スマホ禁止 −放浪の旅の大工

「我々旅職人は、インターネットができる端末を持ち歩くことが禁止されているんだよ」

現在私は、秋から日本のいくつかの工務店で短期の仕事をする予定のドイツの旅職人6人の来日前の準備サポートをしています。コミュニケーションを円滑に迅速にするために、できれば携帯電話の番号を教えて欲しい、とメールでお願いした私に、一人の旅職人が上記の回答をくれました。彼らと私のここ1ヶ月あまりのコミュニケーションはメール。彼らは、旅先や職場で、誰かに端末やコンピューターを借りるなどして私と交信していたのでした。

中央ヨーロッパには、職人の世界で中世の頃から続く「放浪の旅」の伝統があります。企業と学校がタイアップする3年間の実践的な職業養成システムで「ゲツェレ(職人)」の称号を得た職人さんが、3年+1日間、旅をしながら各地の現場で仕事をし、自分の住む場所とは異なる考え方や技術、文化を学びます。現在でも、大工職を中心に、推定600人が放浪の旅をしています。他の大陸やアジア、中東に出かける職人さんもいます。

旅職人の世界には、伝統的な作業着を着用すること、移動は基本的に徒歩かヒッチハイク、クリスマス以外は故郷の50圏内には戻ってきてはいけない、などのしきたりがあります。苦労をして旅をすること、見知らぬ人とコミュニケーションをすることで、人間性を磨くことも放浪の旅の目的であるからです。

私は、そのような旅職人さんも、スマホは持っているだろうと思い込んでいましたが、冒頭のようにそれが禁止されていることがわかりました。確かに、インターネットが絶えずできる環境だと、いろいろなことが「簡単」に「素早く」できてしまいます。人と直接コミュニケーションを取る機会も減ってしまいます。自分を鍛える機会が減ってしまいます。

私は、特に仕事でインターネットを享受している者です。インターネットがなかったら、2003年に独立してドイツで現在のような仕事をすることはできていないでしょうし、スマホが普及してからは、さらに情報の速さと量が増加しました。

しかし私が岩手大の学生だった90年代はじめは、電話かファックの世界。みんな、話すこと、伝えること、仕事や遊びのプランなど、事前によく吟味して、コミュニケーションをしていたと思います。現在のように、「近くなってからラインかメッセンジャーで連絡を取り合いましょう」といった安全パイはありませんでした。一つ一つのコミュニケーションの精度と配慮の幅、事前の熟考の度合いは、以前のほうが遥かに高かったと思います。旅職人さんとの交流で、大切なことを思い出しました。

岩手中小企業家同友会の会報「DOYU IWATE」2019年10月号に掲載

湖上オペラ

ボーデン湖のほとり、オーストリアのブレゲンツ市で、毎年夏に開催されている一大文化イベント「ブレゲンツ音楽祭」の湖上オペラ。美しいボーデン湖の景色を背後に、水上に作られた巨大で奇抜で高度な舞台装置を使っての一流の演出と音楽は、毎年、多数の訪問客を魅了します。人口たった3万人の街に、7000人の観客席です。7月半ばから8月半ばまでの約一ヶ月、週6日間ペースで行われる上演のチケットは、何週間も前に完売されるようです。

このイベントは、戦争が終わった翌年、1946年に始まりました。

戦後の混乱期の音楽舞台芸術は、悲惨な戦争の傷を癒したい、立ち直りたい、嫌な記憶、苦しい現実をひと時でも忘れたい、未来への希望を持ちたい当時の人々の「心の復興」の支えになりました。

でもいったい誰がどのような意図で、この小さな街で、このイベントを始めたのでしょうか。複数のキーマンのそれぞれ異なった思惑と目標が重なって成立したようです。まずブレゲンツの市議会議員だったアドルフ・ザルツマン氏は、文化イベントで観光業の活性化を狙いました。フォアールベルク州の文化オフィサーを勤めていたオイゲン・ライシング氏は、楽しいお祭りで、人々を苦しみや不安から少しでも解放したい、と考えました。当時州立劇場の新しいマネージャーに就任したウイーン出身のクルト・カイザー氏は、1945年にウイーンからこの州に逃げてきた芸術家や文化創造人に、仕事を与えたいと思惑していました。

