「公共善エコノミー」 〜 中欧でロングセラー、世界的な社会運動にも広がっている本を、日本語に翻訳しました。クラウドファンディングで支援者を募っています。

これまで学術論文や資料などの翻訳は頼まれて時々やっていましたが、本屋に並べられる一般書の翻訳は、初めてです。翻訳したい、翻訳する意義がある、たぶんうまく翻訳できる、と強く思ったので、2年前に著者に連絡をとり、岩手と宮崎の中小企業家同友会を通じて、意義を理解する出版社を仲介いただき、今年2022年末に日本で出版される、というところまで辿り着きました。
この本に出会ったきっかけは、毎年のように来欧し、中欧の環境・社会の先進事例を視察されている岩手中小企業家同友会と一緒に2019年に視察したフライブルクの豆腐工場「Taifun」でした。下記は、私が書いた記事です。

https://econavi.eic.or.jp/ecorepo/learn/575
https://econavi.eic.or.jp/ecorepo/learn/585
https://econavi.eic.or.jp/ecorepo/learn/596

このTaifun社が「公共善エコノミー」の運動に参加し、実践していました。そこで私は興味が湧き、その元になっている本『公共善エコノミー(Gemeinwohlökonomie)』を買って読みました。非常に明瞭で、リズミカルに書かれている専門書でした。

私は大変感銘・共感し、2021年春に出版した拙著『多様性〜人と森のサスティナブルな関係』でも、随所に「公共善エコノミー」の記述を引用しました。
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B091F75KD3

『公共善エコノミー(Gemeinwohlökonomie)』は、学者、作家、政治活動家、ダンサーという多面的な顔を持つオーストリア・ウィーン在住のクリスティアン・フェルバー(Christian Felber)が、同名の本によって2010年に提唱した、公共の幸福に寄与する「倫理的な市場経済のコンセプト」です。著書は2018年には改訂版の文庫本も出版されるロングセラーになり、12か国語に翻訳されています。今年、それにフランス語と日本語の翻訳が加わります。

現在の資本主義による市場経済システムは、人間が生物学的に不得意な「競争」を原動力にして「利潤」を獲得することを目指すものです。それによって深刻な環境問題や社会問題が引き起こされています。「尊厳」と「信頼」という人間社会の根源的な価値をベースにしたフェルバーの公共善エコノミーは、人間の得意な「協力」を原動力として、万人が幸福な持続可能な社会の構築を目指す、オルタナティな市場経済のコンセプトです。資本主導の市場経済からヒューマニティ主導の市場経済への具体的な転換方法と事例が描かれています。ドイツの著名な環境ジャーナリストのフランツ・アルトは、公共善エコノミーのことを「社会主義と資本主義の間に位置する実用的な第3の道」と評しています。

公共善エコノミーは、単なる提言や問題提起ではなく、「公共善決算」という企業や団体の経営評価システムを備えた具体的で実用的なものです。ヨーロッパを中心に世界中で、その実践が広がっています。現在、2000以上の企業・団体が「公共善エコノミー」のコンセプトに賛同していて、約500企業・団体が「公共善決算」を採用しています。自治体レベルでの参加と実践も増えていて、市民を巻き込む包括的な直接デモクラシーの運動として展開しています。また、2014年に設立された公共善協同組合は、既存の銀行に呼びかけ、公共善バンキングの導入を推進していて、現在、700以上の公共善口座(預金総額は約22億円)が複数の銀行で開設・運営されています。

2022年夏現在、一通りの翻訳を終えて、著者との細部の詰め、宮崎の出版社「鉱脈社」と校正作業を行なっています。出版は2022年12月になる予定です。このプロジェクトを最初から強力に支援いただいている岩手中小企業家同友会の事務局長である菊田哲さんが、クラウドファンディングを立ち上げてくれました。8月8日にスタートし9月18日で終了します。支援を募っています。支援していただいた方へのリターンは、翻訳本、著者と翻訳者によるオンライントークイベント参加などです。

https://camp-fire.jp/projects/view/605926

一地球市民として、豊かな社会へのシフトへ、一石を投じられればと思っています。

中小企業 −公共善エコノミーの主役

今年(2022年)12月に出版される予定の翻訳本『公共善エコノミー』の中核は中小企業です。家族、従業員、地域、社会を想い、行動する企業です。公共善エコノミーは、資本主導のエコノミーから、ヒューマニティ主導のエコノミーへの転換を謳っています。倫理的な市場経済のコンセプトと、そこにたどり着くための包括的で具体的な道を描いています。

