注目

「多様性」〜人と森のサステイナブルな関係 (書籍)

《多様性》をキーワードに、「森づくり」から「地域木材クラスター」「モノづくりと人づくり」「森のレジャー」「森の幼稚園」さらには最新の脳神経生物学に基づいた「文明論」まで、私が過去20年の間で経験したことを軸に、多面的にわかりやすく論じています。
客観的かつ主観的に書きました。
科学的なデータや知見を踏まえた専門書ですが、同時に、《多様性》に魅了されてきた私の経験や思いがベースにあるエッセイでもあります。
思いもよらず、「さなぎ」のような静かな生活を強いられた、この1年。過去を振り返り、今後の自分の生き方を考える時間とモチベーションを得ることができました。
まず、自分のために書きました。次に、子供たちの未来のために。
「森の国」ドイツから「森林大国」日本の未来へ贈る、多様性のメロディです。
専門家や業界人に限らず、広く一般の方に読んでもらいたいと思っています。
森の仲間が増えることを願って。
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B091F75KD3

目次

はじめに ~「多様性」に導かれて

第1章 気くばり森林業

「林」と「森」
明治のパイオニアたちがドイツから持ち帰ったもの
私が「森林学」から学んだ大切なこと
次世代への想いやりから生まれた概念「サスティナビリティ」
世代間の契約
時代の異端児 ガイヤーとメラー
将来の木
人と森をつなぐ道

第2章 日本でこそ森林業を!

ヨーロッパの人たちが羨む「豊かさ」と「多様さ」
日本が持っている宝物の「量」と「質」
日本の森に「新・幹線」
将来木施業と狩猟で「林」を「森」に!

第3章 地域に富をもたらす多様な木材産業

多様な原木は、多様な製材工場を求む
「連なる滝(カスケード)」と「葡萄の房(クラスター)」
優秀な職人を育てる仕組み ~マイスターは現場の先生
木という素晴らしい素材が使える喜び
木で音をつくり、世界へ出かける職人

第4章 生活とレジャーの場としての森林

いつでも気軽に「Shinrin-Yoku」を!
「生きた里山」が観光資源
森の幼稚園

第5章 多様性のシンフォニー

樹木たちの声を聞く
脳のコーヒレント
「結びつき」と「探索」
心の羅針盤
尊厳

あとがき・謝辞

参考文献

アナログ版(印刷本)の販売サイト
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B091F75KD3

電子書籍の販売サイト
https://www.amazon.co.jp/ebook/dp/B08ZCSLL1C


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下は、音楽付きの本のイメージスライドショーです。


レビュー

複数の方から、うれしいお便りをいただいております。

まず、校正という大切な作業をやっていただいた吉田聖子さんからの感想です。

シュヴァルツヴァルトの本来の意味やドイツの林道のこと、樹木のネットワークの話など、知らなかったことがたくさん書かれていた。
ドイツと日本とは、森に関する考え方などがずいぶん違うと感じた。
池田さんのお陰で、ドイツ人が森とどのように付き合っているのか、知ることができた。
日本の場合、縄文時代から森とは深い付き合いがあったはずだが、時代によって失われてしまったことも多くあるのだろうと思った。
アラビア人は砂漠の民なので、砂漠の風に当たることが体に良いと思っていると、本で読んだが、ドイツ人は森の民として、森で過ごすことを体に良いと思っているところが似ているように思った。
ドイツにおける林業の話は、日本の林業の参考になるだろうと思った。
池田さんのご著書は、林業関係者にこそ読んでもらいたいと思った。
池田さんのご著書を読んで、木工品会社を取材したときに聞いた、伐り尽くして手に入らなくなった木材の話を思い出し、改めて「そういうことか」と納得した。
最終章が文明論だったことに感心した。また、池田さんの文明論は、未来に希望が持てると感じた。

多様性という心地よさ   
冨田直子さん  2021年4月12日 アマゾンより

満たされた読後感に浸っています。森の家でしばらく過ごしてきたような、森林浴をしてきたような、そんな気持ちです。
多様性が認められた世界というのは、自分自身もありのままでいることを許された世界であり、その心地よさが、この本にはあるのだと感じます。

そしてもう一つ心地いいのが、著者の文章が奏でる旋律です。音楽好きだという著者により、音楽になぞらえた表現が随所に出てきますが、それだけでなく、著者のルーツや、著者が森や人々と向き合う中で、森の時間に寄り添えるようになっていく一連のストーリーが、登場する人物や植物、生き物たちと共に、美しいハーモニーとなって響いてくるのです。

今後、森について知りたいという人がいれば、私はまずこの本を薦めるでしょう。
誰もが親しめる平易な文で、森という多機能な存在が、全方位から紹介されています。ドイツで行われてきた近自然的森林業の話から、ドイツの森林官が羨むほどに豊かな土壌、木の成長量、生物多様性を持つ日本の森の可能性、そしてドイツに習い日本でも行われている道づくりからはじめる森づくりの取り組み、さらに地域に富をもたらす多様な木材産業の話から、生活とレジャーの場としての森林までと、あらゆることに触れられています。そして、先人たちの試行錯誤により、豊かで持続可能な森と社会の在り方がドイツにはすでにあるという事実は、私たち日本人に勇気と希望をくれます。技術的な内容もわかりやすくリズミカルに書かれており、日本の森の可能性にどんどんと心が躍っていくのです。

また、SDGsの本質を学べる本としても、大いにおすすめしたい一冊です。森は、SDGsのすべてのゴールに通じる入口の一つです。本書では、環境視点だけではなく、人々が森林産業を通じてどのように豊かに暮らせるか、そして、森の幼稚園といった教育や福祉、心身を癒す「Shinrin-yoku」の広がりにまで話が及びます。
さらになんといっても、300年前、ドイツの森でカルロヴィッツによって生み出された「サステナビリティ」という言葉に関する丁寧な考察が、この本にはあります。人類がサステナビリティの大切さに気付いていく過程と、多様性の意義に気づいていく過程とは、まるで右足と左足の関係にあるようです。一歩ずつ歩みを続け、叡智を積み重ねてきた結果今日があるのだということが、ドイツの先人たちが辿った森との向き合いを通じて描かれています。SDGs に関わるものとして、この原点に触れられる学びは大変貴重です。
また第5章「多様性のシンフォニー」で、脳神経生物学者ゲラルト・ヒューターの著作にあると紹介されている「脳の省エネ」の話は、多くの示唆に富んでいます。人類は、最大のエネルギーを消費する脳の「省エネ化」のために、この複雑で多様な世界をあえてシンプルに捉え、生き抜いてきたというのです。よって、二項対立化、整然と整理する、単作・一律で何かを育てる、といったことは人類の生存戦略の一つであるとのこと。大変興味深く、それゆえの進化もありましたが、何事も過ぎたればです。著者の書く通り、今の持続可能なソリューションの実践者の共通項は、多様で複雑な世界を「理解し、受け入れ、多様性を活用している」という下りには共感を持って読みました。多様であることを、むしろシンプルに楽しんでしまいたい、そんな思いが、読み進める中で湧いてきます。

SDGsのいう「誰一人取り残さない」世界に向き合うには、自然界(人間界も含む)における「多様性」への理解が欠かせないと感じてきましたが、本書はそれをもう一段深いレベルで問い直す機会を私にくれました。

誰もが、すべてのいのちの尊厳と向き合い、森と同様に、次世代を想う数百年という時間軸と共に、自分らしく、心地よく、豊かに暮らせる世界――。これからの自分の在り方、世界の在り方を考えていくためにも、何度も読み返したい本に出会えました。そして、森づくりへの思いを、また一層強く持ちました。

