Ziege(ヤギ)- To – Go

中級山岳地域のシュヴァルツヴァルト(黒い森)で、ヤギが、価格安に悩む乳牛農家のオルタナティブとして、急斜面の牧草地の「景観管理人」として、最近増加していることを本連載004「ヤギのルネッサンス」で書いた。
 今回は、そのヤギをレクレーションに活用した新しいサービス業を展開している農家を紹介したい。。

ヤギを使ってソフトな癒しツーリズム

斜面の牧草を刈るのに、ヤギを使った。
斜面の牧草を刈るのに、ヤギを使った。

 シュヴァルツヴァルト中南部のグートアッハ村シーゲラウ地区の山間部の兼業農家クルツ家は、2年前から地域の家族や子供たち、観光客や都会人に、ヤギ同伴のハイキングを提供している。彼らがつけた事業名は「Ziegen (ヤギ)-To-Go」。最近流行りのテイクアウトコーヒーの呼名をもじったもので、日本語に訳せば、「ヤギお持ち帰り」。
 この事業を実施しているクルツ家は、建設不動産業を営む家族で、10年前から現在の場所に住んでいる。古びた建物を、住みながら改修して行き、周りの牧草地も手入れしていった。ヤギを飼うきっかけは、斜面用草刈り機械も入って行けない一部の急な斜面の牧草を刈るのに、近所の農家からヤギを数匹借りたことだった。一匹のヤギがなぜかクルツ婦人に懐いてきて離れようとせず、それで「ヤギにしよう」と思ったそうだ。
 ドイツのヤギ飼育は大半がミルク生産用、他の国では肉生産用として飼っているケースもある。しかし、生物学の教師の資格も持つクルツ婦人は、そのどちらでもなく、人々の「癒し」と「レジャー」に使うことを思いついた。モダンに改修した大きな家の1フロアーを、5人用の休暇アパートメントとして観光客に提供する農家民宿業も始めていた。ヤギと観光業を結びつけて、ヤギと一緒にハイキングする「ソフトな癒しツーリズム」を展開することにした。

穏やかで気品ある品種「アングロ・ヌビアン」

 普通に飼われているヤギ、特にオスヤギは、発情期に臭い匂いを放ち、気性も荒くなる。
 「田舎を求めてくる都会の観光客だけど、臭いもの、汚れるものを嫌がる人が多い」
 とクルツ婦人は言う。
 一緒に歩く子供や観光客の安全も確保しなければならない。この事業に向いているヤギの品種を数年探し歩いた結果、現在6匹飼っているアングロ・ヌビアンという品種に行きついた。普通のヤギの2倍くらいの背丈があり、気品があり、耳が垂れていて愛らしく、穏やかな気性で、匂いもほとんどない。観光レクレーションと急斜面の牧草地の管理だけに使うため、オスは去勢し、角も切ってある。
 一方でこの品種は、ミルクの質がよく、乳量も多く、大きく肉付きもいい乳肉兼用種で、いいオスの種ヤギは、1匹およそ3000ユーロ(約37万円)と高価に市場で取引されている。ただし、繊細で手間がかかり、集団で飼うことが難しいため、ヨーロッパではそれほど普及していない。

