漆喰リフォームで調湿と防菌

我が家の半地下にある2人用休暇アパートメントのキッチンを改修。

前の持ち主が施していた壁紙(ドイツによくあるオガクズが詰めてある紙)に、おそらく、過去20年くらいの間で2、3度、いろんな塗料が重ね塗りされている。

壁紙は、上に塗る塗料がシリカ塗料などであれば、ある程度の湿気調整はできるが、糊の層で遮断してしまうので、調湿能力は高くない。しかもウチの壁紙の塗料には何が使ってあるかわからない(たぶん、過去に、調湿性のない安いプラスチック系の塗料が使われている)。半地下のキッチンなので、湿気の問題、匂いの問題を解決するために、KANSOメンバーで友人のスイスの建築家シェア氏(www.kaso-bau.com)に相談し、壁紙を剥がし、漆喰を塗ることにした。

漆喰は、消石灰を主成分として、混合する調合材によって、透湿にも防湿にもできる。室内の壁には通常、透湿性の漆喰を使う。調湿性能が高く、匂いの中和もする。また石灰は防菌効果も高く、カビやバクテリアの繁殖を防ぐ。

まず壁と天井の紙を剥がして、壁の石膏ボードと天井のコンクリートの表面を綺麗にする必要がある。5年前に一度、賃貸マンションを出るときに壁紙の貼り替えをやったことがあるので、要領はわかっていた。4月半ばに、壁紙を剥がす作業を開始したが、昔の強力な糊で貼ってあるようで、スチーマーを使ってふやかしても、とても剥がれにくい。大変な重労働で、最初は手伝っていた子供もやらなくなる。注文した木製のキッチンも、ウッドショックの影響で納品が遅れるというし、2ヶ月半くらい、作業を中断していた。7月半ばころ、キッチン納品の連絡があったので、7月末に重い腰を上げて作業をした。紙を剥がして、穴や凸凹をヘラでパテ塗りし、さっとヤスリがけする下準備作業に、妻や子供に時々手伝ってもらいながら、合計15時間くらい費やした。

本番。まずは、天井から。天井をヘラで漆喰塗りするのは、素人には結構、難しいので、石灰系塗料をローラーで塗ることに。Kreidezeitのガセインプライマーをコンクリートに塗り、表面の付着性を高め、その後に同じくKreidezeitの石灰系塗料を2重塗りした。初めてにしては満足な仕上がり。

次はいよいよ壁の漆喰塗り。昨日の夜に、Auroのプライマー(ケイ酸カリウムが主成分)を石膏ボードに塗って、石膏ボードの表面の「締め固め」をした。今日これから、石灰モルタル(Hessler製、セメントフリー)を下地として塗る。一晩乾かして、明日、仕上げの漆喰塗り(Hessler製)の予定。

石膏ボードに漆喰を塗るのは、あまりお薦めできることではない。石膏ボードは酸性、漆喰はアルカリ性で、まず化学的な性質が違う。また、物理的には、石膏ボードは、湿度や温度の変化で若干の膨張や伸縮をする柔らかい素材。「動きやすい」ものの上に「動かない」漆喰を塗るのは、ひび割れのリスクがある。専門家のなかには、基本的にやらないほうがいい、と言う人もいる。だから、資材は、ホームセンターではなく、近くにあるエコ建材の専門店に相談して全て揃えた。そこのオーナーは、古建築のリフォームの経験が豊富な専門家。プライマーと下地のモルタルがポイントになることを教えてもらった。天井と壁のプライマー、塗料、モルタル、漆喰も、すべて調湿性のもので、溶剤や毒性物質が入っていない。

左官道具は、数年前に中古住宅のリフォームをやったフライブルクに住む学生時代からの旧友に、全部借りた。一生におそらく数回しか使わない道具なので、新品を買うのはもったいない。

さて、いよいよ本番メインの作業。どうなるか、結果をお楽しみに。

科学に100%の答えはないが…

科学的な知見からは、こうあるべきだ、という強力で明白な理屈が導き出される事柄でも、なかなか変化や実践が進まないことがたくさんある。

優秀な科学者の多くはとても謙虚である。科学に100%の答えはないことを自覚している。そのような科学者は、世間で大きく目を引くような断定的なこと、2極論的なことは言わない。白黒はっきりした物言いや単純明快な比較を好む多くのメディアには、そのような誠実で謙虚な科学者はあまり呼ばれない。だから世間に声が届きにくい。