是非、多くの方に読んでいただきたい本です。
森に散歩にいくように、またページを開きたいと思います。

「森林」を入口に「多様性、持続可能性」の本質を解きほぐしてくれる
佐々木正顕さん 2021年3月31日  アマゾンより

著者の池田氏は、ドイツ在住25年の経験豊富な森林産業コンサルタント。
ただし、本書は海外の先進的な制度やシステムだけを上から目線で伝えようとするものでななく、アプローチはむしろ真逆だ。
森林に関わる人たちの感情や想いから望ましい森林のあり方を解きほぐしてくれるが、池田氏の筆はそれだけでは止まらない。
特に、ドイツの著名な脳神経生物学者による、脳の省エネ機能を起点とした人間の思考パターンが、物事を単純化して分類させてきたという「発見」の紹介は、本書を貫く太い軸となって大変興味深い。
これをベースに、幸福感や金融資本主義、コロナ後の社会像まで「多様性」が本来意図する社会や自然のあり様を多彩に示唆してくれる。
「本当の持続可能な社会」を模索する、林業関係者以外の方にもぜひお勧めしたい、電子書籍の良さを活かした一冊だ。

多様性は本当に大切である事を学びました。
長瀬雅彦さん  2021年4月14日  アマゾンより

実に内容の意味ある内容、私自身ずっと探し求めてきた本に出会えました。
多様性まさに今一番重要なテーマ SDGsそのものですね。素敵な職人的な家庭に生まれ、新しい生き方、楽しみ方を求め留学し、また違った多様性を学び、日本の文化と西洋の文化を考えた思考で進化したのだと思います。そこでドイツを選択したのが池田様の宝になったのだと思います。留学中の幅広い研究と専門分野を学ばれ、広い寛容、配慮、リスペクト、探究心、想像力を培ったのだと思います。 近自然的森林業と多機能林業という哲学、ビジョンはまさに私も森林管理のあり方を学ぶべきものと感じています。『すべての理論はグレー 森と経験だけがグリーン』素晴らしい言葉です。サスティナビリティとカロヴィッツの事も初めて内容を知ることが出来ました。当然300年ほど前に生まれた言葉とは知っていましたが。 また長い将来の話を森林業のロマン フレッヒさんを思い出します。
サスティナビリティ(持続可能性)は「次世代への思いやり」に支えられている。次世代という「相手」に対する意識的な配慮の感情であるから「想いやり」である。この「想い」は人間の長い歴史のなかで、守られ-汚され、強調され-軽視され、実行され休止されることを何度も繰り返してきた。現在の私たちは、より一層この「想い」の所在に敏感になり、守り、強調し、実行していかなければならないと私も感じました。
多機能森林業を行うためには、経済、保養、自然保護と、多面的な「気くばり」をされた道が必要である。道も多様な機能を持っていなければならない「多機能森林基幹道」である。
しかし日本の林業関係者たちの認識は、これとは対照的に、ネガティブであり、できない理由を並べるときりがない。
森林所有者が、絶えず100年先、数世代先を考えた森林を利用することは、地域の森林・木材クラスターの在続と進化にとって欠かせない大前提である。「森のロマン」あっての地域の問題となります。今後の森林業は多面的な注意力を要するワイルドな環境で、ほかの仲間の個性や能力に配慮し、助け合いながら、五感をフルに使い、好奇心と自分の意志に基づいて、自発的に仲間と連帯して遊ぶことによって培われた能力であり、森が与えてくれた、心と体のバランスだ。まったくその通りだと思います。
森林業、林業、木材産業 様々な言葉が先行される中 本質知る為にも重要な参考書となるでしょう。

2度読みして深く理解したくなる本
落合俊也さん  2021年4月26日 アマゾンより

池田さんの講演はだいぶ前に聞いたことがあったし、「多様性」というタイトルは森を語るキーワードとしては特に新鮮味を感じなかった。しかし、読み進めてみると私の想像をはるかに超える深い実際的経験と知識を持って人と森の関係を掘り下げ、巧みに様々な理論で補強しているので、わかりやすく説得力があった。特に最終章は素晴らしく、2度読みしてしまったほどだ。

読み始めは林業先進国ドイツの森林産業システムと社会システムの調和的構造を自ら体験した筆者が、実に誠実にそれを紹介することから始まる。私たち日本人は、ドイツの素晴らしく整備された森林システムにはため息が出る一方で、日本の林業はだめだと考えがちである。ところが、日本の林業にも十分な潜在能力があることが示され、未来の発展に至る具体的な道筋も提案されている。

林業先進国のドイツを手本にして語られているのは、作者の経験と研究がドイツで行われたからだが、本書に続編があるとしたら、ほかの国の事例やドイツの失敗例にも幅広く目を向けて池田さん流の解説を聞いてみたいと思った。

初めに紹介したように、最後の章は珠玉の内容だと思う。池田さんはこのこと言いたくてこの本を書いたのだろうと私には思われた。ヒトの脳の構造から森と私たちの社会構造を読み解き、古くて新しい人間哲学の世界をも俯瞰した内容は新鮮だった。

多様化を理解しそれを長期的に利用した続けているソルーションこそが正しい回答であるはずなのに、近代に成立した短絡的なソルーションが大きなお金を生みだし現代産業の中枢をなしている。しかし、このような多くの金を生み出す大量生産単一化合理主義という現代の社会特性は、人類を破滅に導く可能性が高い。

終盤で作者の興味は人間の脳の構造や働きに注がれているが、脳の構造や志向を理解することで現代社会の問題点や自然との共生法のリアルな解決策を模索することができるのだろう。森を語る内容から脳を語る内容にシフトしすぎた感はあるが、優れた思想家や芸術家の思想や言葉を織り交ぜながら自分自身の発想の原点を暴露しているようで、その率直さにも好感を持った。

「多様性-人と森のサスティナブルな関係」を読んで
平田孝則さん  2021年4月28日 アマゾンより

一読した大雑把な感想ですが、森林関連の内容が多いにもかかわらず、日頃森林・林業・林産業をあまり理解していないごく普通の人達にとっても分かり易い優れた文体であることに驚きました。併せて、日本とドイツの林学史、育林・収穫作業、森林道、パイプオルガン製作、森の幼稚園、森林の効用、人文科学方面からのアプローチなど多岐にわたって読者の関心を引く構成であることにも感嘆した次第です。著者のヘルマン ヘッセ敬愛や人生観、社会観などにも共感を覚えました。巻末にある国内外の多数の参考文献一覧を見ても、著者の博学・博識ぶりを伺うことが出来ました。同時に、ここに至るまでの著者の道のりは通り一遍の努力では決して踏破できなかったであろう事、心身共に苦労をいとわない不断の勤勉の賜であることを理解できました。私の親しい友人・知人にも本書を紹介したところです。


浅輪 剛博さん  2021年5月7日  https://ganpoe.exblog.jp/29514049/

これは、森林に関わる全てのひとにとって必読の書です。
そして、森林とは直接関係はなくとも、持続可能ということに関心がある人にも強く薦めたいです。書名が「多様性」であるように、この本は、持続可能な森林業のノウハウが盛りだくさんであるだけではなく、なぜそのような制度ができたのか、その根本まで探る本だからです。つまり、根幹には「均一化ではなく、多様性」を尊ぶ生きかた、そして考えかたがあった、ということです。