大型で気品があり、耳が垂れて愛らしい、アングロ・ヌビアン種
大型で気品があり、耳が垂れて愛らしい、アングロ・ヌビアン種

問い合わせが絶えない人気のニッチなサービス業

しばらく道沿いの草を食べた後、別の場所へと誘導する。
しばらく道沿いの草を食べた後、別の場所へと誘導する。

 先日、私のところにドイツ現地セミナーで来ていた京都にある龍谷大学農学部の先生と学生のグループ12名で、クルツ家を訪問し、「ヤギとハイキング」を体験してみた。クルツ婦人と息子さんの先導のもと、6匹のヤギと一緒に、森の中の林道や小道、景色のいい牧草地を約8km、約2時間ほどハイキングした。散歩の途中で、林道端に生えているブナや楓やハシバミの灌木にヤギを誘導して食べさせた。林道脇の木は、車両通行のために、いずれ定期的に機械で剪定されるものだ。牧草地では、草地に落ちたリンゴも美味しそうに食べていた。ヤギは放っておくと、そこにあるものを食べ尽くしてしまう。だから、ちょっと食べたらクルツさんと息子さんが、「こっちへ来なさい! 次に行くよ」と絶えず誘導し、ヤギたちもよく言う事を聞いて従っていた。穏やかな品種であることだけでなく、少数でストレスの少ない環境でのびのび生活しているからだとも私は感じた。学生も2人の先生も、初めての特別な体験で、美しい景色のなかでヤギと戯れた。
 2年前からクルツ家が行なっているこの新しい事業、有名な雑誌やテレビ局、新聞社の取材を何度も受け、広く知れ渡るようになった。豊かな自然と美しい景観の中での適度な運動に、動物とのふれあいを組み合わせた農家のニッチなサービス業。今では問い合わせが絶えないそうだ。
 料金は、16歳以上の大人は一人22ユーロ(2700円)、15歳以下の子供は18ユーロ。子供の誕生会のために親が予約したり、都会からの観光客、噂を聞きつけて、遠くカリフォルニアからハリウッドの有名プロデューサーが来たこともあったそうだ。
 「これほど人気がでるとは思っても見なかった」とクルツ婦人。生物学の専門家でもある彼女は、お客さんの需要や興味に応じて、ハイキング中に自然景観ガイドも行う。でも都会に住み過度のストレスでバーンアウト気味のお客さんなど、ただただ、純粋に動物と自然と触れ合う静かな癒しの時間を求めてくる人もいるそうだ。そういうときは、彼女は何も喋らないで静かに同伴するとのこと。

EICネット「エコナビ」連載コラムより

古建築から学ぶこと

先日スイスアルプスの麓のBrienz市で、スイス各地の古建築を移築し集めた野外博物館Ballenbergを見学しました。66ヘクタールのなだらかな森林丘陵地に100件以上の建物が立ち並び、その周りには昔の菜園と畑と牧草地が再現。全部隈なく見るには2日はかかるその数と規模にとても驚きました。大変オススメです。

私は古建築や古い家具、骨董品のノスタルジックな雰囲気が好きですが、古いものの魅力と価値は、その趣だけではありません。数百年以上存続している建物には、その土地の気候条件を踏まえ、土、石、木、植物繊維という自然のマテリアルを適材適所に賢く機能的に用いた先人の知恵と経験が溢れています。住まいの「永遠の課題」である寒さや暑さ、湿気に対しては、昔の人は、自然素材の「蓄熱」と「調湿」という性質をメインに、ソリューションを生み出しています。

世界各国で建物の省エネ基準が推奨もしくは義務化されて以来、「断熱」と「防湿」に偏重した設計と建設が行われています。 私は省エネ建築を約15年来ドイツから日本に紹介し推進してきましたが、断熱材で熱を断ち、シートで湿気を封じ、密閉し、そしてそうしたために、機械換気を取り付けて24時間回さなければならなくなっていることに、「これでいいのか」と疑問を持っていました。「自分は住みたいか」と自問したときの正直な答えはいつもノーでした。

 「森林学」では、自然を生かし、自然と「共に」森づくりをやっていくことが、経済的にも環境、社会の面でも持続可能で賢いということを学んだ私としては、「断じ」て「密閉」して防ぎ、「技術的措置」で補う、という現代建築の「対抗」型のソリューションには馴染めませんでした。

ここ数年、「対抗」型だけでなく、「共に」の原則でもソリューションがあるはずだと、建築物理の基礎を自分で学び、時代の潮流や一般常識に惑わされないで本質的な仕事をしている建築業者に出会い、いろいろな事例を見学しました。その答えが自然のマテリアルの「蓄熱」と「調湿」をメインコンセプトにした省エネ建築です。昔の人たちが何百年もやってきて実証されていることです。

今回訪問したBallenbergの古建築野外博物館 では次のような発見がありました。
冬が厳しい山岳地域の建物には「木」がメインで使用されています。熱をゆっくり吸収して、ゆっくり放出する木の性質が生かされています。そしてファサードや室内壁は「黒」く、熱を吸収しやすくなっています。夏暑い平野部の建築は「土」や「石」がメインで、熱を素早く吸収し、素早く放出するミネラル素材の性質で暑さ対策をしています。こちらのファサードの色は光エネルギーを反射する白が基調。どの建物もしっかり屋根の張り出しがあり、雨風雪、夏の日射から建物を守っています。

長持ちしている建築物には、世界中で上述したような共通の原則があります。そして、「ゴミ」になるマテリアル、有害なマテリアルがほとんど使用されていません。ほぼ全て再利用またリサイクル可能!