ブレゲンツ市議会は、イベントスタート1ヶ月前になってようやく、音楽祭に賛成の決議をしました。しかしメインであるオペラの会場をどこにするかは決まっていませんでした。小さな街なので大きな劇場はありません。そこでアドリブ的に出されたのが、ブレゲンツで一番美しい景色であるボーデン湖を舞台背景にやろう、という案でした。小型ボード停泊用の2つの砂利の波止場の一つをオペラの舞台に、もう一つの波止場をオーケストラの演奏場所にしました。

上演されたのは、モーツアルトの若年期の作品「バスティアンとバスティエンヌ」(オペラ)と「小さな夜の曲」(バレーとしてアレンジ)。準備期間が1ヶ月しかなかった即興のイベントですが、22,500人の訪問客を記録し、大成功しました。そして、湖を舞台背景にするという世界でも類がないイベントは、すぐに評判を呼び、知名度を上げていき、1950年には、寄付金によって、湖上の舞台設備と6400人の観客席が建設されました。

きれいな湖を舞台背景にする、という施設もお金もないなかで出た苦肉の奇抜な案が、小さな街の音楽祭を、ザルツブルクやバイロイトと並ぶ世界的イベントにしました。ブレゲンツの経済の重要な柱の一つにもなっています。

上演されるオペラは、2年置きに変わります。今年はベルディ「リゴレット」最初の上演年でした。私は昼間に舞台装置を観て、上演の夜に湖畔の遊歩道から少し舞台を覗き見し、音楽を聞いただけでしたが、来年は、時間を作って観にいきたいと思っています。

岩手中小企業家同友会の会報「DOYU IWATE」2019年9月号に掲載

古建築から学ぶこと

先日スイスアルプスの麓のBrienz市で、スイス各地の古建築を移築し集めた野外博物館Ballenbergを見学しました。66ヘクタールのなだらかな森林丘陵地に100件以上の建物が立ち並び、その周りには昔の菜園と畑と牧草地が再現。全部隈なく見るには2日はかかるその数と規模にとても驚きました。大変オススメです。

私は古建築や古い家具、骨董品のノスタルジックな雰囲気が好きですが、古いものの魅力と価値は、その趣だけではありません。数百年以上存続している建物には、その土地の気候条件を踏まえ、土、石、木、植物繊維という自然のマテリアルを適材適所に賢く機能的に用いた先人の知恵と経験が溢れています。住まいの「永遠の課題」である寒さや暑さ、湿気に対しては、昔の人は、自然素材の「蓄熱」と「調湿」という性質をメインに、ソリューションを生み出しています。

世界各国で建物の省エネ基準が推奨もしくは義務化されて以来、「断熱」と「防湿」に偏重した設計と建設が行われています。 私は省エネ建築を約15年来ドイツから日本に紹介し推進してきましたが、断熱材で熱を断ち、シートで湿気を封じ、密閉し、そしてそうしたために、機械換気を取り付けて24時間回さなければならなくなっていることに、「これでいいのか」と疑問を持っていました。「自分は住みたいか」と自問したときの正直な答えはいつもノーでした。

 「森林学」では、自然を生かし、自然と「共に」森づくりをやっていくことが、経済的にも環境、社会の面でも持続可能で賢いということを学んだ私としては、「断じ」て「密閉」して防ぎ、「技術的措置」で補う、という現代建築の「対抗」型のソリューションには馴染めませんでした。

ここ数年、「対抗」型だけでなく、「共に」の原則でもソリューションがあるはずだと、建築物理の基礎を自分で学び、時代の潮流や一般常識に惑わされないで本質的な仕事をしている建築業者に出会い、いろいろな事例を見学しました。その答えが自然のマテリアルの「蓄熱」と「調湿」をメインコンセプトにした省エネ建築です。昔の人たちが何百年もやってきて実証されていることです。

今回訪問したBallenbergの古建築野外博物館 では次のような発見がありました。
冬が厳しい山岳地域の建物には「木」がメインで使用されています。熱をゆっくり吸収して、ゆっくり放出する木の性質が生かされています。そしてファサードや室内壁は「黒」く、熱を吸収しやすくなっています。夏暑い平野部の建築は「土」や「石」がメインで、熱を素早く吸収し、素早く放出するミネラル素材の性質で暑さ対策をしています。こちらのファサードの色は光エネルギーを反射する白が基調。どの建物もしっかり屋根の張り出しがあり、雨風雪、夏の日射から建物を守っています。

長持ちしている建築物には、世界中で上述したような共通の原則があります。そして、「ゴミ」になるマテリアル、有害なマテリアルがほとんど使用されていません。ほぼ全て再利用またリサイクル可能!

