春の訪れ、心の静寂、未来の予感

2020年3月29日 ドイツ シュヴァルツヴァルト

私たち家族が住む森の近くの住宅街。数軒の庭先のモクレンの花びらが少しづつ落ちてきて、桜の花が咲き始めました。森では、ブナの若葉が芽吹きかけています。小鳥のソロやデュオやトリオも増え、あちこちで同時演奏をするようになりました。草地のネズミを狙うはハヤブサやワシも中空を旋回しています。天気は、晴れたり急に雨が降ったり、気温20度を超えた次の日には10度に下がったりと、この時期の典型的な「気まぐれ」。いつもと変わらない南西ドイツの春の訪れです。

しかし、一つだけいつもと違うものがあります。それは「静けさ」です。ここ2週間、医療崩壊を防ぎ、できるだけたくさんの人の命を守るため、国の指示にしたがって、みんなが「連帯」し、制限された生活を送っています。学校や幼稚園は閉められ、サッカーもテニスも水泳もできない。音楽やヨガの教室もない。フィットネススタジオや美容院にも行けない。ブンデスリーガの観戦もできない。コンサートや映画にも行けない。レストランやカフェで食事や会話を楽しむこともできない。洋服や靴や台所用品のショッピングもできない。仕事も可能な限りホームオフィスに移行。かなり大幅な制限です。家の外に出かけるのは、食品の買い物と散歩やジョギング、ちょっとしたサイクリングくらい。街の中がかなり静かになりました。街だけでなく、人の心も「静か」になったように私は感じています。

私は自分の専門が森林ですし、森の近くに住んでいるので、日常の時間の合間によく森を散歩したり、マウンテンバイクで走ったりします。生活制限がかけられてからは、時間もあるので、毎日必ず森に行くようにしています。息子とジョギングしたり、自転車に乗ったり、娘と秘密の場所に行者ニンニクを採りに行ったり、妻と長い散歩に行ったり。今そこですれ違う人たちの雰囲気というかオーラが、以前と違う感じを受けるのです。子供連れの家族、老夫婦、犬と散歩する人、友達同士など、以前と同様に様々な人たちが森でリフレッシュしているのですが、森で出会う人々に、心の落ち着きが感じられます。すれ違うほとんどの人が、朗らかに「ハロー」「グーテンターク」と挨拶してくれます。以前も大抵の場合、挨拶はありましたが、挨拶のニュアンスが、習慣的なリアクションや社交辞令的なものではなく、思いやりと連帯感が感じられます。感染予防のため、2m以上のお互いの距離はありますが、心の距離が逆に縮まったような感じを受けるのです。以前は、森でリラックスしたいけど十分にそれができていない感じの、ストレスや忙しさを森の中に持ち込んでいるキリキリした雰囲気の人達がよくいましたが(私自身も時々そうでした)、今そういう人がほとんどいないのです。森ですれ違う人たちみんなが「今を生きている」「この瞬間を味わっている」といった印象を与えてくれます。大人に落ち着きや他者に配慮する余裕ががあるので、一緒にいる子供や犬も幸せそうです。生活の自由を大幅に制限されたことが、人々に思わぬ心の自由と余裕を与え、家族や友人との絆を深め(直接会わなくとも電話やメールでも)、他人への配慮やリスペクトも高まったのでは、と推測しています。

もちろん、他方で多くの人たちが、先行きが不透明な現状に不安と恐怖を抱いています。会社の経営どうしようか、自分はいつまたホテルで働けるようになるか、銀行への返済はどうしようか、と深刻な悩みを抱えている人たち。そこには、国による明確で迅速な意思表示とサポートが欠かせません。

また、過度に緊迫した、そして場所によっては非常に悲惨な状況のなかで毎日「戦っている」医療関係者がいます。今一番大切な仕事をされている方々の苦悩をできるだけ早く終わらせる、静めるために、できるだけたくさんの人の命を救うために、今大半の国民がやらなければならないことが、できる限り動かず、接触せず、静かにしていることなのです。経済や個人のエゴより人の命を優先して。そして突然強いられたその不便な生活は、人々の心に当然のこととして不安や不満も与えたましたが、同時に「静寂」と「時間」を与えました。これらは、この後の未来に何かをもたらすと私は思います。

私が尊敬するドイツの作家ヘルマン・ヘッセは、「愛」をテーマに人間の内面を描き、一人一人の内面を変えることで世界を変えようとしました。そしてその心の変化の源として「静寂」を尊びました:「あなたの中に静寂があります。それは、あなたがいつでも引きこもることができて、自分自身であることができる神聖な場所です」。

ドイツの著名な未来研究家のマティアス・ホルクス氏も、直近のコラムで、人々の内面から未来が作られていくことを指摘しています。
※ホルクス氏のコラムの日本語訳: https://blog.arch-joint-vision.com/?p=679

これから数ヶ月、私たちの世界に大きな変化が起こることが予想されます。これまでの世界でもあったように、苦しく悲しく悔しい事も、混乱や混沌(カオス)も起こるでしょう。しかし同時に、愛情や希望や安堵感を持てることも。一人一人の心の変化が、より住みよい持続可能な社会に向けた大きな変化を生み出すポテンシャルが、今回の危機にはあると私は感じています。ミクロ物理の世界には「量子跳躍」という現象がありますが、自然は、決定的な瞬間には、ステップではなく「ジャンプ(=跳躍)」します。人間の歴史も今、「跳躍」すべき瞬間に近づいている予感がします。

コロナの後の世界

作者:Mattias Horx 未来研究家 www.horx.com  www.zukunftsinstitut.de

2020年3月16日  ドイツ語原文 ”Die Welt nach Corona” https://www.diezukunftnachcorona.com/die-welt-nach-corona/

日本語訳:池田憲昭

コロナの遡り予測:危機が終わったとき、私たちは、過去を振り返って何に驚いているでしょうか。

「コロナがいつ終わり、いつになったら全てがまた元どおりに戻るか」という質問が現在私のところに頻繁に投げかけられます。それに対する私の答えは「決して元には戻らない」です。未来が方向を変える歴史的な瞬間があります。私たちはそれらを分岐と呼びます。または深い危機。今がまさにその時です。

私たちが知っている世界は解消しようとしています。しかし、その背後には新しい世界が形成されようとしています。どのような世界が形成されようとしているのかは、少なくとも、かすかに感じ取ることができます。そのために、企業のビジョン策定プロセスでいい経験を積んだ私たち(弊社)のエクササイズを提供したいと思います。RE-Gnosis(遡り認識)と呼びます。私たちはこの手法では、PRO- Gnosis(先を認識=予測)のように、現在の立ち位置から「将来を見る」ことはしません。そうではなく、未来から今日に遡りするのです。クレイジーに聞こえますか? 試してみましょう:

Re-Gnosis(遡り認識): 2020年秋の私たちの世界 

今年の秋の状況を想像してみましょう。2020年9月としましょう。大都市のストリートカフェに座っています。暖かい日で、人々は再び路上で動いています。

人々は異なる動きをしているでしょうか? すべては以前と同じですしょうか? ワイン、カクテル、コーヒーの味は以前と同じでしょうか? コロナの前と同じでしょうか?それとも、以前より美味しい?

