世界で急速に広がっている、荒地やちょっとした空き地に「ミニ森林」を造成する宮脇メソッドに私が好感を持っているのは、近自然的森林業における天然更新と類似点があるからだ。それは、どちらも「密」で「多様」だということ。前者は、土を施して多様な樹種の「密植」をする。後者は、不均質な間伐で多様な光環境を土壌に与え、多様な樹種の更新を促す。狩猟でシカの食害を抑え、控えめな間伐で光の量を調整して草の繁殖を抑えることができれば、自然は溢れるほどの稚樹を「密生」させる。
密植、密生で育った樹木たちの間では、個々の樹種の光に対する性質や、土壌タイプとの相性、個々の樹木の成長生理学的特性などから、ダーヴィンの「競争」による「自然淘汰」が起こる。側から見たら、過酷な生き残り競争だが、果たしてそれだけだろうか? 密生していることで、草の成長が抑えられる。密生の中では湿度や温度が高くなり、風や日照りや雪から守られ、土壌の侵食が抑えられ、土中の生物活動が活性化し、樹木の成長が促進される。樹木の大切なパートナーである菌根菌もたくさん、いろんな種類の菌が棲みつく。樹木は、土中で菌根菌を媒介にして、空気中では、自ら生成するフェロモンを放出して、仲間や他の生物種とコミュニケーションを取っていることも、「植物神経学」という新しい学問分野で解明されてきている。「競争」の側面より、「協力」の側面が大きい。
競争にあたる英語「competition」の語源はラテン語の「com-petere(一緒に探す)」。ドイツ語「Konkurrenz」の語源もラテン語で「con-curre(一緒に歩む)」。どちらも「競争」でなく「協力」の意味合いを持つ。古代の人たちはおそらく、自然の原理、自然界の一員としての人間のあるべき生き方を、直感的に、ホリスティックに理解していたのではないだろうか。
拙著『多様性〜人と森のサスティナブルな関係』では、「競争」を主要な原動力にする社会システムが現代の様々な問題を引き起こしていること、それらの解決のためには、自然に習って「協力」の思考と行動を増やしていくことが必要だと論じた。最新の脳神経学の知見から、人間の強みは「競争」ではなく「協力」であって、進化の主要な原動力であることも。
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宮脇方式は、自然の森と類似の樹種の多様性を人工的に施して、時間と共に自然淘汰の力を活用して、人手もあまりかけずに多様な森にしていくというストーリーだが、果たしてどこでもそうなるのかどうか、私は疑問を持っている。
宮脇植樹方式と近自然森林業での天然更新に共通するのは「密」と「種の多様性」だが、両者を比較すると、地ごしらえをして土壌を均質化し、開けた場所に同じ時期に一斉に植える宮脇方式では、自然の森にある土壌の多様性、上層木による光の多様性、更新の時間差はない、もしくは少なく、自然淘汰の機能が十分に発揮できない、機能しない限界もあると思われる。私は、現在世界に広がる宮脇ミニ森林を健全な森にしていくためには、場合によって、適切な除伐や間伐が必要になると見ている。特に高温多湿の西日本では、聞くところによると、自然淘汰が起こりにくく、もやし状のひ弱い林になっているとの観察がたくさんあるようだ。
個々の植樹地は継続して観察を行い、森を健全に多様にしていくために必要な場合は、除伐や間伐で手を入れていく必要がある。宮脇先生が理想形としている鎮守の森も、多くの場合、人の手が頻繁に入ってつくられている。
宮脇方式植樹のミニ森林の2つの写真(2014年と2021年)は、東京の二子多摩川公園で撮られたもので、関橋知巳さんからいただきました。