岩手中小企業家同友会の会報「DOYU IWATE」 2019年8月号に掲載

笹の問題は、人間がもたらしたもの?

昨日日光の近くの森林を視察しました。
天然更新や苗木の成長を邪魔する笹の話しになりました。


この笹の問題は、半分以上は人間がもたらしたものです。だから解決可能です。

30~50%の強度の画一的間伐をした場所(面的に光が均一に当たりすぎているところ)に笹は生えています。皆伐跡地はとりわけ笹にとって絶好の環境です。
笹を抑える方法は、控えめで光環境が多様でマダラになる間伐です。実際にそのような光環境ができている場所には笹は面的な広がりはありません。
またスギやヒノキ、広葉樹が見事に天然更新している場所もありましたが、そこは光の多様性がある場所で、笹は木と共存していました。

間伐によって、均質な光環境も作れますし、多様な光環境も作れます。前者はリスクの多い単調な生態系を生み出します。後者はリスクの少ない多様な生態系を生み出します。

人間は、自然への賢い手の入れ方によって、問題を抑制しコストを大幅に削減することができます。どうやればいいかは、自然が示してくれます。

生産性が高く森林の多面的機能を創出維持する「自然と共にの森づくり」は、次世代のことを考え、愛情を持って、自然と辛抱強く向き合った人たちが経験的に編み出した知恵です。

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移動式製材機でサイドビジネス


移動式製材機で、シュバルツバルトの畜産林業農家が15年前からサイドビジネス。自宅の屋根付き作業場か、農家や土建屋や家具工房などの土場に製材機セットをトラクターとトラックで牽引して出張賃引き製材。料金は立米60ー65ユーロ+出張交通費。2人で1日15-20立米製材。年間3000立米くらい製材。フルに仕事すれば5000立米可能。人工乾燥が必要な場合は、乾燥機がある近くの製材工場に持って行く。
原木の輸送費が高いという状況を逆手に取って、製材機を原木があるところに移動させ、小さな需要にも応える。製材機2台と自動研磨機合わせて3000万円くらいの機械への初期投資はとっくに償却。当初、周りに嘲笑されたが、最大1.3mの大径木を4mmの板まで製材できる性能のいいバンドソーで確かなニッチ市場を確保。

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自分は製材屋というより肉屋!

バイエルン州アルゴイ地方のWaltenhofen製材工場の社長の言葉。
50km圏内から、45センチ以上の上質大径針葉樹5m材だけを仕入れ、肉を部位ごとに切り分けるように、大径木から、丁寧に、柾目の高級材を、モダンなレーザー技術の助けを借りて切り取る。
歩留まりは約60%。年間製材量6000立米。従業員は6名。
節のない高級材A++は、社長が「Filetヒレ肉」とラベリングし、卸売業者を通して主にヨーロッパで売られ、窓枠やオルガンや高級建具の部材として使われている。
「ヒレ肉(節なし)」や「上ロース(僅かに節あり)」にならない部位は、垂木や集成材の材料として加工され建築用に販売される。
大径木から、最大限の価値を切り取るこのような製材工場の存在が、持続可能な森づくりを支える。

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木材の地産地消のつなぎ役

オーストリアのブレゲンツの森地域、Hittisau村の製材工場。年間製材量1万2000立米。20キロ圏内からモミやトウヒの上質の大径A/Bを最大長20mで仕入れ、木造建築が盛んな地域の工務店や家具建具店に直売するこの地域の典型的な工場。
森と地域木材産業を繋ぐ重要なカギ。
以前はおさノコで、B/C材を製材し、売り先はイタリアなど外国に頼っていたが、10年前にイタリア製の高性能バンドソーを自動目立て機と一緒に購入し、高品質の材を求める地域の建築業者の需要に応える。現在、製品はほとんど地域販売。まさに地産地消。
歩留まりは70%。20%は家具建具用のA材、40%は建築B材、10%くらいがパレット材。残材は全て人口乾燥機の熱源に利用。
従業員は6名。