しかし100%の答えでなくても、これまで集積された数々の研究から、80%、90%、もしくは99%の確率で正しいと言うことができる科学的見解もある。しかし、そのような確実性の高い科学のメッセージも、「ケースバイケース」「いろんな見方がある」という魔法の言葉で、軽視、無視、もしくは据置きされてしまうことがよくある。世界中で。

私のライフワークである森林においてもそうである。木材を利用するための世界の森林マネージメントの主流は、現在でも「木の畑」のフィロゾフィーの実践。土壌劣化や流出、各種災害や病気のリスクが高く、中長期的には、多くの条件で非経済的であることが、科学的に高い確率で立証されているにもかかわらず。既存の木の畑を、丁寧な間伐をしながら、自然の力を利用して、単調な「林」から多様な「森」に変えていく手法も確立していて、実証されているにもかかわらず。

日本の2人の森林研究者を紹介したい。

1人は、私の尊敬する大先輩である、藤森隆郎氏。世界的に高く評価されている森林生態学者だ。光栄なことに、拙著『多様性』に個人的な長文の書評を頂いたが、そのなかの下記の一節は、謙虚な藤森氏が、半世紀に渡る研究の成果から、おそらく99%確証を持って、述べられている。

日本の自然が豊かであることは、植物の再生力の高さを意味します。それは目的樹種よりも早生の雑草木の繁茂の激しさを意味します。日本の下刈り、つる切りまでの初期保育の経費は、他の温帯諸国のそれの10倍かかっているという報告があります。このことだけからも、短伐期の繰り返しは避けるべきことを強調しなければなりません。その上に短伐期の繰り返しは、生物多様性をはじめとする多面的機能の発揮に反し、持続可能な森林管理に反することをしっかりと説明していく必要があります。そして短伐期から長伐期多間伐施業へ、長伐期多間伐施業を進めながら択伐林化、混交林化へと進めていくことの必要性、すなわち「構造の豊かな森林」を目指して行くというストーリーを語ることが必要だと思います。
https://note.com/noriaki_ikeda/n/n0821d5634526

もう1人の研究者は、緑のダムの研究を30年以上続けられている蔵治光一郎教授。下記のリンクからダウンロードできる論文『森林の緑のダム機能(水源滋養機能)とその強化に向けて』には、日本も含めた世界中の数々の研究データが紹介され、分析、検証されている。
http://www.uf.a.u-tokyo.ac.jp/~kuraji/Midorinodam.pdf

「科学のメッセージを真摯に受け止めて欲しい」

と切に訴えても、届きにくい社会環境があり、変化や実践にブレーキをかける構造がある。

私は、どうしたら届くのか、どうしたら変わるのか、自分なりに思索し『多様性』を書いた。日本の大学でドイツ文学を学んで、ドイツの大学で森林学を学んだものとして、理系と文系、科学と文学を結びつけることを試みた。最新の植物神経学や脳神経学の知見、著名な文芸家や芸術家の言葉から、変化することのモチベーションの源泉を探った。人間は、感性と理性の生き物であるから。
https://youtu.be/ZmwJY3dijxk

KANSOモデルハウス「美郷アトリエ」が初めての夏を迎える

自然のマテリアルの多面的な機能を最大限に活かす、その中で蓄熱(吸熱と放熱)と調湿を主軸に置いた、暖房も冷房も機械換気も必要のない建物が、秋田県仙北郡美郷町の「もるくす建築社」の新オフィス「美郷アトリエ」として、今年春に完成しました。

元祖KANSOの建物を2014年に伴侶と一緒にスイス中央アルプスの麓に建設し住んでいるサシャ・シェアと、それに感銘を受けた「もるくす建築社」の佐藤欣裕、そして森林木材コンサルタントの私・池田憲昭の3人の共同作業の結果です。

冬はスイスのアルプスでの経験もあるので自信がありますが、日本の蒸し暑い夏は初めての経験なので、今回、貴重な学びになります。

北国の秋田ですが、仙北郡は内陸の盆地にあり、夏の昼間は気温30度を超え、湿度も70%以上になることが頻繁にあります。

うまく機能しているかどうか、ちょっとドキドキしながら、佐藤氏に様子を聞いてみました。

夏場はまず、室内に太陽光の熱放射(電磁波)を入れないことが肝心。高い位置から射す夏の太陽の光は、伝統的な長い庇で完全にシャットアウト。窓の内側には全く太陽光が当たりません。だから外付けのブラインドもカーテンも入りません。これで、日中に室内空気の熱気を吸収すべき室内側マテリアルの吸熱容量が確保できます。