岩手中小企業家同友会の会報「DOYU IWATE」 2019年8月号に掲載

 「木」    作者:ヘルマン・ヘッセ

木は、私にとっていつもこの上なく心に迫る説教者だった。
木が民族や家族をなし、森や林をなして生えているとき、私は木を尊敬する。

木が孤立して生えているとき、私はさらに尊敬する。
そのような木は孤独な人間に似ている。何かの弱味のためにひそかに逃げ出した世捨て人にではなく、ベートーヴェンやニーチェのような、偉大な、孤独な人間に似ている。

その梢には世界がざわめき、その根は無限の中に安らっている。しかし木は無限の中に紛れこんでしまうのではなく、その命の全力をもってただひとつのことだけを成就しようとしている。

それは独自の法則、彼らの中に宿っている法則を実現すること、彼ら本来の姿を完成すること、自分みずからを表現することだ。
 
一本の美しく頑丈な木ほど神聖で、模範的なものはない。

一本の木が鋸で切り倒され、その痛々しい傷を太陽にさらすとき、その墓標である切り株の明るい色の円盤にその木のすべての歴史を読みとることができる。

その年輪と癒着した傷痕に、すべての闘争、すべての苦難、すべての病歴、すべての幸福と反映が忠実にかき込まれている。酷寒の年、豊潤な年、克服された腐蝕、耐え抜いた嵐などが。

そして農家の少年ならだれでも、最も堅く、気品のある木が最も緻密な年輪をもつことを、高い山のたえまない危険の中でこそ、この上なく丈夫で、強く、模範的な幹が育つことを知っている。

木は神聖なものだ。
木と話をし、木に傾聴することのできる人は、真理を体得する。

木は、教訓や処世術を説くのではない。
細かいことにはこだわらず、生きることの根本法則を説く。
 
ある木が語る。
「私の中には、ひとつの核、ひとつの閃光、ひとつの思想が隠されている。私は永遠の生命の一部だ。永遠の母が私を相手に行った試みと成果は二つとないものだ。私の形姿と私の木目模様は二つとないものだ。私の梢の葉のこの上もなくかすかなたわむれや、私の樹皮のごく小さな傷痕も唯一無二のものだ。私の使命は、この明確な一回かぎりのものの中に永遠なものを形づくり、示すことだ」
 
ある木は語る。
「私の力は信頼だ。私は自分の父祖のことは何も知らない。私は年毎に私から生まれる幾千もの子どもたちのことも何も知らない。私は自分の種子の秘密を最後まで生きぬく。それ以外のことは何も私の関心事ではない。私は神が私の中に存在することを信じる。私は自分の使命が神聖なものであることを信じる。この信頼に基づいて私は生きている」

私たちが悲しみ、もう生きるに耐えられないとき、一本の木は私たちにこう言うかもしれない。

「落ち着きなさい! 落ち着きなさい!私を見てごらん!生きることは容易でないとか、生きることは難しくないとか、それは子どもの考えだ。おまえの中の神に語らせなさい。そうすればそんな考えは沈黙する。
おまえが不安になるのは、おまえの行く道が母や故郷からおまえを連れ去ると思うからだ。しかし一歩一歩が、一日一日がおまえを新たに母の方へと導いている。故郷はそこや、あそこにあるものではない。故郷はおまえの心の中にある。ほかのどこにもない」
 
夕方の風にざわめく木の声を聞くと、放浪へのあこがれが私の心を強く引きつける。

私たちが静かに長いこと耳を澄ましていると、この放浪へのあこがれも、その核心と意味をあらわす。それは一見そうみえるような、苦しみから逃げだしたいという願望ではない。それは故郷への、母の記憶への、生の新たな形姿へのあこがれだ。それは家へと通じている。どの道も家郷に通じている。
一歩一歩が誕生であり、一歩一歩が死だ。あらゆる墓は母だ。