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次世代への配慮と備えの心が作り出した恒続森

中央ヨーロッパの山岳地域には、絶えず大径木が存在し、絶えず更新している恒続森の伝統を受け継ぐ地域が各地にあります。写真は、オーストリアのブレゲンツの森地域。
農林家や集落共同体が、次世代への配慮と家族愛の心で、適度な択伐を繰り返して作って維持してきた、多様で良質な大径材が生産される森です。
ウインチやタワーヤーダーの古き良き技術で丁寧に伐採集材作業されています。
昨年からのキクイムシの害による低質材の過剰供給で、建築用の針葉樹B/C材の価格が立米90ユーロから60ユーロに値下がりし、多くの森林所有者が困窮していますが、良質の広葉樹や大径針葉樹は、逆に値段が上がっており、多様で大径木のある森を育ててきた所有者は、大きなダメージは受けていません。
多様性はリスク分散です。
100年以上の生産期間がある森林業では大切なことです。

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 「木」    作者:ヘルマン・ヘッセ

木は、私にとっていつもこの上なく心に迫る説教者だった。
木が民族や家族をなし、森や林をなして生えているとき、私は木を尊敬する。

木が孤立して生えているとき、私はさらに尊敬する。
そのような木は孤独な人間に似ている。何かの弱味のためにひそかに逃げ出した世捨て人にではなく、ベートーヴェンやニーチェのような、偉大な、孤独な人間に似ている。

その梢には世界がざわめき、その根は無限の中に安らっている。しかし木は無限の中に紛れこんでしまうのではなく、その命の全力をもってただひとつのことだけを成就しようとしている。

それは独自の法則、彼らの中に宿っている法則を実現すること、彼ら本来の姿を完成すること、自分みずからを表現することだ。
 
一本の美しく頑丈な木ほど神聖で、模範的なものはない。

一本の木が鋸で切り倒され、その痛々しい傷を太陽にさらすとき、その墓標である切り株の明るい色の円盤にその木のすべての歴史を読みとることができる。

その年輪と癒着した傷痕に、すべての闘争、すべての苦難、すべての病歴、すべての幸福と反映が忠実にかき込まれている。酷寒の年、豊潤な年、克服された腐蝕、耐え抜いた嵐などが。

そして農家の少年ならだれでも、最も堅く、気品のある木が最も緻密な年輪をもつことを、高い山のたえまない危険の中でこそ、この上なく丈夫で、強く、模範的な幹が育つことを知っている。

木は神聖なものだ。
木と話をし、木に傾聴することのできる人は、真理を体得する。

木は、教訓や処世術を説くのではない。
細かいことにはこだわらず、生きることの根本法則を説く。
 
ある木が語る。
「私の中には、ひとつの核、ひとつの閃光、ひとつの思想が隠されている。私は永遠の生命の一部だ。永遠の母が私を相手に行った試みと成果は二つとないものだ。私の形姿と私の木目模様は二つとないものだ。私の梢の葉のこの上もなくかすかなたわむれや、私の樹皮のごく小さな傷痕も唯一無二のものだ。私の使命は、この明確な一回かぎりのものの中に永遠なものを形づくり、示すことだ」
 
ある木は語る。
「私の力は信頼だ。私は自分の父祖のことは何も知らない。私は年毎に私から生まれる幾千もの子どもたちのことも何も知らない。私は自分の種子の秘密を最後まで生きぬく。それ以外のことは何も私の関心事ではない。私は神が私の中に存在することを信じる。私は自分の使命が神聖なものであることを信じる。この信頼に基づいて私は生きている」

私たちが悲しみ、もう生きるに耐えられないとき、一本の木は私たちにこう言うかもしれない。

「落ち着きなさい! 落ち着きなさい!私を見てごらん!生きることは容易でないとか、生きることは難しくないとか、それは子どもの考えだ。おまえの中の神に語らせなさい。そうすればそんな考えは沈黙する。
おまえが不安になるのは、おまえの行く道が母や故郷からおまえを連れ去ると思うからだ。しかし一歩一歩が、一日一日がおまえを新たに母の方へと導いている。故郷はそこや、あそこにあるものではない。故郷はおまえの心の中にある。ほかのどこにもない」
 