職員3-5名が働くオフィス。人間も放熱体です。日中外気温が30度を越える高温多湿でも、室内の空気の温度は最高29度くらい、湿度は60%前後で抑えられているようです。一応予備でつけている冷水を流す冷房設備は、これまで使う必要はなかったとのこと。暑がりの社員が時々団扇を使うくらいだそうです。新鮮な空気を入れ替えする必要があるので、時々社員が窓を開けて換気しています。「温度計を見ると、室内も結構な気温だけど、全く不快とは感じない」と佐藤さんは感想を言います。

質量の大きな木や土や石という蓄熱容量と調湿力の高いマテリアルが、夏の暑い中でも、どんどん「吸熱」し「吸湿」しているようです。マテリアルの吸湿で湿度が少し下がれば、体感温度も下がります。また、マテリアルの表面は室内空気より冷たいので、マテリアル付近の空気の温度は2〜4度低い値になっています。人間の体から出る熱放射(電磁波)が、冷たいマテリアルの方に移動し続けている状態でしょうか。室内の人間は日中、土や石や木に絶えず「熱を吸われている」状態なので、体感温度は、実際の温度より低く感じるのかもしれません。マテリアルは、その質量で、蓄熱容量を十分すぎるくらい保有しているので、日中に数回の外気の取り入れや、人間やオフィス機器の放熱があっても、吸熱し続けられます。マテリアルが熱で溢れてオーバーヒート(放熱)することはありません。

外気温が下がる夜間は、玄関室と屋根裏に組み込まれている夜間冷却用の窓を開けて、室内の温まった空気とマテリアルを冷やします。これによりマテリアルの吸熱容量が再び増加し、翌日の熱気に備えられます。ただし、夜間でも30度を越える熱帯夜が数日続くような場合は、時々、冷房装置をつける必要があるかもしれません。

www.kanso-bau.com

書評 「多様性」 by 嶋岡匠さん

ヨーロッパ留学経験もある嶋岡さんが、丁寧かつ簡潔な書評を書いてくれました。

かつて木材は「製造材料」であり、「エネルギー源」でもあった。 国家の繁栄に直結する資源であったゆえ、木材を生産・管理する研究が始まった。 ドイツは林学という学問体系を世界で最初に構築した国。 著者・池田さんは、ドイツで森林・環境に関する学問を治められ、今も実践されている専門家だ。

明治の開国後、当時国家の戦略的資源であった木材生産は重要な課題であり、日本はヨーロッパ、特にドイツの森林管理を導入したが、木材栽培業的な林学を導入したのは致し方なかったのかもしれない。

第1章は、日本に導入されなかったもう一つの林学についての解説であり、本書のテーマ「多様性」と「持続性」の源流の解説である。 続く第2章は、違う進化を遂げた今のドイツの「森林学」を実践されている池田さんから、日本の「林業」への提案である。 木材栽培業を超えて、森とかかわっていくための提案が書かれている。

この本は、学びや示唆に富むものの、一般人が二の足を踏むような専門家向けの学術書ではない。 森について学んだ学識と、森と共に暮らしてきた著者が出会った「モノ ヒト コト」が程よくバランスされたとても読みやすい本に仕上がっている。「今ある森は、未来の世代のための貯金」と考えるドイツの林業の現場にいらっしゃる池田さんは、我々よりも長い時間軸で森を見ていらっしゃるようだ。森と生きるには、人間側が森のスピードに合わせなければいけない。

林業を生業としない私には、特に第3章・4章の森のスピードに合わせつつ、人の営みが円を描くように広がっているドイツの様子が興味深かった。 世の主流ではないけれど、少量だけど特殊な材を必要とする人がいて、それを製材して供給する人がいる。 そういう人達の需要があってこそ、森の中に多様な植生が残る。

第5章の始まりは「樹木たちの声を聞く」という擬人化された見出しからスタートしている。 森を学ぶには対象を冷静に見る客観が必要だけど、我々が森に求めるものは論理的に説明のつくことばかりではない。 「美しい風景」とか主観的価値を見出す人もいる。

森を起点にしながら色々な人の繋がりがドイツの林業を支えていることを紐解きながら、「多様性」の大切さを説く本書は、林業の枠を超えて、ただひたすらに速さ・効率だけを追い求める現代社会の在り方を考え直すきっかけにきっかけになりうると思う。

書評 「多様性」 by 中嶋潔さん

北海道のキノコの専門家、中嶋潔さんからの嬉しい書評です。私が本の5章で使っているキノコの写真が、菌根菌の類でないことを指摘していただきました。そして「正しい」菌根菌の写真も提供いただきました(上の写真)。改訂版を出すときに使わせてもらうことにしています。

感動しました!

