《多様性》をキーワードに、「森づくり」から「地域木材クラスター」「モノづくりと人づくり」「森のレジャー」「森の幼稚園」さらには最新の脳神経生物学に基づいた「文明論」まで、私が過去20年の間で経験したことを軸に、多面的にわかりやすく論じています。
客観的かつ主観的に書きました。
科学的なデータや知見を踏まえた専門書ですが、同時に、《多様性》に魅了されてきた私の経験や思いがベースにあるエッセイでもあります。
思いもよらず、「さなぎ」のような静かな生活を強いられた、この1年。過去を振り返り、今後の自分の生き方を考える時間とモチベーションを得ることができました。
まず、自分のために書きました。次に、子供たちの未来のために。
「森の国」ドイツから「森林大国」日本の未来へ贈る、多様性のメロディです。
専門家や業界人に限らず、広く一般の方に読んでもらいたいと思っています。
森の仲間が増えることを願って。
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B091F75KD3
目次
はじめに ~「多様性」に導かれて
第1章 気くばり森林業
「林」と「森」
明治のパイオニアたちがドイツから持ち帰ったもの
私が「森林学」から学んだ大切なこと
次世代への想いやりから生まれた概念「サスティナビリティ」
世代間の契約
時代の異端児 ガイヤーとメラー
将来の木
人と森をつなぐ道
第2章 日本でこそ森林業を!
ヨーロッパの人たちが羨む「豊かさ」と「多様さ」
日本が持っている宝物の「量」と「質」
日本の森に「新・幹線」
将来木施業と狩猟で「林」を「森」に!
第3章 地域に富をもたらす多様な木材産業
多様な原木は、多様な製材工場を求む
「連なる滝(カスケード)」と「葡萄の房(クラスター)」
優秀な職人を育てる仕組み ~マイスターは現場の先生
木という素晴らしい素材が使える喜び
木で音をつくり、世界へ出かける職人
第4章 生活とレジャーの場としての森林
いつでも気軽に「Shinrin-Yoku」を!
「生きた里山」が観光資源
森の幼稚園
第5章 多様性のシンフォニー
樹木たちの声を聞く
脳のコーヒレント
「結びつき」と「探索」
心の羅針盤
尊厳
あとがき・謝辞
参考文献
アナログ版(印刷本)の販売サイト
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B091F75KD3
電子書籍の販売サイト
https://www.amazon.co.jp/ebook/dp/B08ZCSLL1C
団体や企業などで、まとめて10冊以上購入される場合は、日本法人Smart Sustainable Solutions株式会社より、下記の割引にて販売することができますので、お気軽にご連絡ください。 info@smart-sustainable-solutions.jp
10冊以上: 定価から10%割引
30冊以上: 定価から15%割引
下は、音楽付きの本のイメージスライドショーです。
【レビュー】
複数の方から、うれしいお便りをいただいております。
まず、校正という大切な作業をやっていただいた吉田聖子さんからの感想です。
シュヴァルツヴァルトの本来の意味やドイツの林道のこと、樹木のネットワークの話など、知らなかったことがたくさん書かれていた。
ドイツと日本とは、森に関する考え方などがずいぶん違うと感じた。
池田さんのお陰で、ドイツ人が森とどのように付き合っているのか、知ることができた。
日本の場合、縄文時代から森とは深い付き合いがあったはずだが、時代によって失われてしまったことも多くあるのだろうと思った。
アラビア人は砂漠の民なので、砂漠の風に当たることが体に良いと思っていると、本で読んだが、ドイツ人は森の民として、森で過ごすことを体に良いと思っているところが似ているように思った。
ドイツにおける林業の話は、日本の林業の参考になるだろうと思った。