夕方の風にざわめく木の声を聞くと、放浪へのあこがれが私の心を強く引きつける。

私たちが静かに長いこと耳を澄ましていると、この放浪へのあこがれも、その核心と意味をあらわす。それは一見そうみえるような、苦しみから逃げだしたいという願望ではない。それは故郷への、母の記憶への、生の新たな形姿へのあこがれだ。それは家へと通じている。どの道も家郷に通じている。
一歩一歩が誕生であり、一歩一歩が死だ。あらゆる墓は母だ。

私たちが自分の子どもじみた考えのために不安を感じる夕べには、木はそのようにざわめき語る。木は、私たちよりも長い一生をもっているように、長い、息の長い、悠々とした考えをもっている。木は私たちよりも賢い。私たちが木の語ることに耳を傾けないうちは。

しかし木に傾聴することを学べば、そのとき、私たちの見解の短さと速さ、子どもじみた性急さが、無類の喜びを獲得する。

木に傾聴することを学んだ者は、もう木になりたいとは思わない。あるがままの自分自身以外のものになろうとは望まない。あるがままの自分自身、それが故郷だ。そこに幸福がある。

心が動いた

「私とカール・マルクスの違い… マルクスは、人類を変えたい。私は、個々の人間を変えたい」 ヘルマン・ヘッセ

ヘッセは、「愛」や「静寂」をテーマに、人間の内面を描く作品を書きました。理性や客観性が重視される社会風潮の中で、感情や主観の重要性をアピールしました。2つの大戦の時代に生き、移住先のスイスやイタリアから明確な反戦の意思も表明しています。1946年にノーベル文学賞を受けました。

人間は、理性と感情の生き物。西欧においては、資本主義と近代科学が始まって以来、感情や主観を排除して、合理的に客観的に考え、物事を進めることが重視されてきました。しかし、近年の脳医学の研究では、人が「良い」決断する際に、感情や直感が重要であることが分かっています。

ヘッセの作品は、戦後、知性や理性を重んじるドイツ国内の文学評論家やインテリ階級からは、「知的レベルが低い」「庶民的」などと批判、倦厭されましたが、世界中の多くの若者や庶民に読まれ、今でも読み続けられています。60年代後半にアメリカ西海岸で始まった「Love & Peace 」運動は、ヘッセに大きな影響を受けています。多くのジャズ音楽家、ヨガやホリスティック医療なども。一人一人の内面から、人間社会に変化が起こりました。

ドイツの近年の再エネの躍進の原動力となったのも、当初「環境気違い」と嘲笑されたドイツの環境パイオニア達の情熱と将来への思いやりと実践です。彼らが人々の心を動かし、政治を社会を変えていきました。

気候変動の危機を肌身で感じる今日、“Friday for future“ という子供達のデモ活動が、理屈や客観的データだけでは動かなかった大人たちの心を動かし、政治と社会を変えようとしています。スウェーデンの14歳の1人の少女が始めた運動は、僅か半年の間に、世界中に広がりを見せています。「子供達が学校を休んでデモをやらなければならない状況を作っている自分たち(大人)は何をやっているんだ。このままじゃいけない、変わらないと」という雰囲気が社会の隅々に広がっています。それは、私の仕事でも日常生活でも肌身で感じられることです。

5月末にあった欧州議会の選挙で、ドイツでは、緑の党が得票率20%(前回から10%アップ)と大躍進をし、第二党になりました。連立政権のCDU(キリスト教民主同盟)とSPD(社会民主党)は、前回から−7%(CDU)、−11%(SPD)と大きく票を失いました。投票率は60%と、前回の42%を大きく上回り、国民の関心の高さが示されました。ベルリン、ミュンヘン、フランクフルト、シュトゥットガルト、ケルン、ボン、デュッセルドルフなどの主要都市においては、緑の党は、30%前後でトップの得票率を得ています。

欧州議会選挙の2週間後の6月6日、ドイツ国営放送ARDが行なったアンケート調査によると、緑の党の支持率は26%と、2位のCDU (25%)を僅差で抜いて、トップに躍り出ました。

岩手中小企業同友会 会報「DOYU IWATE」2019年7月号に掲載