私が数年前に読んで大きく感銘を受けた、藻谷浩介さんの『里山資本主義』、村尾行一さん『森林業(ドイツの森と日本林業)』と、基本的に共通する流れの中にある思想だと感じました。素晴らしいです。

私は大学生の頃は哲学科で、ニーチェ『道徳の系譜』で卒論を書き、卒業後、登山が好きだったので長野県の山小屋に就職し、結婚を機に山を下りて北海道の森林組合などで山林作業員として6年ほど過ごし、縁あって今はキノコが得意な自然ガイドとして生きている者なのですが、この本の中でのヘルマン・ヘッセについての記述や、森林基幹道のお話、森の幼稚園についてのお話など、ビンビン胸に響くものがありました。

私の得意分野である北海道の森と野生のキノコ、あとササ刈りの技能を生かして、北海道の森林と人の暮らしをよりイキイキさせることができるように、これからも森のハーモニーに加わって行きたいと、この本を読んで強く思いました。

これから、このお話を理解してくれそうな、この地域の森に関わる仲間たちに、この本を勧めまくろうと思います。
素晴らしい本を世に出して頂き、ありがとうございましたm(__)m

中嶋潔 筆

【競争(competition)の本来の意味】

オリンピックがはじまった。

スポーツ選手たちの勝利を目指した「競争」に世界中が熱狂し、一喜一憂する。
「競争」は、スポーツだけでなく、私たちの経済活動、教育システム、文化・芸術活動と、あらゆるところにあり、個々人の生活や社会を動かす大きな原動力の1つになっている。

競争の語源について調べてみた。

日本語の「競争」は、明治時代に西洋から輸入された言葉。英語の「competition」を福沢諭吉が翻訳した。意味は「お互いが、競って優劣を争うこと」

では、そう日本語訳されたcompetitionの語源を遡るとどうだろうか?

「competition」は、ラテン語の「com-petere(一緒に探す)」に由来する。現代の「competition」が持つ「争う」という意味は全く含まれていない。

「競争」に該当するドイツ語「Konkurrenz」も、ラテン語由来だ。「con-curre(一緒に歩く)」。「対抗」し「競う」とは全く反対の意味だ。「協力」と意訳することもできる。

「com-petition」はいつの時代から「counter-petition」になったのか、「Kon-kurrenz」はなぜ「Kontra-kurrenz」になってしまったのか。

参照:C. Felber『Gemeinwohlökonomie (公共善エコノミー)』piper, 2018.

拙著『多様性』では、最終章にて、最新の脳神経学の知見から、人間の強みは「競争」ではなくて「協力」であり、進化の大きな原動力であることを書いた。
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「com-petere(一緒に探す)」「con-curre(一緒に歩く)」という言葉を生み出した古代の人たちはおそらく、人間の強みを素直に受け入れ、理解していたのだろう。

人々がスポーツを観戦して感動するのは、選手やチームが「競争」で「勝った」から、「一番になった」からだろうか? 結果論的にはその側面が大きいかもしれないが、「競争」の過程で、「競争」の本来の意味である「協力」やソリューションを目指しての「協働」を感じるからではないだろうか?

オリンピックの「五輪」の意味として、宮崎日日新聞が、いくつかの説を紹介している。

一つは、地球の五大陸とその連帯。2つ目は、自然現象の水、砂、土、木、火。さらには、スポーツの5大原則の水分、技術、体力、栄養、情熱。これらがワールド「W」の形に並べられている。
https://www.the-miyanichi.co.jp/kuroshio/_54205.html