私たちが自分の子どもじみた考えのために不安を感じる夕べには、木はそのようにざわめき語る。木は、私たちよりも長い一生をもっているように、長い、息の長い、悠々とした考えをもっている。木は私たちよりも賢い。私たちが木の語ることに耳を傾けないうちは。

しかし木に傾聴することを学べば、そのとき、私たちの見解の短さと速さ、子どもじみた性急さが、無類の喜びを獲得する。

木に傾聴することを学んだ者は、もう木になりたいとは思わない。あるがままの自分自身以外のものになろうとは望まない。あるがままの自分自身、それが故郷だ。そこに幸福がある。

心が動いた

「私とカール・マルクスの違い… マルクスは、人類を変えたい。私は、個々の人間を変えたい」 ヘルマン・ヘッセ

ヘッセは、「愛」や「静寂」をテーマに、人間の内面を描く作品を書きました。理性や客観性が重視される社会風潮の中で、感情や主観の重要性をアピールしました。2つの大戦の時代に生き、移住先のスイスやイタリアから明確な反戦の意思も表明しています。1946年にノーベル文学賞を受けました。

人間は、理性と感情の生き物。西欧においては、資本主義と近代科学が始まって以来、感情や主観を排除して、合理的に客観的に考え、物事を進めることが重視されてきました。しかし、近年の脳医学の研究では、人が「良い」決断する際に、感情や直感が重要であることが分かっています。

ヘッセの作品は、戦後、知性や理性を重んじるドイツ国内の文学評論家やインテリ階級からは、「知的レベルが低い」「庶民的」などと批判、倦厭されましたが、世界中の多くの若者や庶民に読まれ、今でも読み続けられています。60年代後半にアメリカ西海岸で始まった「Love & Peace 」運動は、ヘッセに大きな影響を受けています。多くのジャズ音楽家、ヨガやホリスティック医療なども。一人一人の内面から、人間社会に変化が起こりました。

ドイツの近年の再エネの躍進の原動力となったのも、当初「環境気違い」と嘲笑されたドイツの環境パイオニア達の情熱と将来への思いやりと実践です。彼らが人々の心を動かし、政治を社会を変えていきました。

気候変動の危機を肌身で感じる今日、“Friday for future“ という子供達のデモ活動が、理屈や客観的データだけでは動かなかった大人たちの心を動かし、政治と社会を変えようとしています。スウェーデンの14歳の1人の少女が始めた運動は、僅か半年の間に、世界中に広がりを見せています。「子供達が学校を休んでデモをやらなければならない状況を作っている自分たち(大人)は何をやっているんだ。このままじゃいけない、変わらないと」という雰囲気が社会の隅々に広がっています。それは、私の仕事でも日常生活でも肌身で感じられることです。

5月末にあった欧州議会の選挙で、ドイツでは、緑の党が得票率20%(前回から10%アップ)と大躍進をし、第二党になりました。連立政権のCDU(キリスト教民主同盟)とSPD(社会民主党)は、前回から−7%(CDU)、−11%(SPD)と大きく票を失いました。投票率は60%と、前回の42%を大きく上回り、国民の関心の高さが示されました。ベルリン、ミュンヘン、フランクフルト、シュトゥットガルト、ケルン、ボン、デュッセルドルフなどの主要都市においては、緑の党は、30%前後でトップの得票率を得ています。

欧州議会選挙の2週間後の6月6日、ドイツ国営放送ARDが行なったアンケート調査によると、緑の党の支持率は26%と、2位のCDU (25%)を僅差で抜いて、トップに躍り出ました。

岩手中小企業同友会 会報「DOYU IWATE」2019年7月号に掲載

多彩な田舎暮らし

先月、学術調査の仕事で、日本の大学の農学部教授とともに、オーストリアのブレゲンツァーヴァルト地域を訪問しました。

ブレゲンツァーヴァルトは、オーストリア西端のフォアールベルク州のなかにある23の小さな自治体から成り立つ人口約3万人の農村地域です。ドイツとスイスに国境を接するボーデン湖南部のラインの平野に接し、その南にそびえるオーストリアアルプスの谷間に位置し、きれいに管理された牧草地と森林のモザイク景観のなかに、木造建築の家々が分散して点在する美しい景色の場所です。農林業と木材産業、観光業がうまく噛み合い、相互補完的に維持発展している豊かな農村地域でもあります。

