『多様性』から生まれた波紋

2年半前にいきなり世界中を襲ったパンデミックによって、動き回れない、人ともあまり直接交流できない、サナギのような生活を強いられて書いた本『多様性〜人と森のサステイナブルな関係』。突然訪れた静寂のなかで、過去と現在、未来を見つめ、自分を見つめ、これまで得た知識や経験を整理して、未来へ歩んでいくための心のかたちを整える、自己セラピーにもなりました。前書きにも書きましたが、まず自分のために書いた本です。

出版して1年半が経ちましたが、多方面から数々の評価やレビューをいただき、また紹介もしてもらっています。

世界的に有名な森林生態学者の藤森隆郎氏から長文の個人的な書評:
https://note.com/noriaki_ikeda/n/n0821d5634526

アマゾンで現在84件のグローバル評価
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B091F75KD3

『林業経済』(2021年 No.8)で長坂健司氏による書評
https://cir.nii.ac.jp/crid/1390290172816342272

『北方林業』(2022年 No.2)川西博史氏による連載書評
http://lab.agr.hokudai.ac.jp/jfs-h/index.php?%CB%CC%CA%FD%CE%D3%B6%C8

『廃棄物資源循環学会誌』(2021年 No.6)で友田啓二郎氏による書評
https://jsmcwm.or.jp/journal/?post_type=journal&p=2507

『Vane(ヴェイン)』(2021年8月)で冨田直子氏による書評
https://www.vane.online/current_number/

『季刊地域』(2021年秋号)で野中優佳さんによる書評
http://kikanchiiki.net/contents/?p=6860

『山林』に関連記事掲載2021年12月号
「ドイツから日本へ、気くばり森林業のすすめ」
http://sanrin.sanrinkai.or.jp/

専門誌『山林』2022年4月号で書籍紹介
http://sanrin.sanrinkai.or.jp/

『グリーンパワー』(2021年7月号)で書籍紹介
https://www.shinrinbunka.com/publish/greenpower/23339.html

Forest Journal で私の記事と一緒に書籍の紹介
https://forest-journal.jp/market/31805/

『ウッドミック』(2021年8月号)で書籍紹介
https://woodmic.com

NPO法人 森づくりフォーラム のサイトで書籍紹介
https://moridukuri.jp/forumnews/review210912.html

また、慶應大学経済学部、岩手中小企業家同友会、ぐんま日独文化協会、持続可能なまちづくり研究会、エコハウス研究会、京都府産木材利用推進協議会など、多彩な分野から、オンライン講演の依頼を受けました。たくさんの人々が森林に関心を持っていることの表れです。残念ながら、大元の森林林業の教育機関や団体からは、まだ依頼が来ていません。お待ちしております。

2021年夏には、パタゴニア・ジャパンの社会環境部の方から、パタゴニア提供のFM長崎の番組「NATURE & FUTURE 」に、長崎出身者として出演依頼も受けました。

本を出版してから、以前からの交流が再燃したり、新しい交流も生まれました。『多様性』の改新版もしくは続編のアイデアも頭の中で熟成させています。その一端は、noteのマガジンにまとめていますので、よかったらご覧ください。
https://note.com/noriaki_ikeda/m/me81f176b0158

今回の出版は、普通の書籍流通には乗せずに、オンデマンド印刷のペーパーバックという方法を選択しました。オンラインでの販売のみで、注文が来てから印刷され発送される、という流通の無駄がないシステムです。執筆だけでなく、編集から販売まで、出版社に頼らず、自分でトータルでコーディネートしてやってみたかったこと、また普通の流通に載せると、せっかく印刷された本の3〜4割程度が返品・廃棄処分されてしまう、という残念な状況を回避したかったことが、これを選択し
た理由です。

嬉しいことに、売れ行きはまずまずで、これまで出版社を通して出した共著本で普通に刷られているのと同じくらいの部数が、「無駄なく」販売されています。

オンデマンド印刷本のコンテストで優秀賞もいただきました。
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000004456.000005875.html

普通の流通には乗せていないですが、国会図書館をはじめ、全国各地の図書館にも置いてもらっています。私が営業をかけたり、献本したわけではなく、読者の方々が地域の図書館に希望を出されて、棚に並べてもらっているものです。

