コロナ対策の最後の砦

コロナ対策の最後の砦である集中治療(ICU)。その体制の量と質が、現在、救命のカギとなっています。日本におけるICU体制の脆さとリスクは、数週間前から複数のメディアで報道されています。先進国のなかではかなり低いレベルで、人口10万人あたりICUベット数は5。また地域によって格差があり、ダントツに少ないのは新潟で1.4、岩手で2.7となっています。また高度な人工呼吸器(通常のものやECMO)を使用するのに必要な専門医の数も体制も不足しているようです。

https://www.jsicm.org/news/statement200401.html

https://www.jsicm.org/news/upload/icu_hcu_beds.pdf


私が住むドイツでは、集中治療体制は、幸運なことに世界トップレベルで、コロナの前に人口10万人あたりICU33ベットあり、ここ6週間あまりで約48に増やされ、うち人工呼吸器装置が使用できるベット数が約36あります。ICU1ベットあたりの看護師の数も規定で1人と決められています(日本の規定では1ベットあたり看護師0.5人)。
医療崩壊が起きたスペインやイタリアでは、ICUベットは10万人あたり8-9です。日本はその半分の非常に脆弱で「綱渡り的な」ICU体制でここ数週間やってきているのですが、下期にリンクする日本集中治療医学会の最新の統計を見ると、概ね持ちこたえており(いくつかの病院ではICUのオーバーキャパが起こったとの情報も他ではありますが)、4月27日をピークに人工呼吸器の使用(普通のものもECMOも)は減少しています。

https://covid19.jsicm.org/?fbclid=IwAR1IiKb9-Y80G5ZItGCnWjxRb21OWlZBevD0ZlmSHHPiXGdeuPZiGO4tXKo


安全な抗薬やワクチンが開発されるまでの間は、ICUのキャパを中心的な基準として様々な対策をしていくべき、という複数の専門家の意見に私は同調します。そう考えた場合、日本は非常に脆く少ないICUキャパであるということをしっかり受け止めて、より慎重で用心深い対策をやっていかなければならない、ということになります。これまで日本では、幸運なことに、コロナでの死亡者の数は、他の国と比べてかなり低く抑えられています。その理由や要因は解明されていません。ですのでまだ予断を許さない状況であると考えたほうがいいと思います。


医療現場で働いていらっしゃる方々に、多大な敬意と感謝の気持ちを込めて。

美しさの背景にあるもの

中央ヨーロッパの田舎の美しい景観。住んで25年、見慣れている景色ですが、いつ見ても新鮮で、ため息混じりに見とれてしまいます。特に花と新緑、生命の躍動が感じられる今の時期は。
この景色は、文化景観(カルチャーランドスケープ)と呼ばれ、人々の自然への働きかけ、営みがあってはじめて維持されます。副業や趣味が主体の農業や森林業、この景観を一つの資本とする観光業、個性豊かで質が高い家族経営の商店、地域の生活の需要と品質を支えるレベルの高い様々な手工業、グローバルに活躍しつつも地域の雇用と人材育成を大切にする中小企業、各種芸術家、行政、教育関係者、地域の各種NPO団体、そして人々の健康を支える医療。これら多様なプレイヤーが有機的に密接に繋がり補完し合うことで、地域が、この美しい景色が維持されています。
今回のコロナ危機は、この一見のどかで平和に見えるこの地域にも、大きなダメージを与えるでしょう。しかし、リーマンショックやその他の過去の危機を克服してきたように、「複合的な多様性」という危機への強さをもって、地域で助け合い、粘り強く、クリエイティブに乗り越え発展して行くでしょう。
ロックダウンから1ヶ月、軒先や散歩の途中やスーパーでの買い物のときに出会う近所の人や知人、友人、経営者、職人、会社員などと、2m以上の感染防止距離を置いて立ち話。話題の中心は自ずとコロナ。「今大変だけど、みんなで耐えて乗り切ろう」「新しい商売の方法を考えなきゃ」「健康が一番、気をつけて」と励まし、刺激しあっています。
私も、少なくともこれから数ヶ月は、この地域の美しい景色や持続可能なコンセプトや事例など、直接日本のお客さんに生で見せて体験してもらう視察セミナーはできませんが、インターネットの助けを借りてオンラインでのレクチャーやセミナーを提供し、あとはこの機会に執筆や、次の展開のための充電と構想の時間に当てたいと思っています。