私は、自分の専門の森林や木材産業のテーマでは何度も訪れている地域ですが、今回は、酪農がテーマでした。主要な農産物は牛のミルクを使ったチーズです。この地域では、伝統的に、「三段農業」というものが営まれています。季節ごとに牛を飼育する場所を移し替える農業です。冬の間は麓の住まいに隣接する「下段」の牛舎で夏場に収穫保存した干し草を食べさせ、春先と秋口(5 月と10月あたり)は、少し標高の高い「中段」で放牧し、夏場(6〜9月)は、アルプスの高原の「上段」で放牧する、というものです。それぞれの「段」で、牛舎とチーズ工房があり、農家の共同体で自主運営されています。この「三段農業」は、2011年にユネスコの無形文化遺産に登録されています。

一件の農家あたりの牛の数は10頭から20頭、ほとんどが小さな兼業農家です。何件かの農家を訪問しましたが、農業と林業をやりながら、民宿業を営む、そして冬場はスキーのインストラクター、またはホテルやレストランの事務や給仕、地域の木材産業で職人として働く、公務員、地方議員など、複数の仕事を掛け持ちして、伝統的な酪農を維持していました。「大変なときは、近くに住む娘や息子、兄弟姉妹が助けに来る」と家族の支援も欠かせません。多彩な田舎暮らし、地域や家族への愛情や誇り、家族の絆がありました。

「規模が小さい農業が却って元気」という州議会議員の酪農家の指摘もありました。「規模を大きくしたことで、負債も仕事量も増え、経営が大変になっている農家がある」と。専業化、分業化が進められて行ったのは、人間の歴史では、ここ100年あまりのことです。それまでは、特に田舎の暮らしは、多彩な仕事の掛け持ちで成り立っていました。今、その良さが見直されてきています。

多彩な暮らしは、コーディネートやコミュニケーションが大変ですが、その分、喜びが増え、リスクは分散します。

岩手中小企業家同友会会報 「DOYU IWATE」連載コラム 2019年5月より

粘り強く信念を持って

「4年かかりました」

私の仕事のパートナーが、先日久しぶりに2人で会って一緒に夕食をとっているときに、ぽつりぽつりと自分の仕事のことを語ってくれました。彼は、4年前に、自分のやりたいことを実現するために、それまで長年勤めていた森林組合を辞め、林業事業体として独立しました。

「地区の人たちがようやく自分を信頼してくれるようになりました」

彼は、自分が生まれ育ったところで、持続可能な森づくりをすること決意し、独立後、営業活動を開始しました。

小高い丘陵の森林と田んぼが連なる中に伝統的な日本家屋が点在する、日本の田舎の原風景があるところです。私はそこに来るといつも心が温まります。

彼の会社は従業員が3人、しっかり継続して収入を得るために、車で2、3時間の現場に通ったり、1ヶ月以上、遠い場所で泊まり込みの仕事をすることもありました。その合間を縫って、自分の住む地区の人たちに地道に森林の集約化、持続可能な道づくりと適切な管理の提案をしていきました。彼の住む地区には約800ヘクタールの森林がありますが、そのほとんどが小規模な私有林。森林所有者一人当たりの所有規模は1ヘクタール未満が多数、推定600人から700人の所有者さんが存在。簡単なことではありません。

彼は、昨年末、自分の自宅の近くで、30ヘクタール、30人の森林所有者さんの了解を得ることに成功し、今年、道作りと間伐の仕事に取り掛かります。

「4年かかって、やっと自分のやりたかったことが開始できます」

昨年末の集まりで、地区のリーダーの人が、「彼に任せようじゃないか。彼と一緒にやろうよ」とみんなに言ってくれたそうです。彼は目に涙をためて話してくれました。

「それまで、よそよそしい、怪訝な態度で自分に接していた地区の人たちが、やっと普通に接してくれるようになりました」

4年の間、普段の仕事や従業員のことで数々の苦労もし、体を壊すこともあった彼ですが、信念をもってまっすぐに誠実に地区の人たちとコンタクトを取り続け、いまやっと彼は、自分がやりたいことをスタートできます。