印刷本と電子書籍、両方出しています。写真は前者は白黒、後者はカラーです。電子より紙の本を手にとって読みたい、という方がまだ多いようです。紙の本を購入された方々のために、音楽付きでカラー写真のスライドショーも作成して公開していますので、よろしければ。
https://youtu.be/ZmwJY3dijxk

美は乱調にあり

表題は、5月9日のオンラインセミナーで、講師の夏井辰徳さんが、最初に引用された言葉です。夏井さんは、岩手県九戸村の約300haの広葉樹林にて、補助金に一切頼らずに森づくり、原木生産、木材加工と販売を、「九戸山族−夏井蔵」という団体で、数名の仲間と一緒に行なわれています。

「美は乱調にあり」は、小説家の瀬戸内寂聴の代表作のタイトルです。その続編である「諧調は偽りなり」とセットになっています。

4月から私が12人の多彩な講師陣と一緒にシリーズで開催しているセミナーのタイトルは「広葉樹は雑木ではない」です。「雑木」というのは、揃えること、「諧調」することが好きな人間がつけたネーミングです。ごちゃごちゃ複雑多様で理解・把握しきれないものを「雑」と一括り束ね、思考や探求をストップしてしまう人間。整理する、単純化することは、脳神経学的には、脳がパンクするのを防ぐ脳の省エネ化行為、人間が生き延びるための行為です。一方で、複雑多様なものを受け入れ、そのつながりを理解し、活用することでも省エネ化することができること、サスティナブルなソリューションの実践者の多くがそうしていることを、昨年出版した拙著『多様性〜人と森のサスティナブルな関係』で描きました。

夏井さんの話の核心は、100種類以上の広葉樹が育つ森での施業は、乱調を受け入れ探求し、乱調に美を見い出す感性が必要だということでした。多様で複雑なものを、視覚だけでなく、全感覚で探求し、そこに繋がりや真理を見出し、美を感じるということです。夏井さんは、現代のプレゼンテータの標準装備であるパワポを使わずに、囲炉裏を囲んでみんなに語るように、静かに、深く広い話をしていただきました。

乱調のリズムという言葉も出たので、パネルディスカッションの時に、私が好きな音楽や聴覚の話題を振リました。夏井さんはローリングストーンズが好きだそうです。「彼らは、音楽的には、はっきり言って下手くそだけど、魂がこもっていて人々を魅了する」と夏井さん。「彼らの音楽はつまり、乱調なんですね」と私がいうと「そうそう、その通り」と相槌が返ってきました。

乱調だけど、そこに「美」、別の言葉で言い換えると「愛」を感じるものがあります。逆に、乱調なだけで、そこに美も愛も感じないものもあります。音楽でも、そして森でも。なぜそう感じるのか。それは、数字や文章、図面では説明できないものです。

企業や団体でも同じことが言えますよね。多様で個性あるメンバーで構成され、いろんな意見や思い、アイデアが飛び交い、一見「乱れ」ているように見えても、それらを繋ぐ核となるリズムがあり、メンバーにも、外のお客さんや協働パートナーにも愛されている企業や団体があります。

『多様性〜人と森のサスティナブルな関係』がPOD出版コンテストで賞をもらいました

『多様性〜人と森のサスティナブルな関係』
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B091F75KD3

POD(プリントオンデマンド)出版のコンテストで優秀賞をいただきました。
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000004456.000005875.html

PODとは、普通の出版社を通さない自己出版の方法で、注文が来てから印刷して送る、という紙の無駄が出ない、絶版もない(著者が決定できる)やり方です。

受賞者12名の本は、とても多彩で、普通の出版社ではなかなか出すことが難しい、各著者の特別な思いや経験、優れた知見、技能、愛情が溢れた、特別な作品です。私も読んでみたいものががいくつかあります。

PODで出版されるのは、通常、普通の出版流通に乗せてもらうのが難しい特殊な本ですが、大賞を獲得されているEdit room:H著『投資ド素人が投資初心者になるための 株・投資信託・つみたて NISA・iDeCo・ふるさと納税 超入門』は、発売から2年で1万部売れているそうです。

私の本『多様性』も、発売からもうすぐ1年経とうとしていますが、たくさんの丁寧な書評・レビューをいただき、自分では満足行く売れ行きで、とてもありがたく思っています。

