ドイツ国土面積は日本とほぼ同じ。「森の国」と呼ばれるが、森林率は約30%で日本の半分以下。北部は平地が多いが、中部から南部にかけて、丘陵地や山岳地がある。急峻な日本に比べて、人間が開拓しやすい場所が多いため、ほぼ全ての森は、過去に大なり小なり人の手が入っている。原生の森はない。
自然は硬直したものではない。気候や地形や地質、様々な生物種の相互作用によって、絶えず変化している。人間も自然界の一部であり、自然と「共生」している。進化の過程で脳を著しく発展させた人間はしかし、生活基盤である自然環境を、自分のイメージや思いに基づいて、大きく変える力を持った。
人間が大きく変更を加えたものの、自然の多様性とバランスが維持創出されている共生関係がある。例えば日本の里山や鎮守の森、私が住むシュヴァルツヴァルトの近自然的森林業と多面的利用がされている牧草地のランドスケープなど。一方、自然の多様性もバランスも著しく低下させ、土壌や水質の劣化や、土砂崩れや洪水、旱魃といった災害を誘発させる「共生」とは言えない搾取的利用もある。とりわけここ100年ほどの間で、技術の進歩と人口の爆発的増加も相まって、それら非持続可能な自然利用が急速に拡大している。
ドイツの森林マネージメントの政策は、1970年代半ばから、「林業」から「森林業」へ、「木の畑」から「近自然的な森づくり」へ、大きくシフトした。ただし、人間の政策が変わったからといって、森がすぐに姿を変えるわけではない。森は長い時間軸で動いている。50年経った今でも、昔の木の畑はまだたくさん残っている。昔身につけたその哲学で、「林業」を継続している人たちもいる。
自然は人間が生きる空間であり、人間は、同時にそこから資材や食料や水を得なければならない。自然への干渉は避けられない。その干渉の仕方は、搾取的なものから調和的なもの、集約的なものから粗放的なものまで多様にある。できる限り調和的で粗放的なやり方が持続可能である。ドイツの森林では、ここ50年の間、調和的で粗放的なやり方が増え、均質から多様の方向へゆっくりと進んでいる。それはいい傾向であるが、問題は、ほぼすべての森林で、大なり小なり木材生産が行われていること。人間による自然への働きかけによって、それが調和的で粗放的であっても、生息場所を奪われてしまう生物種がいる。とりわけ、食物連鎖の頂点にいるオオカミや熊、オオヤマネコは、中欧では、人間による自然干渉と、一部はアクティブな駆除行為によって、過去に絶滅に追いやられた。そのような生物種は、人間の影響が少ない、人間がほとんど手をつけない、広いエリアが必要になる。
ほぼ全てが木材生産林であるドイツの森林には、自然・景観保護区域も含まれていて、それら指定の区域では、各カテゴリーに応じて利用の制限がある。そのなかで、人間の木材利用を一切、禁止する、干渉は限られたレクレーション利用にとどめる、という自然保護の最高カテゴリーがある。州によって呼び名や細かな規制が違うが、私が住むBW州では「Bannwald(禁制森)」という。
シュヴァルツヴァルト最高峰のフェルドベルク山(標高1493m)の山頂エリアの小さな氷河湖の周りのお椀状の急峻な森林の約100haが、その「Bannwald(禁制森)」に指定されている。道は狭い岩だらけの登山道だけで、観光レジャー客はそこを歩るいて森と湖を体験する。今年は近場で日帰りバカンスをすることに決めた私の家族は、日曜日にそこを訪れた。私は学生のとき以来、ほぼ20年ぶり。
針葉樹のトウヒが5割くらい、残りはブナとカエデなどの広葉樹の混交森。過去数百年の間で人の手が入れられてきた森林であるが、過去50年あまり、ほとんど手がつけられてなく、原木利用を一切しない「禁制森」に指定されたのは1993年。風害で倒れた、夏の水不足などによる虫の害で立ち枯れになったトウヒがそのまま残されている。10年以上の時間も経ち、苔がたくさん生えている倒木もある。観光レジャーの利用制限もしっかりある。2000年から、湖畔での遊びや遊泳は禁止されている。私が学生の頃は泳ぐことができた。