春の訪れ、心の静寂、未来の予感

2020年3月29日 ドイツ シュヴァルツヴァルト

私たち家族が住む森の近くの住宅街。数軒の庭先のモクレンの花びらが少しづつ落ちてきて、桜の花が咲き始めました。森では、ブナの若葉が芽吹きかけています。小鳥のソロやデュオやトリオも増え、あちこちで同時演奏をするようになりました。草地のネズミを狙うはハヤブサやワシも中空を旋回しています。天気は、晴れたり急に雨が降ったり、気温20度を超えた次の日には10度に下がったりと、この時期の典型的な「気まぐれ」。いつもと変わらない南西ドイツの春の訪れです。

しかし、一つだけいつもと違うものがあります。それは「静けさ」です。ここ2週間、医療崩壊を防ぎ、できるだけたくさんの人の命を守るため、国の指示にしたがって、みんなが「連帯」し、制限された生活を送っています。学校や幼稚園は閉められ、サッカーもテニスも水泳もできない。音楽やヨガの教室もない。フィットネススタジオや美容院にも行けない。ブンデスリーガの観戦もできない。コンサートや映画にも行けない。レストランやカフェで食事や会話を楽しむこともできない。洋服や靴や台所用品のショッピングもできない。仕事も可能な限りホームオフィスに移行。かなり大幅な制限です。家の外に出かけるのは、食品の買い物と散歩やジョギング、ちょっとしたサイクリングくらい。街の中がかなり静かになりました。街だけでなく、人の心も「静か」になったように私は感じています。

私は自分の専門が森林ですし、森の近くに住んでいるので、日常の時間の合間によく森を散歩したり、マウンテンバイクで走ったりします。生活制限がかけられてからは、時間もあるので、毎日必ず森に行くようにしています。息子とジョギングしたり、自転車に乗ったり、娘と秘密の場所に行者ニンニクを採りに行ったり、妻と長い散歩に行ったり。今そこですれ違う人たちの雰囲気というかオーラが、以前と違う感じを受けるのです。子供連れの家族、老夫婦、犬と散歩する人、友達同士など、以前と同様に様々な人たちが森でリフレッシュしているのですが、森で出会う人々に、心の落ち着きが感じられます。すれ違うほとんどの人が、朗らかに「ハロー」「グーテンターク」と挨拶してくれます。以前も大抵の場合、挨拶はありましたが、挨拶のニュアンスが、習慣的なリアクションや社交辞令的なものではなく、思いやりと連帯感が感じられます。感染予防のため、2m以上のお互いの距離はありますが、心の距離が逆に縮まったような感じを受けるのです。以前は、森でリラックスしたいけど十分にそれができていない感じの、ストレスや忙しさを森の中に持ち込んでいるキリキリした雰囲気の人達がよくいましたが(私自身も時々そうでした)、今そういう人がほとんどいないのです。森ですれ違う人たちみんなが「今を生きている」「この瞬間を味わっている」といった印象を与えてくれます。大人に落ち着きや他者に配慮する余裕ががあるので、一緒にいる子供や犬も幸せそうです。生活の自由を大幅に制限されたことが、人々に思わぬ心の自由と余裕を与え、家族や友人との絆を深め(直接会わなくとも電話やメールでも)、他人への配慮やリスペクトも高まったのでは、と推測しています。

もちろん、他方で多くの人たちが、先行きが不透明な現状に不安と恐怖を抱いています。会社の経営どうしようか、自分はいつまたホテルで働けるようになるか、銀行への返済はどうしようか、と深刻な悩みを抱えている人たち。そこには、国による明確で迅速な意思表示とサポートが欠かせません。

