「多様性」〜人と森のサステイナブルな関係 (書籍)

《多様性》をキーワードに、「森づくり」から「地域木材クラスター」「モノづくりと人づくり」「森のレジャー」「森の幼稚園」さらには最新の脳神経生物学に基づいた「文明論」まで、私が過去20年の間で経験したことを軸に、多面的にわかりやすく論じています。
客観的かつ主観的に書きました。
科学的なデータや知見を踏まえた専門書ですが、同時に、《多様性》に魅了されてきた私の経験や思いがベースにあるエッセイでもあります。
思いもよらず、「さなぎ」のような静かな生活を強いられた、この1年。過去を振り返り、今後の自分の生き方を考える時間とモチベーションを得ることができました。
まず、自分のために書きました。次に、子供たちの未来のために。
「森の国」ドイツから「森林大国」日本の未来へ贈る、多様性のメロディです。
専門家や業界人に限らず、広く一般の方に読んでもらいたいと思っています。
森の仲間が増えることを願って。
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B091F75KD3

目次

はじめに ~「多様性」に導かれて

第1章 気くばり森林業

「林」と「森」
明治のパイオニアたちがドイツから持ち帰ったもの
私が「森林学」から学んだ大切なこと
次世代への想いやりから生まれた概念「サスティナビリティ」
世代間の契約
時代の異端児 ガイヤーとメラー
将来の木
人と森をつなぐ道

第2章 日本でこそ森林業を!

ヨーロッパの人たちが羨む「豊かさ」と「多様さ」
日本が持っている宝物の「量」と「質」
日本の森に「新・幹線」
将来木施業と狩猟で「林」を「森」に!

第3章 地域に富をもたらす多様な木材産業

多様な原木は、多様な製材工場を求む
「連なる滝(カスケード)」と「葡萄の房(クラスター)」
優秀な職人を育てる仕組み ~マイスターは現場の先生
木という素晴らしい素材が使える喜び
木で音をつくり、世界へ出かける職人

第4章 生活とレジャーの場としての森林

いつでも気軽に「Shinrin-Yoku」を!
「生きた里山」が観光資源
森の幼稚園

第5章 多様性のシンフォニー

樹木たちの声を聞く
脳のコーヒレント
「結びつき」と「探索」
心の羅針盤
尊厳

あとがき・謝辞

参考文献

アナログ版(印刷本)の販売サイト
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B091F75KD3

電子書籍の販売サイト
https://www.amazon.co.jp/ebook/dp/B08ZCSLL1C


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下は、音楽付きの本のイメージスライドショーです。


レビュー

複数の方から、うれしいお便りをいただいております。

まず、校正という大切な作業をやっていただいた吉田聖子さんからの感想です。

シュヴァルツヴァルトの本来の意味やドイツの林道のこと、樹木のネットワークの話など、知らなかったことがたくさん書かれていた。
ドイツと日本とは、森に関する考え方などがずいぶん違うと感じた。
池田さんのお陰で、ドイツ人が森とどのように付き合っているのか、知ることができた。
日本の場合、縄文時代から森とは深い付き合いがあったはずだが、時代によって失われてしまったことも多くあるのだろうと思った。
アラビア人は砂漠の民なので、砂漠の風に当たることが体に良いと思っていると、本で読んだが、ドイツ人は森の民として、森で過ごすことを体に良いと思っているところが似ているように思った。
ドイツにおける林業の話は、日本の林業の参考になるだろうと思った。
池田さんのご著書は、林業関係者にこそ読んでもらいたいと思った。
池田さんのご著書を読んで、木工品会社を取材したときに聞いた、伐り尽くして手に入らなくなった木材の話を思い出し、改めて「そういうことか」と納得した。
最終章が文明論だったことに感心した。また、池田さんの文明論は、未来に希望が持てると感じた。

多様性という心地よさ   
冨田直子さん  2021年4月12日 アマゾンより

満たされた読後感に浸っています。森の家でしばらく過ごしてきたような、森林浴をしてきたような、そんな気持ちです。
多様性が認められた世界というのは、自分自身もありのままでいることを許された世界であり、その心地よさが、この本にはあるのだと感じます。

そしてもう一つ心地いいのが、著者の文章が奏でる旋律です。音楽好きだという著者により、音楽になぞらえた表現が随所に出てきますが、それだけでなく、著者のルーツや、著者が森や人々と向き合う中で、森の時間に寄り添えるようになっていく一連のストーリーが、登場する人物や植物、生き物たちと共に、美しいハーモニーとなって響いてくるのです。

今後、森について知りたいという人がいれば、私はまずこの本を薦めるでしょう。
誰もが親しめる平易な文で、森という多機能な存在が、全方位から紹介されています。ドイツで行われてきた近自然的森林業の話から、ドイツの森林官が羨むほどに豊かな土壌、木の成長量、生物多様性を持つ日本の森の可能性、そしてドイツに習い日本でも行われている道づくりからはじめる森づくりの取り組み、さらに地域に富をもたらす多様な木材産業の話から、生活とレジャーの場としての森林までと、あらゆることに触れられています。そして、先人たちの試行錯誤により、豊かで持続可能な森と社会の在り方がドイツにはすでにあるという事実は、私たち日本人に勇気と希望をくれます。技術的な内容もわかりやすくリズミカルに書かれており、日本の森の可能性にどんどんと心が躍っていくのです。

また、SDGsの本質を学べる本としても、大いにおすすめしたい一冊です。森は、SDGsのすべてのゴールに通じる入口の一つです。本書では、環境視点だけではなく、人々が森林産業を通じてどのように豊かに暮らせるか、そして、森の幼稚園といった教育や福祉、心身を癒す「Shinrin-yoku」の広がりにまで話が及びます。
さらになんといっても、300年前、ドイツの森でカルロヴィッツによって生み出された「サステナビリティ」という言葉に関する丁寧な考察が、この本にはあります。人類がサステナビリティの大切さに気付いていく過程と、多様性の意義に気づいていく過程とは、まるで右足と左足の関係にあるようです。一歩ずつ歩みを続け、叡智を積み重ねてきた結果今日があるのだということが、ドイツの先人たちが辿った森との向き合いを通じて描かれています。SDGs に関わるものとして、この原点に触れられる学びは大変貴重です。
また第5章「多様性のシンフォニー」で、脳神経生物学者ゲラルト・ヒューターの著作にあると紹介されている「脳の省エネ」の話は、多くの示唆に富んでいます。人類は、最大のエネルギーを消費する脳の「省エネ化」のために、この複雑で多様な世界をあえてシンプルに捉え、生き抜いてきたというのです。よって、二項対立化、整然と整理する、単作・一律で何かを育てる、といったことは人類の生存戦略の一つであるとのこと。大変興味深く、それゆえの進化もありましたが、何事も過ぎたればです。著者の書く通り、今の持続可能なソリューションの実践者の共通項は、多様で複雑な世界を「理解し、受け入れ、多様性を活用している」という下りには共感を持って読みました。多様であることを、むしろシンプルに楽しんでしまいたい、そんな思いが、読み進める中で湧いてきます。

SDGsのいう「誰一人取り残さない」世界に向き合うには、自然界(人間界も含む)における「多様性」への理解が欠かせないと感じてきましたが、本書はそれをもう一段深いレベルで問い直す機会を私にくれました。

誰もが、すべてのいのちの尊厳と向き合い、森と同様に、次世代を想う数百年という時間軸と共に、自分らしく、心地よく、豊かに暮らせる世界――。これからの自分の在り方、世界の在り方を考えていくためにも、何度も読み返したい本に出会えました。そして、森づくりへの思いを、また一層強く持ちました。