POD出版を選択したのは、執筆から編集、出版まで、全部自分の責任でやってみたかったのと、普通の出版流通に乗せて30〜40%の本が返品廃却処分になる、という勿体無い状況を回避したかったからです。友人のデザイナーとプロの校正者などに助けてもらって出版しました。

以下、いただいた選評です。

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選評:ドイツに長年住む森林の専門家である著者による、四半世紀の間に学び、働き、生活する中で得られた幅広い知見が、人と森との関係を軸にまとめられた一冊です。

この本は、Amazonのカスタマーレビューでも「まさにSDGsそのもの」「SDGsの本質を学べる本」などと高い評価を受けています。実際に日本ではSDGsという言葉がバズワードにもなっているほどですが、著者が拠点にしているドイツはサステナビリティ(持続可能性)の語源を持つ国でもあるにもかかわらずSDGsを知らない人も多く、著者もそれを意識して執筆したわけではないらしいのです。

著者の池田さんご自身によるドイツでの長年の体験や経験から培われた本物の「知」と、「サステナビリティ」という時代が求めるテーマ。そのふたつが高度に結びついた内容になっている本書には、SDGsブームにのって急ごしらえで作られたようなコンテンツとは一線を画す「本物」感があります。そしてその結果として、日本では「まさにSDGsそのもの」として多くの人に受け入れられることとなりました。それらのことが高く評価されました。

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書評 「多様性」 by 友田 啓二郎さん

友田さんは廃棄物関係で日本有数のエキスパートで、広島に本社がある環境コンサルティング会社「(株)東和テクノロジー」の代表取締役を務められています。

私がフライブルク大学森林学部に入学したばかりの1998年に、お仲間の方々と一緒にフライブルク市に環境視察に来られ、その時私が1日、通訳と案内を担当しました。廃棄物の視察を午前中1時間くらいでさっと終え、その後シュヴァルツヴァルトの森林散策に連れて行ったのを覚えています。「何でこんなに歩かなきゃならないのよ」と一部の参加者から文句が出ましたが、2時間ほど、私が大学で学んだばかりの知識と森林署での研修の経験を話しながら森を歩き、その後ロープウェーに乗り山頂のレストランで昼食を取りました。

今回、廃棄物資源循環学会の学会誌に、友田さんが私の本の書評を書いてくれました。廃棄物とは全く違う分野の本を、権威ある学会誌で取り上げていただいたことに驚くと共に、深く感謝しています。一昨年から始めたオンラインセミナーでも感じていることですが、様々な分野の人たちが、「森」というテーマに潜在的な関心を持っていて、またそこから生活や仕事に、知見やヒント、勇気や安らぎを得られています。

友田さんは国際的な学会で時々、スイスやドイツを訪問されているようです。お互いしばらく会っていないので、次の機会にはぜひ、友田さんが夢にも見るという、20年以上前に私が連れて行ったフライブルクのあのビアガーデンの自ビールで乾杯しましょう、と誘っています。コロナでまだ実現していないですが、今年2022年はおそらく…。