日本では、欧州の先端的な林業の技術のそれぞれを切り出して輸入しようという動きが多いそうですが、著者の池田憲昭氏は、大事なのは、一つ一つの技術や制度ではなくて、その全体の多様な関係性だと論じています。その関係性を見つけ繋げ合う視点や考え方の転換がないといけないといいます。そう思って本書を読み返すといちいち腑に落ちると言うか、持続可能な森林との関わりかたのどれもが、そりゃそうだよね、当たり前だよね、と感じるのです。今まで、大型先進機械で自動化し樹種も単一化すれば効率的になって役立つ、そりゃそうだと思っていたのが嘘のようになります。それは多様性の大事さに気づく価値観の転換が起きるからだと思います。

本書の最終章で脳神経学からこのマインドセットの違いの謎を著者は解き明かそうとしています。非常に得心が行く章です。
ここでは経済学の課題からもその重要性に触れてみます。

物の価値には大きく二種類あります。一つはそれを使う価値。もう一つはそれを他のものと交換してどのくらいになるかという価値です。前者を使用価値、後者を交換価値といいます。
ここで、使用価値は使用する人にとってその価値が非常に分かりやすいものです。しかし、社会一般的には分かりにくい。なぜならある物の使用価値はまさに多様であり多面的だから、ある人の使い方と他の人の使い方は違うことが多いからです。まさに森林、樹木のようです。森の価値は材木でもあり、観光でもあり、災害対策でもあり、幼稚園でもあります。
それに対して、交換価値は逆に個人にとっては非常に分かりにくい。他人に交換してもらわない限り、どのくらいの価値があるのか自分ひとりでは分からないからです。そこで社会は全ての交換価値を一つの貨幣で表す制度を生み出しました。これが貨幣形態です。一般的等価形態ともいいます。社会にとっては値段と売れ行きさえ見れば一瞬で価値が分かる、非常に分かりやすいものなのです。

現代社会で様々なものを均一化させようとする大きな力は、この貨幣形態から起き、また、貨幣と商品を交換し続けることによって利潤、つまり資本を増大させようとする力から起きているのです。多面的機能を持つ多様な森林も、貨幣効率・資本最大利潤を最優先させるこの力によって、モノポリーな単一種栽培の畑のようにした方が良い、と人々は思い込んでしまうのです。(著者は前者を森林業、後者を林業と区別します。)最小限の貨幣で最大の貨幣を得る、その一面に集中して、資源の多様な可能性ーー使用価値を探ろうとしない。これが、自然と調和しない持続不可能な林業を産んでいるのではと考えます。

これはもちろん森林だけに関わらず、土壌を衰退させるような農業や、自動車交通を優先させてスプロール化する都市や、遠方の化石資源を燃料とし地域分散型エネルギーに着目しないエネルギー産業、そして健康で文化的な生活条件を整えるよりも、どれだけ財政負担を減らして生産効率を上げるかだけに専念する政治経済システムなどにも及ぶ、大きな現代の問題につながっています。
森林から始めて、多様性まで解き明かすこの本は、こんな広がりを持っています。多面的な機能、多様性の持つ豊かさ、それを活かす「持続可能な森林業」は、交換価値よりも軽視されてきた、環境がもつ多様な使用価値を探り出す取り組みでもあり、著者の示す多様な森林業の織りなす房は、まさにそのような価値観があったからこそ工夫され出来てきたものだと思います。

私は信州で自然エネルギーを活用する仕事をしています。これも単に個別の技術を切り出して拡大するというのではなく、地域に色々ある資源やエネルギーの多様性、様々なより良い可能性を見つけ、今まで気づかなかった地域の生活にとっての使用価値を発見していくーー省エネやシェアやマテリアルとしての活用も含めーーそのような全体的な視野も伴う必要がある仕事だと感じ入った次第です。

制度や義務だけでは人は本当に動きはしません。共感、感動、信念、そしてディグニティ(尊厳)が行動の根幹にあるのです。本書でそれを痛感させられました。

論語に言うように、

これを知る者はこれを好む者に如かず。
これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。

中村幹広さん  2021年5月2日  
https://note.com/mikihironakamura/n/nd86919de73e3?fbclid=IwAR0mhpeYSG9tqO7CNGHnzowBO3DRPxwbZ7mvFnT6byurAOqokqi0Ana6xYk

本書のタイトルである「多様性 Vielfalt」という単語は、私が紐解いたドイツ語辞典によれば、18世紀末に「vielfältig 多種多様な」という言葉から逆成されたものらしい。
言語は時代の変遷とともに変化していくのが世の常であり、例えば最近よく耳にするようになった「biodiversity 生物多様性」という単語もまた、1985年にアメリカで「生物的な biological」と「多様性 diversity」という2つの言葉を組み合わせて生まれた比較的新しい造語である。しかし今日では、そのポジティブな意味合いや耳当たりの良い言葉の響きと相まって、かなり一般的に使われるようになっている。
とはいえ、この「生物多様性」という単語も2010 年に愛知県で開催された生物多様性条約第10回締約国会議(COP10:the 10th Conference of the Parties)で大きく取り上げられるまでは、私たちには余り耳慣れない新しい言葉だった。
こうした事実を踏まえると、本書のあちこちに登場する森林・林業関係者であれば誰しもがきっと今は違和感を抱いてしまうであろう著者こだわりの言葉遣い、具体的には「林業」ではなく「森林業」、「所有林」ではなく「所有森」、そのほかにも「恒続森」や「択伐森」、「新・幹線」といった「いわゆる造語、新訳」もまた、いずれ私たちは慣れ親しみ当たり前のように使っているのかもしれない。
かく言う私も、私とドイツを深く結び付けてくれた大恩ある著者・池田氏の自然に対する姿勢に共感した1人であり、同僚や業界人同士での会話を別にして、単に「森林」という存在について話す際には「森林と人との距離感」を少しでも縮めるために「森林」ではなく「森」と努めて表現するようにしている。
加えて、これまで私は「足るを知る(者は富む)」という表現で森づくりのスタンスを話してきたが、著者の使った「気くばり森林業」という言葉はまさしく言い得て妙ではないだろうか。今後は私も「気くばり」という言葉を積極的に使ってみようと思う。

さて、前置きが長くなった。本書は多様性というキーワードを主軸に著者のこれまでの日独での経験談を交えて執筆されたエッセイである。穏やかな口調で語りかける著者が紡ぐ文章は、読者に程よい心地よさを与えてくれる。
冒頭で語られる好奇心旺盛な幼少期の原体験には、誰しもがどこかしら懐かしさを覚えるであろうし、著者が活動拠点とするフランス国境にほど近い地方都市フライブルク市は、私も幾度となく訪れ、そしていずれまた再訪したいと切に願う想い出の街であるが、著者の描写するその美しい街並みはきっと多くの読者を魅了することだろう。
そして本書の前半から後半にかけては、日独の架け橋として双方の視点から、森林・林業・木材産業、さらには里山、保養などについて、ややもすれば読者を二項対立の思考領域へと誘引しそうになりながらも、そのいずれについても的確に課題や有意点を示唆してくれる。
加えて、著者の関心は最新の脳神経学から哲学、精神性にまで多岐にわたって飛躍するため、読者の中には消化不良で半信半疑に受け止めてしまう人は少なくないだろう。だがしかしその感覚はやがて、未知なるものを知り、彼我の違いを知ることの楽しさを教えてくれる切っ掛けとなるだろう。