ただし、この新聞記事にはオチがある。記者はこう結んでいる:
五輪マークの「W」を上下ひっくり返すと「M」。「マネー」の頭文字に見えて困っている。

自由の最大公約数

「個々人の自由というのは、他の人の自由が始まるところで終わる」

ドイツの哲学者カントが200年以上前に言った言葉です。

自由はデモクラシーの支柱の1つで、幸福感の重要な要素ですが、勝手気ままな無制限の自由の行使は、他人の自由を奪ってしまいます。個々のたくさんの自由を成立させるためには、各人による360度の「気くばり」が必要です。

また、現在、世界で大きなテーマになっている健康や福祉、社会的公平は、自由を行使するための前提条件です。今回のパンデミックや災害は、人間に対しても自然環境に対しても「気くばり」が不可欠なこと、そうでないと、多くの自由が奪われてしまうことを、私たちに教えてくれています。

民主的な社会では、話し合いや議論、法律や制度によって「自由の最大公約数」を求めていく努力を絶えず続けていかなければなりません。複合的に共生進化する森の多様な生き物たちのように。

新刊『多様性〜人と森のサスティナブルな関係』では、人と森と木を軸に、私が大学や生活や仕事で身をもって学んだ自由と気くばりのバランス、「自由の最大公約数」を求めるための心のスタンスを描いています。
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自然と音楽は嘘をつかない!

好評いただいている7月のオンラインセミナーの締めは、7月27日18時30分から、高山の長瀬土建の長瀬雅彦さんにゲストスピーカーとして登場してもらいます。
「経年美化」する土木業者になるために 〜SDGsに取り組む長瀬土建の挑戦
https://nagasedoken.peatix.com

長瀬さんとは10年以上の付き合いで、年に1、2回はドイツか日本で会って仕事、プライベートで交流している私の大切な友人です。

長瀬さんは、森が大好きで、地域の建設業の仲間と一緒に林業の世界に参入し、貪欲に勉強をしながら実践を繰り返し、とりわけ森林の道づくりにおいて、日本の推奨モデルとなる「経年美化」する基幹道インフラを造っています。

私の新刊『多様性〜人と森のサスティナブルな関係』の2章にもキーマンとして登場しています。
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B091F75KD3

数年前から会社としてSDGsの実践にも積極的な長瀬さんに、森だけでなく、会社も「経年美化」するための哲学と具体的な取り組みについて語ってもらいます。

私は20年来、林業や建築やエネルギー分野で日本の事業をサポート支援する仕事をしていますが、たくさんの人に出会いました。つながりが強化して長続きしている人もいれば、薄れて別々の道を歩くようになった人もいます。私が関係を長続きさせることができている友人や知人には共通点があります。それは「自然」が好きなことと、「音楽」が好きなことです。

長瀬さんの自然好きは投稿を見てもらうとすぐにわかると思います。また長瀬さんは大の音楽好きで、熱烈なLP収集家でもあり、自宅の地下室に、自分だけのオーディオ室を持っているくらいです。高山でジャスのコンサートもよく企画されています。

「自然」も「音楽」も、どちらも嘘をつきません。

「すべての理論はグレー。森と経験だけがグリーン」とドイツの森林業のパイオニアのプファイルは言いました。

声や音楽を聞く耳は鋭敏で精確な器官です。目は耳に比べれば、あいまいな器官です。絶対音感はあっても、絶対色感はありません。視覚では人を騙すことができても、耳は騙すことができません。嘘発見器はだから声を分析します。

何事もお金に換算することを要求し「我買う故に我あり」のライフスタイルへ人を巧みに誘導する資本主義市場経済。人やモノを実際以上に大きく見せたり、逆に小さく見せたりする視覚偏重の現代のメディア。そんな人間の尊厳もヒューマニティも低下させる世界の中で、嘘をつかない自然と音楽は、私にとっては心の拠り所で、人間関係の強固で耐久性のある接着剤です。

ドイツ西部の洪水被害の複合的な要因 〜地質、農地整備、モノカルチャーの林、林業機械

先週(7月中ば)に西部ドイツを襲った洪水被害ですが、死者は160名を超え、行方不明者は200人近くと推定されています。洪水被害は、中欧でも近年増加していますが、今回の被害規模はそれらを大きく上回るものです。命を亡くされた方にご冥福をお祈りするとともに、被災された方々に、1日も早い復興をお祈りします。また精力的に被災地の復興支援を行われている数万人のヘルパーの方々にも多大な敬意を表します。