以下、友田さんからの書評です。許可をいただいて、掲載しています。

ドイツに住み,ドイツの情報を発信する日本人は少なからずおられるが,著者の池田憲昭氏もその一人である。容器包装リサイクル法黎明期の 1990 年代,ドイツを訪れ,環境先進都市と して知られたフライブルクで視察をアレンジいただいた読者も多いのではないか。 
本書は,著者がドイツでの 25 年間で得た知識と経験をもとに,自らのフィールドである森林 学を通じて,エコシステムとしての森林のもつ多様性をテーマに,持続可能で人の尊厳を尊重 した社会,生き方を論じた良書である。 
本書は,5つの章からなり,第 1 章では,林業と森林業の違い,そして,森林に備わる多様性 を例に,多様性が持続可能性 (サスティナブル) を支える重要な要素であることを解説する。 そもそも,サスティナブルという概念は,今から 300 年前にドイツの林業の世界で生まれたという。地方の高官であったハンス・カール・フォン・カルロヴィッツの著書で述べられた保続的 (nachhaltende) が直接の語源とのこと。 サスティナブルとは,次世代への想いやりであり,大学での森林学においては,50 年先,100 年先,300 年先を見据えた視点での基礎教育がプログラムされているという。森林を支える重要な管理手法に択伐 (天然更新を活用した複層構造の森) があり,今日では,「選択間伐」そして継続的な管理,利用を可能とする「道」(多機能森林基幹道)の整備がなにより重要であるとした。 
第 2 章から第 4 章では,日本における森林管理に対する指南,多様性を維持する森林がもたらす多様な便益等について詳細に解説する。日本にはヨーロッパの専門家も羨む豊かで多様な森林が多く存在する。ただ,利用を支える 「道」がない。ドイツでは多くの人々が森林に入っている。人口 1,000 万人の州で 1 日平均 200 万人の人が森林に入っているという。多様性を備えた森林の魅力に加え,利用を可能にする「道」が整備されているからと解説する。 森林を原資とする地域経済のクラスターやマイスター制度を通じた人材育成については,豊富な取材や自らの経験を通じてこの魅力と効果を伝えてくれる。 
第 5 章「多様性のシンフォニー」では,森林とのかかわりから見出される多様性のもつメロディーについてさらに 掘り下げた考察を試みている。植物神経生物学の視点を織り交ぜつつ森林が私たちに語りかける言葉を読み解くとともに,「樹木にどう育てられたいか,聞きなさい」との視点が重要と教える。多様性を理解し,受け入れ,活用していくための所作である。日本からの視察者に対しては,「違いではなく,共通点を探すように」と伝えているという。 競争ではなく協調や協働が遥かに大きなモチベーションを人間に与えるはずだと。そして,制度,システム,技術を読み解くときには,これにかかわり影響を与えた人々の「想い」を感じ取ることが重要と説く。 
本書には,専門外であっても一気に読める,「なるほど!」が散りばめられている。また,本書から伝わる情報や想いは,持続可能な地域循環共生圏を目指すわれわれにとって大いに参考となると考えられる。著者にとって 25 年は折り返しである。次のゴールに向かって何を編むか,大変楽しみである。
(株)東和テクノロジー 友田 啓二郎

廃棄物資源循環学会誌 Vol. 32, No. 6, 2021

Anti-Discipline 専門の垣根を取り払う!

私は、岩手大学の人文社会科学部で学びました。哲学、文学、言語学、心理学、経済学、社会学、自然科学、情報処理学と、幅広い専門分野の授業を受けました。分野横断的な思考ができる人材の育成が目的の学部でした。盛岡での学生時代はスキーやアウトドアを楽しんで、それほど熱心に学問に打ち込みはしませんでしたが、多彩なカリキュラムに時々、刺激を受けました。

分野横断的なアプローチは、専門用語では「学際的(interdisciplinary)」と言います。1970年代以降、現代の環境社会問題が、様々な要素が絡み合う複合的なものであって、様々な分野が一緒になって解決する必要がある、という認識が広まり深まった結果、学際的なアプローチが提唱され、学部や研究チームなどが、世界中で設立されました。岩手大学の人文社会科学部もその流れの中で生まれたものです。

私は岩手大学卒業後、在学中のドイツ留学で気に入ったフライブルク市に再び戻り、フライブルク大学の森林学部に入学しました。森林学は、19世紀はじめにドイツで体系づけられた学問分野ですが、学際的なアプローチのパイオニアとも言えます。森をしっかりマネージメントするには、生物学、生理学、生態学、地質学、土壌学、地理学、統計学から、経済学、政治学、歴史学と、幅広い分野の基礎知識が必要で、それら広い観点から総合的にアプローチして、個々の措置を判断し実践していかなければなりません。そのための思考の訓練を、私は5年間、教室とフィールドで受けました。そこで得られた経験とノウハウは、コンサルタント、コーディネーター、文筆家としての日々の仕事でも、とても役に立っています。

しかし最近、Inter-disciplineとは違うAnti-disciplineという新しい概念、アプローチがあることを知りました。直訳すると「反専門性」です。でも、専門に反したり反対したりしていることではなく、各専門分野の垣根を取り払い、柔軟に分野「融合」的な思考することです。例えば物理学者が、心理学、社会学、宗教学のアプローチや知見を融合させた研究をすることです。Anti-discipline を日本語で「脱専門性」と訳されている方もいます。「学際性」を超越するアプローチなので、私もこちらの訳の方がしっくり来ます。