公共善エコノミーは、企業におけるその実践に関しては、まったく新しいものではありません。古き良き、今でも成功を収めている類似の事例はたくさんあります。日本の企業にもあります。例えば、多数決の議論ではなく「話し合い」でコンセンサスを導く文化、「会社は従業員のもの」という文化、従業員が会社の株を持つことを推奨する企業、自助と自己責任を基盤にした協同組合や類似の精神とコンセプトを持った企業など。

私がこの本に出会ったきっかけは、2019 年末に岩手県中小企業同友会の視察団と一緒に訪問し た、ドイツ・フライブルク市にある豆腐工場タイフーンでした。ヨーロッパ産のビオ(有機認 証)の大豆から豆腐を製造する設立 1987 年の老舗メーカーです。このタイフーン社 が公共善エコノミーの運動に参加し、実践していました。それで私は興味が湧き、原書を友人が経営する地元の本屋で購入して読み、感銘を受けました。2021 年春に出版した拙著『多様性〜人と森のサスティナブルな関係』でも随所に、『公共善エコノミー』の記述を引用させてもらいました。

ロックダウンのなか、ドイツ黒い森の自宅でサナギのように静かな生活をしていた 2020 年の晩秋に私は、この本を私の祖国の言葉に翻訳したい、翻訳する意義がある、たぶんうまく翻訳できる、と強く思ったので、思い切って作者に直接メー ルしてみました。作者からは「君のメールは、思わぬクリスマスプレゼントだった。とても嬉しい」 と直ぐにポジティブな返事が来て、日本語翻訳プロジェクトがスタートしました。

最初の作業は、翻訳本の出版社を探すことでした。この本に出会うきっかけになった、私の長年のお客さんでパートナーである岩手県中小企業家同友会の事務局長の菊田哲さんに相談しました。 『公共善エコノミー』の主役は中小企業ですし、自然な帰結でした。もともと作者のクリスティアン・フェルバーも、意志を共にするオース トリアの中小企業のパイオニアたち(Attac 企業グループ)と一緒にこのコンセプトを作り上げています。菊田さんから直ぐに、宮崎県中小企業家同友会に属する地域出版社の鉱脈社を紹介してもらいました。宮崎の同友会メンバーも数名、過去に岩手のグループと一緒に来欧し、視察セミナーに参加されていたので、話はスムーズに行きました。鉱脈社の代表取締役社長である川口敦己さんからは、私が作成した本の概要と最初の方の試し訳を読まれた後、「翻訳して出版する価値がある本だと思う。紹介いただいてありがたい。ぜひ出版の方向で話を進めたい」と嬉しい回答をもらいました。そして間も無く、著作権を有するオーストリアの出版社との契約プロセスへと作業が進みました。作者によれば、公共善エコノミーのコンセプトは、日本の学術界でも数年前から知られていて、これまで何度か、日本語訳出版の話は持ち上がったようでしたが、様々な理由で出版には至らなかったようです。普通だったら、このような翻訳本は、資本力のある大手の出版社が行うものですが、今回、公共善エコノミーの趣旨にもマッチした、社会的な使命感と哲学を持った、地に足がついた地域の小さな出版社がこの事業を引き受けてくれたことは、作者、翻訳者にとって、大変嬉しいことでした。

作者のクリスティアン・フェルバーと翻訳者の池田憲昭(私)は、共に1972 年生まれです。今年は2人とも50 歳になるという、人生の節目を迎えています。この特別な年での日本語版の出版は、2人にとって、この上ない誕生日プレゼントでもあります。このプレゼントに入ったメッセージが、危機から危機へと混迷する世の中で、多くの日本の読者にも伝播し、希望と勇気を与え、幸せな未来のための行動へと広がっていくことを願います。

岩手県中小企業家同友会の菊田さんが、本と出版記念講演会(オンライン)の前売りに相当するクラウドファンディングを開設してくれました。9月18日まで開いています。よろしければ、ご支援ください。

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人間が生まれながらにして持っている資質である「尊厳」と、人間が生物学的に得意な「協力」により、本来の意味でのエコノミーを!