ベルギー東部からドイツ西部にかけて、低気圧が数日停滞し、48時間の間に100〜200mmの雨が集中して降ったことからこの被害が起こりました。
私が最初に疑問に思ったのは、2日間で150mm前後という降水量と被害規模です。確かに大きな降水量ではありますが、このレベルの降雨は、私の住む地域でも他の地域でも過去に起こっていて、被害はあってもそれほど大きなものにはなっていません。なぜ今回被害があった地域で、この雨量で前代未聞の被害が発生したのかです。

大きな被害があったラインラントファルツ州のアール川流域のことをここ数日で調べてみました。

私が最初に推測したのは、地質が影響しているのではないか、ということです。被害にあったエリアはアイフェル山岳地域の周縁部。シルト岩が多い場所です。シルト岩は屋根の瓦や外壁ファサードとしても使われるくらい、細かな粒子でできた岩石で水を浸透させません。その上に生成される土壌は粘土質が多く、これも含水容量は大きくても浸透性が悪く、急激な雨水は、土壌にほとんど吸収されず、表面を流れてしまいます。新聞やテレビの報道では、地質のことは触れられていませんでしたが、この地域をよく知る生物学と土壌学の専門家ビュック氏(ヒルデスハイム大学客員教授)のインタビュー記事を、専門的な情報提供サイトで見つけました。
https://www.riffreporter.de/de/umwelt/hochwasser-ueberschwemmung-ahr-tal-ursachen

私の推測を肯定する見解が述べられています。

アール川流域は、浸透性の悪いシルト岩質で、しかも急な斜面が多く、山や緑地や畑に降った雨水のほとんどが土壌の表面を急スピードで川に流れていき、短時間で川の水位が上昇したようです。今年は春先から雨が続いていて、土壌がそもそも水分飽和状態になっていたことも、表面流水を増加させました。

この流域が地質的に洪水のリスクが高いことは知られていて、過去にも1601年、1804年、1910年に大きな洪水に見舞われたようです。

専門家のビュック氏は、地質だけでなく、過去150年の人間による土地利用も、今回の水害を助長している原因だと指摘しています。

1)まず農業。ワインの産地でもあり、効率的な生産と作業のために、とりわけ戦後、大きな耕地整理事業があり、地形に合わせて細かく配置されていた畑が、土地造成で大きな面積に束ねられ、以前畑の斜面に蛇行していた沢の多くは埋められ、数カ所の直滑降の排水路に集約されました。水は以前に比べはるかに速く、たくさん川に集まります。また、保水能力がある程度ある牧草地だったところが、動物の飼料用のトウモロコシ畑になり、保水力が低下しています。

2)道路や建物の建設などで、以前の川の遊水地が少なくなってしまったことも要因の一つです。

3)それから森林。以前は、根をしっかりはり、保水力も高いブナやオークなど広葉樹主体の森であったのが、19世紀から、根を浅くしか張らないトウヒのモノカルチャーに変わって行きました。現在そのトウヒのモノカルチャーが、旱魃被害でムシにやられ、緊急の皆伐が増えています(ドイツでは基本皆伐は禁止されていますが、被害があったところは、被害の拡大を防ぐために伐採されます)。一面のトウヒ枯れや虫の害対策の皆伐による森林土壌の保水力の低下も、洪水を助長した要因です。

ビュック氏は、気候変動防止の対策とともに、これら土地利用の是正や修正も今後行っていく必要があること、並行して、河川の近自然化と遊水池の確保などにより、水の流れるスピードと量を抑制することを主張しています。総合的で抜本的な対策です。

また彼は、洪水時だけ水を一時的に溜めることができる小さな土壁のダム(大きな遊水域)をいくつか流域に作ることも提案しています。河川の近自然化や土地利用の是正だけでは受け止められない洪水のリスクを軽減するために。実はこの流域では、1910年の大洪水を受けて、1920年代に洪水受けの遊水ダムを3箇所(合わせて1150万リットルの一時溜水量!)を作る計画があったそうです。しかし第一次世界大戦後の経済的に厳しい時で、同じ時期に近郊でF1サーキット「ニュルブルクリング」の建設も行われたため、このダムの建設は財政上の理由で中止となりました。人の命や財産より、「遊び」と「見栄」、「目先の経済」が優先された例です。このダムが当時建設されていれば、計算上、今回の洪水被害は大分抑えられたはずです。