振り返ってみると、私たちは何に驚くでしょうか?

私たちがやらなければならなかった社会生活上の制限(断念)が、めったに孤立につながらなかったことに驚くでしょう。それどころか、最初の衝撃のショック後、あらゆるチャンネルを使ったたくさんの奔走、会話、およびコミュニケーションが突然停止したことに、多くの人々が安堵感を持ちました。断念は必ずしも損失を意味するわけではありません。新しい可能性が開かれることもあります。それは、多くの人が過去にすでに体験していることです。例えば、間隔を開けた断食をし、突然食べ物を美味しいと感じた、とか。逆説的ですが、ウイルスが私たちに強制した物理的な距離は、新しい親近性をもたらしました。普通であれば会うことのなかった人々に出会った。古くからの友人と頻繁に連絡を取り、緩くなっていた関係を再び強化できた。家族、隣人、友人は、より親密になり、埋もれていた紛争を解決したケースも。

社会的な礼儀。以前その喪失が顕著でしたが、それが再び増加しましました。

現在、2020年秋、プロサッカーの試合会場。春にあったような観客の憤激と乱暴な雰囲気とはまったく異なります。なぜそうなのか、私たちは不思議に思います

私たちは、デジタル文化的手法が、現場でどれだけ速く普及し実証されたかに驚くでしょう。ほとんどの働き手が、「ビジネスフライトのほうがいい」と常に抵抗していた電話会議とビデオ会議は、非常に実用的で生産的であることが判明しました。教師はインターネット教育について多くのことを学びました。ホームオフィスは多くの人にとって当然のことになりました。即席のアドリブや軽業師のような時間のやり繰りも含めて。

同時に、明らかに時代遅れの文化的手法がルネッサンスを経験しました。電話をかけると、留守番電話の声でなく、実際の人が出るようになりました。このウイルスは、セカンドスクリーンなしで長電話をするという新しい文化を生み出しました。また「メッセージ」自体が、新しい意味をもつようになりました。人々が真のコミュニケーションをするようになりました。誰も急かされたりしません。誰も足を引きとめたりもしません。これにより、アクセシビリティ(連絡の取りやすさ)の新しい文化が生まれました。確実性。

忙しすぎて静かに落ち着くことができなかった人たち、そして若者も、突然、長い散歩に出かけるようになりました(「散歩」という言葉が、以前はほとんど外国語であった人たちが)。本を読むことが急に流行文化になりました。

テレビのリアリティショーが急に恥ずかしいものに写ってきました。くだらない物、すべてのチャンネルで流れる無限の魂のゴミ。いいえ、それらは完全には消えませんでした。しかし、それらは、急速に価値を失っていきました。

誰か、政治的正当性の論争を覚えているだろうか?

無数にある文化闘争…それらは何について争っていたのだろう?

クライシス(危機)は、古いものを解消して、不要にすることで、その主要な効果を発揮します。

シニシズム(冷笑主義)。価値の切り下げによって世界を遠ざけるさりげないこの手法は、突如、大幅なアウトになりました。

メディアの誇張 – 不安 – ヒステリーは、最初の噴火時にはありましたが、そのあとは限度を越えない範囲で抑えられるようになりました。

さらに、残酷な犯罪物シリーズの無限の洪水は、その転換点に達しました。

夏には、生存率を高める薬が見つかったことに驚くでしょう。これにより死亡率が低下し、コロナは、インフルエンザや他の多くの病気と同様に対処するウイルスになりました。医学の進歩が私たちを助けました。しかし、決定的な要因は技術ではなく、社会的行動の変化であることがわかりました。決定的な要因は、急激で大幅な行動の制限にもかかわらず、人々が連帯し、建設的なままでいることでした。ヒューマン-ソーシャル-インテリジェンス(人間の社会的知性)が私たちを助けました。すべてを解決できると賞賛されている人工知能は、コロナに限っては、限定的な効果しかもたらしませんでした。

これにより、テクノロジーと文化の関係が変わりました。危機以前は、テクノロジーは万能薬であり、すべてのユートピアの担い手でした。今日では、誰もデジタルによる大きな救済を信じていません。信じているのは、ほんのわずかなハードボイルドだけです。テクノロジーの大賞賛は終わりました。私たちは再び人間的な問いに注意を向けています:人間とは何か? 私たちはお互いにどうあるべきか?

私たちは、過去を振り返り、ウイルスの日々のなかで、実際にどれだけのユーモアと人間性が出現したかに驚いています

私たちは、経済が「崩壊」することなく、どれだけ縮小できたかに驚くでしょう。以前は、わずかな増税や政府の介入で経済崩壊が起きると断言されていたのに。多くの企業が倒産、縮小、または完全に異なる何かに変化し、「ブラック4月」、深刻な経済不況、50%の株式市場の低迷がありましたが、ゼロになることは決してありませんでした。経済が、うとうとしたり、眠ったり、夢を見ることさえできる呼吸する生き物であるかのように。

秋の今日、再び世界経済が稼働しています。グローバルなジャストインタイム生産は生き残っています。以前と同様に、何百万もの個々の部品が地球全体で運ばれる複雑に枝分かれした巨大なバリューチェーンを備えた形で。現在、解体され再構成中です。生産およびサービス施設のいたるところで、中間保管施設、貯蔵庫、およびリザーブ(備蓄)が増えています。地場の生産は活況を呈していて、ネットワークはローカル化され、手工業がルネッサンスを迎えています。グローバルシステムは「グローカリゼーション」に向かって流れています。グローバルのローカリゼーションです。

株式市場の暴落による資産の損失も、当初に感じたほど痛くないことに驚くでしょう。新しい世界では、資産が決定的な役割を果たさなくなりました。良い隣人や、花が咲き乱れる菜園がより重要になりました。

ウイルスが、私たちの生活を、私たちがどっちみち変更しようと思っていた方向に変えてくれた、とも考えられます。

RE-Gnosis (遡り認識): 未来への飛躍を通じて現在を克服する

では、何故にこの「先からのシナリオ」が、従来の「予測」とはまったく異質に作用するのでしょうか? これは私たちの未来感覚の特性に関連しています。私たちが「未来」を見るとき、私たちは大抵、乗り越えられない障壁に積み重なってやって来る危険と問題だけを見ています。私たちを轢き飛ばす勢いでトンネルから出てくる機関車のように。この恐怖のバリアが私たちを未来から切り離します。ですから、怖い未来が、常に最も描きやすいのです。