○本書の構成
本書は全5章からなる。各章はいずれも著者の日独での経験から得られた深い思索の末に辿り着いた内容となっているが、森という存在に対する畏怖や敬愛の念、日本の森林・林業・木材産業へのアドバイスにとどまらず、近年、欧州諸国で注目を集める森林浴や最新の脳科学に関する話題など幅広い。ドイツを代表する文学者であるヘルマン・ヘッセの言葉を引用して、環境、経済、哲学、音楽などの分野についても言及している。

 第1章 気くばり森林業
 第2章 日本でこそ森林業を!
 第3章 地域に富をもたらす多様な木材産業
 第4章 生活とレジャーの場としての森林
 第5章 多様性のシンフォニー
 
第1章では、明治から大正にかけ欧米各国に留学した数々の若き日本の才能たちが持ち帰った知識や経験、そしてそこに通底する人知を超えた自然に対する畏敬の念、ドイツで300年以上前に生まれた持続可能性という言葉の歴史等にも触れながら、著者がドイツで学んだ森づくりの哲学や知識を紹介する。この章では、森林・林業関係者に限らず、少しでも森に関心のある読者であれば、将来を見据えた森づくりの必然性を真摯に学ぶことができるだろう。
続く第2章では、ドイツから来日したフォレスターの視点から、日本の森の豊かさ、それを当たり前と思う日本人の意識、そしてその裏返しとしての、自然の豊かさに胡坐をかいた無頓着さが綴られている。私自身、直接的間接的に関係してきた内容が記されていることもあって、ここが私にとっては本書のハイライトとも言える。
著者のコーディネートにより来日したドイツのフォレスターたちが感じた日本の森林・林業・木材産業への違和感、真摯な専門家であろうとするが故に苦悩した異文化コミュニケーションの狭間等々、それらはまるで、多様性を包摂するための課題について考える機会を改めて与えてくれようとしているかのようだ。
第3章では、地域内が連環する木材産業のカスケードとクラスターについて、輸出産業にまでなった強い存在感を示すドイツの林業・木材産業は、今もなお弛まぬ努力を続けていること、そこには過去30年にわたって林業が環境配慮へ大きくシフトしてきた背景を有していること、そしてそれを支える土台となったのは、世界に冠たるマイスター制度と誇り高き職人たちの手仕事にあることが述べられている。
第4章では、日本発祥と言われ、近年は欧州で大変な人気を集める森林浴や農山村でのグリーンツーリズムなど、いわゆる森林サービス産業に関するドイツの実情について自身の経験談を交えながら紹介している。
本章で著者が指摘することは、今の日本の森林・林業関係者にとって最も大切なことの一つといえる。それは、林業は林業のためだけにその営みがあるわけではないということであり、人々がその地で豊かに暮らすためには、厳しい自然と対峙しながらも美しい景観を守ることに必然的な意味があるということだろう。日本と欧州の自然に対する価値観やスタンスの違い、あるいは自然のコントロールのしやすさの違い等々、説明の仕方は国や人の数だけ幾通りでもあるだろう。しかしそれも、著者の子供も利用し日本でも徐々に広がりを見せつつある森の幼稚園の体験談を説明するところに至って、森の恵みの享受の在り様は日欧で共通することが実感できる点は大変興味深い。
そしてまとめとなる第5章では、森と人との営みを超え、生命の原理や脳の仕組みの探求にまでさらに踏み込み、より一層、内観的な視点から著者自身の有する多様性に対する考え方、あるいは多様性への憧憬を開陳している。
本書によれば、「考えと気持ちと行動が一致していて、外の世界で起こっていることが自分が予期・期待していることと大きくかけ離れていない状態」のことを「コーヒレント(注:コヒーレントの方がより正しい発音か?) coherent」と呼ぶそうだが、著者は本章において『自ら新しいことを学んだ時、すなわち、非コーヒレントな脳の状態を、自分の力でコーヒレントな状態に転換できた時、人間は幸福感を味わう。』と言っている。
まさしくこの感覚こそが、豊かで美しく未来へと繋がる森づくりには欠かせない「観察」という行為の大切な要素の一つであると私は考える。
森に一歩入れば、そこはいつでも未知なるものへの好奇心で満たされるセンスオブワンダーの世界。大人になってから久しくこんな気持ちを忘れていたが、本書を手に取り心地の良い春の森へと出かけていくのも悪くない。本書はそんな気持ちにさせてくれる一冊である。

「公共善エコノミー」 〜 中欧でロングセラー、世界的な社会運動にも広がっている本を、日本語に翻訳しました。クラウドファンディングで支援者を募っています。

これまで学術論文や資料などの翻訳は頼まれて時々やっていましたが、本屋に並べられる一般書の翻訳は、初めてです。翻訳したい、翻訳する意義がある、たぶんうまく翻訳できる、と強く思ったので、2年前に著者に連絡をとり、岩手と宮崎の中小企業家同友会を通じて、意義を理解する出版社を仲介いただき、今年2022年末に日本で出版される、というところまで辿り着きました。
この本に出会ったきっかけは、毎年のように来欧し、中欧の環境・社会の先進事例を視察されている岩手中小企業家同友会と一緒に2019年に視察したフライブルクの豆腐工場「Taifun」でした。下記は、私が書いた記事です。

https://econavi.eic.or.jp/ecorepo/learn/575
https://econavi.eic.or.jp/ecorepo/learn/585
https://econavi.eic.or.jp/ecorepo/learn/596

このTaifun社が「公共善エコノミー」の運動に参加し、実践していました。そこで私は興味が湧き、その元になっている本『公共善エコノミー(Gemeinwohlökonomie)』を買って読みました。非常に明瞭で、リズミカルに書かれている専門書でした。

私は大変感銘・共感し、2021年春に出版した拙著『多様性〜人と森のサスティナブルな関係』でも、随所に「公共善エコノミー」の記述を引用しました。
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B091F75KD3

『公共善エコノミー(Gemeinwohlökonomie)』は、学者、作家、政治活動家、ダンサーという多面的な顔を持つオーストリア・ウィーン在住のクリスティアン・フェルバー(Christian Felber)が、同名の本によって2010年に提唱した、公共の幸福に寄与する「倫理的な市場経済のコンセプト」です。著書は2018年には改訂版の文庫本も出版されるロングセラーになり、12か国語に翻訳されています。今年、それにフランス語と日本語の翻訳が加わります。

現在の資本主義による市場経済システムは、人間が生物学的に不得意な「競争」を原動力にして「利潤」を獲得することを目指すものです。それによって深刻な環境問題や社会問題が引き起こされています。「尊厳」と「信頼」という人間社会の根源的な価値をベースにしたフェルバーの公共善エコノミーは、人間の得意な「協力」を原動力として、万人が幸福な持続可能な社会の構築を目指す、オルタナティな市場経済のコンセプトです。資本主導の市場経済からヒューマニティ主導の市場経済への具体的な転換方法と事例が描かれています。ドイツの著名な環境ジャーナリストのフランツ・アルトは、公共善エコノミーのことを「社会主義と資本主義の間に位置する実用的な第3の道」と評しています。

公共善エコノミーは、単なる提言や問題提起ではなく、「公共善決算」という企業や団体の経営評価システムを備えた具体的で実用的なものです。ヨーロッパを中心に世界中で、その実践が広がっています。現在、2000以上の企業・団体が「公共善エコノミー」のコンセプトに賛同していて、約500企業・団体が「公共善決算」を採用しています。自治体レベルでの参加と実践も増えていて、市民を巻き込む包括的な直接デモクラシーの運動として展開しています。また、2014年に設立された公共善協同組合は、既存の銀行に呼びかけ、公共善バンキングの導入を推進していて、現在、700以上の公共善口座(預金総額は約22億円)が複数の銀行で開設・運営されています。