「これから5年後には、今の30ヘクタールの請負を、地区の森林の半分、400ヘクタールに広げることが目標です」

岩手中小企業家同友会会報 「DOYU IWATE 」2019年2月号掲載のコラムより

木食い虫が教えてくれること

2018年のドイツを中心とする中央ヨーロッパは、気候温暖化の影響で、記録的な干ばつと熱波に見舞われた。ドイツでは、この年の平均気温は10.5度と観測史上最高を記録し、晩春から秋にかけては雨が極端に少なく、10月になってもドイツの土壌の70%以上が干ばつ状態にあった。

筆者の住むシュバルツヴァルト地域は、森林率が40%から80%で、林業が盛んなところであるが、水不足と日照りで弱った針葉樹のトウヒに木食い虫が大量発生し、大きな被害をもたらした。

木食い虫の被害のメカニズム

木食い虫の種は世界で4000種以上あるが、中央ヨーロッパで森林被害を起こしているのは主にドイツ語でBuchdrucker(プリンター)という種である。大きさは4〜5mm、生きているトウヒの樹皮に穴を掘り、その中に卵を産み、卵から孵った幼虫は、樹皮の内側の師部を流れる養分を糧に成長する。そのため、一気に大量の木食い虫「プリンター」に襲われた木は、養分の内部分配機能が衰え、枯れて死んでしまう。

通常、健康な状態のトウヒは、木食い虫の侵入に対して、樹脂を生産して自己防衛する。しかし、干ばつが続くと、水不足のため樹脂の生産ができなくなり、木食い虫は、弱り無防備になったそのような木に大量発生する。昨年の夏は、木食い虫にとって絶好の繁殖環境であった。シュヴァルツヴァルト地域を含むバーデン・ヴュルテンベルク州では、2018年、トウヒを中心に推定150万立米の木が被害を受けた。年間の針葉樹の伐採量の4分の1程度に相当する量である。

林業家に経済的な損失

木食い虫の被害を受けた木は、周りの立ち木に虫の害が広がるのを防ぐため、伐採され搬出される。木食い虫による原木へのダメージは外側の樹皮の部分だけであるので、内部の木材になる部分は健全なため建築用材などとして販売することができるが、色が変質しているため、製材工場による買取価格は、通常の値段から30〜50%差し引かれたものになる。森林所有者にとっては経済的に大きな損失である。また、被害木が大量に市場にでてしまうと、供給過多で、価格はさらに低くなり、また、市場がある期間内に買取ることができる木材の量には限界があるので、健全な普通の木の伐採を抑えなければならない状況にもなる。被害が大きかったいくつかの地域では、「普通」のトウヒB/C材の伐採を当面抑えるように指示が出されているところもある。被害にあった木を「片付ける」ことが優先、ということで。

被害の主な原因を作ったのは人間

木食い虫の大きな被害は、ドイツでここ20年間、何度か起こっている。1999年末の大風害の後や、2003年の夏の干ばつの後など、今回同様、異常気象がきっかけになっているが、人間が森に対して過去に行ったことも原因になっている。シュヴァルツヴァルトを始め、ドイツの多くの場所で育っているトウヒは、成長がいい、植えやすい、管理しやすいということで、人間が意図的に一斉植林したものである。日本で言えば、スギやヒノキに相当する。シュヴァルツヴァルトでは、トウヒはもともと、標高の高い場所の湿地や寒冷地に数パーセント点在する樹種であったが、過去200年余りの間で人間が植林によって増やし、30〜40%の割合を占めるまでになっている。トウヒは、根を浅く張る樹種で、夏の日照りや乾燥に弱い。よって、暖かい乾燥した南斜面などでは、弱りやすく、木食い虫の餌食になりやすい。これに対して、シュヴァルツヴァルトでもともと主力だったブナとモミの木は、根を深く張り、地中深くから水を吸収できるので、日照りや乾燥に耐性がある。風害や虫の害など過去の度重なる森林被害の経験から、土地にあった樹種を増やしていくこと、種の多様性を創出していくことが、ここ20年あまり進められているが、森の木のサイクルは100年以上、ゆっくりとした転換にならざるを得ない。