池田さんのご著書は、林業関係者にこそ読んでもらいたいと思った。
池田さんのご著書を読んで、木工品会社を取材したときに聞いた、伐り尽くして手に入らなくなった木材の話を思い出し、改めて「そういうことか」と納得した。
最終章が文明論だったことに感心した。また、池田さんの文明論は、未来に希望が持てると感じた。
多様性という心地よさ
冨田直子さん 2021年4月12日 アマゾンより
満たされた読後感に浸っています。森の家でしばらく過ごしてきたような、森林浴をしてきたような、そんな気持ちです。
多様性が認められた世界というのは、自分自身もありのままでいることを許された世界であり、その心地よさが、この本にはあるのだと感じます。
そしてもう一つ心地いいのが、著者の文章が奏でる旋律です。音楽好きだという著者により、音楽になぞらえた表現が随所に出てきますが、それだけでなく、著者のルーツや、著者が森や人々と向き合う中で、森の時間に寄り添えるようになっていく一連のストーリーが、登場する人物や植物、生き物たちと共に、美しいハーモニーとなって響いてくるのです。
今後、森について知りたいという人がいれば、私はまずこの本を薦めるでしょう。
誰もが親しめる平易な文で、森という多機能な存在が、全方位から紹介されています。ドイツで行われてきた近自然的森林業の話から、ドイツの森林官が羨むほどに豊かな土壌、木の成長量、生物多様性を持つ日本の森の可能性、そしてドイツに習い日本でも行われている道づくりからはじめる森づくりの取り組み、さらに地域に富をもたらす多様な木材産業の話から、生活とレジャーの場としての森林までと、あらゆることに触れられています。そして、先人たちの試行錯誤により、豊かで持続可能な森と社会の在り方がドイツにはすでにあるという事実は、私たち日本人に勇気と希望をくれます。技術的な内容もわかりやすくリズミカルに書かれており、日本の森の可能性にどんどんと心が躍っていくのです。
また、SDGsの本質を学べる本としても、大いにおすすめしたい一冊です。森は、SDGsのすべてのゴールに通じる入口の一つです。本書では、環境視点だけではなく、人々が森林産業を通じてどのように豊かに暮らせるか、そして、森の幼稚園といった教育や福祉、心身を癒す「Shinrin-yoku」の広がりにまで話が及びます。
さらになんといっても、300年前、ドイツの森でカルロヴィッツによって生み出された「サステナビリティ」という言葉に関する丁寧な考察が、この本にはあります。人類がサステナビリティの大切さに気付いていく過程と、多様性の意義に気づいていく過程とは、まるで右足と左足の関係にあるようです。一歩ずつ歩みを続け、叡智を積み重ねてきた結果今日があるのだということが、ドイツの先人たちが辿った森との向き合いを通じて描かれています。SDGs に関わるものとして、この原点に触れられる学びは大変貴重です。
また第5章「多様性のシンフォニー」で、脳神経生物学者ゲラルト・ヒューターの著作にあると紹介されている「脳の省エネ」の話は、多くの示唆に富んでいます。人類は、最大のエネルギーを消費する脳の「省エネ化」のために、この複雑で多様な世界をあえてシンプルに捉え、生き抜いてきたというのです。よって、二項対立化、整然と整理する、単作・一律で何かを育てる、といったことは人類の生存戦略の一つであるとのこと。大変興味深く、それゆえの進化もありましたが、何事も過ぎたればです。著者の書く通り、今の持続可能なソリューションの実践者の共通項は、多様で複雑な世界を「理解し、受け入れ、多様性を活用している」という下りには共感を持って読みました。多様であることを、むしろシンプルに楽しんでしまいたい、そんな思いが、読み進める中で湧いてきます。
SDGsのいう「誰一人取り残さない」世界に向き合うには、自然界(人間界も含む)における「多様性」への理解が欠かせないと感じてきましたが、本書はそれをもう一段深いレベルで問い直す機会を私にくれました。