「学際的」なアプローチでは、自分の専門分野の規範やルールという垣根の中で生きる専門家が集い、それぞれの分野の知見を結びつけ・統合させることを試みます。いろんな専門分野の人たちが学際的に議論している中で、「私の専門ではないので…」という言葉がよく聞かれます。私も時々使います。これは自分が深く細かく知らない事柄への敬意であり、専門家としての謙遜の態度でが、自分の専門の領域に境界線を引いている、垣根をつくっていることでもあります。学際的なアプローチでは通常、自分の明確な守備範囲を持った各分野の専門家が、垣根越しにキャッチボールをします。様々な観点を結びつけること、統合することを目指していますが、そこにたどり着くための主な作業は、各専門家が自分の専門分野の手法で、物事を「区別」「分類」「分析」することです。

一方、「脱専門的」なアプローチでは、個々の専門家の明確な守備範囲も、専門の垣根もありません。意識的に垣根を取り払い、自由に動き、柔軟に発想します。「専門」という意識が取り払われることで、「私の専門でないので…」という言葉もほとんど出ません。「区別」「分類」「分析」という一般的な科学の思考よりも、「連関」「連想」「連結」のネットワーク思考が重視されます。

近代科学は、複合的な事象を「区別」「分類」「分析」することで発展しました。その科学の発展によって、私たちを取り巻く社会は、以前とは桁違いに複合的になりました。超複合的な現代社会の様々な事象や問題を理解し、解決するためには、古典的な科学のアプローチでは限界があります。

脱専門的アプローチを実践する科学者は、世界でもまだ少数ですが、ドイツで著名な「複合性理論」の研究者ディルク・ブロックマン(Dirk Brockmann)はその著書で、現代社会の問題を解決するために、ネットワーク思考が大切なことを主張しています:

「世界にあるほとんど全ての知識をみんながスマートフォンで持ち歩いている世の中では、私たちは動的な連関性の思考に集中することができる−−個々の専門性や知識のサイロに潜ることなしに」

私は分野「横断」的な教育と訓練を受けてきましたが、これからは、もっと柔軟に分野「融合」的な思考と仕事をしたいと思っています。科学と現場、理科系と哲学・文学・音楽を結びつけることを試みた拙著『多様性〜人と森のサスティナブルな関係』では、脱専門性は意識していませんでしたが、分野融合的な思考への序奏にもなっている気がしています。

『多様性〜人と森のサスティナブルな関係』
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B091F75KD3

権威ある林業経済学会誌で書評

昨年春に出版した拙著『多様性-人と森のサスティナブルな関係』は、業界関係者や専門家だけでなく、広く一般の人々に読んでもらえるように配慮して、エッセイ風に書いた本ですが、大変嬉しいことに、権威ある「林業経済学会」学会誌の書評で取り上げてもらえました。
https://www.jstage.jst.go.jp/…/8/74_26/_article/-char/ja/
書評の最初のページだけ、サンプルとして掲載されています。全文のダウンロードは、学会会員でないとできないようです。
書評を書かれたのは、ドイツとスウェーデンに留学経験をお持ちの東京大学大学院農学生命科学研究科の研究者:長坂健司さんです。
理系と文系の結びつき、科学と文学・哲学・音楽の結びつき、林業現場、行政、研究界、経済界、一般社会の結びつきを願って書いた本です。また、比較による分析、分類ではなく、統合と融合のアプローチを促進する意図もあります。そういう動きが生まれることを望んでいますし、日本の繊細な宝物「森」を守り、育て、活かすために、研究者の方々による支援も期待します。

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多様性〜人と森のサスティナブルな関係www.amazon.co.jp

2,640円(2022年05月21日 16:34時点 詳しくはこちら)

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慶應大学の全労済協会寄付講座でオンラインレクチャー

先週、慶應大学の経済学部の約250名の学生向けに、オンラインで森林業の話をしました。全労済協会の寄付講座でした。

参加者の数では、私のオンラインセミナーの最高記録です。

拙著『多様性−人と森のサスティナブルな関係』を読まれた駒村康平教授から、昨年夏に依頼を受け、最終講義の回に当ててもらいました。

ドイツ時間、夜中の2時45分からの開始で、ホームオフィスの灯りをつけて、机に座って画面に向かって話す、という最近ときどきあるシチュエーションです。しーんと静まり返った真夜中にレクチャーするのは、ちょっとハイな気分になり、奇妙な感覚です。