是非、多くの方に読んでいただきたい本です。
森に散歩にいくように、またページを開きたいと思います。

「森林」を入口に「多様性、持続可能性」の本質を解きほぐしてくれる
佐々木正顕さん 2021年3月31日  アマゾンより

著者の池田氏は、ドイツ在住25年の経験豊富な森林産業コンサルタント。
ただし、本書は海外の先進的な制度やシステムだけを上から目線で伝えようとするものでななく、アプローチはむしろ真逆だ。
森林に関わる人たちの感情や想いから望ましい森林のあり方を解きほぐしてくれるが、池田氏の筆はそれだけでは止まらない。
特に、ドイツの著名な脳神経生物学者による、脳の省エネ機能を起点とした人間の思考パターンが、物事を単純化して分類させてきたという「発見」の紹介は、本書を貫く太い軸となって大変興味深い。
これをベースに、幸福感や金融資本主義、コロナ後の社会像まで「多様性」が本来意図する社会や自然のあり様を多彩に示唆してくれる。
「本当の持続可能な社会」を模索する、林業関係者以外の方にもぜひお勧めしたい、電子書籍の良さを活かした一冊だ。

多様性は本当に大切である事を学びました。
長瀬雅彦さん  2021年4月14日  アマゾンより

実に内容の意味ある内容、私自身ずっと探し求めてきた本に出会えました。
多様性まさに今一番重要なテーマ SDGsそのものですね。素敵な職人的な家庭に生まれ、新しい生き方、楽しみ方を求め留学し、また違った多様性を学び、日本の文化と西洋の文化を考えた思考で進化したのだと思います。そこでドイツを選択したのが池田様の宝になったのだと思います。留学中の幅広い研究と専門分野を学ばれ、広い寛容、配慮、リスペクト、探究心、想像力を培ったのだと思います。 近自然的森林業と多機能林業という哲学、ビジョンはまさに私も森林管理のあり方を学ぶべきものと感じています。『すべての理論はグレー 森と経験だけがグリーン』素晴らしい言葉です。サスティナビリティとカロヴィッツの事も初めて内容を知ることが出来ました。当然300年ほど前に生まれた言葉とは知っていましたが。 また長い将来の話を森林業のロマン フレッヒさんを思い出します。
サスティナビリティ(持続可能性)は「次世代への思いやり」に支えられている。次世代という「相手」に対する意識的な配慮の感情であるから「想いやり」である。この「想い」は人間の長い歴史のなかで、守られ-汚され、強調され-軽視され、実行され休止されることを何度も繰り返してきた。現在の私たちは、より一層この「想い」の所在に敏感になり、守り、強調し、実行していかなければならないと私も感じました。
多機能森林業を行うためには、経済、保養、自然保護と、多面的な「気くばり」をされた道が必要である。道も多様な機能を持っていなければならない「多機能森林基幹道」である。
しかし日本の林業関係者たちの認識は、これとは対照的に、ネガティブであり、できない理由を並べるときりがない。
森林所有者が、絶えず100年先、数世代先を考えた森林を利用することは、地域の森林・木材クラスターの在続と進化にとって欠かせない大前提である。「森のロマン」あっての地域の問題となります。今後の森林業は多面的な注意力を要するワイルドな環境で、ほかの仲間の個性や能力に配慮し、助け合いながら、五感をフルに使い、好奇心と自分の意志に基づいて、自発的に仲間と連帯して遊ぶことによって培われた能力であり、森が与えてくれた、心と体のバランスだ。まったくその通りだと思います。
森林業、林業、木材産業 様々な言葉が先行される中 本質知る為にも重要な参考書となるでしょう。

2度読みして深く理解したくなる本
落合俊也さん  2021年4月26日 アマゾンより

池田さんの講演はだいぶ前に聞いたことがあったし、「多様性」というタイトルは森を語るキーワードとしては特に新鮮味を感じなかった。しかし、読み進めてみると私の想像をはるかに超える深い実際的経験と知識を持って人と森の関係を掘り下げ、巧みに様々な理論で補強しているので、わかりやすく説得力があった。特に最終章は素晴らしく、2度読みしてしまったほどだ。

読み始めは林業先進国ドイツの森林産業システムと社会システムの調和的構造を自ら体験した筆者が、実に誠実にそれを紹介することから始まる。私たち日本人は、ドイツの素晴らしく整備された森林システムにはため息が出る一方で、日本の林業はだめだと考えがちである。ところが、日本の林業にも十分な潜在能力があることが示され、未来の発展に至る具体的な道筋も提案されている。

林業先進国のドイツを手本にして語られているのは、作者の経験と研究がドイツで行われたからだが、本書に続編があるとしたら、ほかの国の事例やドイツの失敗例にも幅広く目を向けて池田さん流の解説を聞いてみたいと思った。

初めに紹介したように、最後の章は珠玉の内容だと思う。池田さんはこのこと言いたくてこの本を書いたのだろうと私には思われた。ヒトの脳の構造から森と私たちの社会構造を読み解き、古くて新しい人間哲学の世界をも俯瞰した内容は新鮮だった。

多様化を理解しそれを長期的に利用した続けているソルーションこそが正しい回答であるはずなのに、近代に成立した短絡的なソルーションが大きなお金を生みだし現代産業の中枢をなしている。しかし、このような多くの金を生み出す大量生産単一化合理主義という現代の社会特性は、人類を破滅に導く可能性が高い。

終盤で作者の興味は人間の脳の構造や働きに注がれているが、脳の構造や志向を理解することで現代社会の問題点や自然との共生法のリアルな解決策を模索することができるのだろう。森を語る内容から脳を語る内容にシフトしすぎた感はあるが、優れた思想家や芸術家の思想や言葉を織り交ぜながら自分自身の発想の原点を暴露しているようで、その率直さにも好感を持った。

「多様性-人と森のサスティナブルな関係」を読んで
平田孝則さん  2021年4月28日 アマゾンより

一読した大雑把な感想ですが、森林関連の内容が多いにもかかわらず、日頃森林・林業・林産業をあまり理解していないごく普通の人達にとっても分かり易い優れた文体であることに驚きました。併せて、日本とドイツの林学史、育林・収穫作業、森林道、パイプオルガン製作、森の幼稚園、森林の効用、人文科学方面からのアプローチなど多岐にわたって読者の関心を引く構成であることにも感嘆した次第です。著者のヘルマン ヘッセ敬愛や人生観、社会観などにも共感を覚えました。巻末にある国内外の多数の参考文献一覧を見ても、著者の博学・博識ぶりを伺うことが出来ました。同時に、ここに至るまでの著者の道のりは通り一遍の努力では決して踏破できなかったであろう事、心身共に苦労をいとわない不断の勤勉の賜であることを理解できました。私の親しい友人・知人にも本書を紹介したところです。


浅輪 剛博さん  2021年5月7日  https://ganpoe.exblog.jp/29514049/

これは、森林に関わる全てのひとにとって必読の書です。
そして、森林とは直接関係はなくとも、持続可能ということに関心がある人にも強く薦めたいです。書名が「多様性」であるように、この本は、持続可能な森林業のノウハウが盛りだくさんであるだけではなく、なぜそのような制度ができたのか、その根本まで探る本だからです。つまり、根幹には「均一化ではなく、多様性」を尊ぶ生きかた、そして考えかたがあった、ということです。

日本では、欧州の先端的な林業の技術のそれぞれを切り出して輸入しようという動きが多いそうですが、著者の池田憲昭氏は、大事なのは、一つ一つの技術や制度ではなくて、その全体の多様な関係性だと論じています。その関係性を見つけ繋げ合う視点や考え方の転換がないといけないといいます。そう思って本書を読み返すといちいち腑に落ちると言うか、持続可能な森林との関わりかたのどれもが、そりゃそうだよね、当たり前だよね、と感じるのです。今まで、大型先進機械で自動化し樹種も単一化すれば効率的になって役立つ、そりゃそうだと思っていたのが嘘のようになります。それは多様性の大事さに気づく価値観の転換が起きるからだと思います。