誰もが、すべてのいのちの尊厳と向き合い、森と同様に、次世代を想う数百年という時間軸と共に、自分らしく、心地よく、豊かに暮らせる世界――。これからの自分の在り方、世界の在り方を考えていくためにも、何度も読み返したい本に出会えました。そして、森づくりへの思いを、また一層強く持ちました。
是非、多くの方に読んでいただきたい本です。
森に散歩にいくように、またページを開きたいと思います。
「森林」を入口に「多様性、持続可能性」の本質を解きほぐしてくれる
佐々木正顕さん 2021年3月31日 アマゾンより
著者の池田氏は、ドイツ在住25年の経験豊富な森林産業コンサルタント。
ただし、本書は海外の先進的な制度やシステムだけを上から目線で伝えようとするものでななく、アプローチはむしろ真逆だ。
森林に関わる人たちの感情や想いから望ましい森林のあり方を解きほぐしてくれるが、池田氏の筆はそれだけでは止まらない。
特に、ドイツの著名な脳神経生物学者による、脳の省エネ機能を起点とした人間の思考パターンが、物事を単純化して分類させてきたという「発見」の紹介は、本書を貫く太い軸となって大変興味深い。
これをベースに、幸福感や金融資本主義、コロナ後の社会像まで「多様性」が本来意図する社会や自然のあり様を多彩に示唆してくれる。
「本当の持続可能な社会」を模索する、林業関係者以外の方にもぜひお勧めしたい、電子書籍の良さを活かした一冊だ。
多様性は本当に大切である事を学びました。
長瀬雅彦さん 2021年4月14日 アマゾンより
実に内容の意味ある内容、私自身ずっと探し求めてきた本に出会えました。
多様性まさに今一番重要なテーマ SDGsそのものですね。素敵な職人的な家庭に生まれ、新しい生き方、楽しみ方を求め留学し、また違った多様性を学び、日本の文化と西洋の文化を考えた思考で進化したのだと思います。そこでドイツを選択したのが池田様の宝になったのだと思います。留学中の幅広い研究と専門分野を学ばれ、広い寛容、配慮、リスペクト、探究心、想像力を培ったのだと思います。 近自然的森林業と多機能林業という哲学、ビジョンはまさに私も森林管理のあり方を学ぶべきものと感じています。『すべての理論はグレー 森と経験だけがグリーン』素晴らしい言葉です。サスティナビリティとカロヴィッツの事も初めて内容を知ることが出来ました。当然300年ほど前に生まれた言葉とは知っていましたが。 また長い将来の話を森林業のロマン フレッヒさんを思い出します。
サスティナビリティ(持続可能性)は「次世代への思いやり」に支えられている。次世代という「相手」に対する意識的な配慮の感情であるから「想いやり」である。この「想い」は人間の長い歴史のなかで、守られ-汚され、強調され-軽視され、実行され休止されることを何度も繰り返してきた。現在の私たちは、より一層この「想い」の所在に敏感になり、守り、強調し、実行していかなければならないと私も感じました。
多機能森林業を行うためには、経済、保養、自然保護と、多面的な「気くばり」をされた道が必要である。道も多様な機能を持っていなければならない「多機能森林基幹道」である。
しかし日本の林業関係者たちの認識は、これとは対照的に、ネガティブであり、できない理由を並べるときりがない。
森林所有者が、絶えず100年先、数世代先を考えた森林を利用することは、地域の森林・木材クラスターの在続と進化にとって欠かせない大前提である。「森のロマン」あっての地域の問題となります。今後の森林業は多面的な注意力を要するワイルドな環境で、ほかの仲間の個性や能力に配慮し、助け合いながら、五感をフルに使い、好奇心と自分の意志に基づいて、自発的に仲間と連帯して遊ぶことによって培われた能力であり、森が与えてくれた、心と体のバランスだ。まったくその通りだと思います。
森林業、林業、木材産業 様々な言葉が先行される中 本質知る為にも重要な参考書となるでしょう。
2度読みして深く理解したくなる本
落合俊也さん 2021年4月26日 アマゾンより