『Gemeinwohlökonomie 公共善エコノミー』という欧州のロングセラー本を翻訳しました。本だけでなく、社会的な運動としても広がっています。今年2022年の暮れに日本で出版の予定です。9月18日まで、本と講演会の前売りに相当するクラウドファンディングを実施しています。ご支援いただければ嬉しいです。

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公共善エコノミーは、《尊厳》を重要なベースにしています。尊厳は、国連憲章や各国の憲法にも明記されている人間社会の根源的な価値です。ドイツの著名な脳神経生物学者で公共善エコノミー大使でもあるゲラルト・ヒューターは、科学的な知見から、尊厳が、人間の誰もが生まれ持った生物学的な資質であることを指摘しています。ヒューターはまた、現代社会・経済の大きな原動力になっている《競争》は、生物進化論の観点から、人間の強みではない、と説明しています。そして、人間が生まれながらにして持っている資質である《尊厳》と密接なつながりがあり、可塑性の高い脳を持つ人間が生物学的に得意な《協力》をベースにした社会の構築を提唱しています。公共善エコノミーは、エゴや妬み、無責任さといった人間の弱みを助長する《競争》でなく、信頼やリスペクト、思いやり、といった人間の美徳がもとになった《協力》を原動力とする、倫理的な市場経済のコンセプトです。並行して存在する他の類似の理論やコンセプト、運動とも、排他的な《競争》をするのではなく、《協力》し、お互いに高め合うことを推奨しています。

アリストテレスは今からおよそ2300年前に、2つの異なる経済形態を分別しました。もとからある《オイコノミア》は、すべての参加者の幸せ、すなわち公共善が目的で、お金と資本は、そのための単なる手段です。しかしお金と資本が目的になってしまうと、《オイコノミア》は《クレマティスティケ(=貨殖と自己の富を増殖する技法)》に変貌します。アリストテレスは明確に、後者にならないように助言しました。

《オイコノミア》は《公共善エコノミー》と翻訳できます。
一方で、約200年前から私たちの社会を支配し、私たちの行動や人間関係に大きな影響を及ぼしているのは資本主義の市場経済で、《クレマティスティケ》と翻訳できます。アリストテレスが警鐘を鳴らしたものです。

公共善エコノミーは、手段と目的を取り違えた、金銭的な指数と貨幣価値という、上辺だけの消失点に迷い込んでいる現在の経済システム(イデオロギー)を、本来の意味でのエコノミーに戻す試みで、そのための包括的で具体的な道を描いています。

アニマルウェルフェア、鶏のジェンダー平等、公共善エコノミー

モバイル(可動式)の鶏舎で鶏卵の生産。数日おきに草を食べる場所を変えることができる。餌場のローテーションに合わせて、鶏舎もトラクターで引っ張って移動させる。写真の養鶏場は、フライブルク近郊のシュヴァルツヴァルトの山の中で、肉牛、ガチョウ、卵用鶏の粗放的な飼育とレストラン経営を営むBIO農家Sonner家のもの。

このような形式の養鶏は、ここ10年でドイツでかなり増えた。理由の1つは、草地での放し飼いで生産した卵の市場での需要が高いからだ。

ケージ飼いのニワトリの卵は1パック10個で1.5ユーロくらい、平飼い(地面の上で飼う)が2.5ユーロくらい、草地での放し飼いは3.5ユーロくらいする。BIO(有機)認証を受けている卵は4.5〜5ユーロ(700円)するが、スーパーの商品棚には、どれも同量くらい並べられ、いつも値段の高い卵の方が先に売切れている。

BIO農家のSonner家は、鶏舎の側に設置した無人の自動販売機で1パック5ユーロで直売しているが、すぐに売り切れるという。市場の需要に応えるために生産量を増やしたいそうだが、農地が足りなくて増やせない、という状況のよう。

背景には、消費者のアニマルウェルフェアへの意識の向上がある。最近では、卵を産む雌だけでなく、オスも一緒に飼っている、もしくはオスを殺していない、という認証ラベル付きの卵も売られている。卵から孵ったオスは通常、「用無し」ということで、すぐに廃棄される。卵を生産しないし、肉も筋肉質であまりよくない。餌が肉になる変換効率も悪い。車で言うと燃費の悪い車。でもスーパーでは、学校やテレビ番組で知識を得た子供たちが、ママ、パパ、おばあちゃん、おじいちゃんに、「オスを殺していないこっちを買って」と言う。