本書の最終章で脳神経学からこのマインドセットの違いの謎を著者は解き明かそうとしています。非常に得心が行く章です。
ここでは経済学の課題からもその重要性に触れてみます。

物の価値には大きく二種類あります。一つはそれを使う価値。もう一つはそれを他のものと交換してどのくらいになるかという価値です。前者を使用価値、後者を交換価値といいます。
ここで、使用価値は使用する人にとってその価値が非常に分かりやすいものです。しかし、社会一般的には分かりにくい。なぜならある物の使用価値はまさに多様であり多面的だから、ある人の使い方と他の人の使い方は違うことが多いからです。まさに森林、樹木のようです。森の価値は材木でもあり、観光でもあり、災害対策でもあり、幼稚園でもあります。
それに対して、交換価値は逆に個人にとっては非常に分かりにくい。他人に交換してもらわない限り、どのくらいの価値があるのか自分ひとりでは分からないからです。そこで社会は全ての交換価値を一つの貨幣で表す制度を生み出しました。これが貨幣形態です。一般的等価形態ともいいます。社会にとっては値段と売れ行きさえ見れば一瞬で価値が分かる、非常に分かりやすいものなのです。

現代社会で様々なものを均一化させようとする大きな力は、この貨幣形態から起き、また、貨幣と商品を交換し続けることによって利潤、つまり資本を増大させようとする力から起きているのです。多面的機能を持つ多様な森林も、貨幣効率・資本最大利潤を最優先させるこの力によって、モノポリーな単一種栽培の畑のようにした方が良い、と人々は思い込んでしまうのです。(著者は前者を森林業、後者を林業と区別します。)最小限の貨幣で最大の貨幣を得る、その一面に集中して、資源の多様な可能性ーー使用価値を探ろうとしない。これが、自然と調和しない持続不可能な林業を産んでいるのではと考えます。

これはもちろん森林だけに関わらず、土壌を衰退させるような農業や、自動車交通を優先させてスプロール化する都市や、遠方の化石資源を燃料とし地域分散型エネルギーに着目しないエネルギー産業、そして健康で文化的な生活条件を整えるよりも、どれだけ財政負担を減らして生産効率を上げるかだけに専念する政治経済システムなどにも及ぶ、大きな現代の問題につながっています。
森林から始めて、多様性まで解き明かすこの本は、こんな広がりを持っています。多面的な機能、多様性の持つ豊かさ、それを活かす「持続可能な森林業」は、交換価値よりも軽視されてきた、環境がもつ多様な使用価値を探り出す取り組みでもあり、著者の示す多様な森林業の織りなす房は、まさにそのような価値観があったからこそ工夫され出来てきたものだと思います。

私は信州で自然エネルギーを活用する仕事をしています。これも単に個別の技術を切り出して拡大するというのではなく、地域に色々ある資源やエネルギーの多様性、様々なより良い可能性を見つけ、今まで気づかなかった地域の生活にとっての使用価値を発見していくーー省エネやシェアやマテリアルとしての活用も含めーーそのような全体的な視野も伴う必要がある仕事だと感じ入った次第です。

制度や義務だけでは人は本当に動きはしません。共感、感動、信念、そしてディグニティ(尊厳)が行動の根幹にあるのです。本書でそれを痛感させられました。

論語に言うように、

これを知る者はこれを好む者に如かず。
これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。

中村幹広さん  2021年5月2日  
https://note.com/mikihironakamura/n/nd86919de73e3?fbclid=IwAR0mhpeYSG9tqO7CNGHnzowBO3DRPxwbZ7mvFnT6byurAOqokqi0Ana6xYk

本書のタイトルである「多様性 Vielfalt」という単語は、私が紐解いたドイツ語辞典によれば、18世紀末に「vielfältig 多種多様な」という言葉から逆成されたものらしい。
言語は時代の変遷とともに変化していくのが世の常であり、例えば最近よく耳にするようになった「biodiversity 生物多様性」という単語もまた、1985年にアメリカで「生物的な biological」と「多様性 diversity」という2つの言葉を組み合わせて生まれた比較的新しい造語である。しかし今日では、そのポジティブな意味合いや耳当たりの良い言葉の響きと相まって、かなり一般的に使われるようになっている。
とはいえ、この「生物多様性」という単語も2010 年に愛知県で開催された生物多様性条約第10回締約国会議(COP10:the 10th Conference of the Parties)で大きく取り上げられるまでは、私たちには余り耳慣れない新しい言葉だった。
こうした事実を踏まえると、本書のあちこちに登場する森林・林業関係者であれば誰しもがきっと今は違和感を抱いてしまうであろう著者こだわりの言葉遣い、具体的には「林業」ではなく「森林業」、「所有林」ではなく「所有森」、そのほかにも「恒続森」や「択伐森」、「新・幹線」といった「いわゆる造語、新訳」もまた、いずれ私たちは慣れ親しみ当たり前のように使っているのかもしれない。
かく言う私も、私とドイツを深く結び付けてくれた大恩ある著者・池田氏の自然に対する姿勢に共感した1人であり、同僚や業界人同士での会話を別にして、単に「森林」という存在について話す際には「森林と人との距離感」を少しでも縮めるために「森林」ではなく「森」と努めて表現するようにしている。
加えて、これまで私は「足るを知る(者は富む)」という表現で森づくりのスタンスを話してきたが、著者の使った「気くばり森林業」という言葉はまさしく言い得て妙ではないだろうか。今後は私も「気くばり」という言葉を積極的に使ってみようと思う。

さて、前置きが長くなった。本書は多様性というキーワードを主軸に著者のこれまでの日独での経験談を交えて執筆されたエッセイである。穏やかな口調で語りかける著者が紡ぐ文章は、読者に程よい心地よさを与えてくれる。
冒頭で語られる好奇心旺盛な幼少期の原体験には、誰しもがどこかしら懐かしさを覚えるであろうし、著者が活動拠点とするフランス国境にほど近い地方都市フライブルク市は、私も幾度となく訪れ、そしていずれまた再訪したいと切に願う想い出の街であるが、著者の描写するその美しい街並みはきっと多くの読者を魅了することだろう。
そして本書の前半から後半にかけては、日独の架け橋として双方の視点から、森林・林業・木材産業、さらには里山、保養などについて、ややもすれば読者を二項対立の思考領域へと誘引しそうになりながらも、そのいずれについても的確に課題や有意点を示唆してくれる。
加えて、著者の関心は最新の脳神経学から哲学、精神性にまで多岐にわたって飛躍するため、読者の中には消化不良で半信半疑に受け止めてしまう人は少なくないだろう。だがしかしその感覚はやがて、未知なるものを知り、彼我の違いを知ることの楽しさを教えてくれる切っ掛けとなるだろう。

○本書の構成
本書は全5章からなる。各章はいずれも著者の日独での経験から得られた深い思索の末に辿り着いた内容となっているが、森という存在に対する畏怖や敬愛の念、日本の森林・林業・木材産業へのアドバイスにとどまらず、近年、欧州諸国で注目を集める森林浴や最新の脳科学に関する話題など幅広い。ドイツを代表する文学者であるヘルマン・ヘッセの言葉を引用して、環境、経済、哲学、音楽などの分野についても言及している。

