孤高の木、家族や民族として生きる木々

自然を愛したヘルマン・ヘッセは、「木」という奥の深い詩を書いている。その詩は、次のフレーズで始まる。

「木は、私にとっていつもこの上なく心に迫る説教者だった。木が民族や家族をなし、森や林をなして生えているとき、私は木を尊敬する。木が孤立して生えているとき、私はさらに尊敬する。そのような木は孤独な人間に似ている。何かの弱味のためにひそかに逃げ出した世捨て人にではなく、ベートーヴェンやニーチェのような、偉大な、孤独な人間に似ている」

詩の全文はこちらから:
https://note.com/noriaki_ikeda/n/ndc0e30cbb3da

私が住むシュヴァルツヴァルトの草原や牧草地には、ヘッセがより尊敬する、ベートヴェンやニーチェのような孤独に強く生きる孤高の木がある。存在感があり、思わず写真を撮りたくなる。

でも、多くの樹木は、大きな森や小さな森として、民族や家族のように寄り添って生きている。人間と同じように、助け合いも競争もする仲間を必要としている。仲間から離れて1人孤独に生きる樹木も、実は1人ではない。土壌の中の無数の微生物や昆虫や鳥とつながって、支えられながら生きている。ベートヴェンやニーチェのような孤独で崇高な人間も、無数の腸内細菌や周りの動植物とのつながりと支えによって生きているのと同じように。

人間に例えたら幼い子供くらいなのに、孤立して植えられた、もしくは仲間から大きく間隔を開けて植えられた街路樹や公園の若木を見ると、悲しくなる。幼く自立できないから、木製や鉄製の保護柵で倒れないように保護されている。まだ柔らかく病害虫が入りやすい樹皮を白くペインティングしてあるものもある。とても惨めでかわいそうだ。彼らが植えられる場所は建設土木作業で圧縮された土壌が多いので、固いし、空気も少ないし、保水力も少ない。だから、日当たりはいいのに、成長が遅い場合がよくあるし、枯れないように頻繁に水やりが必要になる。

家族や民族として育つ樹木たちは、お互いに支え合って生きているので保護柵もペインティングも必要ない。みんなで根を張って土壌を耕し空気を入れ、土壌の小動物や微生物を増やし、保水力も高めるので、頻繁な水やりも必要ない。

私もベートーヴェンやニーチェのような偉大な孤高の人物を尊敬する。でも、ヴェートーベンのシンフォニーを演奏し合唱するオーケストラやコーラスに、より感動し、希望を感じる。そして、私たち人類が今、より必要としているのは、ニーチェのような1人の崇高な哲学者ではなく、個々の特性や能力で、共に未来を創造する、たくさんの多様な人々だと思う。

2021年春に出版した『多様性〜人と森のサステイナブルな関係』にも、シンフォニーを演奏し合唱する人たち、みんなで未来を創造する人たちを描いています。
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B091F75KD3