2022年夏現在、一通りの翻訳を終えて、著者との細部の詰め、宮崎の出版社「鉱脈社」と校正作業を行なっています。出版は2022年12月になる予定です。このプロジェクトを最初から強力に支援いただいている岩手中小企業家同友会の事務局長である菊田哲さんが、クラウドファンディングを立ち上げてくれました。8月8日にスタートし9月18日で終了します。支援を募っています。支援していただいた方へのリターンは、翻訳本、著者と翻訳者によるオンライントークイベント参加などです。

https://camp-fire.jp/projects/view/605926

一地球市民として、豊かな社会へのシフトへ、一石を投じられればと思っています。

中小企業 −公共善エコノミーの主役

今年(2022年)12月に出版される予定の翻訳本『公共善エコノミー』の中核は中小企業です。家族、従業員、地域、社会を想い、行動する企業です。公共善エコノミーは、資本主導のエコノミーから、ヒューマニティ主導のエコノミーへの転換を謳っています。倫理的な市場経済のコンセプトと、そこにたどり着くための包括的で具体的な道を描いています。

公共善エコノミーは、企業におけるその実践に関しては、まったく新しいものではありません。古き良き、今でも成功を収めている類似の事例はたくさんあります。日本の企業にもあります。例えば、多数決の議論ではなく「話し合い」でコンセンサスを導く文化、「会社は従業員のもの」という文化、従業員が会社の株を持つことを推奨する企業、自助と自己責任を基盤にした協同組合や類似の精神とコンセプトを持った企業など。

私がこの本に出会ったきっかけは、2019 年末に岩手県中小企業同友会の視察団と一緒に訪問し た、ドイツ・フライブルク市にある豆腐工場タイフーンでした。ヨーロッパ産のビオ(有機認 証)の大豆から豆腐を製造する設立 1987 年の老舗メーカーです。このタイフーン社 が公共善エコノミーの運動に参加し、実践していました。それで私は興味が湧き、原書を友人が経営する地元の本屋で購入して読み、感銘を受けました。2021 年春に出版した拙著『多様性〜人と森のサスティナブルな関係』でも随所に、『公共善エコノミー』の記述を引用させてもらいました。

ロックダウンのなか、ドイツ黒い森の自宅でサナギのように静かな生活をしていた 2020 年の晩秋に私は、この本を私の祖国の言葉に翻訳したい、翻訳する意義がある、たぶんうまく翻訳できる、と強く思ったので、思い切って作者に直接メー ルしてみました。作者からは「君のメールは、思わぬクリスマスプレゼントだった。とても嬉しい」 と直ぐにポジティブな返事が来て、日本語翻訳プロジェクトがスタートしました。

最初の作業は、翻訳本の出版社を探すことでした。この本に出会うきっかけになった、私の長年のお客さんでパートナーである岩手県中小企業家同友会の事務局長の菊田哲さんに相談しました。 『公共善エコノミー』の主役は中小企業ですし、自然な帰結でした。もともと作者のクリスティアン・フェルバーも、意志を共にするオース トリアの中小企業のパイオニアたち(Attac 企業グループ)と一緒にこのコンセプトを作り上げています。菊田さんから直ぐに、宮崎県中小企業家同友会に属する地域出版社の鉱脈社を紹介してもらいました。宮崎の同友会メンバーも数名、過去に岩手のグループと一緒に来欧し、視察セミナーに参加されていたので、話はスムーズに行きました。鉱脈社の代表取締役社長である川口敦己さんからは、私が作成した本の概要と最初の方の試し訳を読まれた後、「翻訳して出版する価値がある本だと思う。紹介いただいてありがたい。ぜひ出版の方向で話を進めたい」と嬉しい回答をもらいました。そして間も無く、著作権を有するオーストリアの出版社との契約プロセスへと作業が進みました。作者によれば、公共善エコノミーのコンセプトは、日本の学術界でも数年前から知られていて、これまで何度か、日本語訳出版の話は持ち上がったようでしたが、様々な理由で出版には至らなかったようです。普通だったら、このような翻訳本は、資本力のある大手の出版社が行うものですが、今回、公共善エコノミーの趣旨にもマッチした、社会的な使命感と哲学を持った、地に足がついた地域の小さな出版社がこの事業を引き受けてくれたことは、作者、翻訳者にとって、大変嬉しいことでした。

作者のクリスティアン・フェルバーと翻訳者の池田憲昭(私)は、共に1972 年生まれです。今年は2人とも50 歳になるという、人生の節目を迎えています。この特別な年での日本語版の出版は、2人にとって、この上ない誕生日プレゼントでもあります。このプレゼントに入ったメッセージが、危機から危機へと混迷する世の中で、多くの日本の読者にも伝播し、希望と勇気を与え、幸せな未来のための行動へと広がっていくことを願います。

岩手県中小企業家同友会の菊田さんが、本と出版記念講演会(オンライン)の前売りに相当するクラウドファンディングを開設してくれました。9月18日まで開いています。よろしければ、ご支援ください。

https://camp-fire.jp/projects/view/605926
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人間が生まれながらにして持っている資質である「尊厳」と、人間が生物学的に得意な「協力」により、本来の意味でのエコノミーを!

『Gemeinwohlökonomie 公共善エコノミー』という欧州のロングセラー本を翻訳しました。本だけでなく、社会的な運動としても広がっています。今年2022年の暮れに日本で出版の予定です。9月18日まで、本と講演会の前売りに相当するクラウドファンディングを実施しています。ご支援いただければ嬉しいです。

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公共善エコノミーは、《尊厳》を重要なベースにしています。尊厳は、国連憲章や各国の憲法にも明記されている人間社会の根源的な価値です。ドイツの著名な脳神経生物学者で公共善エコノミー大使でもあるゲラルト・ヒューターは、科学的な知見から、尊厳が、人間の誰もが生まれ持った生物学的な資質であることを指摘しています。ヒューターはまた、現代社会・経済の大きな原動力になっている《競争》は、生物進化論の観点から、人間の強みではない、と説明しています。そして、人間が生まれながらにして持っている資質である《尊厳》と密接なつながりがあり、可塑性の高い脳を持つ人間が生物学的に得意な《協力》をベースにした社会の構築を提唱しています。公共善エコノミーは、エゴや妬み、無責任さといった人間の弱みを助長する《競争》でなく、信頼やリスペクト、思いやり、といった人間の美徳がもとになった《協力》を原動力とする、倫理的な市場経済のコンセプトです。並行して存在する他の類似の理論やコンセプト、運動とも、排他的な《競争》をするのではなく、《協力》し、お互いに高め合うことを推奨しています。

アリストテレスは今からおよそ2300年前に、2つの異なる経済形態を分別しました。もとからある《オイコノミア》は、すべての参加者の幸せ、すなわち公共善が目的で、お金と資本は、そのための単なる手段です。しかしお金と資本が目的になってしまうと、《オイコノミア》は《クレマティスティケ(=貨殖と自己の富を増殖する技法)》に変貌します。アリストテレスは明確に、後者にならないように助言しました。

《オイコノミア》は《公共善エコノミー》と翻訳できます。
一方で、約200年前から私たちの社会を支配し、私たちの行動や人間関係に大きな影響を及ぼしているのは資本主義の市場経済で、《クレマティスティケ》と翻訳できます。アリストテレスが警鐘を鳴らしたものです。