 第1章 気くばり森林業
 第2章 日本でこそ森林業を!
 第3章 地域に富をもたらす多様な木材産業
 第4章 生活とレジャーの場としての森林
 第5章 多様性のシンフォニー
 
第1章では、明治から大正にかけ欧米各国に留学した数々の若き日本の才能たちが持ち帰った知識や経験、そしてそこに通底する人知を超えた自然に対する畏敬の念、ドイツで300年以上前に生まれた持続可能性という言葉の歴史等にも触れながら、著者がドイツで学んだ森づくりの哲学や知識を紹介する。この章では、森林・林業関係者に限らず、少しでも森に関心のある読者であれば、将来を見据えた森づくりの必然性を真摯に学ぶことができるだろう。
続く第2章では、ドイツから来日したフォレスターの視点から、日本の森の豊かさ、それを当たり前と思う日本人の意識、そしてその裏返しとしての、自然の豊かさに胡坐をかいた無頓着さが綴られている。私自身、直接的間接的に関係してきた内容が記されていることもあって、ここが私にとっては本書のハイライトとも言える。
著者のコーディネートにより来日したドイツのフォレスターたちが感じた日本の森林・林業・木材産業への違和感、真摯な専門家であろうとするが故に苦悩した異文化コミュニケーションの狭間等々、それらはまるで、多様性を包摂するための課題について考える機会を改めて与えてくれようとしているかのようだ。
第3章では、地域内が連環する木材産業のカスケードとクラスターについて、輸出産業にまでなった強い存在感を示すドイツの林業・木材産業は、今もなお弛まぬ努力を続けていること、そこには過去30年にわたって林業が環境配慮へ大きくシフトしてきた背景を有していること、そしてそれを支える土台となったのは、世界に冠たるマイスター制度と誇り高き職人たちの手仕事にあることが述べられている。
第4章では、日本発祥と言われ、近年は欧州で大変な人気を集める森林浴や農山村でのグリーンツーリズムなど、いわゆる森林サービス産業に関するドイツの実情について自身の経験談を交えながら紹介している。
本章で著者が指摘することは、今の日本の森林・林業関係者にとって最も大切なことの一つといえる。それは、林業は林業のためだけにその営みがあるわけではないということであり、人々がその地で豊かに暮らすためには、厳しい自然と対峙しながらも美しい景観を守ることに必然的な意味があるということだろう。日本と欧州の自然に対する価値観やスタンスの違い、あるいは自然のコントロールのしやすさの違い等々、説明の仕方は国や人の数だけ幾通りでもあるだろう。しかしそれも、著者の子供も利用し日本でも徐々に広がりを見せつつある森の幼稚園の体験談を説明するところに至って、森の恵みの享受の在り様は日欧で共通することが実感できる点は大変興味深い。
そしてまとめとなる第5章では、森と人との営みを超え、生命の原理や脳の仕組みの探求にまでさらに踏み込み、より一層、内観的な視点から著者自身の有する多様性に対する考え方、あるいは多様性への憧憬を開陳している。
本書によれば、「考えと気持ちと行動が一致していて、外の世界で起こっていることが自分が予期・期待していることと大きくかけ離れていない状態」のことを「コーヒレント(注:コヒーレントの方がより正しい発音か?) coherent」と呼ぶそうだが、著者は本章において『自ら新しいことを学んだ時、すなわち、非コーヒレントな脳の状態を、自分の力でコーヒレントな状態に転換できた時、人間は幸福感を味わう。』と言っている。
まさしくこの感覚こそが、豊かで美しく未来へと繋がる森づくりには欠かせない「観察」という行為の大切な要素の一つであると私は考える。
森に一歩入れば、そこはいつでも未知なるものへの好奇心で満たされるセンスオブワンダーの世界。大人になってから久しくこんな気持ちを忘れていたが、本書を手に取り心地の良い春の森へと出かけていくのも悪くない。本書はそんな気持ちにさせてくれる一冊である。

社会の歯車から創造的主体に!

「春からオンライン授業でしたが、子供たちも先生たちも新しい状況によく対応してうまくやりました。自分は先生として子供たちの成果に大変満足しています。嬉しいことに対面授業が今学期始まりましたが、全学期の補習を提供する必要性はまったく感じていません。何人かの子供たちは、このコロナ期間に、かえってしっかり自分で勉強するようになり成長しました」昨日、日本で言うと高校生にあたる子供の学校の学期のはじめの定期的な父母説明会での担任の先生の言葉です。

「大変な思いや苦労している人たちもいるので、大きな声では言えないけど、自分にとってロックダウンとその後の今は、突然もらった素晴らしい贈り物だよ。仕事の後も夜イベントなど毎日のように予定がびっしり入っていたけど、突然全部なくなった。家に帰ってゆっくり料理したり、ソファーに座ってテレビを見たり本を読んだり、妻と話したり、自転車に乗ったりする時間ができた。大きな声では言えないけど、今、心も体もとてもいい気持(状態)だよ」手工業の会社のオーナーで、町の文化活動にも熱心な私の友人の言葉です。

ロックダウン中、世界中で早産、とりわけ超早期の早産(27週以前)が大幅に減少しています。

https://www.nytimes.com/…/coronavirus-premature-birth.html

デンマークでは、超早期早産が90%減少した、というスタディが発表されています。

https://www.medrxiv.org/con…/10.1101/2020.05.22.20109793v1

理由は解明されていませんが、ストレスが少なくなった、夫やパートナーが一緒にいる時間が長くなったからでしょうか?森で散歩やスポーツするのが好きなドイツの人々。コロナ危機により、はっきりと実感できるくらい森林訪問者数が増えています。以前は日常のストレスを発散するために森に出かけていたような人たちが、今はリラックスした状態で自然を時間を満喫してるような印象を受けます。ここに書いたこととは反対の経験をしている人たち、苦しんでいる人たちもたくさんいます。しかし、かなりの人たちが、当初の恐怖や不安による硬直状態を脱して、危機に柔軟にクリエイティブに対応し、変容し始めています。医学的には、アドレナリンがドーパミンに置き換わるプロセスです。

多くの人たちが、コロナ以前の「加速」したストレス生活から「減速」を余儀なくされ、そのなかで、自分を社会を見つめ直しています。子供として、親として、会社員として、先生として、消費者として、「社会の歯車」「対象」として生きていた現代人の多くが、創造的な「主体」に変容し、社会も変えていくプロセスが始まっている気がします。

9月末〜10月末のオンラインセミナー

MITエナジービジョン ウェビナー - 持続可能な社会の実現へ
【Vol.1 ドイツのエコタウンと気候中立のために必要なインフラ】
村上敦
2020年9月24日(木) 20-21:30 
https://mit-energy-vision-ecotown.peatix.com

MITエナジービジョン ウェビナー - 持続可能な社会の実現へ
【Vol.2ビオホテルから考える持続可能な観光業 – 100%オーガニック+カーボンニュートラルへ】
滝川薫
2020年9月29日(火) 20-21:30
https://mit-energy-vision-biohotel.peatix.com

MITエナジービジョン ウェビナー - 持続可能な社会の実現へ
【Vol.3 木質バイオマスエネルギーは持続可能なソリューションになるか?】
池田憲昭
2020年10月1日(木) 20-21:30
https://mit-energy-vision-holzenergie.peatix.com

集約版 ①森林業+②新森道+⑥森林浴+⑦共生】
2020年 10月5日(月) 20:00-22:00
https://sustainable-waldmix1005.peatix.com
2020年 10月17日(土) 16:00-18:00
https://sustainable-waldmix1017.peatix.com

【集約版 ③森林作業+④木材クラスター+⑤自然素材の建築】
2020年 10月13日(火) 20:00-22:00
https://sustainable-holzmix1013.peatix.com
2020年 10月25日(日) 17:00-19:00
https://sustainable-holzmix.peatix.com