また、過度に緊迫した、そして場所によっては非常に悲惨な状況のなかで毎日「戦っている」医療関係者がいます。今一番大切な仕事をされている方々の苦悩をできるだけ早く終わらせる、静めるために、できるだけたくさんの人の命を救うために、今大半の国民がやらなければならないことが、できる限り動かず、接触せず、静かにしていることなのです。経済や個人のエゴより人の命を優先して。そして突然強いられたその不便な生活は、人々の心に当然のこととして不安や不満も与えたましたが、同時に「静寂」と「時間」を与えました。これらは、この後の未来に何かをもたらすと私は思います。

私が尊敬するドイツの作家ヘルマン・ヘッセは、「愛」をテーマに人間の内面を描き、一人一人の内面を変えることで世界を変えようとしました。そしてその心の変化の源として「静寂」を尊びました:「あなたの中に静寂があります。それは、あなたがいつでも引きこもることができて、自分自身であることができる神聖な場所です」。

ドイツの著名な未来研究家のマティアス・ホルクス氏も、直近のコラムで、人々の内面から未来が作られていくことを指摘しています。
※ホルクス氏のコラムの日本語訳: https://blog.arch-joint-vision.com/?p=679

これから数ヶ月、私たちの世界に大きな変化が起こることが予想されます。これまでの世界でもあったように、苦しく悲しく悔しい事も、混乱や混沌(カオス)も起こるでしょう。しかし同時に、愛情や希望や安堵感を持てることも。一人一人の心の変化が、より住みよい持続可能な社会に向けた大きな変化を生み出すポテンシャルが、今回の危機にはあると私は感じています。ミクロ物理の世界には「量子跳躍」という現象がありますが、自然は、決定的な瞬間には、ステップではなく「ジャンプ(=跳躍)」します。人間の歴史も今、「跳躍」すべき瞬間に近づいている予感がします。

コロナの後の世界

作者:Matthias Horx 未来研究家 www.horx.com  www.zukunftsinstitut.de

2020年3月16日  ドイツ語原文 ”Die Welt nach Corona” https://www.diezukunftnachcorona.com/die-welt-nach-corona/

日本語訳:池田憲昭

コロナの遡り予測:危機が終わったとき、私たちは、過去を振り返って何に驚いているでしょうか。

「コロナがいつ終わり、いつになったら全てがまた元どおりに戻るか」という質問が現在私のところに頻繁に投げかけられます。それに対する私の答えは「決して元には戻らない」です。未来が方向を変える歴史的な瞬間があります。私たちはそれらを分岐と呼びます。または深い危機。今がまさにその時です。

私たちが知っている世界は解消しようとしています。しかし、その背後には新しい世界が形成されようとしています。どのような世界が形成されようとしているのかは、少なくとも、かすかに感じ取ることができます。そのために、企業のビジョン策定プロセスでいい経験を積んだ私たち(弊社)のエクササイズを提供したいと思います。RE-Gnosis(遡り認識)と呼びます。私たちはこの手法では、PRO- Gnosis(先を認識=予測)のように、現在の立ち位置から「将来を見る」ことはしません。そうではなく、未来から今日に遡りするのです。クレイジーに聞こえますか? 試してみましょう:

Re-Gnosis(遡り認識): 2020年秋の私たちの世界 

今年の秋の状況を想像してみましょう。2020年9月としましょう。大都市のストリートカフェに座っています。暖かい日で、人々は再び路上で動いています。

人々は異なる動きをしているでしょうか? すべては以前と同じですしょうか? ワイン、カクテル、コーヒーの味は以前と同じでしょうか? コロナの前と同じでしょうか?それとも、以前より美味しい?

振り返ってみると、私たちは何に驚くでしょうか?