池田さんの講演はだいぶ前に聞いたことがあったし、「多様性」というタイトルは森を語るキーワードとしては特に新鮮味を感じなかった。しかし、読み進めてみると私の想像をはるかに超える深い実際的経験と知識を持って人と森の関係を掘り下げ、巧みに様々な理論で補強しているので、わかりやすく説得力があった。特に最終章は素晴らしく、2度読みしてしまったほどだ。
読み始めは林業先進国ドイツの森林産業システムと社会システムの調和的構造を自ら体験した筆者が、実に誠実にそれを紹介することから始まる。私たち日本人は、ドイツの素晴らしく整備された森林システムにはため息が出る一方で、日本の林業はだめだと考えがちである。ところが、日本の林業にも十分な潜在能力があることが示され、未来の発展に至る具体的な道筋も提案されている。
林業先進国のドイツを手本にして語られているのは、作者の経験と研究がドイツで行われたからだが、本書に続編があるとしたら、ほかの国の事例やドイツの失敗例にも幅広く目を向けて池田さん流の解説を聞いてみたいと思った。
初めに紹介したように、最後の章は珠玉の内容だと思う。池田さんはこのこと言いたくてこの本を書いたのだろうと私には思われた。ヒトの脳の構造から森と私たちの社会構造を読み解き、古くて新しい人間哲学の世界をも俯瞰した内容は新鮮だった。
多様化を理解しそれを長期的に利用した続けているソルーションこそが正しい回答であるはずなのに、近代に成立した短絡的なソルーションが大きなお金を生みだし現代産業の中枢をなしている。しかし、このような多くの金を生み出す大量生産単一化合理主義という現代の社会特性は、人類を破滅に導く可能性が高い。
終盤で作者の興味は人間の脳の構造や働きに注がれているが、脳の構造や志向を理解することで現代社会の問題点や自然との共生法のリアルな解決策を模索することができるのだろう。森を語る内容から脳を語る内容にシフトしすぎた感はあるが、優れた思想家や芸術家の思想や言葉を織り交ぜながら自分自身の発想の原点を暴露しているようで、その率直さにも好感を持った。
「多様性-人と森のサスティナブルな関係」を読んで
平田孝則さん 2021年4月28日 アマゾンより
一読した大雑把な感想ですが、森林関連の内容が多いにもかかわらず、日頃森林・林業・林産業をあまり理解していないごく普通の人達にとっても分かり易い優れた文体であることに驚きました。併せて、日本とドイツの林学史、育林・収穫作業、森林道、パイプオルガン製作、森の幼稚園、森林の効用、人文科学方面からのアプローチなど多岐にわたって読者の関心を引く構成であることにも感嘆した次第です。著者のヘルマン ヘッセ敬愛や人生観、社会観などにも共感を覚えました。巻末にある国内外の多数の参考文献一覧を見ても、著者の博学・博識ぶりを伺うことが出来ました。同時に、ここに至るまでの著者の道のりは通り一遍の努力では決して踏破できなかったであろう事、心身共に苦労をいとわない不断の勤勉の賜であることを理解できました。私の親しい友人・知人にも本書を紹介したところです。
浅輪 剛博さん 2021年5月7日 https://ganpoe.exblog.jp/29514049/
これは、森林に関わる全てのひとにとって必読の書です。
そして、森林とは直接関係はなくとも、持続可能ということに関心がある人にも強く薦めたいです。書名が「多様性」であるように、この本は、持続可能な森林業のノウハウが盛りだくさんであるだけではなく、なぜそのような制度ができたのか、その根本まで探る本だからです。つまり、根幹には「均一化ではなく、多様性」を尊ぶ生きかた、そして考えかたがあった、ということです。