【球磨川地域支援の特別企画 国土を守るグリーンインフラ「森林」と「土壌」】2020年 10月15日(木) 18:00-20:30
https://sustainable-kumagawa.peatix.com


【森の幼稚園からBeyond コロナ】
2020年 10月19日(月) 20:00-22:00
https://sustainable-waldkinder-corona.peatix.com

オンラインセミナー「サステイナブルは気くばり」2020年9月ラインナップ

グリーンインフラ、Beyond コロナ、ユネスコ文化遺産とSDGs、農業、手工業、エネルギー、エコタウン、ビオホテルと新しいテーマも加え、9月のオンラインセミナーをラインナップしました。

ドイツ/スイスで同様の活動をする同僚の村上敦(9月24日「エコタウン」)と滝川薫(9月29日「ビオホテル」)との共同企画もあります。

興味がある方、プロ、アマ関係なく、お気軽にご参加ください。

2020年 9月5日(土)20:00-22:00
サステイナブルは気くばり - 森から建物まで
集約版 ⑩+⑪ 国土を守るグリーンインフラ「森林」と「土壌」
https://sustainable-greeninfra-wald-boden2.peatix.com

2020年 9月11日(金) 20:00-21:30
With コロナの世界からBeyond コロナの世界を眺望する
https://sustainable-withcorona-beyondcorona.peatix.com

2020年 9月15日(火) 20:00-21:30
ユネスコ無形文化遺産とSDGs Vol.1「三段酪農によるチーズ作り」
https://sustainable-unesco-dreistufenlandwirtschaft.peatix.…

2020年 9月16日(水) 20:00-21:30
ユネスコ無形文化遺産とSDGs Vol.2「オルガン製作」
https://sustainable-unesco-orgelbau.peatix.com

2020年 9月17日(木) 20:00-21:30
ユネスコ無形文化遺産とSDGs Vol.3「共同組合」
https://sustainable-unesco-genossenschaft.peatix.com

2020年9月24日(木)20:00-21:30  村上敦
MITエナジービジョン - 持続可能な社会の実現へ
Vol.1 ドイツのエコタウンと気候中立のために必要なインフラ
https://mit-energy-vision-ecotown.peatix.com

2020年9月29日(火)20:00-21:30  滝川薫
MITエナジービジョン - 持続可能な社会の実現へ
Vol.2ビオホテルから考える持続可能な観光業 – 100%オーガニック+カーボンニュートラルへ
https://mit-energy-vision-biohotel.peatix.com

2020年10月1日(木)20:00-21:30  池田憲昭
MITエナジービジョン - 持続可能な社会の実現へ
Vol.3 木質バイオマスエネルギーは持続可能なソリューションになるか?
https://mit-energy-vision-holzenergie.peatix.com

Withコロナから Beyond コロナの予感

コロナと「共に」の世界に生きて半年たちました。

当初はショックや動揺や不安があり、現在でもありますが、一方で、これまで変わらなかったものが変わる、すでに過去に始まっていた持続可能なムーブメントが加速される、新しいものが生まれる兆候を感じています。

例えば私の身近なところでは:

1)握手も抱擁も接近もしなくなりフィジカルディスタンスは大きくなりましたが、人と人との心の距離は接近し、人を思う暖かい配慮の心は拡大したと感じられる部分がたくさんあります。本来の意味でのソーシャルディスタンスは縮まりました。

2)アグレッシブで有名なドイツの人々の車の運転が、少しだけ穏やかになったような気がします。

3)1日平均人口の5分の1が日常的な森林浴(散歩や瞑想やスポーツ)をしていたところで(ドイツBW州の統計調査)、コロナ後は、その森林訪問人口が倍増しているようです。私の近所の森でも感じられますし、フライブルク市の森林官の実感では、以前の5倍や10倍という推定も。

4)ホームオフィスやフレキシブルな勤務、家庭と仕事の両立のムーブメントが加速。日本においても、一部の人たちの間で、それを推進する動きがあるようです。

5)地域の食材、安全でエコな食材、地域の生産者への市民の意識は高まっています。以前から人気や知名度があった地域の農家の直売店やエコ食品の加工業者は、需要に追いつけないようです。

6)フライデーフォーフューチャーによって高まっていた環境やエネルギー問題への意識も、衰えてはいない気がします(世論調査の結果を待ちます)。

7)ソフトな観光が加速。国内で、近くで、質の高い観光、保養を、今年はより多くの人々が求めています。シュヴァルツヴァルトの農家民宿や民泊アパートメントは、かなり埋まっている模様です。我が家の小さな民泊アパートも5月末に解禁以来、予約が立て続けに入り、9月末まで空きがほとんどない状況。

8)地域の電気屋さんや大工さん、窓屋さんや暖房水道設備屋さんなどの優秀な手工業の会社は、かえってコロナで仕事が増えたような感じです。「コロナのおかげでや静かになって時間ができた」とレストランやホテルの改装や模様替えを敢行しているシュヴァルツヴァルトの家族経営企業や中小企業など(これまで堅実な経営をして資金的余裕がある企業です)、地域の手工業の会社にたくさん依頼しているようです。私の家の小さな仕事には、窓屋さんや電気屋さんは忙しくてなかなか来てくれません。

9)日曜大工、ガーデニングがますます増えています。ホームセンターの売り上げは増えているはず(統計資料が出たら確認したい)。ただし、怪我や事故に注意!ドイツでは、交通事故の何倍もの死傷者が日曜大工で出ています。

もちろん、他方では、メディアで取り上げられているような、深刻な社会経済問題があり、苦しみ、絶望している人たちがいます。でも私は、あまり強調されない、メディアで取り上げられない、身近なポジティブなこと、個々人の心の変化を伝えたいと思います。未来は、視野の狭い左脳偏重の専門家が「予測」したものが前方から襲ってくるものではなく、一人一人の意識と行動が作っていくものだからです。歴史はそうやって作られてきています。

私自身は、これまでフィジカルコンタクト(お客さんと対面してのコミュニケーション)を主体にドイツで日本で仕事をしてきましたので、今回のコロナは大きな変化です。でも、コロナが与えてくれた時間と心の自由を、今までやりたくてやれなかったことを実行することに使って有意義に過ごしています。正直経済的な不安はありますが、何か新しいことが生まれそうな、起こりそうな予感がしています。

コロナ対策の最後の砦

コロナ対策の最後の砦である集中治療(ICU)。その体制の量と質が、現在、救命のカギとなっています。日本におけるICU体制の脆さとリスクは、数週間前から複数のメディアで報道されています。先進国のなかではかなり低いレベルで、人口10万人あたりICUベット数は5。また地域によって格差があり、ダントツに少ないのは新潟で1.4、岩手で2.7となっています。また高度な人工呼吸器(通常のものやECMO)を使用するのに必要な専門医の数も体制も不足しているようです。

https://www.jsicm.org/news/statement200401.html

https://www.jsicm.org/news/upload/icu_hcu_beds.pdf


私が住むドイツでは、集中治療体制は、幸運なことに世界トップレベルで、コロナの前に人口10万人あたりICU33ベットあり、ここ6週間あまりで約48に増やされ、うち人工呼吸器装置が使用できるベット数が約36あります。ICU1ベットあたりの看護師の数も規定で1人と決められています(日本の規定では1ベットあたり看護師0.5人)。
医療崩壊が起きたスペインやイタリアでは、ICUベットは10万人あたり8-9です。日本はその半分の非常に脆弱で「綱渡り的な」ICU体制でここ数週間やってきているのですが、下期にリンクする日本集中治療医学会の最新の統計を見ると、概ね持ちこたえており(いくつかの病院ではICUのオーバーキャパが起こったとの情報も他ではありますが)、4月27日をピークに人工呼吸器の使用(普通のものもECMOも)は減少しています。

https://covid19.jsicm.org/?fbclid=IwAR1IiKb9-Y80G5ZItGCnWjxRb21OWlZBevD0ZlmSHHPiXGdeuPZiGO4tXKo