一方、Re-Gnosis(遡り認識)では、自分自身、自分の内なる変化を将来の計算に含めた認識のリボンが形成されます。私たちは、自身内部で未来とつながり、それによって、今日と明日の間に橋が架けられます。そのようにして「フューチャーマインド(未来の心)」が生まれます。未来意識です。

正しく実行すると、フューチャー・インテリジェンス(未来知性)のようなものが生成されます。私たちは、外部の「出来事」だけでなく、変化した世界に反応する内部の適応も予見することができます。

それは、断定的な性質のなかに常に死物性や非創造性を持ったPrognosis(予測)とはまったく異なった感じを受けます。私たちは、恐怖のこわばりを抜け出し、生き生きとしたものに再び戻るのです。真の未来に必ず付随する生命の活力に。

私たちは皆、恐怖をうまく克服した気持ちを知っています。治療のために歯科医に行くとき、私たちはそのずっと前から怖がっています。歯科医の椅子に座った途端にコントロールを失い、痛む前に痛いと感じます。私たちは、この気持ちの予見のなかで、私たちを完全に圧倒する恐怖の渦のなかに入り込んでいきます。しかし、治療を終えると、克服感がやってきます。世界は再び若くて新鮮に見え、私たちは突然行動への熱意に満たされます。

この「克服」とは、神経生物学的には、恐怖のアドレナリンが、ドーパミンに置き換えられることです。このドーパミンは、体内にある一種の未来薬物です。アドレナリンが私たちに逃げるか戦うかの指揮を取っている間(歯医者の椅子でもコロナとの戦いでも、これは実際には生産的ではありません)、ドーパミンは私たちの脳シナプスを開きます: これからやって来るものにワクワクします。好奇心をもって、前向きに。ドーパミンの量が健全なレベルに達したら、私たちは計画を作り上げ、前向きな行動に導くビジョンを持つことができます。

驚くべきことに、多くの人がコロナ危機でまさにこれを経験しています。 激しいコントロールの喪失から、突然、ポジティブなものへの興奮に変わります。 困惑と恐怖の期間の後、内面のパワーが生じてきます。 世界は「終わり」ますが、私たちがまだそこにいるという経験の中で、一種の新しい存在が個々の内部に発生します。

文明閉鎖の真っ只中、私たちは森や公園を通り抜けたり、空っぽの広場を横切ったりします。しかし、これは黙示録ではなく、新たな始まりです。

変遷は、期待や認識、世界のつながりが変化したモデルとして始まります。その際、私たちの従来の未来感覚を呼び起こす慣れ親しんだ熟練動作の崩壊もあるでしょう。全てが全く違ったものになる、以前よりより良いものにもなるかもしれないという想像と確信。

トランプ氏が11月に落選することに驚くかもしれません。悪意のある、分断的な政治はコロナの世界に適合しないため、AFD(ドイツの右派ポピュリズム政党)は、深刻なほつれ現象を示しています。人々を扇動し対立を生みだす人間は、未来に関する本当の問いにまったく貢献できない、ということが、コロナ危機により明らかになりました。深刻な状況になると、ポピュリズムの中に潜む破壊性が明瞭になります。

社会的責任の形成としての本来の意味での政治は、この危機に、新しい信頼性、新しい正当性を獲得しました。「権威主義的」に行動しなければならなかったからこそ、政治は公共への信頼を生み出しました。科学もまた、この厳しい試練のなかで、驚くべきルネッサンスを経験しました。ウイルス学者と疫学者はメディアのスターになりました。以前は二極化論争の傍らにいた「未来派」の哲学者、社会学者、心理学者、人類学者も、その声と重みを取り戻しました。

フェイクニュースは急速に市場価値を失いました。陰謀論も、酸っぱいビールのように提供されたにもかかわらず、いつまでも店の棚に売れ残っている商品のようになりました。

進化の加速器としてのウイルス

深刻な危機は、もう1つの基本的な変化の原則を示しています。トレンドとカウンタートレンドの統合です。

コロナの後の新しい世界(というより、「コロナと共にある新しい世界」と言ったほうがいいかもしれません)は、コネクティビティ(接続性)のメガトレンドの混乱から生まれます。政治的にも経済的にも、この現象は「グローバリゼーション」とも呼ばれています。国境の閉鎖、分離、隔壁、検疫隔離は、様々な接続の廃止には繋がりません。私たちの世界を繋ぎ、未来へ運ぶコネクトーム(接続複合体)を再編成するのです。社会経済システムの位相跳躍が起こります。

来たる世界は「距離」を再び高く評価します。それによって、連帯がより質的に形成されます。自律性と依存性、開放と閉鎖のバランスが新しく調整されます。これは世界をより複合的にしますが、より安定させることにもなります。この改変は、広範囲に渡る盲目的な進化のプロセスです。1つ失敗すると、新しい実行可能なものが優勢になります。これにより、最初は動揺がありますが、そのうち内的な意義が見えてきます。パラドックス(逆説的なもの)が新しいレベルで結びつくことで未来持続性が生まれます。

この複合化のプロセス(複雑化と混同しないでください)は、人々が意識的に設計することもできます。来たる複合性の言語を話すことができる人々は、明日のリーダーになるでしょう。希望の星。今後のグレタ。

「コロナを通じて、私たちは生命に対する私たちの全態度を適応させます。他の生命体の真っ只中に生き物として存在するという意味で」

3月中旬のコロナ危機最中のスラボ・ジゼク(スロベニアの哲学者)の言葉です。

すべての深刻な危機は、ストーリーを遺します。遠い未来を指す物語です。コロナウイルスが遺した最も強力なビジョンの1つは、バルコニーで音楽をやるイタリア人です。2番目のビジョンは、人工衛星の画像に写しだされています。中国とイタリアの工業地帯が、突然スモッグのない状態になった映像です。2020年には、人間のCO2排出量が初めて減少します。その事実は私たちに何かをします。

ウイルスがそれを実行できるのであれば、私たちも同じことを実行できるのでは?もしかしたらウイルスは、未来からやってきた単なるメッセンジャーかもしれません。彼の抜本的なメッセージは次の通りです:「人間の文明は、密度が高すぎ、速すぎ、過熱しすぎている。未来のない特定の方向に暴走している」