日本では、欧州の先端的な林業の技術のそれぞれを切り出して輸入しようという動きが多いそうですが、著者の池田憲昭氏は、大事なのは、一つ一つの技術や制度ではなくて、その全体の多様な関係性だと論じています。その関係性を見つけ繋げ合う視点や考え方の転換がないといけないといいます。そう思って本書を読み返すといちいち腑に落ちると言うか、持続可能な森林との関わりかたのどれもが、そりゃそうだよね、当たり前だよね、と感じるのです。今まで、大型先進機械で自動化し樹種も単一化すれば効率的になって役立つ、そりゃそうだと思っていたのが嘘のようになります。それは多様性の大事さに気づく価値観の転換が起きるからだと思います。
本書の最終章で脳神経学からこのマインドセットの違いの謎を著者は解き明かそうとしています。非常に得心が行く章です。
ここでは経済学の課題からもその重要性に触れてみます。
物の価値には大きく二種類あります。一つはそれを使う価値。もう一つはそれを他のものと交換してどのくらいになるかという価値です。前者を使用価値、後者を交換価値といいます。
ここで、使用価値は使用する人にとってその価値が非常に分かりやすいものです。しかし、社会一般的には分かりにくい。なぜならある物の使用価値はまさに多様であり多面的だから、ある人の使い方と他の人の使い方は違うことが多いからです。まさに森林、樹木のようです。森の価値は材木でもあり、観光でもあり、災害対策でもあり、幼稚園でもあります。
それに対して、交換価値は逆に個人にとっては非常に分かりにくい。他人に交換してもらわない限り、どのくらいの価値があるのか自分ひとりでは分からないからです。そこで社会は全ての交換価値を一つの貨幣で表す制度を生み出しました。これが貨幣形態です。一般的等価形態ともいいます。社会にとっては値段と売れ行きさえ見れば一瞬で価値が分かる、非常に分かりやすいものなのです。
現代社会で様々なものを均一化させようとする大きな力は、この貨幣形態から起き、また、貨幣と商品を交換し続けることによって利潤、つまり資本を増大させようとする力から起きているのです。多面的機能を持つ多様な森林も、貨幣効率・資本最大利潤を最優先させるこの力によって、モノポリーな単一種栽培の畑のようにした方が良い、と人々は思い込んでしまうのです。(著者は前者を森林業、後者を林業と区別します。)最小限の貨幣で最大の貨幣を得る、その一面に集中して、資源の多様な可能性ーー使用価値を探ろうとしない。これが、自然と調和しない持続不可能な林業を産んでいるのではと考えます。
これはもちろん森林だけに関わらず、土壌を衰退させるような農業や、自動車交通を優先させてスプロール化する都市や、遠方の化石資源を燃料とし地域分散型エネルギーに着目しないエネルギー産業、そして健康で文化的な生活条件を整えるよりも、どれだけ財政負担を減らして生産効率を上げるかだけに専念する政治経済システムなどにも及ぶ、大きな現代の問題につながっています。
森林から始めて、多様性まで解き明かすこの本は、こんな広がりを持っています。多面的な機能、多様性の持つ豊かさ、それを活かす「持続可能な森林業」は、交換価値よりも軽視されてきた、環境がもつ多様な使用価値を探り出す取り組みでもあり、著者の示す多様な森林業の織りなす房は、まさにそのような価値観があったからこそ工夫され出来てきたものだと思います。
私は信州で自然エネルギーを活用する仕事をしています。これも単に個別の技術を切り出して拡大するというのではなく、地域に色々ある資源やエネルギーの多様性、様々なより良い可能性を見つけ、今まで気づかなかった地域の生活にとっての使用価値を発見していくーー省エネやシェアやマテリアルとしての活用も含めーーそのような全体的な視野も伴う必要がある仕事だと感じ入った次第です。
制度や義務だけでは人は本当に動きはしません。共感、感動、信念、そしてディグニティ(尊厳)が行動の根幹にあるのです。本書でそれを痛感させられました。
論語に言うように、
これを知る者はこれを好む者に如かず。
これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。
中村幹広さん 2021年5月2日