安全な抗薬やワクチンが開発されるまでの間は、ICUのキャパを中心的な基準として様々な対策をしていくべき、という複数の専門家の意見に私は同調します。そう考えた場合、日本は非常に脆く少ないICUキャパであるということをしっかり受け止めて、より慎重で用心深い対策をやっていかなければならない、ということになります。これまで日本では、幸運なことに、コロナでの死亡者の数は、他の国と比べてかなり低く抑えられています。その理由や要因は解明されていません。ですのでまだ予断を許さない状況であると考えたほうがいいと思います。


医療現場で働いていらっしゃる方々に、多大な敬意と感謝の気持ちを込めて。

美しさの背景にあるもの

中央ヨーロッパの田舎の美しい景観。住んで25年、見慣れている景色ですが、いつ見ても新鮮で、ため息混じりに見とれてしまいます。特に花と新緑、生命の躍動が感じられる今の時期は。
この景色は、文化景観(カルチャーランドスケープ)と呼ばれ、人々の自然への働きかけ、営みがあってはじめて維持されます。副業や趣味が主体の農業や森林業、この景観を一つの資本とする観光業、個性豊かで質が高い家族経営の商店、地域の生活の需要と品質を支えるレベルの高い様々な手工業、グローバルに活躍しつつも地域の雇用と人材育成を大切にする中小企業、各種芸術家、行政、教育関係者、地域の各種NPO団体、そして人々の健康を支える医療。これら多様なプレイヤーが有機的に密接に繋がり補完し合うことで、地域が、この美しい景色が維持されています。
今回のコロナ危機は、この一見のどかで平和に見えるこの地域にも、大きなダメージを与えるでしょう。しかし、リーマンショックやその他の過去の危機を克服してきたように、「複合的な多様性」という危機への強さをもって、地域で助け合い、粘り強く、クリエイティブに乗り越え発展して行くでしょう。
ロックダウンから1ヶ月、軒先や散歩の途中やスーパーでの買い物のときに出会う近所の人や知人、友人、経営者、職人、会社員などと、2m以上の感染防止距離を置いて立ち話。話題の中心は自ずとコロナ。「今大変だけど、みんなで耐えて乗り切ろう」「新しい商売の方法を考えなきゃ」「健康が一番、気をつけて」と励まし、刺激しあっています。
私も、少なくともこれから数ヶ月は、この地域の美しい景色や持続可能なコンセプトや事例など、直接日本のお客さんに生で見せて体験してもらう視察セミナーはできませんが、インターネットの助けを借りてオンラインでのレクチャーやセミナーを提供し、あとはこの機会に執筆や、次の展開のための充電と構想の時間に当てたいと思っています。

春の訪れ、心の静寂、未来の予感

2020年3月29日 ドイツ シュヴァルツヴァルト

私たち家族が住む森の近くの住宅街。数軒の庭先のモクレンの花びらが少しづつ落ちてきて、桜の花が咲き始めました。森では、ブナの若葉が芽吹きかけています。小鳥のソロやデュオやトリオも増え、あちこちで同時演奏をするようになりました。草地のネズミを狙うはハヤブサやワシも中空を旋回しています。天気は、晴れたり急に雨が降ったり、気温20度を超えた次の日には10度に下がったりと、この時期の典型的な「気まぐれ」。いつもと変わらない南西ドイツの春の訪れです。

しかし、一つだけいつもと違うものがあります。それは「静けさ」です。ここ2週間、医療崩壊を防ぎ、できるだけたくさんの人の命を守るため、国の指示にしたがって、みんなが「連帯」し、制限された生活を送っています。学校や幼稚園は閉められ、サッカーもテニスも水泳もできない。音楽やヨガの教室もない。フィットネススタジオや美容院にも行けない。ブンデスリーガの観戦もできない。コンサートや映画にも行けない。レストランやカフェで食事や会話を楽しむこともできない。洋服や靴や台所用品のショッピングもできない。仕事も可能な限りホームオフィスに移行。かなり大幅な制限です。家の外に出かけるのは、食品の買い物と散歩やジョギング、ちょっとしたサイクリングくらい。街の中がかなり静かになりました。街だけでなく、人の心も「静か」になったように私は感じています。

私は自分の専門が森林ですし、森の近くに住んでいるので、日常の時間の合間によく森を散歩したり、マウンテンバイクで走ったりします。生活制限がかけられてからは、時間もあるので、毎日必ず森に行くようにしています。息子とジョギングしたり、自転車に乗ったり、娘と秘密の場所に行者ニンニクを採りに行ったり、妻と長い散歩に行ったり。今そこですれ違う人たちの雰囲気というかオーラが、以前と違う感じを受けるのです。子供連れの家族、老夫婦、犬と散歩する人、友達同士など、以前と同様に様々な人たちが森でリフレッシュしているのですが、森で出会う人々に、心の落ち着きが感じられます。すれ違うほとんどの人が、朗らかに「ハロー」「グーテンターク」と挨拶してくれます。以前も大抵の場合、挨拶はありましたが、挨拶のニュアンスが、習慣的なリアクションや社交辞令的なものではなく、思いやりと連帯感が感じられます。感染予防のため、2m以上のお互いの距離はありますが、心の距離が逆に縮まったような感じを受けるのです。以前は、森でリラックスしたいけど十分にそれができていない感じの、ストレスや忙しさを森の中に持ち込んでいるキリキリした雰囲気の人達がよくいましたが(私自身も時々そうでした)、今そういう人がほとんどいないのです。森ですれ違う人たちみんなが「今を生きている」「この瞬間を味わっている」といった印象を与えてくれます。大人に落ち着きや他者に配慮する余裕ががあるので、一緒にいる子供や犬も幸せそうです。生活の自由を大幅に制限されたことが、人々に思わぬ心の自由と余裕を与え、家族や友人との絆を深め(直接会わなくとも電話やメールでも)、他人への配慮やリスペクトも高まったのでは、と推測しています。

もちろん、他方で多くの人たちが、先行きが不透明な現状に不安と恐怖を抱いています。会社の経営どうしようか、自分はいつまたホテルで働けるようになるか、銀行への返済はどうしようか、と深刻な悩みを抱えている人たち。そこには、国による明確で迅速な意思表示とサポートが欠かせません。

また、過度に緊迫した、そして場所によっては非常に悲惨な状況のなかで毎日「戦っている」医療関係者がいます。今一番大切な仕事をされている方々の苦悩をできるだけ早く終わらせる、静めるために、できるだけたくさんの人の命を救うために、今大半の国民がやらなければならないことが、できる限り動かず、接触せず、静かにしていることなのです。経済や個人のエゴより人の命を優先して。そして突然強いられたその不便な生活は、人々の心に当然のこととして不安や不満も与えたましたが、同時に「静寂」と「時間」を与えました。これらは、この後の未来に何かをもたらすと私は思います。

私が尊敬するドイツの作家ヘルマン・ヘッセは、「愛」をテーマに人間の内面を描き、一人一人の内面を変えることで世界を変えようとしました。そしてその心の変化の源として「静寂」を尊びました:「あなたの中に静寂があります。それは、あなたがいつでも引きこもることができて、自分自身であることができる神聖な場所です」。