多様性はリスク分散

広葉樹をはじめとする多様な樹種構成で、大径の優良木(A材)が育った森を持っている所有者は、経済的なダメージの度合いは少ない。トウヒの建築用材には関係のないニッチな市場に材を供給できるからである。「多様性」は経営のリスクを分散させる。これは、数世代に渡ってそのような森づくりが行われてきたからである。温暖化の進行によりますますリスクが大きくなっている単一樹林では、今の世代が将来の世代のために多様性のある森林への転換を進めていかなければならない。木食い虫は、人間にそれを促している、そのための手助けをしてくれている、とも言える。

EICエコナビ 連載コラム「ドイツ黒い森地方の地域創生と持続可能性」へ

耳をすまして

12月初め、日没後の暗く静かな森の中を、手作り提灯を手に持ち、幼稚園の子供と先生と親達が、ギターとフルートの伴奏に合わせクリスマスの童謡を歌いながら歩いて行く。たどり着いた小さな広場で、子供達が一人一人、モミの葉っぱで作った螺旋のサークルにロウソクを置いて行く。森の幼稚での季節の行事の中で、もっとも静かで幻想的なセレモニーです。3人の子供を通じて10年間お世話になったヴァルトキルヒの森の幼稚園。末っ子の娘は来年から小学校なので、今回が私たちにとっては最後。クリスマスシーズンの始まりにあるこの短いイベントは、師走の忙しい時期に、いつもほっと心を落ち着かせてくれました。森の静けさに、音楽に、自分の内面に、耳をすます貴重な時間でした。

日も短く、薄暗いどんよりした天気が続き、視覚による知覚が鈍くなるこの季節、人間は、より耳に頼ります。耳の感覚が鋭くなります。耳は、音を聞くだけでなく、バランス(平衡)感覚を司ります。足元が見えない暗い森の中を歩いて行くときは、内耳の三半規管が働きます。目は、外のものを「探索」する外向的な性格を持った感覚器ですが、耳は、外からの刺激を「聞き入れる」内向的な感覚器です。耳が鋭敏になる冬のクリスマスのシーズンは、人々は内向的に内省的になります。

現代人は、知覚情報の約8割を視覚から得ていると言われています。あらゆるものが、テレビやネットなどあらゆる媒介でビジュアル化され伝達されるなかで、ラジオ番組やステレオで聞く音楽、パワーポイントを使わない語りだけの講演など、聴覚だけで知覚するものが、新鮮で、落ち着きや安らぎ、深い感動を与えてくれることがあります。

耳は、人間の発育の過程でもっとも早く出来上がる感覚器です。胎児の耳の形成は、受精から数日後、胎児がわずか0.9mmの大きさのときに始まります。受精から4ヶ月半後には、音を聞き取る器官である内耳の蝸牛が大人の大きさに出来上がっています。耳は、生まれたばかりの赤ちゃんが生存する上で、もっとも重要な感覚器だからです。

視覚による知覚に偏重した現代人は、耳の大切さを忘れています。

ドイツの哲学者のハイデッカーは、耳を通して考えることの大切さを論じました。聴覚で知覚するほうが、思考のプロセスが、より分化され、より注意深く、より正確に、内向的に進行するということを。

岩手中小企業家同友会 会報「DOYU IWATE」2019年1月号より

WhyとHow

「ドイツではどうなのでしょうか」「ドイツではどうしていますか」日本の視察団からよく発せられる質問です。英語で言うと「How」です。経験的に物事を積み上げ、改善、改良し、その結果としていいモノをつくる、というプロセスが一般的な日本においては、「自然な」質問です。他の場所でどうなのか、どうやっているのかを知り、自分のプロセスの全体もしくは一部の改善のためのお手本にする、という手法です。特に明治以来、日本人はこのやり方を徹底し精錬し、世界をリードするモノを生産し、日本の経済を発展させてきました。

しかし、「How」だけでは見落としてしまうものがあります。それは、日本人が手本として手に取るモノが、どういう考え方、目標、枠組み条件の上にあるのか、という観点です。「なぜそうなのか」「なぜそうしているのか」という「Why」の質問で明らかになるものです。