オスは、用途やメリットは少ないが、まったくの用無しではいない。大人に成長した雄鶏は、放し飼いの群れの中で、見張り番をする。猛禽類が上空に見えるとすぐに、声を上げて動いて、雌たちをモバイルの鶏舎へ避難誘導する。

写真は8月半ばに撮ったもの。普段だったら緑緑しい牧草地が枯れて黄土色になっている。6月から雨がほとんど降らなかった。スペインのアンダルシアのような景観になった。こんな夏のシュヴァルツヴァルドは、20年以上住んでいて初めてである。でも8月末から幸運なことに雨が少しづつ降るようになった。そして、牧草地の緑は、見る見る回復してきた。自然のたくましさを感じる。

アニマルウェルフェアも、今年2022年の12月に日本語版が出版になる『公共善エコノミー』の多様なモザイクの一つです。

環境によく、アニマルウェルフェアの観点でも優れている商品を、高い価格で買うことは、ある程度、裕福で余裕がある人しかできない。貧しい人たちのためには、安い食糧を供給することが大切、という意見もある。でも、裕福でなくても、意識のある学生や低所得の人たちが、そのような高い卵を買って、その代わり、量を節制したり、肉や嗜好品などを抑えて、家計のバランスをとっている例もある。また、安く供給できている背景で、環境や動物の搾取だけでなく、多くの人間の搾取(グローバルサウスの問題や悪質な環境での出稼ぎ労働、生産者の疾病や障害、経営難)が起こっていることなども、一緒に議論すべきだろう。安く提供することで、貧困問題に「対応」はできる。でも根本的な解決のためには、貧困問題を起こしている現代の資本主導の経済システムにメスを入れることが必要だ。

『公共善エコノミー』は、みんなを幸せにする、倫理的な市場経済のヴィジョンと、そこにたどり着くための包括的で具体的な道を、簡潔・明瞭に描いています。

河川の近自然化の工事中

私が住んでいる街を流れる川で、近自然化の工事が現在進んでいる。

数日前に散歩中に撮った写真。

出来上がっている写真はよくあるが、工事中のはあまりないと思うので、ここに紹介。

9月半ばに森林とランドスケープのテーマで視察セミナーを開催するので、州行政の担当者と連絡を取って、案内を頼んでいる。

この地域の河川近自然化の担当トップは、30年間これを専門にやってきた知識、経験共に豊かな専門官。20年前、私は、フライブルク大学森林学部のランドスケープのセミナーで、河川近自然化の現地研修も受けたが、現場ではその専門官が案内説明してくれたと記憶している。

9月の私の日本人グループの案内は、その熟年のプロフェッショナルのもとで後継者として数年前から事業を担当している若手の専門家が対応してくれる予定。7月に彼と現場で待ち合わせて打ち合わせをしたが、とても謙虚で、「経験豊富な先輩について自分は今、色々学んでいる」「訪問者に説明するのは自分の勉強にもなる」と話してくれて、誠実な人柄が伺えた。

ここの近自然化の主要な目的は、生態系を豊かにすること、住民の保養空間を創出すること。川幅を広げるて遊水域を設けることはできない場所なので、洪水抑制には、わずかしか作用はしない。(水にブレーキがかかるので若干の効果はある)

最近、『公共善エコノミー』という中欧で評判の本を日本語訳する作業を一通り終えた。今後、校正、編集作業を経て、12月に日本で出版される予定だ。

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資本の増殖をシステム目標とする市場経済から、公共の福祉と幸福を追求する市場経済へ転換のコンセプト、具体的なツール、先行事例を描いた本だ。公共善エコノミーは、この10年で社会的な運動にも発展し、大きなうねりになりつつある。民間企業も地域行政も参加している。

河川の近自然化は、結構な費用がかかる事業である。しかし直接的な経済的利益が地域住民や企業、団体にもたらされるものでもない。資本主義の論理ではなく、まさに公共善のための事業である。