私たちがやらなければならなかった社会生活上の制限(断念)が、めったに孤立につながらなかったことに驚くでしょう。それどころか、最初の衝撃のショック後、あらゆるチャンネルを使ったたくさんの奔走、会話、およびコミュニケーションが突然停止したことに、多くの人々が安堵感を持ちました。断念は必ずしも損失を意味するわけではありません。新しい可能性が開かれることもあります。それは、多くの人が過去にすでに体験していることです。例えば、間隔を開けた断食をし、突然食べ物を美味しいと感じた、とか。逆説的ですが、ウイルスが私たちに強制した物理的な距離は、新しい親近性をもたらしました。普通であれば会うことのなかった人々に出会った。古くからの友人と頻繁に連絡を取り、緩くなっていた関係を再び強化できた。家族、隣人、友人は、より親密になり、埋もれていた紛争を解決したケースも。

社会的な礼儀。以前その喪失が顕著でしたが、それが再び増加しましました。

現在、2020年秋、プロサッカーの試合会場。春にあったような観客の憤激と乱暴な雰囲気とはまったく異なります。なぜそうなのか、私たちは不思議に思います

私たちは、デジタル文化的手法が、現場でどれだけ速く普及し実証されたかに驚くでしょう。ほとんどの働き手が、「ビジネスフライトのほうがいい」と常に抵抗していた電話会議とビデオ会議は、非常に実用的で生産的であることが判明しました。教師はインターネット教育について多くのことを学びました。ホームオフィスは多くの人にとって当然のことになりました。即席のアドリブや軽業師のような時間のやり繰りも含めて。

同時に、明らかに時代遅れの文化的手法がルネッサンスを経験しました。電話をかけると、留守番電話の声でなく、実際の人が出るようになりました。このウイルスは、セカンドスクリーンなしで長電話をするという新しい文化を生み出しました。また「メッセージ」自体が、新しい意味をもつようになりました。人々が真のコミュニケーションをするようになりました。誰も急かされたりしません。誰も足を引きとめたりもしません。これにより、アクセシビリティ(連絡の取りやすさ)の新しい文化が生まれました。確実性。

忙しすぎて静かに落ち着くことができなかった人たち、そして若者も、突然、長い散歩に出かけるようになりました(「散歩」という言葉が、以前はほとんど外国語であった人たちが)。本を読むことが急に流行文化になりました。

テレビのリアリティショーが急に恥ずかしいものに写ってきました。くだらない物、すべてのチャンネルで流れる無限の魂のゴミ。いいえ、それらは完全には消えませんでした。しかし、それらは、急速に価値を失っていきました。

誰か、政治的正当性の論争を覚えているだろうか?

無数にある文化闘争…それらは何について争っていたのだろう?

クライシス(危機)は、古いものを解消して、不要にすることで、その主要な効果を発揮します。

シニシズム(冷笑主義)。価値の切り下げによって世界を遠ざけるさりげないこの手法は、突如、大幅なアウトになりました。

メディアの誇張 – 不安 – ヒステリーは、最初の噴火時にはありましたが、そのあとは限度を越えない範囲で抑えられるようになりました。

さらに、残酷な犯罪物シリーズの無限の洪水は、その転換点に達しました。

夏には、生存率を高める薬が見つかったことに驚くでしょう。これにより死亡率が低下し、コロナは、インフルエンザや他の多くの病気と同様に対処するウイルスになりました。医学の進歩が私たちを助けました。しかし、決定的な要因は技術ではなく、社会的行動の変化であることがわかりました。決定的な要因は、急激で大幅な行動の制限にもかかわらず、人々が連帯し、建設的なままでいることでした。ヒューマン-ソーシャル-インテリジェンス(人間の社会的知性)が私たちを助けました。すべてを解決できると賞賛されている人工知能は、コロナに限っては、限定的な効果しかもたらしませんでした。

これにより、テクノロジーと文化の関係が変わりました。危機以前は、テクノロジーは万能薬であり、すべてのユートピアの担い手でした。今日では、誰もデジタルによる大きな救済を信じていません。信じているのは、ほんのわずかなハードボイルドだけです。テクノロジーの大賞賛は終わりました。私たちは再び人間的な問いに注意を向けています:人間とは何か? 私たちはお互いにどうあるべきか?