ドイツの著名な未来研究家のマティアス・ホルクス氏も、直近のコラムで、人々の内面から未来が作られていくことを指摘しています。
※ホルクス氏のコラムの日本語訳: https://blog.arch-joint-vision.com/?p=679

これから数ヶ月、私たちの世界に大きな変化が起こることが予想されます。これまでの世界でもあったように、苦しく悲しく悔しい事も、混乱や混沌(カオス)も起こるでしょう。しかし同時に、愛情や希望や安堵感を持てることも。一人一人の心の変化が、より住みよい持続可能な社会に向けた大きな変化を生み出すポテンシャルが、今回の危機にはあると私は感じています。ミクロ物理の世界には「量子跳躍」という現象がありますが、自然は、決定的な瞬間には、ステップではなく「ジャンプ(=跳躍)」します。人間の歴史も今、「跳躍」すべき瞬間に近づいている予感がします。

コロナの後の世界

作者:Matthias Horx 未来研究家 www.horx.com  www.zukunftsinstitut.de

2020年3月16日  ドイツ語原文 ”Die Welt nach Corona” https://www.diezukunftnachcorona.com/die-welt-nach-corona/

日本語訳:池田憲昭

コロナの遡り予測:危機が終わったとき、私たちは、過去を振り返って何に驚いているでしょうか。

「コロナがいつ終わり、いつになったら全てがまた元どおりに戻るか」という質問が現在私のところに頻繁に投げかけられます。それに対する私の答えは「決して元には戻らない」です。未来が方向を変える歴史的な瞬間があります。私たちはそれらを分岐と呼びます。または深い危機。今がまさにその時です。

私たちが知っている世界は解消しようとしています。しかし、その背後には新しい世界が形成されようとしています。どのような世界が形成されようとしているのかは、少なくとも、かすかに感じ取ることができます。そのために、企業のビジョン策定プロセスでいい経験を積んだ私たち(弊社)のエクササイズを提供したいと思います。RE-Gnosis(遡り認識)と呼びます。私たちはこの手法では、PRO- Gnosis(先を認識=予測)のように、現在の立ち位置から「将来を見る」ことはしません。そうではなく、未来から今日に遡りするのです。クレイジーに聞こえますか? 試してみましょう:

Re-Gnosis(遡り認識): 2020年秋の私たちの世界 

今年の秋の状況を想像してみましょう。2020年9月としましょう。大都市のストリートカフェに座っています。暖かい日で、人々は再び路上で動いています。

人々は異なる動きをしているでしょうか? すべては以前と同じですしょうか? ワイン、カクテル、コーヒーの味は以前と同じでしょうか? コロナの前と同じでしょうか?それとも、以前より美味しい?

振り返ってみると、私たちは何に驚くでしょうか?

私たちがやらなければならなかった社会生活上の制限(断念)が、めったに孤立につながらなかったことに驚くでしょう。それどころか、最初の衝撃のショック後、あらゆるチャンネルを使ったたくさんの奔走、会話、およびコミュニケーションが突然停止したことに、多くの人々が安堵感を持ちました。断念は必ずしも損失を意味するわけではありません。新しい可能性が開かれることもあります。それは、多くの人が過去にすでに体験していることです。例えば、間隔を開けた断食をし、突然食べ物を美味しいと感じた、とか。逆説的ですが、ウイルスが私たちに強制した物理的な距離は、新しい親近性をもたらしました。普通であれば会うことのなかった人々に出会った。古くからの友人と頻繁に連絡を取り、緩くなっていた関係を再び強化できた。家族、隣人、友人は、より親密になり、埋もれていた紛争を解決したケースも。

社会的な礼儀。以前その喪失が顕著でしたが、それが再び増加しましました。

現在、2020年秋、プロサッカーの試合会場。春にあったような観客の憤激と乱暴な雰囲気とはまったく異なります。なぜそうなのか、私たちは不思議に思います

私たちは、デジタル文化的手法が、現場でどれだけ速く普及し実証されたかに驚くでしょう。ほとんどの働き手が、「ビジネスフライトのほうがいい」と常に抵抗していた電話会議とビデオ会議は、非常に実用的で生産的であることが判明しました。教師はインターネット教育について多くのことを学びました。ホームオフィスは多くの人にとって当然のことになりました。即席のアドリブや軽業師のような時間のやり繰りも含めて。

同時に、明らかに時代遅れの文化的手法がルネッサンスを経験しました。電話をかけると、留守番電話の声でなく、実際の人が出るようになりました。このウイルスは、セカンドスクリーンなしで長電話をするという新しい文化を生み出しました。また「メッセージ」自体が、新しい意味をもつようになりました。人々が真のコミュニケーションをするようになりました。誰も急かされたりしません。誰も足を引きとめたりもしません。これにより、アクセシビリティ(連絡の取りやすさ)の新しい文化が生まれました。確実性。

忙しすぎて静かに落ち着くことができなかった人たち、そして若者も、突然、長い散歩に出かけるようになりました(「散歩」という言葉が、以前はほとんど外国語であった人たちが)。本を読むことが急に流行文化になりました。

テレビのリアリティショーが急に恥ずかしいものに写ってきました。くだらない物、すべてのチャンネルで流れる無限の魂のゴミ。いいえ、それらは完全には消えませんでした。しかし、それらは、急速に価値を失っていきました。

誰か、政治的正当性の論争を覚えているだろうか?

無数にある文化闘争…それらは何について争っていたのだろう?

クライシス(危機)は、古いものを解消して、不要にすることで、その主要な効果を発揮します。

シニシズム(冷笑主義)。価値の切り下げによって世界を遠ざけるさりげないこの手法は、突如、大幅なアウトになりました。

メディアの誇張 – 不安 – ヒステリーは、最初の噴火時にはありましたが、そのあとは限度を越えない範囲で抑えられるようになりました。

さらに、残酷な犯罪物シリーズの無限の洪水は、その転換点に達しました。

夏には、生存率を高める薬が見つかったことに驚くでしょう。これにより死亡率が低下し、コロナは、インフルエンザや他の多くの病気と同様に対処するウイルスになりました。医学の進歩が私たちを助けました。しかし、決定的な要因は技術ではなく、社会的行動の変化であることがわかりました。決定的な要因は、急激で大幅な行動の制限にもかかわらず、人々が連帯し、建設的なままでいることでした。ヒューマン-ソーシャル-インテリジェンス(人間の社会的知性)が私たちを助けました。すべてを解決できると賞賛されている人工知能は、コロナに限っては、限定的な効果しかもたらしませんでした。

これにより、テクノロジーと文化の関係が変わりました。危機以前は、テクノロジーは万能薬であり、すべてのユートピアの担い手でした。今日では、誰もデジタルによる大きな救済を信じていません。信じているのは、ほんのわずかなハードボイルドだけです。テクノロジーの大賞賛は終わりました。私たちは再び人間的な問いに注意を向けています:人間とは何か? 私たちはお互いにどうあるべきか?