持続的に成功しているもの、成熟し安定して機能しているものの背景には、古今東西を問わず、明確な哲学とコンセプトと合理性があります。それらの事例を学ぶのに、Howという質問だけでは、表面的で部分的な情報の入手だけに終わってしまう危険があります。Whyという問いかけで、根底にあるもの、背景にあるものを知って初めて有用な情報になります。

Howという質問だけで得た欧州の表面的で部分的な情報やノウハウやモノを、哲学やコンセプトや枠組み条件が異なる日本のプロセスのなかに組み入れ、目の前の問題の解決、改善を試みたが、上手く行かなかった、という事例は残念ながら数多くあります。

小さい頃から学校でも家庭でも社会でも、経験的手法の訓練を受けている日本人は、「お手本」となる事例やモノや人物を求めがちです。

私はドイツの森林の専門家らと10年来、日本でコンサルティング活動をしています。日本の森林と地域の持続的な発展を目標に、日本の森林の立地条件(地質、地形、土壌、気候、植生など)と地理社会条件を抑えた上で、ドイツでの経験と実績を基盤に、「論理的」に日本にマッチしたソリューションを提案してきました。しかし、提案を受けた日本側のレポートや報告では、「ドイツの森林官がそう言いました」「ドイツではこうやっています」といった言葉で説明されることが多く、日本の高山などで、その土地の状況に合わせた、そこで機能する事例ができても、「欧州式」とか表現され、「本質が理解されていない」と歯がゆさを感じてきました。

今年10月に開催された5回目の岩手中小企業家同友会の欧州視察では、「Why」の問いかけが、これまでよりも多くありました。一部の参加者の方からは、「自分の会社を、地域を変えなければならない」という強い思いと使命感、気迫を感じました。

岩手中小企業家同友会の会報「DOYU IWATE」2018年12月号に掲載のコラムより

インクルージョン

先週、岩手中小企業家視察団の第5回目の欧州視察セミナーでした。エネルギーヴェンデをテーマに始まったセミナーでしたが、「持続可能性」を基軸に、農業や森林業、木材産業など、回を追うごとにテーマは広がり、今回は、要望に応え「インクルージョン」の視察も加えて実施しました。

ここ10年あまり、「インクルージョン(=包括、一体性)」という言葉が、ドイツの社会で定着してきました。異なる人々が同等の権利を持って社会活動に参加することです。知的レベルや身体能力、出身地や育った環境、性別などの違いを、みんなが当然のこととして認め、差別や線引きをせずに、協働し、共生することです。類似の言葉に「インテグレーション(= 統合)」があります。こちらは、違いがある人々を社会のなかに「取り込み」ますが、「異なる」人々は、「囲い」のなかに集められ、「普通」の人々と「並行」して共存します。障害者や移民・難民に、特別な施設や住居を提供する従来の福祉政策がそうです。一方で「インクルージョン」においては、「普通」の人々と「異なる」人々が、同等の権利をもって混ざり合い、「一緒」に生活、活動をします。

私の息子は、2013年、小学校入学に際し、インクルージョンクラスに入りました。クラス23人のうち「ハンディキャップ」を持った子供が5人、先生が2人という構成でした。ドイツの小学校は4年間ですが、息子は、多様性のあるクラスのなかで、社会的能力、自己管理能力、判断力、配慮の心などが、より身についたと実感しています。「普通」の子供である息子は、ハンディキャップのある子供を助ける、サポートする役目でしたが、「与える」ことで、多くのものを「受け取り」ました。

今回の同友会の視察でも、インクルージョン企業から、同じような見解や経験談を聞きました。「ハンディキャップのある従業員が入ったことで、会社の雰囲気が変わった。従業員同士のコミュニケーションがポジティブに、親密に変わった」「仕事を丁寧にゆっくりやるようになった」「普通の人と障害者、一緒に仕事をしていると、いったいどちらが障害者なのか、わからなくなるときがある。障害者からたくさん与えてもらった」など。

違いやハンディキャップを「個性」と認識し、それぞれの個性を生かして、仕事の構成と配分をする。仕事内容に人を適合させるのではなく、人の個性に合わせて仕事を再構築し、みんなで一緒に発展させていく。持続可能な企業のコンセプトを学びました。

岩手中小企業家同友会の会報「DOYU IWATE」2018年11月号のコラムより