このアール川流域の上流部の高台には、世界的なベストセラー本『樹木たちの知られざる生活』で有名な森林官ペーター・ヴォールレーベンが森林アカデミーを運営しています。トウヒのモノカルチャーの危うさとエコロジカルな貧困さを訴え、多様な森への転換を提案・実践している彼は、被害後すぐに、短いビデオメッセージを流しています。ビュック氏と同様に、トウヒ林&近年の皆伐と洪水被害の因果関係を指摘しています。また、大型の重い林業機械(ハーベスターやフォワーダ)の問題点も指摘しています。機械が通るために斜面に真っ直ぐ上下方向に設置された林内走行路では、土壌が機械の重みで圧縮され、その轍に水が集まり、地面に浸透しないで下に速いスピードで流れ、洪水を助長していることを指摘しています。
注)ここで言っている林内走行路は道とは言えない、マシンの走行幅を伐開しただけものです。水のマネージメントをしっかりした基幹道とは区別して捉えなければなりません。

伐倒から枝払い、玉切りまで、すべて機械でやるというハーベスターとフォワーダのシステムは、平らで硬い岩盤の地盤、表土も少ない場所(北欧)で開発された機械で、そういう場所に適しているものです。傾斜が急なところ、粘土質で地盤が柔らかいところ、腐葉土が多いところでは、木の生産基盤である土壌を著しく損傷させ、保水能力も低下させてしまうリスクがあります。過去20年、ドイツのいくつかの専門研究機関は、土壌保護の観点で、警鐘を鳴らしてています。

10年前に中欧の森林官と一緒にサポートした日本の森林再生プラン実践モデル事業では、いくつかのモデル地域の人たちや専門家は、作業生産性が高いハーベスタとフォワーダーのシステムを要望されましたが、森林官も私も、傾斜があり柔らかく繊細な土壌を持つ日本のそれらの森林事業地では不適切な機械システムと判断し、頑として推薦しませんでした。当時反発も受けましたが、今でもその判断と提案にブレはありません。

谷や沢が多い日本では

今回の熱海の土砂災害では、谷筋の窪地に埋められた盛土(土木工事の残土など)が主要な原因との推測がされている。また尾根を削って造成されたメガソーラーや、雨が降ると土砂を運ぶ川のようになる水を制御できない構造の林道との関連性も議論されている。

いずれも、雨が多く、繊細な地質と土壌の場所では、やってはいけない開発である。私が住むドイツでは、いずれの類の開発も、幸いなことに、法的に許されていない。

土木残土を谷や沢の窪地に埋めることは、作業は楽でコストも安いから、日本全国で何十年もの間、慣行されている。だが、谷や沢は、地中と地上の水が集まる場所で、生態的にも地質・水文学的にも非常に繊細なエリアだ。できるだけ触らないほうがいい。そんな繊細で水の動きが強い場所に、残土を埋めたり、伐採残木を無造作に投げ捨てたり、水を集めてしまうような構造の道を作るのは、防災の観点では、地雷を埋めるようなもの。

10年前から年に1〜2回くらいのペースで日本の山に行って仕事をしているが、そんな地雷を各地で見るたびに、心が痛んだ。地雷が爆発して被害を受けている映像や傷跡も何度も見た。

残土を出さないような道のつくり方もある。地形に合わせ、等高線に沿った、丁寧なライン取りをすれば、土砂の掘削量は少なくて済む。また、半切半盛というやり方もある(ただし、上で削った土砂を下で盛るのではなく、押さえ踏み固めながら強固な路体をつくる)。そんな道は地形に合わせてカーブが多く滑らかで、美しくもある。一方、できるだけ最短で目的場所にたどり着きたい人間の傲慢と怠惰で、真っ直ぐに設計施工された道では、掘削量も多く、見た目もあまり良くない。

持続する道には、水を路上に集めない、加速させない、分散して、ブレーキをかけて排水する水のマネージメントが必要になる。古代ローマの道にも、日本の古道にも、それがある。雨が多く、谷や沢が多い日本では、とりわけ入念で丁寧な施工が必要になる。

人間が自然の恵みを計画的に定期的に得ていくためには、自然にアクセスするインフラが必要になる。自然の生産力も生態的多様性も防災機能もレクレーション機能も維持発展できる質の高いインフラの作り方は、昔からの知恵や経験、現代の知見や技術の中にある。

拙著「多様性」の2章では、ここの写真にあるような、日本の自然の繊細さに配慮した、美しく多機能な森林インフラ作設の事例(参照:写真)も紹介しています。
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