第6感で感じる快適さ

KANSOモデル棟第1号を新オフィスとして使い始めて3週間が経つ、もるくす建築社の佐藤欣裕氏に、実感を聞いてみました。「室温はすごく安定している。自分が住んでいる省エネ建築の自宅と比べて、マテリアルの質感が圧倒的で、何か、第6感で感じる心地よさがある」という回答をもらいました。現代の省エネ建築の合言葉は「断熱」ですが、KANSOでは、「蓄熱」と「調湿」を主軸にしています。「断熱性能」は、空気の温度差があるところでの、マテリアルの熱伝導率に基づいて導き出されます。空気の温度を基準にしたとき、その空気に挟まれたマテリアルが、どれだけ熱を逃しにくいか、ということを表現しています。一方で、「蓄熱」は、マテリアルが熱を「吸熱」したり、「放熱」したりするマテリアル自体の性能です。空気の温度は基準ではないし、直接的には関係ありません。また、断熱は、熱の「伝導」と「対流」をベースにしたマクロ物理学の理論で明確に説明できることですが、「蓄熱」では、熱を持った物体から出る「電磁波」の放射と吸収という、ミクロの量子力学の世界の事象が中心になります。マテリアルの放熱や吸熱の量やスピードや深さは、マテリアル自体の絶対温度や分子や細胞の構造によって変わってきます。様々なパラメーターがあり、流動的であり、簡単に数字で説明することが難しい事象です。現代の建物のエネルギー性能は、マクロの事象を扱う熱力学の「断熱」を中心的な指標にして計算されています。「蓄熱」も、建物エネルギー証書の数字の算出の際、一応考慮されてはいますが、大雑把な概算式であって、蓄熱のマクロの世界の「母音」はある程度表現できていても、ミクロの世界の「子音」は含まれていません。証書のエネルギー性能は同じ値の建物であっても、蓄熱や調湿性能が高い建物の方が、実際のエネルギー消費が低い、という「不思議」な事例は沢山ありますし、または室温が18℃であっても、マテリアルの電磁波による熱放射作用によって、体感温度は22℃くらいに「快適」に感じることは、住んでいる人が経験しています。「佐藤さんが言う第6感というのは、ミクロの量子の世界のことかもしれないね」と私は返しました。ミクロの量子論の世界は、マクロの世界(人間の一般常識や感覚)とは全く異なる現象と原理があります。私はそれに魅了されている1人ですが、理屈で理解しづらい不思議で神秘的な世界です。物理の世界では、マクロとミクロの世界の大きな隔離を埋めるための研究が進んでいます。最近、ネットで見つけたのですが、2017年に、東京大学の研究チームが、マクロの世界の熱力学第2法則を、ミクロの世界の量子力学から導出することに成功したようです。これは画期的なことです。https://www.t.u-tokyo.ac.jp/…/setnws…

利益ではなく、信頼を最大化することで得られる生活のクオリティ

私の住む街に、広葉樹専門の製材工場があります。年間2万立米くらいを製材しています。広葉樹の多くは、その組織構造から、水が抜けにくく、製材したあと、数年間ゆっくりと自然乾燥させなければなりません。樹種や製材した板の太さにもよりますが、写真にあるような7cmくらいの厚みのオーク(ミズナラ)材であれば5年前後の期間が必要です。針葉樹の建築用材であれば、人工乾燥機を使って数日から2週間程度で乾燥され販売されていますが、広葉樹の場合は、急速に水抜きをすると材の品質が大きく損なわれるため、現在でも数年の自然乾燥が必須なのです。これは、製材工場にとっては、2年から7年という比較的長い期間、流動資産を大量に抱えて商売をするという、非常にリスクの大きい経営です。製材工場には絶えず2年間の製材量くらいのストックがあります。速さや効率がもてはやされる現代の市場においては、大きな挑戦だとも言えます。

しかし、製材工場の経営者には、特別な気負いはなく、昔からそうだから、自然のマテリアルの性質上、それしかやる方法がないから、そうやっているだけです。スピーディな市場の中でのスロービジネスです。ただそれを可能にしているのは、製材工場の力だけではありません。

まず、多種多様な原木を育て、年々、安定して供給することができる地域の森林所有者が必要です。州有林や自治体有林や私有林です。森林所有者は、樹木という数十年以上の流動資産を育て利用します。高級な家具やフローリングに使われる大きなオークであれば、200年から300年です。広葉樹製材工場の流動資産の所持期間が長いと言いましたが、それからすると森林業の流動資産は「超」長いものです。300年と言うと10世代くらいです。絶えず次の世代のことを想って資産を維持し育てながら節度ある利用をしていくという、世代間の契約がないと成り立ちません。また、成長が速く育て易い針葉樹の一斉樹林の拡大という、とりわけ産業革命以来の人間の工業的思考の実践がもてはやされた中で、多様な樹種のある森を育ててきた人たちがいるから、私の街の広葉樹製材工場も長年経営できるのです。

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また、木材は一本の丸太でも、肉のように多様な部位があり、楽器や工芸品、家具や建具、梱包材や製糸用パルプ、薪やチップと、多様な用途があります。それにオークやブナ、カエデやトネリコ、サクラやクリという多様な個性を持った樹種が相乗されます。広葉樹製材工場は、多様な売り先を抱えていなければなりません。丸太の中でも節が全くなく柾目で綺麗な最高級の上ヒレや上ロースの部位を高く買ってくれる地元のオルガン工房だけでは不十分です。普通のロースもカルビを買ってくれる家具建具工房や、多品目を揃えている卸売業者、ワインの樽をつくる工房、ロクロで木製の器や皿、工芸品を作る工房、ハツやレバーに当たる製材端材を買ってくれる製糸工場やパーティクルボード工場などの多様なお客さんがいて、初めて森から仕入れる多様な部位からなる「生き物」である丸太を製材する業が成り立ちます。

多様な原木が森から製材工場を通して多様な最終加工業者へ。それによって、数世代に渡って使える重厚な木製家具や、教会やコンサートホールで人々に数百年の間、喜びや感動を与え続けるパイプオルガンが製作され、土地の香りとエネルギーを濃縮したぶどう酒に渋みと丸みがブレンドされます。均質化による部分効率化ではなく、多様性を生かすことによる様々な付加価値の創出で、競争ではなく協力で、利益ではなく信頼を最大化することで得られる生活のクオリティです。

著書「多様性~人と森のサスティナブルな関係」 池田憲昭