でも、それを新しく改変することはできます。
システムリセット。
クールダウン!
バルコニーで音楽!
そうやって未来が成り立ちます。


木々が人間に伝える大切なメッセージ

森は多種多様な生き物が複合的に有機的に絡み合って存続しているエコシステムです。人間も森からたくさんの恩恵を受けています。森の主役は「木」です。質量においても、機能においても。最新の研究(Weizmann Institut of Science in Israel, 2018年)によると、地球上の生物の炭素質量で圧倒的に多いのは植物で、約80%を占めています。その植物質量の大半(約8割)は木です。2位はバクテリアで約13%、3位は菌類で2%。人間も含む動物は0.4 %しかありません。人間だけ取ると0.01%です。木は約3  億年前から地球上に存在しています。それに対して人間(ホモサピエンス)の歴史はたった15万年です。生物質量でも、存続の歴史でも、取るに足らない人間ですが、地球上の生物や環境に多大な影響を与えてきました。とりわけここ100年あまりのインパクトは凄まじいものがあります。そして現在、その活動により自らの存続の危機をもたらしています。

質量の上でも、存続年数でも、人間に遥かに勝る「木」。その木が主役である森という複合的なエコシステムには「賢く」「サステイナブル」な生存コンセプトがあります。だからこそ、地球上でたくさんの面積を有し、長く存続しているのだと推測されます。自然に敬意を払って自然と共に生活していた(している)人間は、森の賢さや持続可能性の断片を経験的に感じていましたが、ここ10年あまりの革新的な植物学の研究により、そのメカニズムが明らかになってきています。木も含む植物は、同種や他の植物種、そして菌類やバクテリア、動物と密なコミュニケーションをしています。学習能力、問題解決能力を持っています。ここに書くのは、森の主役である木の「生きるコンセプト」です。メルヘンではありません。科学的に証明されていることです。

同じ目線のパートナーシップ

木は根から土壌中の養分を吸収していますが、単独ではそれができません。根の先端部分に棲みつく菌類(菌根菌)の助けを借りています。菌根菌は周りのバクテリアに手伝ってもらい、土壌中の栄養分を、木の根が吸収しやすい形に調理して渡します。木はしかし、季節に応じて必要な栄養分が変わります。成長期の春に必要な料理と、休眠期の冬に必要な料理の種類と量は異なります。菌根菌は、木が出す多様な化学物質(分子)のシグナルに反応して、料理のレシピとボリュームを変えているのです。また木の緊急事態にも菌根菌は迅速に対応します。例えば、キクイムシが木に侵入し食べ始めると、木は防御物質である樹脂(ヤニ)をたくさん生産して自己防衛します。菌は木から送られてきた救急シグナルに迅速に反応し、キクイムシ防御のための樹脂生成用の特別レシピで調理し木に提供します。

その他、病原菌や虫の被害にあったときも同様です。木は症状や事態に合わせて個別のシグナルを菌根菌に送り、菌根菌はそれを正確に受けとり、ドンピシャの対応をします。これらキメ細かで迅速な菌根菌の助けに対して、木は菌根菌やバクテリアに十分なお礼をしています。何でお礼をするかというと、「糖分」と「落ち葉」です。木は、光合成で生成する糖分の約3分の1を菌根菌に提供します。木も菌&バクテリアも、お互いの助けがないと生きていきません。ここで起こっていることは、どちらか一方が他方を搾取するのではない、同じ目線のパートナーシップです。 

次世代や弱者へのの配慮

木は、自分の子孫への配慮も行なっています。まだ小さく弱く、日陰に生息していて、自分の力だけでは自活できない稚樹に対して、母樹は、自分のパートナーの菌根菌にシグナルを送り、子供へ養分の分配をしています。調理人であり給仕である菌根菌に対して「自分の食事はこれで十分、残りは、まだ十分に貴方とコミュニケーションできない、光合成する力も弱い子供たちに分け与えて欲しい」というお願いをして。また、病気で弱っている、枯れかけている仲間の木に対しても同様の配慮をしていることも観察されています。

光と土壌に対する過酷で冷酷な競争が、同種間や異種間で存在するのも事実ですが、一方でこのような次世代や弱者へのいたわりと配慮も同時に行われています。

連帯して問題解決

木は仲間と連帯し、危機的な状況を回避したり、脱っすることもします。例えば、キクイムシに食われた木は、「今自分がやられた。仲間よ、お前たちも素早く自己防衛対策したほうがいい」と周りの木々に対して空気を媒介にフェロモンの信号を送ります。それを受け取った木々は、自分の根に棲みつく菌根菌に、特別料理を注文し用意させて食し、猛スピードで樹脂生産し、それを樹皮部分に集め防御体制を整えます。木が生成するフェロモンには様々な種類、すなわち様々な言葉があります。仲間だけでなく、昆虫や鳥などにも明確な信号が送られます。益虫または益鳥として、自分を蝕む菌やムシを退治して欲しい時に。

また夏の日照りで乾燥が続いたときは「節水が必要だ!」と、森の木々みんなで信号を出し合い、連帯して光合成の生産量を減らし、水不足に対応します。またそのような問題が数年続いたときは、葉っぱを小さくする、という戦略の変更までして将来に備えます。これは生物学的に言うと、親から受け継いだ遺伝子コードに自ら修正を加える、という偉業です。これまで特別なノウハウと機械設備を備えた遺伝子学者・技術者にしかできないと思われていたことです。植物は、普通の人間には到底できないことを、生き残るために必要とあれば、一個体の一生の中でやってのけるのです。

人間が木や森から学ぶべきこと

人間の約2000倍も長く地球上に存続し、人間の約7000倍の質量を有する木々、その木が主役の森という生命複合体に対して、人間は、多大な畏敬の念をもって、木や森が発する言葉に耳を傾けるべきです。そこには、人間が、他の生物と一緒に地球上で生き延びるための大切なメッセージがあると私は感じています:

  • 明快で迅速でオープンなコミュニケーションを! 意地や誇り、羞恥心やエゴは捨てて、みんなのために情報の提供を!
  • 与えてもらったら、その分しっかり返してお礼する。同じ目線の敬意あるパートナーシップを!
  • 次世代や弱者にしっかり配慮しよう!
  • 問題や危機は、みんなで連帯して解決! 個人プレイは禁物!
  • 先代の経験や歴史、自らの経験から学び、適切な決断と行動を! 必要あらば、生きる戦略の変更もし、未来に備えよう!