人間が手をつけないことで、自然の多様化への遷移を促すこと、希少な動植物を保護するという目的の他に、中長期的に手付かずの自然を観察して、そこから近自然的森林業やランドスケープマネージメントの知見を得ていくという目的もある。私も20年前に大学でいろいろ学んだ。倒木があることで、昆虫や微生物の数が数段増え、土壌の生成にもポジティブに働き、土壌表面に湿気が保たれ、潜在植生の天然更新や、近辺の樹木の樹木の成長が促進されたりすること。また、虫は弱った樹木や枯れ木に集中し、健康な樹木には広がらないこと、などなど。林学・森林学は、現場から生まれ、現場との対話で発展している実学。たくさんのデータや理論が蓄積されている現在でも、わかっていないことはたくさんある。いつも謙虚に根気強く自然を観察することが大切だ。
ただ、100haといった比較的小さな保護面積は、一度絶滅した、また絶滅の危機に瀕している多く野生動物にとっては、生息領域として全く足りない。国立公園などでは、何も手をつけない禁制森などを核にして、その周りに利用を大部分抑えたバッファゾーン(緩衝帯)を設けるマネージメントも行われている。過去数十年のそういう措置の甲斐もあってか、シュヴァルツヴァルトでも、一度居なくなったオオカミやオオヤマネコが最近、観察されている。熊はアルプスの山地や東ドイツのポーランドとの国境付近などで少しづつ数が増えているようだ。
「禁制森」のような人間の利用を禁じ、自然に委ねる森は、ドイツではまだ、ほんの1%足らずだ。9月の連邦総選挙で政権獲得を狙う緑の党は、「原生森基金」を設立し、その資金で自然に委ねる森の面積を近い将来5%に、最終的には10%にしていくことを提案している。
日本はドイツとほぼ同じ国土面積で、ドイツの2.5倍の森林面積を有し、うち人工林が40%、残りは天然林で、天然林も町や村に近い場所は、旧里山や戦後の皆伐後の放置林(二次林)が多いですが、奥山や渓谷や標高の高い場所には、あまり人の手が入っていない森林が比較的たくさんあります。私は個人的に、そこは手を付けないで、道もつくらないで、人間の影響の少ない自然の生態系の発展の場所として残すべきだと思っています。
私の新刊『多様性〜人と森のサスティナブルな関係』
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では、「気くばり森林業」を日本に提案していますが、ターゲットにしているのは、本では明確に述べていないですが、居住地の近くに集中する人工林や元里山の放置林です(日本の森林の6割くらいの面積です)。そこにでは、人と自然の共生のバランスが取れた森林利用を推奨します。この6割くらいの森林でも、充分に多様な木材を持続的に供給し、将来的に国内自給できるポテンシャルがあります。日本のそういう場所での持続的な木材の利用、安全な森林保養のためには、質の高い基幹道が「必要最低限の密度」で整備されていくことを薦めます。残念ながら、過去に日本で作設された道の多くは崩壊し、または災害の起点になってています。自然保護や災害の観点で批判の的になるのは当然です。そうでない水のマネージメントをしっかりした、最大限の自然配慮をした必要最低限の道づくりの事例を本では紹介しています。
私の本を読んだある誠実な読者から「動物の観点は?」という批判がありました。人の影響の少ない、人の手があまり入らない大きな面積の生息空間が必要な動物がいます。彼らとの共存のためには、ゾーニング(棲み分け)が必要で、極力手をつけない、観光レジャーでも、明確な規制と誘導措置が推奨されます。中央ヨーロッパよりはるかに地質も地形も生物種も多様な日本の森林。分別ある気くばりのマネージメントが、貴重な財産を将来に渡って維持するために、自然と共生進化していくために必要だと思います。