私たちは、過去を振り返り、ウイルスの日々のなかで、実際にどれだけのユーモアと人間性が出現したかに驚いています

私たちは、経済が「崩壊」することなく、どれだけ縮小できたかに驚くでしょう。以前は、わずかな増税や政府の介入で経済崩壊が起きると断言されていたのに。多くの企業が倒産、縮小、または完全に異なる何かに変化し、「ブラック4月」、深刻な経済不況、50%の株式市場の低迷がありましたが、ゼロになることは決してありませんでした。経済が、うとうとしたり、眠ったり、夢を見ることさえできる呼吸する生き物であるかのように。

秋の今日、再び世界経済が稼働しています。グローバルなジャストインタイム生産は生き残っています。以前と同様に、何百万もの個々の部品が地球全体で運ばれる複雑に枝分かれした巨大なバリューチェーンを備えた形で。現在、解体され再構成中です。生産およびサービス施設のいたるところで、中間保管施設、貯蔵庫、およびリザーブ(備蓄)が増えています。地場の生産は活況を呈していて、ネットワークはローカル化され、手工業がルネッサンスを迎えています。グローバルシステムは「グローカリゼーション」に向かって流れています。グローバルのローカリゼーションです。

株式市場の暴落による資産の損失も、当初に感じたほど痛くないことに驚くでしょう。新しい世界では、資産が決定的な役割を果たさなくなりました。良い隣人や、花が咲き乱れる菜園がより重要になりました。

ウイルスが、私たちの生活を、私たちがどっちみち変更しようと思っていた方向に変えてくれた、とも考えられます。

RE-Gnosis (遡り認識): 未来への飛躍を通じて現在を克服する

では、何故にこの「先からのシナリオ」が、従来の「予測」とはまったく異質に作用するのでしょうか? これは私たちの未来感覚の特性に関連しています。私たちが「未来」を見るとき、私たちは大抵、乗り越えられない障壁に積み重なってやって来る危険と問題だけを見ています。私たちを轢き飛ばす勢いでトンネルから出てくる機関車のように。この恐怖のバリアが私たちを未来から切り離します。ですから、怖い未来が、常に最も描きやすいのです。

一方、Re-Gnosis(遡り認識)では、自分自身、自分の内なる変化を将来の計算に含めた認識のリボンが形成されます。私たちは、自身内部で未来とつながり、それによって、今日と明日の間に橋が架けられます。そのようにして「フューチャーマインド(未来の心)」が生まれます。未来意識です。

正しく実行すると、フューチャー・インテリジェンス(未来知性)のようなものが生成されます。私たちは、外部の「出来事」だけでなく、変化した世界に反応する内部の適応も予見することができます。

それは、断定的な性質のなかに常に死物性や非創造性を持ったPrognosis(予測)とはまったく異なった感じを受けます。私たちは、恐怖のこわばりを抜け出し、生き生きとしたものに再び戻るのです。真の未来に必ず付随する生命の活力に。

私たちは皆、恐怖をうまく克服した気持ちを知っています。治療のために歯科医に行くとき、私たちはそのずっと前から怖がっています。歯科医の椅子に座った途端にコントロールを失い、痛む前に痛いと感じます。私たちは、この気持ちの予見のなかで、私たちを完全に圧倒する恐怖の渦のなかに入り込んでいきます。しかし、治療を終えると、克服感がやってきます。世界は再び若くて新鮮に見え、私たちは突然行動への熱意に満たされます。

この「克服」とは、神経生物学的には、恐怖のアドレナリンが、ドーパミンに置き換えられることです。このドーパミンは、体内にある一種の未来薬物です。アドレナリンが私たちに逃げるか戦うかの指揮を取っている間(歯医者の椅子でもコロナとの戦いでも、これは実際には生産的ではありません)、ドーパミンは私たちの脳シナプスを開きます: これからやって来るものにワクワクします。好奇心をもって、前向きに。ドーパミンの量が健全なレベルに達したら、私たちは計画を作り上げ、前向きな行動に導くビジョンを持つことができます。

驚くべきことに、多くの人がコロナ危機でまさにこれを経験しています。 激しいコントロールの喪失から、突然、ポジティブなものへの興奮に変わります。 困惑と恐怖の期間の後、内面のパワーが生じてきます。 世界は「終わり」ますが、私たちがまだそこにいるという経験の中で、一種の新しい存在が個々の内部に発生します。