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住民主役の街

8月初めに、家族でクロアチアで休暇を過ごしました。夏に海に行くのは、北の北海へも、南の地中海へも600km離れている場所に住んでいる私たちにとって、恒例の行事になっています。海水浴が主な目的なので、スプリットの近くの海辺で大半を過ごしましたが、1日だけ、同じ時期に生まれ故郷で休暇を取っていた友人家族に誘われて、彼の実家の近く、ちょっと内陸のイモツキ市を訪問しました。人口1万人ほどの街です。市街地に隣接する有名なブルー湖で泳いで、夕方4時頃に街を案内してもらいましたが、人がほとんど歩いていません。でも、日本の地方都市によくあるシャッター通りではありません。寂れた様子は全くありません。カフェやレストランの机やイスが通りや広場に敷き詰められています。この時間帯はみんな家で昼寝していて、数時間後に涼しくなってから街に出てくるそうです。土曜日の午後、嵐の前の静けさを見たのでした。夜8時くらいから人で溢れかえって夜中2時くらいまで大変な賑わいになるそうです。我々は彼の実家の近くの静かな村のレストランで夕食をとって、賑わいは体験しませんでした。夕食後に、街にアイスを食べに行けないか、尋ねてみたが、「もう車が停められる場所がない。相当歩く必要がある。大変な騒ぎだから今日はよそう」と断られました。

1万人の小さな街に約70件のカフェやレストランがあるそうです。私たち家族とその友人家族が現在住んでいるドイツのヴァルトキルヒ市も、中心部は人口1万人くらいで、お祭り好きで、飲食店は多いほうですが、イモツキと比べたら全然劣ります。集客規模は周辺の村村で7万人くらいだそうです。ほとんど地元の住民たちで街が賑わい、経済が回っています。近年は、観光も、内陸の穴場として、通の間で人気が高まっているようです。でも観光メインではありません。あくまでも主役は地域住民。レストランやカフェも、舌の肥えた金銭感覚がシビアな地域住民は騙せないし、海沿いの観光地よりも質がよく、値段も3割から5割安いのです。人が楽しく快適に集まれる場所があるところでは、コミュニティが活性化します。そこは直接デモクラシー、住民自治の場にもなります。

資本主導ではなく、ヒューマニティ主導の市場経済のコンセプトである「公共善エコノミー」を最近、私は翻訳しました。12月に日本の本屋に並べれる予定です。いわて中小企業家同友会の菊田哲さん、宮崎の同友会にもサポートいただき、2年がかりでここまで辿り着きました。菊田さんに、クラウドファンディングを開設してもらい、支援を募っています。

https://camp-fire.jp/projects/view/605926

次にクロアチアに行くときには、海辺の観光地でなく、住民が主役のこの街に宿をとってみようと思いました。住民の幸せと生活のクオリティ、すなわち「公共善」につながる地域経済が機能するこの小さな街に。海までも30分と、そう遠くないですし。

資本家のいない資本主義

資本主義市場で経済活動をする1企業形態としての「協同組合」の本質をついた言葉である。ドイツの近代の協同組合の父と言われるライフアイゼン生誕200年の2018年に、ドイツ協同組合・ライフアイゼン連合会が年次報告書でキャッチフレーズとして使った。

先日仕事で、旧東ドイツ・マグデブルク市のドイツ統一前から存在する集合住宅建設協同組合を訪れた。都市部の緑化事業をスタートするために。

80年代に東ベルリンのフンボルト大学で法学を学んだという組合の部長と半日、事業の話だけでなく、協同組合の哲学、マグデブルクの歴史や都市計画、文化、スポーツ、政治など、いろいろ話をして、とても濃縮した有意義な時間を過ごせた。通常のビジネスミーティングだと、必要なことだけ効率的にスパスパ話して終わりだが、私が古い建物に興味があると知ると、部長はいろいろ街を案内し、協同組合で賃貸している街中の感じのいいレストランで昼食もご馳走になった。持続的な人間関係の構築を目指す協同組合の精神を感じた。また彼も私も「仕事はお金だけでなく、やりがいがあり、楽しくもあるべきだ」という考えで同調した。「弁護士になることもできたけど、30年余り働いている今の職場でとても満足しているし、全く後悔していない」と彼は車を運転しながら語ってくれた。

協同組合の多様な事業も見せてもらった。旧東ドイツ時代のそっけない朽ちかけた集合住宅を「明るく」改修し、学生や庶民に社会的な家賃で貸すというメインの事業だけでなく、19世紀の荘厳な古建築を改修して、シックなオフィスやレストランとして貸したり、介護サービス付きの高齢者住宅やデイサービスセンターを開発、所有し、福祉団体に貸したり、多様な事業をやっている。