公共善エコノミーは、手段と目的を取り違えた、金銭的な指数と貨幣価値という、上辺だけの消失点に迷い込んでいる現在の経済システム(イデオロギー)を、本来の意味でのエコノミーに戻す試みで、そのための包括的で具体的な道を描いています。

アニマルウェルフェア、鶏のジェンダー平等、公共善エコノミー

モバイル(可動式)の鶏舎で鶏卵の生産。数日おきに草を食べる場所を変えることができる。餌場のローテーションに合わせて、鶏舎もトラクターで引っ張って移動させる。写真の養鶏場は、フライブルク近郊のシュヴァルツヴァルトの山の中で、肉牛、ガチョウ、卵用鶏の粗放的な飼育とレストラン経営を営むBIO農家Sonner家のもの。

このような形式の養鶏は、ここ10年でドイツでかなり増えた。理由の1つは、草地での放し飼いで生産した卵の市場での需要が高いからだ。

ケージ飼いのニワトリの卵は1パック10個で1.5ユーロくらい、平飼い(地面の上で飼う)が2.5ユーロくらい、草地での放し飼いは3.5ユーロくらいする。BIO(有機)認証を受けている卵は4.5〜5ユーロ(700円)するが、スーパーの商品棚には、どれも同量くらい並べられ、いつも値段の高い卵の方が先に売切れている。

BIO農家のSonner家は、鶏舎の側に設置した無人の自動販売機で1パック5ユーロで直売しているが、すぐに売り切れるという。市場の需要に応えるために生産量を増やしたいそうだが、農地が足りなくて増やせない、という状況のよう。

背景には、消費者のアニマルウェルフェアへの意識の向上がある。最近では、卵を産む雌だけでなく、オスも一緒に飼っている、もしくはオスを殺していない、という認証ラベル付きの卵も売られている。卵から孵ったオスは通常、「用無し」ということで、すぐに廃棄される。卵を生産しないし、肉も筋肉質であまりよくない。餌が肉になる変換効率も悪い。車で言うと燃費の悪い車。でもスーパーでは、学校やテレビ番組で知識を得た子供たちが、ママ、パパ、おばあちゃん、おじいちゃんに、「オスを殺していないこっちを買って」と言う。

オスは、用途やメリットは少ないが、まったくの用無しではいない。大人に成長した雄鶏は、放し飼いの群れの中で、見張り番をする。猛禽類が上空に見えるとすぐに、声を上げて動いて、雌たちをモバイルの鶏舎へ避難誘導する。

写真は8月半ばに撮ったもの。普段だったら緑緑しい牧草地が枯れて黄土色になっている。6月から雨がほとんど降らなかった。スペインのアンダルシアのような景観になった。こんな夏のシュヴァルツヴァルドは、20年以上住んでいて初めてである。でも8月末から幸運なことに雨が少しづつ降るようになった。そして、牧草地の緑は、見る見る回復してきた。自然のたくましさを感じる。

アニマルウェルフェアも、今年2022年の12月に日本語版が出版になる『公共善エコノミー』の多様なモザイクの一つです。

環境によく、アニマルウェルフェアの観点でも優れている商品を、高い価格で買うことは、ある程度、裕福で余裕がある人しかできない。貧しい人たちのためには、安い食糧を供給することが大切、という意見もある。でも、裕福でなくても、意識のある学生や低所得の人たちが、そのような高い卵を買って、その代わり、量を節制したり、肉や嗜好品などを抑えて、家計のバランスをとっている例もある。また、安く供給できている背景で、環境や動物の搾取だけでなく、多くの人間の搾取(グローバルサウスの問題や悪質な環境での出稼ぎ労働、生産者の疾病や障害、経営難)が起こっていることなども、一緒に議論すべきだろう。安く提供することで、貧困問題に「対応」はできる。でも根本的な解決のためには、貧困問題を起こしている現代の資本主導の経済システムにメスを入れることが必要だ。

『公共善エコノミー』は、みんなを幸せにする、倫理的な市場経済のヴィジョンと、そこにたどり着くための包括的で具体的な道を、簡潔・明瞭に描いています。

河川の近自然化の工事中

私が住んでいる街を流れる川で、近自然化の工事が現在進んでいる。

数日前に散歩中に撮った写真。

出来上がっている写真はよくあるが、工事中のはあまりないと思うので、ここに紹介。

9月半ばに森林とランドスケープのテーマで視察セミナーを開催するので、州行政の担当者と連絡を取って、案内を頼んでいる。

この地域の河川近自然化の担当トップは、30年間これを専門にやってきた知識、経験共に豊かな専門官。20年前、私は、フライブルク大学森林学部のランドスケープのセミナーで、河川近自然化の現地研修も受けたが、現場ではその専門官が案内説明してくれたと記憶している。

9月の私の日本人グループの案内は、その熟年のプロフェッショナルのもとで後継者として数年前から事業を担当している若手の専門家が対応してくれる予定。7月に彼と現場で待ち合わせて打ち合わせをしたが、とても謙虚で、「経験豊富な先輩について自分は今、色々学んでいる」「訪問者に説明するのは自分の勉強にもなる」と話してくれて、誠実な人柄が伺えた。

ここの近自然化の主要な目的は、生態系を豊かにすること、住民の保養空間を創出すること。川幅を広げるて遊水域を設けることはできない場所なので、洪水抑制には、わずかしか作用はしない。(水にブレーキがかかるので若干の効果はある)

最近、『公共善エコノミー』という中欧で評判の本を日本語訳する作業を一通り終えた。今後、校正、編集作業を経て、12月に日本で出版される予定だ。

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資本の増殖をシステム目標とする市場経済から、公共の福祉と幸福を追求する市場経済へ転換のコンセプト、具体的なツール、先行事例を描いた本だ。公共善エコノミーは、この10年で社会的な運動にも発展し、大きなうねりになりつつある。民間企業も地域行政も参加している。

河川の近自然化は、結構な費用がかかる事業である。しかし直接的な経済的利益が地域住民や企業、団体にもたらされるものでもない。資本主義の論理ではなく、まさに公共善のための事業である。

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住民主役の街

8月初めに、家族でクロアチアで休暇を過ごしました。夏に海に行くのは、北の北海へも、南の地中海へも600km離れている場所に住んでいる私たちにとって、恒例の行事になっています。海水浴が主な目的なので、スプリットの近くの海辺で大半を過ごしましたが、1日だけ、同じ時期に生まれ故郷で休暇を取っていた友人家族に誘われて、彼の実家の近く、ちょっと内陸のイモツキ市を訪問しました。人口1万人ほどの街です。市街地に隣接する有名なブルー湖で泳いで、夕方4時頃に街を案内してもらいましたが、人がほとんど歩いていません。でも、日本の地方都市によくあるシャッター通りではありません。寂れた様子は全くありません。カフェやレストランの机やイスが通りや広場に敷き詰められています。この時間帯はみんな家で昼寝していて、数時間後に涼しくなってから街に出てくるそうです。土曜日の午後、嵐の前の静けさを見たのでした。夜8時くらいから人で溢れかえって夜中2時くらいまで大変な賑わいになるそうです。我々は彼の実家の近くの静かな村のレストランで夕食をとって、賑わいは体験しませんでした。夕食後に、街にアイスを食べに行けないか、尋ねてみたが、「もう車が停められる場所がない。相当歩く必要がある。大変な騒ぎだから今日はよそう」と断られました。