https://note.com/mikihironakamura/n/nd86919de73e3?fbclid=IwAR0mhpeYSG9tqO7CNGHnzowBO3DRPxwbZ7mvFnT6byurAOqokqi0Ana6xYk
本書のタイトルである「多様性 Vielfalt」という単語は、私が紐解いたドイツ語辞典によれば、18世紀末に「vielfältig 多種多様な」という言葉から逆成されたものらしい。
言語は時代の変遷とともに変化していくのが世の常であり、例えば最近よく耳にするようになった「biodiversity 生物多様性」という単語もまた、1985年にアメリカで「生物的な biological」と「多様性 diversity」という2つの言葉を組み合わせて生まれた比較的新しい造語である。しかし今日では、そのポジティブな意味合いや耳当たりの良い言葉の響きと相まって、かなり一般的に使われるようになっている。
とはいえ、この「生物多様性」という単語も2010 年に愛知県で開催された生物多様性条約第10回締約国会議(COP10:the 10th Conference of the Parties)で大きく取り上げられるまでは、私たちには余り耳慣れない新しい言葉だった。
こうした事実を踏まえると、本書のあちこちに登場する森林・林業関係者であれば誰しもがきっと今は違和感を抱いてしまうであろう著者こだわりの言葉遣い、具体的には「林業」ではなく「森林業」、「所有林」ではなく「所有森」、そのほかにも「恒続森」や「択伐森」、「新・幹線」といった「いわゆる造語、新訳」もまた、いずれ私たちは慣れ親しみ当たり前のように使っているのかもしれない。
かく言う私も、私とドイツを深く結び付けてくれた大恩ある著者・池田氏の自然に対する姿勢に共感した1人であり、同僚や業界人同士での会話を別にして、単に「森林」という存在について話す際には「森林と人との距離感」を少しでも縮めるために「森林」ではなく「森」と努めて表現するようにしている。
加えて、これまで私は「足るを知る(者は富む)」という表現で森づくりのスタンスを話してきたが、著者の使った「気くばり森林業」という言葉はまさしく言い得て妙ではないだろうか。今後は私も「気くばり」という言葉を積極的に使ってみようと思う。
さて、前置きが長くなった。本書は多様性というキーワードを主軸に著者のこれまでの日独での経験談を交えて執筆されたエッセイである。穏やかな口調で語りかける著者が紡ぐ文章は、読者に程よい心地よさを与えてくれる。
冒頭で語られる好奇心旺盛な幼少期の原体験には、誰しもがどこかしら懐かしさを覚えるであろうし、著者が活動拠点とするフランス国境にほど近い地方都市フライブルク市は、私も幾度となく訪れ、そしていずれまた再訪したいと切に願う想い出の街であるが、著者の描写するその美しい街並みはきっと多くの読者を魅了することだろう。
そして本書の前半から後半にかけては、日独の架け橋として双方の視点から、森林・林業・木材産業、さらには里山、保養などについて、ややもすれば読者を二項対立の思考領域へと誘引しそうになりながらも、そのいずれについても的確に課題や有意点を示唆してくれる。
加えて、著者の関心は最新の脳神経学から哲学、精神性にまで多岐にわたって飛躍するため、読者の中には消化不良で半信半疑に受け止めてしまう人は少なくないだろう。だがしかしその感覚はやがて、未知なるものを知り、彼我の違いを知ることの楽しさを教えてくれる切っ掛けとなるだろう。
○本書の構成
本書は全5章からなる。各章はいずれも著者の日独での経験から得られた深い思索の末に辿り着いた内容となっているが、森という存在に対する畏怖や敬愛の念、日本の森林・林業・木材産業へのアドバイスにとどまらず、近年、欧州諸国で注目を集める森林浴や最新の脳科学に関する話題など幅広い。ドイツを代表する文学者であるヘルマン・ヘッセの言葉を引用して、環境、経済、哲学、音楽などの分野についても言及している。
第1章 気くばり森林業
第2章 日本でこそ森林業を!