記事に関係する代表的な学術論文:

Yinon M. Bar-Ona, Rob Phillipsb,c, and Ron Miloa (2018): The biomass distribution on Earth. PNAS Vol.115, No.25

František Baluška, Stefano Mancuso, Dieter Volkmann1& Peter Barlow (2004): Root apices as plant command centres: the unique ‘brain-like’ status of the root apex transition zone. Biologia, Bratislava, 59/Suppl. 13

Florian Walder, Helge Niemann, Mathimaran Natarajan, Moritz F. Lehmann, Thomas Boller, and Andres Wiemken (2012): Mycorrhizal Networks: Common Goods of Plants Shared under Unequal Terms of Trade. Plant Physiology, 2012 June, Vol. 159

A. Ekblad, Et. al. (2013): The production and turnover of extramatrical mycelium of ectomycorrhizal fungi in forest soils: role in carbon cycling. Plant Soil (2013) 366:1–27

Louise M. Egerton-Warburton, Jose ́ Ignacio Querejeta, Michael F. Allen (2007): Common mycorrhizal networks provide a potential pathway for the transfer of hydraulically lifted water between plants. Journal of Experimental Botany, Vol. 58, No. 6

Rodica Pena, Andrea Polle (2014): Attributing functions to ectomycorrhizal fungal identities in assemblages for nitrogen acquisition under stress. The ISME Journal (2014) 8

František Baluška, Stefano Mancuso, Dieter Volkmann, Peter Barlow (2009): The ‘root-brain’ hypothesis of Charles and Francis Darwin – Revival after more than 125 years. Plant Signaling & Behavior 4:12

Ziege(ヤギ)- To – Go

中級山岳地域のシュヴァルツヴァルト(黒い森)で、ヤギが、価格安に悩む乳牛農家のオルタナティブとして、急斜面の牧草地の「景観管理人」として、最近増加していることを本連載004「ヤギのルネッサンス」で書いた。
 今回は、そのヤギをレクレーションに活用した新しいサービス業を展開している農家を紹介したい。。

ヤギを使ってソフトな癒しツーリズム

斜面の牧草を刈るのに、ヤギを使った。
斜面の牧草を刈るのに、ヤギを使った。

 シュヴァルツヴァルト中南部のグートアッハ村シーゲラウ地区の山間部の兼業農家クルツ家は、2年前から地域の家族や子供たち、観光客や都会人に、ヤギ同伴のハイキングを提供している。彼らがつけた事業名は「Ziegen (ヤギ)-To-Go」。最近流行りのテイクアウトコーヒーの呼名をもじったもので、日本語に訳せば、「ヤギお持ち帰り」。
 この事業を実施しているクルツ家は、建設不動産業を営む家族で、10年前から現在の場所に住んでいる。古びた建物を、住みながら改修して行き、周りの牧草地も手入れしていった。ヤギを飼うきっかけは、斜面用草刈り機械も入って行けない一部の急な斜面の牧草を刈るのに、近所の農家からヤギを数匹借りたことだった。一匹のヤギがなぜかクルツ婦人に懐いてきて離れようとせず、それで「ヤギにしよう」と思ったそうだ。
 ドイツのヤギ飼育は大半がミルク生産用、他の国では肉生産用として飼っているケースもある。しかし、生物学の教師の資格も持つクルツ婦人は、そのどちらでもなく、人々の「癒し」と「レジャー」に使うことを思いついた。モダンに改修した大きな家の1フロアーを、5人用の休暇アパートメントとして観光客に提供する農家民宿業も始めていた。ヤギと観光業を結びつけて、ヤギと一緒にハイキングする「ソフトな癒しツーリズム」を展開することにした。

穏やかで気品ある品種「アングロ・ヌビアン」

 普通に飼われているヤギ、特にオスヤギは、発情期に臭い匂いを放ち、気性も荒くなる。
 「田舎を求めてくる都会の観光客だけど、臭いもの、汚れるものを嫌がる人が多い」
 とクルツ婦人は言う。
 一緒に歩く子供や観光客の安全も確保しなければならない。この事業に向いているヤギの品種を数年探し歩いた結果、現在6匹飼っているアングロ・ヌビアンという品種に行きついた。普通のヤギの2倍くらいの背丈があり、気品があり、耳が垂れていて愛らしく、穏やかな気性で、匂いもほとんどない。観光レクレーションと急斜面の牧草地の管理だけに使うため、オスは去勢し、角も切ってある。
 一方でこの品種は、ミルクの質がよく、乳量も多く、大きく肉付きもいい乳肉兼用種で、いいオスの種ヤギは、1匹およそ3000ユーロ(約37万円)と高価に市場で取引されている。ただし、繊細で手間がかかり、集団で飼うことが難しいため、ヨーロッパではそれほど普及していない。

大型で気品があり、耳が垂れて愛らしい、アングロ・ヌビアン種
大型で気品があり、耳が垂れて愛らしい、アングロ・ヌビアン種

問い合わせが絶えない人気のニッチなサービス業

しばらく道沿いの草を食べた後、別の場所へと誘導する。
しばらく道沿いの草を食べた後、別の場所へと誘導する。

 先日、私のところにドイツ現地セミナーで来ていた京都にある龍谷大学農学部の先生と学生のグループ12名で、クルツ家を訪問し、「ヤギとハイキング」を体験してみた。クルツ婦人と息子さんの先導のもと、6匹のヤギと一緒に、森の中の林道や小道、景色のいい牧草地を約8km、約2時間ほどハイキングした。散歩の途中で、林道端に生えているブナや楓やハシバミの灌木にヤギを誘導して食べさせた。林道脇の木は、車両通行のために、いずれ定期的に機械で剪定されるものだ。牧草地では、草地に落ちたリンゴも美味しそうに食べていた。ヤギは放っておくと、そこにあるものを食べ尽くしてしまう。だから、ちょっと食べたらクルツさんと息子さんが、「こっちへ来なさい! 次に行くよ」と絶えず誘導し、ヤギたちもよく言う事を聞いて従っていた。穏やかな品種であることだけでなく、少数でストレスの少ない環境でのびのび生活しているからだとも私は感じた。学生も2人の先生も、初めての特別な体験で、美しい景色のなかでヤギと戯れた。
 2年前からクルツ家が行なっているこの新しい事業、有名な雑誌やテレビ局、新聞社の取材を何度も受け、広く知れ渡るようになった。豊かな自然と美しい景観の中での適度な運動に、動物とのふれあいを組み合わせた農家のニッチなサービス業。今では問い合わせが絶えないそうだ。
 料金は、16歳以上の大人は一人22ユーロ(2700円)、15歳以下の子供は18ユーロ。子供の誕生会のために親が予約したり、都会からの観光客、噂を聞きつけて、遠くカリフォルニアからハリウッドの有名プロデューサーが来たこともあったそうだ。
 「これほど人気がでるとは思っても見なかった」とクルツ婦人。生物学の専門家でもある彼女は、お客さんの需要や興味に応じて、ハイキング中に自然景観ガイドも行う。でも都会に住み過度のストレスでバーンアウト気味のお客さんなど、ただただ、純粋に動物と自然と触れ合う静かな癒しの時間を求めてくる人もいるそうだ。そういうときは、彼女は何も喋らないで静かに同伴するとのこと。