多方面へ「気くばり」をする、生活、文化、経済と様々な相乗効果をもたらす森林業から、経済学部の学生だったので、デモクラシーの基盤である「尊厳」と「資本主義経済」の関係性、ニューロサイエンス(脳神経学)の知見からの人間社会のあり方まで話しました。

学生からは、森林業への質問が、時間内では答えきれないくらいたくさんありました。

駒村教授は、ニューロサイエンスのテーマで、もっと深く議論したいと仰っていただきました。

終わったのは朝4時。高山の友人で森林業のパートナー長瀬雅彦さんから数年前にいただいていた特別なウイスキー「Shivas Regal MIZUNARA Edition」を2フィンガーくらい飲んで、気持ちを鎮めてから床につきました。

昨年本を出してから、光栄なことに、様々な団体からオンラインレクチャーの問い合わせをいただいています。木材、建築、街づくり、再生可能エネルギー、レクリエーション、アウトドア、ドイツ文学、農学、経済学…と多様な分野の企業や団体や教育機関からです。森林業の「周縁分野」、専門外の方々が、日本の宝物である「森林」に高い関心を抱かれています。

残念ながら、コアである「森林」の関係団体や教育機関からは、これまでオンラインレクチャーの依頼がありません。生の交流、現場での研修を重視する風土がありますので、オンラインには積極的ではないのかもしれませんが、日本やドイツにて、みなさんと生の交流ができるまでは、あとしばらくかかりそうです。特に、これからの社会を担う若い学生や、第一線の現場で働かれている方々と交流したいと思っています。お気軽にお問合せください。

孤高の木、家族や民族として生きる木々

自然を愛したヘルマン・ヘッセは、「木」という奥の深い詩を書いている。その詩は、次のフレーズで始まる。

「木は、私にとっていつもこの上なく心に迫る説教者だった。木が民族や家族をなし、森や林をなして生えているとき、私は木を尊敬する。木が孤立して生えているとき、私はさらに尊敬する。そのような木は孤独な人間に似ている。何かの弱味のためにひそかに逃げ出した世捨て人にではなく、ベートーヴェンやニーチェのような、偉大な、孤独な人間に似ている」

詩の全文はこちらから:
https://note.com/noriaki_ikeda/n/ndc0e30cbb3da

私が住むシュヴァルツヴァルトの草原や牧草地には、ヘッセがより尊敬する、ベートヴェンやニーチェのような孤独に強く生きる孤高の木がある。存在感があり、思わず写真を撮りたくなる。

でも、多くの樹木は、大きな森や小さな森として、民族や家族のように寄り添って生きている。人間と同じように、助け合いも競争もする仲間を必要としている。仲間から離れて1人孤独に生きる樹木も、実は1人ではない。土壌の中の無数の微生物や昆虫や鳥とつながって、支えられながら生きている。ベートヴェンやニーチェのような孤独で崇高な人間も、無数の腸内細菌や周りの動植物とのつながりと支えによって生きているのと同じように。

人間に例えたら幼い子供くらいなのに、孤立して植えられた、もしくは仲間から大きく間隔を開けて植えられた街路樹や公園の若木を見ると、悲しくなる。幼く自立できないから、木製や鉄製の保護柵で倒れないように保護されている。まだ柔らかく病害虫が入りやすい樹皮を白くペインティングしてあるものもある。とても惨めでかわいそうだ。彼らが植えられる場所は建設土木作業で圧縮された土壌が多いので、固いし、空気も少ないし、保水力も少ない。だから、日当たりはいいのに、成長が遅い場合がよくあるし、枯れないように頻繁に水やりが必要になる。

家族や民族として育つ樹木たちは、お互いに支え合って生きているので保護柵もペインティングも必要ない。みんなで根を張って土壌を耕し空気を入れ、土壌の小動物や微生物を増やし、保水力も高めるので、頻繁な水やりも必要ない。

