで

 これから起きることさえまったく予見のし得ない状況に右往左往。何処に基盤を置き、何をもって判断していくのか。
 私たちが東日本大震災後、毎年欧州視察に訪れ続け6年が経ちました。そのなかで繰り返し誘(いざな)われたのは、フライブルク郊外のシュヴァルツヴァルトと呼ばれる黒い森でした。鬱蒼(うっそう)と茂る黒い森に足を踏み入れると、多種多様な木々が足元から芽を出し、まるで私たちに話しかけてくるように迎え入れてくれます。
 そこで繰り返し聴いた音のなかに、独語のwende(ヴェンデ)という言葉がありました。その原義には、単なる変化ではなく、人間の生き方そのものの根幹からの変革を促すこと、そして将来の世代に向けた配慮があることを、後に知ることになります。まさにそれが「何のために、なぜ変わらなければならないのか」との私たちへの問いかけであることに気づきます。
 何の心の準備もないまま黒い森を訪れた私たちは、乳母車を押しながら普段着で森に入り、森林浴を気軽に楽しむ姿に衝撃を受けます。馬を連れホースセラピーで森を楽しむ家族とすれ違うのも日常の映像です。そして雪がしんしんと降る外気がマイナス10度の中でも、厚いダウンジャケットを着込んで森を歩き、山頂のレストハウスで暖かいスープでお腹を満たす現地でこそできる幸せな体験なども重ねました。
 持続可能性という言葉は、ドイツの森から生まれました。自分たちの世代のためだけではなく、次世代のために何をするのか。私たちは経営者同士の学び合いの場でも、社員との共育の場でも、「何のために生きるのか」を自らに問い直すことを、日頃大切にしています。私たちはこの6年、多様で持続可能な森とともに過ごすなかで、幾度も考え、語り合い、気づく機会がありました。そのために何年も通い続けることになりました。
 池田憲昭著「多様性」には、こうした私たちが経験してきた根底にある哲学が、惜しげもなく描かれています。自らの体験と結びつき「そうだったのか」と合点がいく。最近の気候変動や人権への警鐘も、流行を扱うかのような風潮に違和感を感じていました。池田氏はその姿を最後に人間の「尊厳」として、明らかにしています。
 岩手県立大学の初代学長であられた西澤潤一氏は、私たちが生まれながらにして持っている心を「素心知困(そしんちこん)」と現しました。生まれたばかりのことを思い起こせるならば、誰しもが人の役に立つ心を持っている(だろう)。今すぐ目の前の困っている人の役に立ちたいけれども、自分には解決できるだけの能力も経験もない。その悔しさを自らの学んでいく原動力にしていこう、というものです。宮沢賢治の理想にも触れるところです。
 私たちが黒い森の中で現地の森林官から聴いた30年から50年、更に先の世代に残す将来木(しょうらいぼく)の話も、鹿の食害から立ち上がる新芽を守るために狩猟を続けることも、 鹿肉の独特の臭みを取り美味しく調理してくれる地元の腕利きのシェフの笑顔も、そして森から切り出された木材の最高の部位だけを使用しつくられた壮大なパイプオルガンも、人間の内在する尊厳から見ると、すべてが地平線で繋がって見えてきます。
 池田憲昭著「多様性」はまさに、現代の誰もが感じている将来への恐れや不安を受け止め、自らの生き方をあらためて確認するための、示唆を与えてくれます。ぜひご一読をお勧めします。

菊田哲 筆

原生に近い森を守り、増やそう!

ドイツ国土面積は日本とほぼ同じ。「森の国」と呼ばれるが、森林率は約30%で日本の半分以下。北部は平地が多いが、中部から南部にかけて、丘陵地や山岳地がある。急峻な日本に比べて、人間が開拓しやすい場所が多いため、ほぼ全ての森は、過去に大なり小なり人の手が入っている。原生の森はない。

自然は硬直したものではない。気候や地形や地質、様々な生物種の相互作用によって、絶えず変化している。人間も自然界の一部であり、自然と「共生」している。進化の過程で脳を著しく発展させた人間はしかし、生活基盤である自然環境を、自分のイメージや思いに基づいて、大きく変える力を持った。

人間が大きく変更を加えたものの、自然の多様性とバランスが維持創出されている共生関係がある。例えば日本の里山や鎮守の森、私が住むシュヴァルツヴァルトの近自然的森林業と多面的利用がされている牧草地のランドスケープなど。一方、自然の多様性もバランスも著しく低下させ、土壌や水質の劣化や、土砂崩れや洪水、旱魃といった災害を誘発させる「共生」とは言えない搾取的利用もある。とりわけここ100年ほどの間で、技術の進歩と人口の爆発的増加も相まって、それら非持続可能な自然利用が急速に拡大している。

