「自然との同盟」+「世代間契約」

時間的に途切れることなく続いている森。大小様々な樹木が共生している「恒続森」は、欧州では数百年前、山奥の森林農家や共有地の森で、代々少しづつ育った木を抜き伐りするなかで、経験的に出来上がったものです。

「納屋が古くなったから、山から何本か木を切ってきて補修しよう」

「娘が来年結婚する。新しく家を建てるようだから、今のうちにうちの山の木も20本くらい伐って、乾かしておこう」

「いま、オランダの造船業が、黒い森のモミの木の大きな丸太を欲しがっている、と村で話を聞いた。近いうちに集落で集めて、長い筏を組み、ライン川を下ってアムステルダムまで売りに行くらしい。うちの山からも何本か出そう。そしたら、牛やヤギも増やせる。新しく製材機の材料も買えるかもしれない」

現代であれば、
「隣のオヤジが新しくジョンディアのトラクターを買った。あれ俺も欲しいな。銀行にお金を借りるのは、利子が安くても気分的にいやだ。うちの山を少し間伐したら買えるな。今木材単価も高いしそうしよう」

といったその時々の様々な動機で、毎回少しづつ択伐的に伐られていくなかで、出来上がっていったのが複層の「恒続森」です。森は貯蓄預金。大切なことは、その元金はかならず次の世代に残しておく、ということ。成長した分(=増えた利子)の範囲で収穫すること。お金と手間がかかる植林はできるだけしない。自然に更新してきた稚樹に、上の木を少しづつ切ることで、少しづつ光を当てて行き辛抱強く育てる。

一方で、一斉に植えて、一斉に育てて、一斉に伐る、という畑作的な林業が、200年前に学術的に体系化されはじめ推進されてからは、択伐的な利用、複層構造の森づくりは、「無計画、不規則、無秩序」と学者や官僚に非難され、一部の地域では、禁止令が出されました(例えば私の住むシュヴァルツヴァルトを以前支配していたバーデン公国)。しかし、幸運なことに、上からの押さえつけに簡単には動じない農家や村の共有地があり、この森づくりは継続されていき、20世紀初頭には、森林学のなかで、択伐的施業や恒続森を、学術的に体系づけ、洗練したドイツのメラーやスイスのビオレーといった異端児の学者が現れました。現在では、そのような森づくりが、国土保全の面でも、生態系の豊かさ、そして生産性の面でも優れている、という大方の認識に至っています。

数年前、相棒のドイツのフォレスターと一緒に、日本のある地域の森林ワークショップに講師として参加しました。樹齢90年のスギやヒノキの立派な森でした。100年前にドイツで苦学し森林学の博士号を取得した本多静六氏が計画した共有地の森林でした。そこで森林の共同所有者さんたちや行政関係者といろいろ話しました。この森をどうしようか、と。相棒のフォレスターと私は、択伐的に利用しながら、恒続森にすることを提案しました。多くの所有者さんが賛成しました。一方で皆伐を推進する人たちも居て、議論が起きました。私たちは、皆伐の様々なリスク(土壌や生態系、長期的な生産性など)を説明し反対の意見を出しましたが、議論は平行線。フォレスターの相棒は、皆伐を強く求める1人にこう質問しました「あなたが皆伐を求める理由はなんですか」。その方の答えは「俺が植えたものは俺が全部収穫したいもん」

持続可能な森林業は、自然と次世代への「気配り」や「愛情」があって初めて成り立ちます。自然との同盟、世代間の契約です。

投稿者: Noriaki Ikeda

日独森林環境コンサルタント 南西ドイツを拠点に、地域創生に関わる様々なテーマで、日独の「架け橋」として仕事をしています。 ・ドイツ視察セミナー ・日独プロジェクトサポート ・日独異文化マネージメントトレーニング

コメントを残す