私もベートーヴェンやニーチェのような偉大な孤高の人物を尊敬する。でも、ヴェートーベンのシンフォニーを演奏し合唱するオーケストラやコーラスに、より感動し、希望を感じる。そして、私たち人類が今、より必要としているのは、ニーチェのような1人の崇高な哲学者ではなく、個々の特性や能力で、共に未来を創造する、たくさんの多様な人々だと思う。

2021年春に出版した『多様性〜人と森のサステイナブルな関係』にも、シンフォニーを演奏し合唱する人たち、みんなで未来を創造する人たちを描いています。
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B091F75KD3

「人新世の資本論」を読んで、ヘッセとマルクスが繋がった

昨年から話題になっている斎藤幸平氏の「人新世の資本論」。序文にて「SDGsは大衆のアヘンである」と、市民の身近な環境行動を非生産的なものとして批判している、ということを、知人のブログで半年くらい前に読んだ。個々人の身近な行動が、意識の広がりを生み、最終的に社会を動かす力にもなっていくポテンシャルもある、という考えを私は持っているので、反発があった。また、多くの読者がこの本を手に取る前に思ったであろう「なぜ今さらマルクス?」という疑問もあった。だからしばらくの間、取り立てて読もうとも思わなかった。でも多くの読者を魅了し、力を与えている本のようなので、その真相を、他の人の書評でなく、自分自身で確かめたいという思いもあり、最近購入して読んでみた。

SDGsには、義務規制も、統一的な査定や認証の仕組みもないので、CSRと同じようにグリーンウォッシュとして悪用されることも、自己満足や、深刻な問題に目を閉じるツールとして使われることもある。斎藤氏は、資本家による利潤の蓄積が目的、機動力となっている資本主義という現代社会の問題の根本にあるものにメスを刺さずに行われている政策や運動を批判している。彼はその文脈で、代表的な運動の例としてのSDGsを挙げて「大衆のアヘン」と表現している。ただ、SDGs自体は、1992年のリオの環境会議からの活動の中で構築されてきた、包括的な指針であり、これまでの人類史にはない、人類の共通の意思表示である。私は高く評価している。その指針に命を吹き込んで行くのが個人や企業や団体や自治体や国の使命だと。

私は今年の春に出版した『多様性〜人と森のサスティナブルな関係』にて、社会が変わるためには、個々の人間の心が変わることが大切だ、という経験的な認識を、私が敬愛するヘルマン・ヘッセを随所に引用して伝えた。ヘルマン・ヘッセは、1960年代から 70年代にかけての世界的な社会変革運動の活動家たちに大きな影響を与えたドイツの作家で、同じく大きな影響を与えたマルクスとよく並べられ、対比される。2人は対照的な人物だ。ヘッセも意識していたようで、「…..マルクスと私の違い。マルクスは人類を変えたい。私は個々の人間を変えたい」という短い言葉を残している。

ヘッセは、「我がまま(自身の心の奥深くにある神聖なものに従うこと)」という心の羅針盤を持った人だった。彼の作品には、世界を変えるためには、個々人の心が大切であるという思想が、共通のメロディとして流れている。それに対してマルクスは、社会制度や政治という枠組みを変えることで、世界を変えようとした、と私は理解していた。少なくとも、これまでのマルクスを思想的な支柱にした運動は、そういうアプローチだった。でもうまくいかなかった。だから、なぜに今さらマルクスか、と不思議に思った。でも斎藤氏は、新しいマルクス像を私に与えてくれた。

最近の研究で明らかになってきた晩年のマルクスの思想を、斎藤氏は『人新世の資本論』で解釈し、紹介している。それは、コモン(共有され共同管理される富)の拡張による民主的な「脱成長コミュニズム」である。過去にうまく行かなかった国家権力による社会主義や共産主義ではなく、市民や労働者が主体となった民主的な政治体制や企業・団体のマネージメントによるものである。斎藤氏は、世界中にある協同組合的な企業や市民団体の活動を、脱成長コミュニズムの芽として紹介している。経済分野においては、資本家が利潤を増やすための道具、別の言い方をすると「人材」や「労働力」である労働者が、生き物である人間として、主体的に創造的に働くことができる体制である。これら各地で発生している個々の小さな実践や活動が、世界的に繋がり、社会制度やシステムを大きく変えていく力になる、と斎藤氏は説いている。私が『多様性』の最終章で、ヘッセや脳神経学のヒューター、小澤征爾やスティング、チャック・リーヴェルなどの音楽家を引用し、描いているヴィジョン「尊厳を取り戻した個々の人間による社会の跳躍」と通じるものを感じたので、とても共感した。これまで対照的なアプローチの思想家だと認識していたヘッセとマルクスが、斎藤氏の名著により、私の中で繋がった。