ドイツの森林マネージメントの政策は、1970年代半ばから、「林業」から「森林業」へ、「木の畑」から「近自然的な森づくり」へ、大きくシフトした。ただし、人間の政策が変わったからといって、森がすぐに姿を変えるわけではない。森は長い時間軸で動いている。50年経った今でも、昔の木の畑はまだたくさん残っている。昔身につけたその哲学で、「林業」を継続している人たちもいる。

自然は人間が生きる空間であり、人間は、同時にそこから資材や食料や水を得なければならない。自然への干渉は避けられない。その干渉の仕方は、搾取的なものから調和的なもの、集約的なものから粗放的なものまで多様にある。できる限り調和的で粗放的なやり方が持続可能である。ドイツの森林では、ここ50年の間、調和的で粗放的なやり方が増え、均質から多様の方向へゆっくりと進んでいる。それはいい傾向であるが、問題は、ほぼすべての森林で、大なり小なり木材生産が行われていること。人間による自然への働きかけによって、それが調和的で粗放的であっても、生息場所を奪われてしまう生物種がいる。とりわけ、食物連鎖の頂点にいるオオカミや熊、オオヤマネコは、中欧では、人間による自然干渉と、一部はアクティブな駆除行為によって、過去に絶滅に追いやられた。そのような生物種は、人間の影響が少ない、人間がほとんど手をつけない、広いエリアが必要になる。

ほぼ全てが木材生産林であるドイツの森林には、自然・景観保護区域も含まれていて、それら指定の区域では、各カテゴリーに応じて利用の制限がある。そのなかで、人間の木材利用を一切、禁止する、干渉は限られたレクレーション利用にとどめる、という自然保護の最高カテゴリーがある。州によって呼び名や細かな規制が違うが、私が住むBW州では「Bannwald(禁制森)」という。

シュヴァルツヴァルト最高峰のフェルドベルク山(標高1493m)の山頂エリアの小さな氷河湖の周りのお椀状の急峻な森林の約100haが、その「Bannwald(禁制森)」に指定されている。道は狭い岩だらけの登山道だけで、観光レジャー客はそこを歩るいて森と湖を体験する。今年は近場で日帰りバカンスをすることに決めた私の家族は、日曜日にそこを訪れた。私は学生のとき以来、ほぼ20年ぶり。

針葉樹のトウヒが5割くらい、残りはブナとカエデなどの広葉樹の混交森。過去数百年の間で人の手が入れられてきた森林であるが、過去50年あまり、ほとんど手がつけられてなく、原木利用を一切しない「禁制森」に指定されたのは1993年。風害で倒れた、夏の水不足などによる虫の害で立ち枯れになったトウヒがそのまま残されている。10年以上の時間も経ち、苔がたくさん生えている倒木もある。観光レジャーの利用制限もしっかりある。2000年から、湖畔での遊びや遊泳は禁止されている。私が学生の頃は泳ぐことができた。

人間が手をつけないことで、自然の多様化への遷移を促すこと、希少な動植物を保護するという目的の他に、中長期的に手付かずの自然を観察して、そこから近自然的森林業やランドスケープマネージメントの知見を得ていくという目的もある。私も20年前に大学でいろいろ学んだ。倒木があることで、昆虫や微生物の数が数段増え、土壌の生成にもポジティブに働き、土壌表面に湿気が保たれ、潜在植生の天然更新や、近辺の樹木の樹木の成長が促進されたりすること。また、虫は弱った樹木や枯れ木に集中し、健康な樹木には広がらないこと、などなど。林学・森林学は、現場から生まれ、現場との対話で発展している実学。たくさんのデータや理論が蓄積されている現在でも、わかっていないことはたくさんある。いつも謙虚に根気強く自然を観察することが大切だ。

ただ、100haといった比較的小さな保護面積は、一度絶滅した、また絶滅の危機に瀕している多く野生動物にとっては、生息領域として全く足りない。国立公園などでは、何も手をつけない禁制森などを核にして、その周りに利用を大部分抑えたバッファゾーン(緩衝帯)を設けるマネージメントも行われている。過去数十年のそういう措置の甲斐もあってか、シュヴァルツヴァルトでも、一度居なくなったオオカミやオオヤマネコが最近、観察されている。熊はアルプスの山地や東ドイツのポーランドとの国境付近などで少しづつ数が増えているようだ。

「禁制森」のような人間の利用を禁じ、自然に委ねる森は、ドイツではまだ、ほんの1%足らずだ。9月の連邦総選挙で政権獲得を狙う緑の党は、「原生森基金」を設立し、その資金で自然に委ねる森の面積を近い将来5%に、最終的には10%にしていくことを提案している。

日本はドイツとほぼ同じ国土面積で、ドイツの2.5倍の森林面積を有し、うち人工林が40%、残りは天然林で、天然林も町や村に近い場所は、旧里山や戦後の皆伐後の放置林(二次林)が多いですが、奥山や渓谷や標高の高い場所には、あまり人の手が入っていない森林が比較的たくさんあります。私は個人的に、そこは手を付けないで、道もつくらないで、人間の影響の少ない自然の生態系の発展の場所として残すべきだと思っています。