文明閉鎖の真っ只中、私たちは森や公園を通り抜けたり、空っぽの広場を横切ったりします。しかし、これは黙示録ではなく、新たな始まりです。

変遷は、期待や認識、世界のつながりが変化したモデルとして始まります。その際、私たちの従来の未来感覚を呼び起こす慣れ親しんだ熟練動作の崩壊もあるでしょう。全てが全く違ったものになる、以前よりより良いものにもなるかもしれないという想像と確信。

トランプ氏が11月に落選することに驚くかもしれません。悪意のある、分断的な政治はコロナの世界に適合しないため、AFD(ドイツの右派ポピュリズム政党)は、深刻なほつれ現象を示しています。人々を扇動し対立を生みだす人間は、未来に関する本当の問いにまったく貢献できない、ということが、コロナ危機により明らかになりました。深刻な状況になると、ポピュリズムの中に潜む破壊性が明瞭になります。

社会的責任の形成としての本来の意味での政治は、この危機に、新しい信頼性、新しい正当性を獲得しました。「権威主義的」に行動しなければならなかったからこそ、政治は公共への信頼を生み出しました。科学もまた、この厳しい試練のなかで、驚くべきルネッサンスを経験しました。ウイルス学者と疫学者はメディアのスターになりました。以前は二極化論争の傍らにいた「未来派」の哲学者、社会学者、心理学者、人類学者も、その声と重みを取り戻しました。

フェイクニュースは急速に市場価値を失いました。陰謀論も、酸っぱいビールのように提供されたにもかかわらず、いつまでも店の棚に売れ残っている商品のようになりました。

進化の加速器としてのウイルス

深刻な危機は、もう1つの基本的な変化の原則を示しています。トレンドとカウンタートレンドの統合です。

コロナの後の新しい世界(というより、「コロナと共にある新しい世界」と言ったほうがいいかもしれません)は、コネクティビティ(接続性)のメガトレンドの混乱から生まれます。政治的にも経済的にも、この現象は「グローバリゼーション」とも呼ばれています。国境の閉鎖、分離、隔壁、検疫隔離は、様々な接続の廃止には繋がりません。私たちの世界を繋ぎ、未来へ運ぶコネクトーム(接続複合体)を再編成するのです。社会経済システムの位相跳躍が起こります。

来たる世界は「距離」を再び高く評価します。それによって、連帯がより質的に形成されます。自律性と依存性、開放と閉鎖のバランスが新しく調整されます。これは世界をより複合的にしますが、より安定させることにもなります。この改変は、広範囲に渡る盲目的な進化のプロセスです。1つ失敗すると、新しい実行可能なものが優勢になります。これにより、最初は動揺がありますが、そのうち内的な意義が見えてきます。パラドックス(逆説的なもの)が新しいレベルで結びつくことで未来持続性が生まれます。

この複合化のプロセス(複雑化と混同しないでください)は、人々が意識的に設計することもできます。来たる複合性の言語を話すことができる人々は、明日のリーダーになるでしょう。希望の星。今後のグレタ。

「コロナを通じて、私たちは生命に対する私たちの全態度を適応させます。他の生命体の真っ只中に生き物として存在するという意味で」

3月中旬のコロナ危機最中のスラボ・ジゼク(スロベニアの哲学者)の言葉です。

すべての深刻な危機は、ストーリーを遺します。遠い未来を指す物語です。コロナウイルスが遺した最も強力なビジョンの1つは、バルコニーで音楽をやるイタリア人です。2番目のビジョンは、人工衛星の画像に写しだされています。中国とイタリアの工業地帯が、突然スモッグのない状態になった映像です。2020年には、人間のCO2排出量が初めて減少します。その事実は私たちに何かをします。

ウイルスがそれを実行できるのであれば、私たちも同じことを実行できるのでは?もしかしたらウイルスは、未来からやってきた単なるメッセンジャーかもしれません。彼の抜本的なメッセージは次の通りです:「人間の文明は、密度が高すぎ、速すぎ、過熱しすぎている。未来のない特定の方向に暴走している」

でも、それを新しく改変することはできます。
システムリセット。
クールダウン!
バルコニーで音楽!
そうやって未来が成り立ちます。