宮脇メソッドの「密植」と天然更新の「密生」の背後にある原理と、人の手の必要性の考察

世界で急速に広がっている、荒地やちょっとした空き地に「ミニ森林」を造成する宮脇メソッドに私が好感を持っているのは、近自然的森林業における天然更新と類似点があるからだ。それは、どちらも「密」で「多様」だということ。前者は、土を施して多様な樹種の「密植」をする。後者は、不均質な間伐で多様な光環境を土壌に与え、多様な樹種の更新を促す。狩猟でシカの食害を抑え、控えめな間伐で光の量を調整して草の繁殖を抑えることができれば、自然は溢れるほどの稚樹を「密生」させる。

密植、密生で育った樹木たちの間では、個々の樹種の光に対する性質や、土壌タイプとの相性、個々の樹木の成長生理学的特性などから、ダーヴィンの「競争」による「自然淘汰」が起こる。側から見たら、過酷な生き残り競争だが、果たしてそれだけだろうか? 密生していることで、草の成長が抑えられる。密生の中では湿度や温度が高くなり、風や日照りや雪から守られ、土壌の侵食が抑えられ、土中の生物活動が活性化し、樹木の成長が促進される。樹木の大切なパートナーである菌根菌もたくさん、いろんな種類の菌が棲みつく。樹木は、土中で菌根菌を媒介にして、空気中では、自ら生成するフェロモンを放出して、仲間や他の生物種とコミュニケーションを取っていることも、「植物神経学」という新しい学問分野で解明されてきている。「競争」の側面より、「協力」の側面が大きい。

競争にあたる英語「competition」の語源はラテン語の「com-petere(一緒に探す)」。ドイツ語「Konkurrenz」の語源もラテン語で「con-curre(一緒に歩む)」。どちらも「競争」でなく「協力」の意味合いを持つ。古代の人たちはおそらく、自然の原理、自然界の一員としての人間のあるべき生き方を、直感的に、ホリスティックに理解していたのではないだろうか。

拙著『多様性〜人と森のサスティナブルな関係』では、「競争」を主要な原動力にする社会システムが現代の様々な問題を引き起こしていること、それらの解決のためには、自然に習って「協力」の思考と行動を増やしていくことが必要だと論じた。最新の脳神経学の知見から、人間の強みは「競争」ではなく「協力」であって、進化の主要な原動力であることも。
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宮脇方式は、自然の森と類似の樹種の多様性を人工的に施して、時間と共に自然淘汰の力を活用して、人手もあまりかけずに多様な森にしていくというストーリーだが、果たしてどこでもそうなるのかどうか、私は疑問を持っている。

宮脇植樹方式と近自然森林業での天然更新に共通するのは「密」と「種の多様性」だが、両者を比較すると、地ごしらえをして土壌を均質化し、開けた場所に同じ時期に一斉に植える宮脇方式では、自然の森にある土壌の多様性、上層木による光の多様性、更新の時間差はない、もしくは少なく、自然淘汰の機能が十分に発揮できない、機能しない限界もあると思われる。私は、現在世界に広がる宮脇ミニ森林を健全な森にしていくためには、場合によって、適切な除伐や間伐が必要になると見ている。特に高温多湿の西日本では、聞くところによると、自然淘汰が起こりにくく、もやし状のひ弱い林になっているとの観察がたくさんあるようだ。

個々の植樹地は継続して観察を行い、森を健全に多様にしていくために必要な場合は、除伐や間伐で手を入れていく必要がある。宮脇先生が理想形としている鎮守の森も、多くの場合、人の手が頻繁に入ってつくられている。

宮脇方式植樹のミニ森林の2つの写真(2014年と2021年)は、東京の二子多摩川公園で撮られたもので、関橋知巳さんからいただきました。