私の新刊『多様性〜人と森のサスティナブルな関係』
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B091F75KD3
では、「気くばり森林業」を日本に提案していますが、ターゲットにしているのは、本では明確に述べていないですが、居住地の近くに集中する人工林や元里山の放置林です(日本の森林の6割くらいの面積です)。そこにでは、人と自然の共生のバランスが取れた森林利用を推奨します。この6割くらいの森林でも、充分に多様な木材を持続的に供給し、将来的に国内自給できるポテンシャルがあります。日本のそういう場所での持続的な木材の利用、安全な森林保養のためには、質の高い基幹道が「必要最低限の密度」で整備されていくことを薦めます。残念ながら、過去に日本で作設された道の多くは崩壊し、または災害の起点になってています。自然保護や災害の観点で批判の的になるのは当然です。そうでない水のマネージメントをしっかりした、最大限の自然配慮をした必要最低限の道づくりの事例を本では紹介しています。

私の本を読んだある誠実な読者から「動物の観点は?」という批判がありました。人の影響の少ない、人の手があまり入らない大きな面積の生息空間が必要な動物がいます。彼らとの共存のためには、ゾーニング(棲み分け)が必要で、極力手をつけない、観光レジャーでも、明確な規制と誘導措置が推奨されます。中央ヨーロッパよりはるかに地質も地形も生物種も多様な日本の森林。分別ある気くばりのマネージメントが、貴重な財産を将来に渡って維持するために、自然と共生進化していくために必要だと思います。

パタゴニアからラジオ出演依頼

先日、嬉しい問い合わせがありました。

拙著『多様性〜人と森のサスティナブルな関係』https://www.amazon.co.jp/gp/product/B091F75KD3
を読んだ、パタゴニア・ジャパンの社会環境部の方から、パタゴニア提供のFM長崎の番組「NATURE & FUTURE 」に、長崎出身者として出演の依頼がありました。

8月4日、zoomにて収録でした。オンラインでのラジオインタビューは初めてだったので、ちょっと緊張しました。

1時間の番組。好きな曲を4つリクエストすることもできました。私の本の5章に登場する環境保護家のスティングの曲や、森林業家でキーボーディストのチャック・リーヴェルが一緒に活動したエリック・クラプトンの曲などをリクエストすることができました。

放送は、8月13日(金)20時からです。
https://www.fmnagasaki.co.jp/program/

radikoというアプリで、放送から1週間、全国どこでも聴けるようです。

radiko | インターネットでラジオが聴けるラジコは、スマホやパソコンでラジオが聴けるサービスです。今いるエリアのラジオ放送局なら無料で、ラジコプレミアムなら全国のラradiko.jp

パタゴニアは、アメリカ西海岸に本社がある老舗のアウトドアメーカーです。私はダウンジャケットなど愛用しています。企業としても、勇気ある政治表明をし、社会的行動をしている、私が尊敬する会社です。

環境保護活動のパイオニア企業でもあり、1990年代半ばに、コットン素材をオーガニックコットンへ切り替え、それからペットボトルからなるリサイクルポリエステルの使用、2000年初頭には、使い古された衣類の引き取りとリサイクルを開始しています。

2018年には「私たちは、故郷である地球を救うためにビジネスを営む」という宣言をし、最近では、環境再生型有機農業にも積極的に取り組んでいます。また、パタゴニアは、2025年までにカーボンニュートラルの達成を目指しています。今年には約80%が達成される見込みだそうです。

参考記事:
https://www.sustainablebrands.jp/news/jp/detail/1196062_1501.html

書評 「多様性」 by 岩田京子さん

埼玉県吉川市で長年、環境に関する市民活動をされ、市議会議員も勤められている岩田京子さんからの書評です。私が知らなかったゲーテの言葉が印象的です。

日本の森林が色々危惧されている中で、まだまだ可能性があると確信でき、ワクワクとドキドキが止まりませんでした。森の多様性は素晴らしい。「森を」「森で」楽しみたい人が増えることが大切なんだと思いました。著者の池田さんは専門家ですが、文章はとても読みやすく、森への愛情がたっぷりで前向きな気持ちになりました。

日本人も自然と共に生きてきた国民だと思っていたけれど、ドイツの「森林業」、森のつくり方・木の活用の多様性、それが全てハーモニーのように絡み合ってくまなく活用する様は「素晴らしい」に尽きます。

後半にはヘッセまで登場して、「我がまま」な生き方を教えてくれました。私たちの中に天国の教えがあるから、その心の声に忠実であれと。ヴォルテールの「私たちは自然は常に教育よりも一層大きな力を持っていた」やゲーテの「なぜ私は好んで自然と交わるかというと、自然は常に正しく、誤りはもっぱら私のほうにあるからだ」などという言葉も思い出しました。昔から、自然は偉大で、全てを教えてくれているんです。

森林の話だけど、人間の生き方の話で、現代人の心にノックしてくれる本だと思います。

岩田京子 筆