1万人の小さな街に約70件のカフェやレストランがあるそうです。私たち家族とその友人家族が現在住んでいるドイツのヴァルトキルヒ市も、中心部は人口1万人くらいで、お祭り好きで、飲食店は多いほうですが、イモツキと比べたら全然劣ります。集客規模は周辺の村村で7万人くらいだそうです。ほとんど地元の住民たちで街が賑わい、経済が回っています。近年は、観光も、内陸の穴場として、通の間で人気が高まっているようです。でも観光メインではありません。あくまでも主役は地域住民。レストランやカフェも、舌の肥えた金銭感覚がシビアな地域住民は騙せないし、海沿いの観光地よりも質がよく、値段も3割から5割安いのです。人が楽しく快適に集まれる場所があるところでは、コミュニティが活性化します。そこは直接デモクラシー、住民自治の場にもなります。

資本主導ではなく、ヒューマニティ主導の市場経済のコンセプトである「公共善エコノミー」を最近、私は翻訳しました。12月に日本の本屋に並べれる予定です。いわて中小企業家同友会の菊田哲さん、宮崎の同友会にもサポートいただき、2年がかりでここまで辿り着きました。菊田さんに、クラウドファンディングを開設してもらい、支援を募っています。

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次にクロアチアに行くときには、海辺の観光地でなく、住民が主役のこの街に宿をとってみようと思いました。住民の幸せと生活のクオリティ、すなわち「公共善」につながる地域経済が機能するこの小さな街に。海までも30分と、そう遠くないですし。

解体後の廃材を積層パネルへアップサイクリング

2020年より、日本の佐藤欣裕と、スイスのサシャ・シェア、ドイツの池田憲昭のインターナショナルチームで、KANSOという名前のもと、自然と調和した「ローテク」の「シンプル」な建築のソリューションを提案、実践しています。

www.kanso-bau.com

現在、KANSOチームのモルクス建築社(秋田県仙北郡)の佐藤欣裕が、自社工房で、解体された建物の廃材(古材)を使って、積層木材パネルの製作実験をしています。

これまでは、地元の製材工場の端材(C/D材)を使ってパネルを製作してきました。接着剤は使わず、釘とビスだけで留める簡単なやり方で、普通の工務店の簡単な設備でできます。壁や床、天井に使用可能です。内部にたくさんスリットがあり、それが空気断熱層になって、非常に高い断熱性能も発揮します。秋田のスギ材で製作したパネルの断熱性能計測を研究機関に行ってもらったところ、熱伝導率は、0.05 W/mKと、セルロースファイバーや木質ボード断熱材とほぼ同等の数値が出ました。接着剤を使用し、空気層もないCLTパネルが通常0.12W/mK程度なので、その倍以上の断熱性能があることになります。CLTと同様に重量があり蓄熱性能に優れ、接着剤を使用していないので、調湿性能も十分に発揮されます。

ただこれまでは、コストの問題がありました。森林−地域製材工場−工務店というダイレクトな流通で端材をメインに使ってパネルを製作しても、パネルm3あたり10万円前後の価格になりますが、建築廃材を使用すれば、製作の手間は若干多くなりますが、材料費が浮く分、安くなり、6万円前後になると試算しています。建物解体を請け負う工務店がパネルを作るのであれば、解体作業の収入もあるので、その分をパネル製作費から差し引くと、さらに2〜3割安くできることにもなります。

日本では現在、築30年前後の建物が大量に解体されています。その理由は、耐震性能がない、腐りがあるなど、リフォームの価値がない、もしくはリフォームが割に合わない、または、持ち主が単に新しく建て替えたい、といったものです。その解体木材の7〜8割は焼却され(一部熱利用)、残りはチップになっています。防腐処理やペンキ塗装がされた木材は、積層パネルには使えないですが、無垢の柱や梁に使われていた木材は、十分な利用価値があります。それを選別して集め、アップサイクリングするのです。普通の工務店の簡単な設備でできることです。

古材パネルが、新材パネルに比べてどれくらいの断熱性能があるのかは、まだ試験していないのではっきりした数字は言えませんが、30年余り乾燥しているので、同じスギであれば、おそらく同レベルの性能があると推測しています。

「木材パネルは、蓄熱・調湿性能は高いけど、断熱材としては性能が劣る」という業界の懸念は、空気スリットを入れた接着剤を使わない積層製材パネルの実証実験で覆すことができました。

もう1つの懸念「でも積層木材パネルは高価」は、建築廃材(古材)を活用することで、大分抑えることができると見ています。しかもこの方が、資源節約と資源の有効利用になり、環境パフォーマンスは良くなります。

森で60年から100年かけて育った木材を、30年使って燃やすなんてもったいないし、木に対して失礼です。日本には築1000年以上の世界最古の木造建築物もあります。

『多様性』から生まれた波紋

2年半前にいきなり世界中を襲ったパンデミックによって、動き回れない、人ともあまり直接交流できない、サナギのような生活を強いられて書いた本『多様性〜人と森のサステイナブルな関係』。突然訪れた静寂のなかで、過去と現在、未来を見つめ、自分を見つめ、これまで得た知識や経験を整理して、未来へ歩んでいくための心のかたちを整える、自己セラピーにもなりました。前書きにも書きましたが、まず自分のために書いた本です。

出版して1年半が経ちましたが、多方面から数々の評価やレビューをいただき、また紹介もしてもらっています。

世界的に有名な森林生態学者の藤森隆郎氏から長文の個人的な書評:
https://note.com/noriaki_ikeda/n/n0821d5634526

アマゾンで現在84件のグローバル評価
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B091F75KD3

『林業経済』(2021年 No.8)で長坂健司氏による書評
https://cir.nii.ac.jp/crid/1390290172816342272

『北方林業』(2022年 No.2)川西博史氏による連載書評
http://lab.agr.hokudai.ac.jp/jfs-h/index.php?%CB%CC%CA%FD%CE%D3%B6%C8

『廃棄物資源循環学会誌』(2021年 No.6)で友田啓二郎氏による書評
https://jsmcwm.or.jp/journal/?post_type=journal&p=2507

『Vane(ヴェイン)』(2021年8月)で冨田直子氏による書評
https://www.vane.online/current_number/

『季刊地域』(2021年秋号)で野中優佳さんによる書評
http://kikanchiiki.net/contents/?p=6860

『山林』に関連記事掲載2021年12月号
「ドイツから日本へ、気くばり森林業のすすめ」
http://sanrin.sanrinkai.or.jp/

専門誌『山林』2022年4月号で書籍紹介
http://sanrin.sanrinkai.or.jp/

『グリーンパワー』(2021年7月号)で書籍紹介
https://www.shinrinbunka.com/publish/greenpower/23339.html

Forest Journal で私の記事と一緒に書籍の紹介
https://forest-journal.jp/market/31805/

『ウッドミック』(2021年8月号)で書籍紹介
https://woodmic.com

NPO法人 森づくりフォーラム のサイトで書籍紹介
https://moridukuri.jp/forumnews/review210912.html

また、慶應大学経済学部、岩手中小企業家同友会、ぐんま日独文化協会、持続可能なまちづくり研究会、エコハウス研究会、京都府産木材利用推進協議会など、多彩な分野から、オンライン講演の依頼を受けました。たくさんの人々が森林に関心を持っていることの表れです。残念ながら、大元の森林林業の教育機関や団体からは、まだ依頼が来ていません。お待ちしております。

2021年夏には、パタゴニア・ジャパンの社会環境部の方から、パタゴニア提供のFM長崎の番組「NATURE & FUTURE 」に、長崎出身者として出演依頼も受けました。