壁にサステイナブルのテーマで挑発的な絵を描くベルリンの芸術家との共同もしている。大きな集合住宅のファサードを、列ごとにマテリアルを変えたデザインにしたり。少し建設費が高くなっても、できるだけエコロジカルなマテリアルを利用するようにも努めている。賃貸人が「自分はXX通りの建物に住んでいる」でなく「鯨の絵が描いているところに住んでいる」「レンガのファサードの列の2階に住んでいる」とアイデンティティを持てるような配慮をしているという。協同組合の組織にも、他と同様に階層はあるが、実質はフラットで民主的。定期的に課やチームごとに朝食会を開催するなど、密なコミュニケーションと職場環境の改善に努めている。職員向けにサイクリングや自然観察会を企画してもいる。仕事の請負業者である私にも今回、普通のビジネス接待の3倍くらいの時間を取って、丁寧に接してくれた。

そのような努力や気くばりは基本的に、投下資本利益率を低くする。短期的な高利益を求める資本家や株主は、そういうモノや人や時間への投資は、できるだ抑えようとする。今回、私と仲間がサポートする緑化の事業もコストだけで、直接的な収益には繋がらない。

「理念や愛情だけでは飯は食えないよ」

厳しい競争がある資本主義市場経済の中で戦っている経営者やマネージャーからは、そういう言葉もよく聞く。でも、果たして全てそうだろうか? 

マクデブルクの集合住宅建設協同組合では、賃貸人の入れ替わりがとても少ない。約6200人の賃貸人は、学生も年金生活者も、弁護士事務所も歯医者も、みんな同等な1人一票の決定権をもつ組合人。職員は約180人だそうだが、こちらも入れ替わりがとても少ないそうだ。給与待遇は平均以上だが、それだけでない。会社の雰囲気がよく、仕事にやりがいを持っている職員が多いことの表れだ。部長は「競合他社に移るような職員は、幸運なことに今までほとんどない」と言う。人が定着しているということは、それだけストレスや時間の浪費が少ないことになる。「信頼は効率」という私が好きな言葉がある。信頼はトランスアクションコストを少なくする。信頼関係をベースに、個々人が、階層を気にすることなく個性を発揮できる環境は、イノベーションを産む。信頼はでも、構築するのも、維持するのも、絶え間ない努力と気くばりが必要である。

このような経営ができるのは、大きな資本家がいない協同組合に限らない。株式会社や有限会社でも、敢えて株式市場に上場をせずに、理念を持って経営し、地域に愛され、信頼される家族企業もある。長期的に理念が継続されるように、別の哲学を持った資本家に買収されないように、会社の資本を財団法人化している企業もある。

脱イデオロギーの、尊厳を基盤にした市場経済

市場のプレイヤーが「競争」というモーターで、利益を最大化することによって、社会が国が豊かになる、という寓話を信じる(信じたい)「資本主義」が、環境破壊や社会格差を起こしていることは明らかで、その構造は、マルクスの研究者である斎藤幸平氏の『人新世の資本論』にも明確に描写されている。

ただ、マルクスは「資本論」にて、市場経済の主要な生産ファクターとしての「資本」について論じているが、資本「主義」とは言っていない。18世紀半ばの産業革命を契機に拡張し、現在、世界で支配的になっている経済システムは、ニュートラルに表現すれば、「資本主義」ではなく、「資本制」もしくは「資本による市場経済」だろう。でもいつの頃からか、政治思想(イデオロギー)的な表現「資本主義」になってしまった。その経緯や背景については、いくつか文献があるようなので、今後調べてみたい。

私は「資本による市場経済」というシステム自体ではなく、イデオロギーになった「資本主義」の目標設定を問題視したい。資本家の利益の最大化が、最高の目標とされ、それが結果的に社会全体を豊かにする、という寓話によって正当化されていることを。収支決算の結果(利潤の大きさ)をメインに企業を評価する仕組み、GDPを国の豊かの主要な指標とする仕組みも、「資本主義」という寓話に基づいている。

しかし他方で、現代の資本主義経済の中にも、以前から、環境調和的で、社会的に公正で、持続可能な経済活動はある。

世界中にある協同組合、もしくはそれに準じる企業や団体の活動がその一例である。ドイツの協同組合のパイオニアの1人とされるライフアイゼンの誕生200周年であった2018年、ドイツのライフアイゼン協同組合連合会は、年次報告書で「資本家のいない資本主義」、と協同組合のコンセプトの核心を挑発的に謳っている。協同組合では、大勢の出資者によって民主的な運営がされ、利潤の投資も分配も、定款に基づいて、公益性と平等が重視される。利潤を上げることが「目標」ではなく、利潤は、組合員や社会を幸せに、安全に、豊かにするための「手段」である。