第3章 地域に富をもたらす多様な木材産業
第4章 生活とレジャーの場としての森林
第5章 多様性のシンフォニー
第1章では、明治から大正にかけ欧米各国に留学した数々の若き日本の才能たちが持ち帰った知識や経験、そしてそこに通底する人知を超えた自然に対する畏敬の念、ドイツで300年以上前に生まれた持続可能性という言葉の歴史等にも触れながら、著者がドイツで学んだ森づくりの哲学や知識を紹介する。この章では、森林・林業関係者に限らず、少しでも森に関心のある読者であれば、将来を見据えた森づくりの必然性を真摯に学ぶことができるだろう。
続く第2章では、ドイツから来日したフォレスターの視点から、日本の森の豊かさ、それを当たり前と思う日本人の意識、そしてその裏返しとしての、自然の豊かさに胡坐をかいた無頓着さが綴られている。私自身、直接的間接的に関係してきた内容が記されていることもあって、ここが私にとっては本書のハイライトとも言える。
著者のコーディネートにより来日したドイツのフォレスターたちが感じた日本の森林・林業・木材産業への違和感、真摯な専門家であろうとするが故に苦悩した異文化コミュニケーションの狭間等々、それらはまるで、多様性を包摂するための課題について考える機会を改めて与えてくれようとしているかのようだ。
第3章では、地域内が連環する木材産業のカスケードとクラスターについて、輸出産業にまでなった強い存在感を示すドイツの林業・木材産業は、今もなお弛まぬ努力を続けていること、そこには過去30年にわたって林業が環境配慮へ大きくシフトしてきた背景を有していること、そしてそれを支える土台となったのは、世界に冠たるマイスター制度と誇り高き職人たちの手仕事にあることが述べられている。
第4章では、日本発祥と言われ、近年は欧州で大変な人気を集める森林浴や農山村でのグリーンツーリズムなど、いわゆる森林サービス産業に関するドイツの実情について自身の経験談を交えながら紹介している。
本章で著者が指摘することは、今の日本の森林・林業関係者にとって最も大切なことの一つといえる。それは、林業は林業のためだけにその営みがあるわけではないということであり、人々がその地で豊かに暮らすためには、厳しい自然と対峙しながらも美しい景観を守ることに必然的な意味があるということだろう。日本と欧州の自然に対する価値観やスタンスの違い、あるいは自然のコントロールのしやすさの違い等々、説明の仕方は国や人の数だけ幾通りでもあるだろう。しかしそれも、著者の子供も利用し日本でも徐々に広がりを見せつつある森の幼稚園の体験談を説明するところに至って、森の恵みの享受の在り様は日欧で共通することが実感できる点は大変興味深い。
そしてまとめとなる第5章では、森と人との営みを超え、生命の原理や脳の仕組みの探求にまでさらに踏み込み、より一層、内観的な視点から著者自身の有する多様性に対する考え方、あるいは多様性への憧憬を開陳している。
本書によれば、「考えと気持ちと行動が一致していて、外の世界で起こっていることが自分が予期・期待していることと大きくかけ離れていない状態」のことを「コーヒレント(注:コヒーレントの方がより正しい発音か?) coherent」と呼ぶそうだが、著者は本章において『自ら新しいことを学んだ時、すなわち、非コーヒレントな脳の状態を、自分の力でコーヒレントな状態に転換できた時、人間は幸福感を味わう。』と言っている。
まさしくこの感覚こそが、豊かで美しく未来へと繋がる森づくりには欠かせない「観察」という行為の大切な要素の一つであると私は考える。
森に一歩入れば、そこはいつでも未知なるものへの好奇心で満たされるセンスオブワンダーの世界。大人になってから久しくこんな気持ちを忘れていたが、本書を手に取り心地の良い春の森へと出かけていくのも悪くない。本書はそんな気持ちにさせてくれる一冊である。