EICネット「エコナビ」連載コラムより

古建築から学ぶこと

先日スイスアルプスの麓のBrienz市で、スイス各地の古建築を移築し集めた野外博物館Ballenbergを見学しました。66ヘクタールのなだらかな森林丘陵地に100件以上の建物が立ち並び、その周りには昔の菜園と畑と牧草地が再現。全部隈なく見るには2日はかかるその数と規模にとても驚きました。大変オススメです。

私は古建築や古い家具、骨董品のノスタルジックな雰囲気が好きですが、古いものの魅力と価値は、その趣だけではありません。数百年以上存続している建物には、その土地の気候条件を踏まえ、土、石、木、植物繊維という自然のマテリアルを適材適所に賢く機能的に用いた先人の知恵と経験が溢れています。住まいの「永遠の課題」である寒さや暑さ、湿気に対しては、昔の人は、自然素材の「蓄熱」と「調湿」という性質をメインに、ソリューションを生み出しています。

世界各国で建物の省エネ基準が推奨もしくは義務化されて以来、「断熱」と「防湿」に偏重した設計と建設が行われています。 私は省エネ建築を約15年来ドイツから日本に紹介し推進してきましたが、断熱材で熱を断ち、シートで湿気を封じ、密閉し、そしてそうしたために、機械換気を取り付けて24時間回さなければならなくなっていることに、「これでいいのか」と疑問を持っていました。「自分は住みたいか」と自問したときの正直な答えはいつもノーでした。

 「森林学」では、自然を生かし、自然と「共に」森づくりをやっていくことが、経済的にも環境、社会の面でも持続可能で賢いということを学んだ私としては、「断じ」て「密閉」して防ぎ、「技術的措置」で補う、という現代建築の「対抗」型のソリューションには馴染めませんでした。

ここ数年、「対抗」型だけでなく、「共に」の原則でもソリューションがあるはずだと、建築物理の基礎を自分で学び、時代の潮流や一般常識に惑わされないで本質的な仕事をしている建築業者に出会い、いろいろな事例を見学しました。その答えが自然のマテリアルの「蓄熱」と「調湿」をメインコンセプトにした省エネ建築です。昔の人たちが何百年もやってきて実証されていることです。

今回訪問したBallenbergの古建築野外博物館 では次のような発見がありました。
冬が厳しい山岳地域の建物には「木」がメインで使用されています。熱をゆっくり吸収して、ゆっくり放出する木の性質が生かされています。そしてファサードや室内壁は「黒」く、熱を吸収しやすくなっています。夏暑い平野部の建築は「土」や「石」がメインで、熱を素早く吸収し、素早く放出するミネラル素材の性質で暑さ対策をしています。こちらのファサードの色は光エネルギーを反射する白が基調。どの建物もしっかり屋根の張り出しがあり、雨風雪、夏の日射から建物を守っています。

長持ちしている建築物には、世界中で上述したような共通の原則があります。そして、「ゴミ」になるマテリアル、有害なマテリアルがほとんど使用されていません。ほぼ全て再利用またリサイクル可能!

岩手中小企業家同友会の会報「DOYU IWATE」 2019年8月号に掲載

 「木」    作者:ヘルマン・ヘッセ

木は、私にとっていつもこの上なく心に迫る説教者だった。
木が民族や家族をなし、森や林をなして生えているとき、私は木を尊敬する。

木が孤立して生えているとき、私はさらに尊敬する。
そのような木は孤独な人間に似ている。何かの弱味のためにひそかに逃げ出した世捨て人にではなく、ベートーヴェンやニーチェのような、偉大な、孤独な人間に似ている。

その梢には世界がざわめき、その根は無限の中に安らっている。しかし木は無限の中に紛れこんでしまうのではなく、その命の全力をもってただひとつのことだけを成就しようとしている。

それは独自の法則、彼らの中に宿っている法則を実現すること、彼ら本来の姿を完成すること、自分みずからを表現することだ。
 
一本の美しく頑丈な木ほど神聖で、模範的なものはない。

一本の木が鋸で切り倒され、その痛々しい傷を太陽にさらすとき、その墓標である切り株の明るい色の円盤にその木のすべての歴史を読みとることができる。

その年輪と癒着した傷痕に、すべての闘争、すべての苦難、すべての病歴、すべての幸福と反映が忠実にかき込まれている。酷寒の年、豊潤な年、克服された腐蝕、耐え抜いた嵐などが。

そして農家の少年ならだれでも、最も堅く、気品のある木が最も緻密な年輪をもつことを、高い山のたえまない危険の中でこそ、この上なく丈夫で、強く、模範的な幹が育つことを知っている。

木は神聖なものだ。
木と話をし、木に傾聴することのできる人は、真理を体得する。

木は、教訓や処世術を説くのではない。
細かいことにはこだわらず、生きることの根本法則を説く。
 
ある木が語る。
「私の中には、ひとつの核、ひとつの閃光、ひとつの思想が隠されている。私は永遠の生命の一部だ。永遠の母が私を相手に行った試みと成果は二つとないものだ。私の形姿と私の木目模様は二つとないものだ。私の梢の葉のこの上もなくかすかなたわむれや、私の樹皮のごく小さな傷痕も唯一無二のものだ。私の使命は、この明確な一回かぎりのものの中に永遠なものを形づくり、示すことだ」
 
ある木は語る。
「私の力は信頼だ。私は自分の父祖のことは何も知らない。私は年毎に私から生まれる幾千もの子どもたちのことも何も知らない。私は自分の種子の秘密を最後まで生きぬく。それ以外のことは何も私の関心事ではない。私は神が私の中に存在することを信じる。私は自分の使命が神聖なものであることを信じる。この信頼に基づいて私は生きている」

私たちが悲しみ、もう生きるに耐えられないとき、一本の木は私たちにこう言うかもしれない。

「落ち着きなさい! 落ち着きなさい!私を見てごらん!生きることは容易でないとか、生きることは難しくないとか、それは子どもの考えだ。おまえの中の神に語らせなさい。そうすればそんな考えは沈黙する。
おまえが不安になるのは、おまえの行く道が母や故郷からおまえを連れ去ると思うからだ。しかし一歩一歩が、一日一日がおまえを新たに母の方へと導いている。故郷はそこや、あそこにあるものではない。故郷はおまえの心の中にある。ほかのどこにもない」
 
夕方の風にざわめく木の声を聞くと、放浪へのあこがれが私の心を強く引きつける。

私たちが静かに長いこと耳を澄ましていると、この放浪へのあこがれも、その核心と意味をあらわす。それは一見そうみえるような、苦しみから逃げだしたいという願望ではない。それは故郷への、母の記憶への、生の新たな形姿へのあこがれだ。それは家へと通じている。どの道も家郷に通じている。
一歩一歩が誕生であり、一歩一歩が死だ。あらゆる墓は母だ。