私たちは、過去を振り返り、ウイルスの日々のなかで、実際にどれだけのユーモアと人間性が出現したかに驚いています

私たちは、経済が「崩壊」することなく、どれだけ縮小できたかに驚くでしょう。以前は、わずかな増税や政府の介入で経済崩壊が起きると断言されていたのに。多くの企業が倒産、縮小、または完全に異なる何かに変化し、「ブラック4月」、深刻な経済不況、50%の株式市場の低迷がありましたが、ゼロになることは決してありませんでした。経済が、うとうとしたり、眠ったり、夢を見ることさえできる呼吸する生き物であるかのように。

秋の今日、再び世界経済が稼働しています。グローバルなジャストインタイム生産は生き残っています。以前と同様に、何百万もの個々の部品が地球全体で運ばれる複雑に枝分かれした巨大なバリューチェーンを備えた形で。現在、解体され再構成中です。生産およびサービス施設のいたるところで、中間保管施設、貯蔵庫、およびリザーブ(備蓄)が増えています。地場の生産は活況を呈していて、ネットワークはローカル化され、手工業がルネッサンスを迎えています。グローバルシステムは「グローカリゼーション」に向かって流れています。グローバルのローカリゼーションです。

株式市場の暴落による資産の損失も、当初に感じたほど痛くないことに驚くでしょう。新しい世界では、資産が決定的な役割を果たさなくなりました。良い隣人や、花が咲き乱れる菜園がより重要になりました。

ウイルスが、私たちの生活を、私たちがどっちみち変更しようと思っていた方向に変えてくれた、とも考えられます。

RE-Gnosis (遡り認識): 未来への飛躍を通じて現在を克服する

では、何故にこの「先からのシナリオ」が、従来の「予測」とはまったく異質に作用するのでしょうか? これは私たちの未来感覚の特性に関連しています。私たちが「未来」を見るとき、私たちは大抵、乗り越えられない障壁に積み重なってやって来る危険と問題だけを見ています。私たちを轢き飛ばす勢いでトンネルから出てくる機関車のように。この恐怖のバリアが私たちを未来から切り離します。ですから、怖い未来が、常に最も描きやすいのです。

一方、Re-Gnosis(遡り認識)では、自分自身、自分の内なる変化を将来の計算に含めた認識のリボンが形成されます。私たちは、自身内部で未来とつながり、それによって、今日と明日の間に橋が架けられます。そのようにして「フューチャーマインド(未来の心)」が生まれます。未来意識です。

正しく実行すると、フューチャー・インテリジェンス(未来知性)のようなものが生成されます。私たちは、外部の「出来事」だけでなく、変化した世界に反応する内部の適応も予見することができます。

それは、断定的な性質のなかに常に死物性や非創造性を持ったPrognosis(予測)とはまったく異なった感じを受けます。私たちは、恐怖のこわばりを抜け出し、生き生きとしたものに再び戻るのです。真の未来に必ず付随する生命の活力に。

私たちは皆、恐怖をうまく克服した気持ちを知っています。治療のために歯科医に行くとき、私たちはそのずっと前から怖がっています。歯科医の椅子に座った途端にコントロールを失い、痛む前に痛いと感じます。私たちは、この気持ちの予見のなかで、私たちを完全に圧倒する恐怖の渦のなかに入り込んでいきます。しかし、治療を終えると、克服感がやってきます。世界は再び若くて新鮮に見え、私たちは突然行動への熱意に満たされます。

この「克服」とは、神経生物学的には、恐怖のアドレナリンが、ドーパミンに置き換えられることです。このドーパミンは、体内にある一種の未来薬物です。アドレナリンが私たちに逃げるか戦うかの指揮を取っている間(歯医者の椅子でもコロナとの戦いでも、これは実際には生産的ではありません)、ドーパミンは私たちの脳シナプスを開きます: これからやって来るものにワクワクします。好奇心をもって、前向きに。ドーパミンの量が健全なレベルに達したら、私たちは計画を作り上げ、前向きな行動に導くビジョンを持つことができます。

驚くべきことに、多くの人がコロナ危機でまさにこれを経験しています。 激しいコントロールの喪失から、突然、ポジティブなものへの興奮に変わります。 困惑と恐怖の期間の後、内面のパワーが生じてきます。 世界は「終わり」ますが、私たちがまだそこにいるという経験の中で、一種の新しい存在が個々の内部に発生します。

文明閉鎖の真っ只中、私たちは森や公園を通り抜けたり、空っぽの広場を横切ったりします。しかし、これは黙示録ではなく、新たな始まりです。

変遷は、期待や認識、世界のつながりが変化したモデルとして始まります。その際、私たちの従来の未来感覚を呼び起こす慣れ親しんだ熟練動作の崩壊もあるでしょう。全てが全く違ったものになる、以前よりより良いものにもなるかもしれないという想像と確信。

トランプ氏が11月に落選することに驚くかもしれません。悪意のある、分断的な政治はコロナの世界に適合しないため、AFD(ドイツの右派ポピュリズム政党)は、深刻なほつれ現象を示しています。人々を扇動し対立を生みだす人間は、未来に関する本当の問いにまったく貢献できない、ということが、コロナ危機により明らかになりました。深刻な状況になると、ポピュリズムの中に潜む破壊性が明瞭になります。

社会的責任の形成としての本来の意味での政治は、この危機に、新しい信頼性、新しい正当性を獲得しました。「権威主義的」に行動しなければならなかったからこそ、政治は公共への信頼を生み出しました。科学もまた、この厳しい試練のなかで、驚くべきルネッサンスを経験しました。ウイルス学者と疫学者はメディアのスターになりました。以前は二極化論争の傍らにいた「未来派」の哲学者、社会学者、心理学者、人類学者も、その声と重みを取り戻しました。

フェイクニュースは急速に市場価値を失いました。陰謀論も、酸っぱいビールのように提供されたにもかかわらず、いつまでも店の棚に売れ残っている商品のようになりました。

進化の加速器としてのウイルス

深刻な危機は、もう1つの基本的な変化の原則を示しています。トレンドとカウンタートレンドの統合です。

コロナの後の新しい世界(というより、「コロナと共にある新しい世界」と言ったほうがいいかもしれません)は、コネクティビティ(接続性)のメガトレンドの混乱から生まれます。政治的にも経済的にも、この現象は「グローバリゼーション」とも呼ばれています。国境の閉鎖、分離、隔壁、検疫隔離は、様々な接続の廃止には繋がりません。私たちの世界を繋ぎ、未来へ運ぶコネクトーム(接続複合体)を再編成するのです。社会経済システムの位相跳躍が起こります。

来たる世界は「距離」を再び高く評価します。それによって、連帯がより質的に形成されます。自律性と依存性、開放と閉鎖のバランスが新しく調整されます。これは世界をより複合的にしますが、より安定させることにもなります。この改変は、広範囲に渡る盲目的な進化のプロセスです。1つ失敗すると、新しい実行可能なものが優勢になります。これにより、最初は動揺がありますが、そのうち内的な意義が見えてきます。パラドックス(逆説的なもの)が新しいレベルで結びつくことで未来持続性が生まれます。

この複合化のプロセス(複雑化と混同しないでください)は、人々が意識的に設計することもできます。来たる複合性の言語を話すことができる人々は、明日のリーダーになるでしょう。希望の星。今後のグレタ。

「コロナを通じて、私たちは生命に対する私たちの全態度を適応させます。他の生命体の真っ只中に生き物として存在するという意味で」

3月中旬のコロナ危機最中のスラボ・ジゼク(スロベニアの哲学者)の言葉です。

すべての深刻な危機は、ストーリーを遺します。遠い未来を指す物語です。コロナウイルスが遺した最も強力なビジョンの1つは、バルコニーで音楽をやるイタリア人です。2番目のビジョンは、人工衛星の画像に写しだされています。中国とイタリアの工業地帯が、突然スモッグのない状態になった映像です。2020年には、人間のCO2排出量が初めて減少します。その事実は私たちに何かをします。

ウイルスがそれを実行できるのであれば、私たちも同じことを実行できるのでは?もしかしたらウイルスは、未来からやってきた単なるメッセンジャーかもしれません。彼の抜本的なメッセージは次の通りです:「人間の文明は、密度が高すぎ、速すぎ、過熱しすぎている。未来のない特定の方向に暴走している」

でも、それを新しく改変することはできます。
システムリセット。
クールダウン!
バルコニーで音楽!
そうやって未来が成り立ちます。