本を出版してから、以前からの交流が再燃したり、新しい交流も生まれました。『多様性』の改新版もしくは続編のアイデアも頭の中で熟成させています。その一端は、noteのマガジンにまとめていますので、よかったらご覧ください。
https://note.com/noriaki_ikeda/m/me81f176b0158

今回の出版は、普通の書籍流通には乗せずに、オンデマンド印刷のペーパーバックという方法を選択しました。オンラインでの販売のみで、注文が来てから印刷され発送される、という流通の無駄がないシステムです。執筆だけでなく、編集から販売まで、出版社に頼らず、自分でトータルでコーディネートしてやってみたかったこと、また普通の流通に載せると、せっかく印刷された本の3〜4割程度が返品・廃棄処分されてしまう、という残念な状況を回避したかったことが、これを選択し
た理由です。

嬉しいことに、売れ行きはまずまずで、これまで出版社を通して出した共著本で普通に刷られているのと同じくらいの部数が、「無駄なく」販売されています。

オンデマンド印刷本のコンテストで優秀賞もいただきました。
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000004456.000005875.html

普通の流通には乗せていないですが、国会図書館をはじめ、全国各地の図書館にも置いてもらっています。私が営業をかけたり、献本したわけではなく、読者の方々が地域の図書館に希望を出されて、棚に並べてもらっているものです。

印刷本と電子書籍、両方出しています。写真は前者は白黒、後者はカラーです。電子より紙の本を手にとって読みたい、という方がまだ多いようです。紙の本を購入された方々のために、音楽付きでカラー写真のスライドショーも作成して公開していますので、よろしければ。
https://youtu.be/ZmwJY3dijxk

美は乱調にあり

表題は、5月9日のオンラインセミナーで、講師の夏井辰徳さんが、最初に引用された言葉です。夏井さんは、岩手県九戸村の約300haの広葉樹林にて、補助金に一切頼らずに森づくり、原木生産、木材加工と販売を、「九戸山族−夏井蔵」という団体で、数名の仲間と一緒に行なわれています。

「美は乱調にあり」は、小説家の瀬戸内寂聴の代表作のタイトルです。その続編である「諧調は偽りなり」とセットになっています。

4月から私が12人の多彩な講師陣と一緒にシリーズで開催しているセミナーのタイトルは「広葉樹は雑木ではない」です。「雑木」というのは、揃えること、「諧調」することが好きな人間がつけたネーミングです。ごちゃごちゃ複雑多様で理解・把握しきれないものを「雑」と一括り束ね、思考や探求をストップしてしまう人間。整理する、単純化することは、脳神経学的には、脳がパンクするのを防ぐ脳の省エネ化行為、人間が生き延びるための行為です。一方で、複雑多様なものを受け入れ、そのつながりを理解し、活用することでも省エネ化することができること、サスティナブルなソリューションの実践者の多くがそうしていることを、昨年出版した拙著『多様性〜人と森のサスティナブルな関係』で描きました。

夏井さんの話の核心は、100種類以上の広葉樹が育つ森での施業は、乱調を受け入れ探求し、乱調に美を見い出す感性が必要だということでした。多様で複雑なものを、視覚だけでなく、全感覚で探求し、そこに繋がりや真理を見出し、美を感じるということです。夏井さんは、現代のプレゼンテータの標準装備であるパワポを使わずに、囲炉裏を囲んでみんなに語るように、静かに、深く広い話をしていただきました。

乱調のリズムという言葉も出たので、パネルディスカッションの時に、私が好きな音楽や聴覚の話題を振リました。夏井さんはローリングストーンズが好きだそうです。「彼らは、音楽的には、はっきり言って下手くそだけど、魂がこもっていて人々を魅了する」と夏井さん。「彼らの音楽はつまり、乱調なんですね」と私がいうと「そうそう、その通り」と相槌が返ってきました。

乱調だけど、そこに「美」、別の言葉で言い換えると「愛」を感じるものがあります。逆に、乱調なだけで、そこに美も愛も感じないものもあります。音楽でも、そして森でも。なぜそう感じるのか。それは、数字や文章、図面では説明できないものです。

企業や団体でも同じことが言えますよね。多様で個性あるメンバーで構成され、いろんな意見や思い、アイデアが飛び交い、一見「乱れ」ているように見えても、それらを繋ぐ核となるリズムがあり、メンバーにも、外のお客さんや協働パートナーにも愛されている企業や団体があります。

春の訪れ −復活と再生

欧州は今(4月中ば)、イースターです。クリスマスと共に大切な里帰りの期間。日本のお盆と正月に相当します。

イースターは復活祭。私たち家族が住むシュヴァルツヴァルトの麓の人口2万人の小都市ヴァルトキルヒ市を流れれるエルツ川に架かる歩道橋が「復活」しました。駅と中心街をつなぐ大切な橋です。1935年に建設された鋼鉄製で木の板が敷いてある橋は、ここ数年、老朽化が問題視されていて、2020年より定期的に検査が行われていましたが、2021年の春の検査で「危ない」と判断され、すぐに閉鎖、そしてに撤去され、新しい橋の計画が進みました。新しい橋は、木構造に。2021年の暮れに完成しました。この場所に最初に橋が架けられたのは、文献によると1895年で、その時は木造だったそうです。ほぼ1世紀の時を経て、木造橋が「復活」というわけです。

街の名前はヴァルトキルヒ(森の教会)なので、木が合っています。しかも今回の橋は、屋根付き。中世の頃からある木造橋のデザインです。これの長く荘厳なバージョンはスイスのルツェルンにあります。木も鉄も、日照りや雨風によって老朽化します。ベタベタ塗料を定期的に塗ってマテリアルを守るという方法と、このように屋根をつけて守るという方法があります。

後者の方が初期投資は大分高くつきます。でも濡れた木の上で足を滑らせて転ぶリスクは少ないでしょう。優秀なエンジニアや職人も、その腕前を披露することができました。構造設計は大型木構造の建設物に強いフライブルクの構造設計事務所が担当し、橋の建設は大型木造建築物を専門にするシュヴァルツヴァルト高地の工務店、基礎工事は地元ヴァルトキルヒの土建会社が請負いました。昔の木造床の鉄橋より美しいし、市民に末長く愛されるでしょう。職場や学校、自宅へ向かう市民、犬を連れて、乳母車を押して散歩する市民の気分をリラックスさせます。それら間接的な経済•社会効果はどれくらいあるでしょうか? 最近、一輪車にはまっている私の末娘は、春日和の夕方、その赤い愛車で快適に川越えしました。美はよりサステイナブル。

先週、仕事で訪れたケルンでも、ホームのシュヴァルツヴァルトでも、フライブルクでも、気まぐれな4月の天気を様子見しながら慎重に、新芽や花が芽吹き出しています。

昨日ガーデンセンターに行ったら、広い駐車場がほぼ満杯でした。花を咲かせ、なおかつ食べることもでき、冬の凍結にも強い多年草の苗数種類と洋梨の苗木を、娘と一緒に買ってきて、家の小さな庭に植えました。家の裏に広がる市有林(=市民の税金で所有・管理されている森)から少し拝借してきた落ち葉と腐葉土を土壌改良剤として混ぜ込みました。

イースター(復活祭)のテーマは「再生」です。自然は、環境の変化に賢く適応しながらも、毎年同じリズムで再生を繰り返しています。人間もサステイナブルな適応力を持ちながら、毎年繰り返しても、飽きずに安心感を得られるリズムを備えた生活文化を創造する力があると、希望を持って、春の訪れに感謝しています。