私たちが自分の子どもじみた考えのために不安を感じる夕べには、木はそのようにざわめき語る。木は、私たちよりも長い一生をもっているように、長い、息の長い、悠々とした考えをもっている。木は私たちよりも賢い。私たちが木の語ることに耳を傾けないうちは。

しかし木に傾聴することを学べば、そのとき、私たちの見解の短さと速さ、子どもじみた性急さが、無類の喜びを獲得する。

木に傾聴することを学んだ者は、もう木になりたいとは思わない。あるがままの自分自身以外のものになろうとは望まない。あるがままの自分自身、それが故郷だ。そこに幸福がある。

心が動いた

「私とカール・マルクスの違い… マルクスは、人類を変えたい。私は、個々の人間を変えたい」 ヘルマン・ヘッセ

ヘッセは、「愛」や「静寂」をテーマに、人間の内面を描く作品を書きました。理性や客観性が重視される社会風潮の中で、感情や主観の重要性をアピールしました。2つの大戦の時代に生き、移住先のスイスやイタリアから明確な反戦の意思も表明しています。1946年にノーベル文学賞を受けました。

人間は、理性と感情の生き物。西欧においては、資本主義と近代科学が始まって以来、感情や主観を排除して、合理的に客観的に考え、物事を進めることが重視されてきました。しかし、近年の脳医学の研究では、人が「良い」決断する際に、感情や直感が重要であることが分かっています。

ヘッセの作品は、戦後、知性や理性を重んじるドイツ国内の文学評論家やインテリ階級からは、「知的レベルが低い」「庶民的」などと批判、倦厭されましたが、世界中の多くの若者や庶民に読まれ、今でも読み続けられています。60年代後半にアメリカ西海岸で始まった「Love & Peace 」運動は、ヘッセに大きな影響を受けています。多くのジャズ音楽家、ヨガやホリスティック医療なども。一人一人の内面から、人間社会に変化が起こりました。

ドイツの近年の再エネの躍進の原動力となったのも、当初「環境気違い」と嘲笑されたドイツの環境パイオニア達の情熱と将来への思いやりと実践です。彼らが人々の心を動かし、政治を社会を変えていきました。

気候変動の危機を肌身で感じる今日、“Friday for future“ という子供達のデモ活動が、理屈や客観的データだけでは動かなかった大人たちの心を動かし、政治と社会を変えようとしています。スウェーデンの14歳の1人の少女が始めた運動は、僅か半年の間に、世界中に広がりを見せています。「子供達が学校を休んでデモをやらなければならない状況を作っている自分たち(大人)は何をやっているんだ。このままじゃいけない、変わらないと」という雰囲気が社会の隅々に広がっています。それは、私の仕事でも日常生活でも肌身で感じられることです。

5月末にあった欧州議会の選挙で、ドイツでは、緑の党が得票率20%(前回から10%アップ)と大躍進をし、第二党になりました。連立政権のCDU(キリスト教民主同盟)とSPD(社会民主党)は、前回から−7%(CDU)、−11%(SPD)と大きく票を失いました。投票率は60%と、前回の42%を大きく上回り、国民の関心の高さが示されました。ベルリン、ミュンヘン、フランクフルト、シュトゥットガルト、ケルン、ボン、デュッセルドルフなどの主要都市においては、緑の党は、30%前後でトップの得票率を得ています。

欧州議会選挙の2週間後の6月6日、ドイツ国営放送ARDが行なったアンケート調査によると、緑の党の支持率は26%と、2位のCDU (25%)を僅差で抜いて、トップに躍り出ました。

岩手中小企業同友会 会報「DOYU IWATE」2019年7月号に掲載

多彩な田舎暮らし

先月、学術調査の仕事で、日本の大学の農学部教授とともに、オーストリアのブレゲンツァーヴァルト地域を訪問しました。

ブレゲンツァーヴァルトは、オーストリア西端のフォアールベルク州のなかにある23の小さな自治体から成り立つ人口約3万人の農村地域です。ドイツとスイスに国境を接するボーデン湖南部のラインの平野に接し、その南にそびえるオーストリアアルプスの谷間に位置し、きれいに管理された牧草地と森林のモザイク景観のなかに、木造建築の家々が分散して点在する美しい景色の場所です。農林業と木材産業、観光業がうまく噛み合い、相互補完的に維持発展している豊かな農村地域でもあります。

私は、自分の専門の森林や木材産業のテーマでは何度も訪れている地域ですが、今回は、酪農がテーマでした。主要な農産物は牛のミルクを使ったチーズです。この地域では、伝統的に、「三段農業」というものが営まれています。季節ごとに牛を飼育する場所を移し替える農業です。冬の間は麓の住まいに隣接する「下段」の牛舎で夏場に収穫保存した干し草を食べさせ、春先と秋口(5 月と10月あたり)は、少し標高の高い「中段」で放牧し、夏場(6〜9月)は、アルプスの高原の「上段」で放牧する、というものです。それぞれの「段」で、牛舎とチーズ工房があり、農家の共同体で自主運営されています。この「三段農業」は、2011年にユネスコの無形文化遺産に登録されています。

一件の農家あたりの牛の数は10頭から20頭、ほとんどが小さな兼業農家です。何件かの農家を訪問しましたが、農業と林業をやりながら、民宿業を営む、そして冬場はスキーのインストラクター、またはホテルやレストランの事務や給仕、地域の木材産業で職人として働く、公務員、地方議員など、複数の仕事を掛け持ちして、伝統的な酪農を維持していました。「大変なときは、近くに住む娘や息子、兄弟姉妹が助けに来る」と家族の支援も欠かせません。多彩な田舎暮らし、地域や家族への愛情や誇り、家族の絆がありました。

「規模が小さい農業が却って元気」という州議会議員の酪農家の指摘もありました。「規模を大きくしたことで、負債も仕事量も増え、経営が大変になっている農家がある」と。専業化、分業化が進められて行ったのは、人間の歴史では、ここ100年あまりのことです。それまでは、特に田舎の暮らしは、多彩な仕事の掛け持ちで成り立っていました。今、その良さが見直されてきています。

多彩な暮らしは、コーディネートやコミュニケーションが大変ですが、その分、喜びが増え、リスクは分散します。

岩手中小企業家同友会会報 「DOYU IWATE」連載コラム 2019年5月より

粘り強く信念を持って

「4年かかりました」

私の仕事のパートナーが、先日久しぶりに2人で会って一緒に夕食をとっているときに、ぽつりぽつりと自分の仕事のことを語ってくれました。彼は、4年前に、自分のやりたいことを実現するために、それまで長年勤めていた森林組合を辞め、林業事業体として独立しました。