また、協同組合でなくても、あえて上場しない株式会社や、利潤を公益的な事業に投資し、公平に従業員に分配し、成長よりも地域との繋がりを重視する家族企業や中小企業もある。利益の最大化が第一目標ではない、地域を豊かにする企業もある。

今必要とされているのは、寓話でしかありえない、現実に機能しない、社会に持続的な豊かさをもたらさない政治思想としての「資本主義」を、イデオロギーの呪縛から解放すること、現実に機能する新しい目標を与えることだと私は思う。別に全く新しいことではない。革命でもない(革命は反発や反動を呼び、非生産的な結果を導くことが多い)。以前から機能している協同組合や、家族や地域や自然環境や従業員を思いやる企業経営は、世界中に存在しているし、困難や問題意識の中から、新しいものも生まれている。斉藤氏は「人新世の資本論」の最後の方で、それら現代のコモンの事例を紹介している。

企業を、利益の大きさだけでなく、社会性や環境負荷なども含めて、包括的に評価する仕組みも、「豊かさ」を、GDPという狭い観点ではなく、広い観点で計算、評価する手法も、世界に、すでにいくつも存在し、活用されている。それらを、積極的に、経済の仕組みの中に組み込んでいくことが求められている。

斉藤氏の研究と著書は、これまで誤解されていたマルクスを、国家社会主義や国家共産主義というイデオロギーの呪縛から解放することに貢献していると思う。彼は、脱成長、脱資本主義を主張しているが、私は資本による市場経済の脱イデオロギーを提唱したい。そのためには、これまで「対象」で「受動者」であった市民や労働者が、「主体的」で「能動的」な参画者とならなければならない。そうなるための共通の精神的な基盤として、私は「尊厳」を挙げたい。拙著『多様性〜人と森のサスティナブルな関係』 https://www.amazon.co.jp/gp/product/B091F75KD3 の最後で論じたことだ。「尊厳」も新しいものではない。脳神経学の観点からは、人間が生まれ持っているものであるし、国連憲章でも、多くの国の憲法でも、「最も大切な価値」として位置付けられている。

尊厳を基盤にした市場経済。非現実的な夢物語ではないと思う。

【競争(competition)の本来の意味】

オリンピックがはじまった。

スポーツ選手たちの勝利を目指した「競争」に世界中が熱狂し、一喜一憂する。
「競争」は、スポーツだけでなく、私たちの経済活動、教育システム、文化・芸術活動と、あらゆるところにあり、個々人の生活や社会を動かす大きな原動力の1つになっている。

競争の語源について調べてみた。

日本語の「競争」は、明治時代に西洋から輸入された言葉。英語の「competition」を福沢諭吉が翻訳した。意味は「お互いが、競って優劣を争うこと」

では、そう日本語訳されたcompetitionの語源を遡るとどうだろうか?

「competition」は、ラテン語の「com-petere(一緒に探す)」に由来する。現代の「competition」が持つ「争う」という意味は全く含まれていない。

「競争」に該当するドイツ語「Konkurrenz」も、ラテン語由来だ。「con-curre(一緒に歩く)」。「対抗」し「競う」とは全く反対の意味だ。「協力」と意訳することもできる。

「com-petition」はいつの時代から「counter-petition」になったのか、「Kon-kurrenz」はなぜ「Kontra-kurrenz」になってしまったのか。

参照:C. Felber『Gemeinwohlökonomie (公共善エコノミー)』piper, 2018.

拙著『多様性』では、最終章にて、最新の脳神経学の知見から、人間の強みは「競争」ではなくて「協力」であり、進化の大きな原動力であることを書いた。
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B091F75KD3

「com-petere(一緒に探す)」「con-curre(一緒に歩く)」という言葉を生み出した古代の人たちはおそらく、人間の強みを素直に受け入れ、理解していたのだろう。

人々がスポーツを観戦して感動するのは、選手やチームが「競争」で「勝った」から、「一番になった」からだろうか? 結果論的にはその側面が大きいかもしれないが、「競争」の過程で、「競争」の本来の意味である「協力」やソリューションを目指しての「協働」を感じるからではないだろうか?

オリンピックの「五輪」の意味として、宮崎日日新聞が、いくつかの説を紹介している。

一つは、地球の五大陸とその連帯。2つ目は、自然現象の水、砂、土、木、火。さらには、スポーツの5大原則の水分、技術、体力、栄養、情熱。これらがワールド「W」の形に並べられている。
https://www.the-miyanichi.co.jp/kuroshio/_54205.html

ただし、この新聞記事にはオチがある。記者はこう結んでいる:
五輪マークの「W」を上下ひっくり返すと「M」。「マネー」の頭文字に見えて困っている。

利益ではなく、信頼を最大化することで得られる生活のクオリティ

私の住む街に、広葉樹専門の製材工場があります。年間2万立米くらいを製材しています。広葉樹の多くは、その組織構造から、水が抜けにくく、製材したあと、数年間ゆっくりと自然乾燥させなければなりません。樹種や製材した板の太さにもよりますが、写真にあるような7cmくらいの厚みのオーク(ミズナラ)材であれば5年前後の期間が必要です。針葉樹の建築用材であれば、人工乾燥機を使って数日から2週間程度で乾燥され販売されていますが、広葉樹の場合は、急速に水抜きをすると材の品質が大きく損なわれるため、現在でも数年の自然乾燥が必須なのです。これは、製材工場にとっては、2年から7年という比較的長い期間、流動資産を大量に抱えて商売をするという、非常にリスクの大きい経営です。製材工場には絶えず2年間の製材量くらいのストックがあります。速さや効率がもてはやされる現代の市場においては、大きな挑戦だとも言えます。

しかし、製材工場の経営者には、特別な気負いはなく、昔からそうだから、自然のマテリアルの性質上、それしかやる方法がないから、そうやっているだけです。スピーディな市場の中でのスロービジネスです。ただそれを可能にしているのは、製材工場の力だけではありません。

まず、多種多様な原木を育て、年々、安定して供給することができる地域の森林所有者が必要です。州有林や自治体有林や私有林です。森林所有者は、樹木という数十年以上の流動資産を育て利用します。高級な家具やフローリングに使われる大きなオークであれば、200年から300年です。広葉樹製材工場の流動資産の所持期間が長いと言いましたが、それからすると森林業の流動資産は「超」長いものです。300年と言うと10世代くらいです。絶えず次の世代のことを想って資産を維持し育てながら節度ある利用をしていくという、世代間の契約がないと成り立ちません。また、成長が速く育て易い針葉樹の一斉樹林の拡大という、とりわけ産業革命以来の人間の工業的思考の実践がもてはやされた中で、多様な樹種のある森を育ててきた人たちがいるから、私の街の広葉樹製材工場も長年経営できるのです。

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また、木材は一本の丸太でも、肉のように多様な部位があり、楽器や工芸品、家具や建具、梱包材や製糸用パルプ、薪やチップと、多様な用途があります。それにオークやブナ、カエデやトネリコ、サクラやクリという多様な個性を持った樹種が相乗されます。広葉樹製材工場は、多様な売り先を抱えていなければなりません。丸太の中でも節が全くなく柾目で綺麗な最高級の上ヒレや上ロースの部位を高く買ってくれる地元のオルガン工房だけでは不十分です。普通のロースもカルビを買ってくれる家具建具工房や、多品目を揃えている卸売業者、ワインの樽をつくる工房、ロクロで木製の器や皿、工芸品を作る工房、ハツやレバーに当たる製材端材を買ってくれる製糸工場やパーティクルボード工場などの多様なお客さんがいて、初めて森から仕入れる多様な部位からなる「生き物」である丸太を製材する業が成り立ちます。

多様な原木が森から製材工場を通して多様な最終加工業者へ。それによって、数世代に渡って使える重厚な木製家具や、教会やコンサートホールで人々に数百年の間、喜びや感動を与え続けるパイプオルガンが製作され、土地の香りとエネルギーを濃縮したぶどう酒に渋みと丸みがブレンドされます。均質化による部分効率化ではなく、多様性を生かすことによる様々な付加価値の創出で、競争ではなく協力で、利益ではなく信頼を最大化することで得られる生活のクオリティです。

著書「多様性~人と森のサスティナブルな関係」 池田憲昭