「地区の人たちがようやく自分を信頼してくれるようになりました」

彼は、自分が生まれ育ったところで、持続可能な森づくりをすること決意し、独立後、営業活動を開始しました。

小高い丘陵の森林と田んぼが連なる中に伝統的な日本家屋が点在する、日本の田舎の原風景があるところです。私はそこに来るといつも心が温まります。

彼の会社は従業員が3人、しっかり継続して収入を得るために、車で2、3時間の現場に通ったり、1ヶ月以上、遠い場所で泊まり込みの仕事をすることもありました。その合間を縫って、自分の住む地区の人たちに地道に森林の集約化、持続可能な道づくりと適切な管理の提案をしていきました。彼の住む地区には約800ヘクタールの森林がありますが、そのほとんどが小規模な私有林。森林所有者一人当たりの所有規模は1ヘクタール未満が多数、推定600人から700人の所有者さんが存在。簡単なことではありません。

彼は、昨年末、自分の自宅の近くで、30ヘクタール、30人の森林所有者さんの了解を得ることに成功し、今年、道作りと間伐の仕事に取り掛かります。

「4年かかって、やっと自分のやりたかったことが開始できます」

昨年末の集まりで、地区のリーダーの人が、「彼に任せようじゃないか。彼と一緒にやろうよ」とみんなに言ってくれたそうです。彼は目に涙をためて話してくれました。

「それまで、よそよそしい、怪訝な態度で自分に接していた地区の人たちが、やっと普通に接してくれるようになりました」

4年の間、普段の仕事や従業員のことで数々の苦労もし、体を壊すこともあった彼ですが、信念をもってまっすぐに誠実に地区の人たちとコンタクトを取り続け、いまやっと彼は、自分がやりたいことをスタートできます。

「これから5年後には、今の30ヘクタールの請負を、地区の森林の半分、400ヘクタールに広げることが目標です」

岩手中小企業家同友会会報 「DOYU IWATE 」2019年2月号掲載のコラムより

木食い虫が教えてくれること

2018年のドイツを中心とする中央ヨーロッパは、気候温暖化の影響で、記録的な干ばつと熱波に見舞われた。ドイツでは、この年の平均気温は10.5度と観測史上最高を記録し、晩春から秋にかけては雨が極端に少なく、10月になってもドイツの土壌の70%以上が干ばつ状態にあった。

筆者の住むシュバルツヴァルト地域は、森林率が40%から80%で、林業が盛んなところであるが、水不足と日照りで弱った針葉樹のトウヒに木食い虫が大量発生し、大きな被害をもたらした。

木食い虫の被害のメカニズム

木食い虫の種は世界で4000種以上あるが、中央ヨーロッパで森林被害を起こしているのは主にドイツ語でBuchdrucker(プリンター)という種である。大きさは4〜5mm、生きているトウヒの樹皮に穴を掘り、その中に卵を産み、卵から孵った幼虫は、樹皮の内側の師部を流れる養分を糧に成長する。そのため、一気に大量の木食い虫「プリンター」に襲われた木は、養分の内部分配機能が衰え、枯れて死んでしまう。

通常、健康な状態のトウヒは、木食い虫の侵入に対して、樹脂を生産して自己防衛する。しかし、干ばつが続くと、水不足のため樹脂の生産ができなくなり、木食い虫は、弱り無防備になったそのような木に大量発生する。昨年の夏は、木食い虫にとって絶好の繁殖環境であった。シュヴァルツヴァルト地域を含むバーデン・ヴュルテンベルク州では、2018年、トウヒを中心に推定150万立米の木が被害を受けた。年間の針葉樹の伐採量の4分の1程度に相当する量である。

林業家に経済的な損失

木食い虫の被害を受けた木は、周りの立ち木に虫の害が広がるのを防ぐため、伐採され搬出される。木食い虫による原木へのダメージは外側の樹皮の部分だけであるので、内部の木材になる部分は健全なため建築用材などとして販売することができるが、色が変質しているため、製材工場による買取価格は、通常の値段から30〜50%差し引かれたものになる。森林所有者にとっては経済的に大きな損失である。また、被害木が大量に市場にでてしまうと、供給過多で、価格はさらに低くなり、また、市場がある期間内に買取ることができる木材の量には限界があるので、健全な普通の木の伐採を抑えなければならない状況にもなる。被害が大きかったいくつかの地域では、「普通」のトウヒB/C材の伐採を当面抑えるように指示が出されているところもある。被害にあった木を「片付ける」ことが優先、ということで。

被害の主な原因を作ったのは人間

木食い虫の大きな被害は、ドイツでここ20年間、何度か起こっている。1999年末の大風害の後や、2003年の夏の干ばつの後など、今回同様、異常気象がきっかけになっているが、人間が森に対して過去に行ったことも原因になっている。シュヴァルツヴァルトを始め、ドイツの多くの場所で育っているトウヒは、成長がいい、植えやすい、管理しやすいということで、人間が意図的に一斉植林したものである。日本で言えば、スギやヒノキに相当する。シュヴァルツヴァルトでは、トウヒはもともと、標高の高い場所の湿地や寒冷地に数パーセント点在する樹種であったが、過去200年余りの間で人間が植林によって増やし、30〜40%の割合を占めるまでになっている。トウヒは、根を浅く張る樹種で、夏の日照りや乾燥に弱い。よって、暖かい乾燥した南斜面などでは、弱りやすく、木食い虫の餌食になりやすい。これに対して、シュヴァルツヴァルトでもともと主力だったブナとモミの木は、根を深く張り、地中深くから水を吸収できるので、日照りや乾燥に耐性がある。風害や虫の害など過去の度重なる森林被害の経験から、土地にあった樹種を増やしていくこと、種の多様性を創出していくことが、ここ20年あまり進められているが、森の木のサイクルは100年以上、ゆっくりとした転換にならざるを得ない。

多様性はリスク分散

広葉樹をはじめとする多様な樹種構成で、大径の優良木(A材)が育った森を持っている所有者は、経済的なダメージの度合いは少ない。トウヒの建築用材には関係のないニッチな市場に材を供給できるからである。「多様性」は経営のリスクを分散させる。これは、数世代に渡ってそのような森づくりが行われてきたからである。温暖化の進行によりますますリスクが大きくなっている単一樹林では、今の世代が将来の世代のために多様性のある森林への転換を進めていかなければならない。木食い虫は、人間にそれを促している、そのための手助けをしてくれている、とも言える。

EICエコナビ 連載コラム「ドイツ黒い森地方の地域創生と持続可能性」へ